第13話 癒しの風! ほうじ茶ラテ王子【前編】



 二月も終盤に入った。

 その日の終業後、わたしと城守さんはカフェでミーティングをしていた。


 今日は双方終わりの時間が少し遅く、それぞれ机で軽食をつまんでしまったため、食事はなしだった。

 その状況で城守さんが連れてきたそこは小さなお店だったけれど、飲み物のメニューが豊富だった。


 キャラメルミルクティー、ハニーシナモンラテ、ハーブティーに各種フルーツティー、結構目移りした。

 食べ物はほぼ扱っていなかったけれど、お茶を頼むと小さな焼き菓子を添えてくれる。


「その後進展は?」

「なしです」

「そっかー……亜子の周りで王子候補いないの?」

「わたしの出す候補はことごとく却下するではないですか……」


 そう言いながらも自分の婚活のことだ。改めて考え込む。


 手元の飲み物がぬるくなってきている。それを口に入れたとき、ふいに思い出した。


「あ、そうだ。城守さん、わたしこの間社内のカフェで同期の谷沢たにさわくんとばったりお会いしまして」


 考え込んでいた城守さんがぱっと顔を上げた。


「え、誰」

「経理の方です。一応顔見知りで、世間話くらいはできます」

「お、仲いいの? 珍しいね」

「そこまで親しくはないですけど、新人研修の最終日のあと、同期全員で飲みに行くことになりまして……そのとき駅まで一緒に帰ったことがあるんです」

「へぇ。ほかのやつらは一緒じゃなかったの?」


 城守さんが珍しそうに鳶色の目を軽く見開いた。


「わたしが早く帰りたくて、少し飲んで真っ先に抜けたのですが……そのとき便乗したのが彼でした」


 彼はわたしほど図太くなくて、抜けると言い出せなかったようで「助かった」と言われた。


「……んなこったろうと思った。んで、どんなやつなの?」

「谷沢くんは……物腰柔らかで癒し系の眼鏡イケメンですね。とてもほんわかした方です」


 少し考えてから、手元にあったほうじ茶ラテを小さく掲げて見せつけながら言う。


「飲み物で言うならほうじ茶ラテです」

「ほー……で、そのほうじ茶王子とはカフェで会って、何か話したの?」

「いえ、挨拶しかしておりません」

「なんだよ……」


 若干呆れた顔をされた。あまりよろしくないことだが、この顔ももう見慣れてきた。


「いえ、あのですね、たまたま近くの席に座って本を読んでいたのですが、向こうは男性の同僚と話していて。その会話が耳に入ってきまして……」

「うん」

「なんかもう結婚したい……と言ってました」

「前後の文脈がないとな……誰か相手がいるのかもしれないだろ」

「それが、相手もいないくせに……と苦笑いで突っ込まれておりました」

「……」

「どう思います? 城守さんは谷沢くんのことご存知ですか」

「ご存知ないけど……一応俺も調べてみるわ」

「それ、必要ですか?」

「必要だから言ってんの! 変なやつだったとしてもお前は自己判断で勝手に許容しようとする危ないやつだからな」


 わたしの婚活なのに、自己判断を否定されている。

 しかし今はこの人がわたしの師匠のようなものなので黙って頷いた。


 それから数日後、城守さんが電話してきた。


「谷沢だけど、妙な評判もないし顔も悪くないし、うん。いいんじゃない」

「やはり、そう思いますか」


 なんだかんだお墨付きをもらえると安心する。


「見るからに文化系なとこがいい」

「はい」

「ただ、難点を言うなら、誠実で真面目そうな反面、ガードが固そうではある。付き合う候補として俺が紹介するわけでもないから、そういう関係に持ち込みにくそうな感じ」


 なるほど。今までは、なんだかんだ城守さんが恋愛対象として紹介をしてくれていた。それがないと結婚への壁がいつもよりひとつ高くなる。


「どうしたらいいでしょうか」

「とりあえず声かけて、どっか遊びにいけば」

「ですから、それ、どうやれば……」

「うーん……まー、顔見知りなら俺が変に間に入るより自分で普通に誘ったほうがいいと思うよ」

「ヒッ」


 ここにきて急に自力とか無理。すっかり補助輪ならぬキモ輪頼りになっていた。


「普通にって……一般的にはどうやるのでしょうか」

「適当に世間話でもして、お休みの日は何してんの、とか聞いてさ、映画の話とかに繋げなよ……」

「待ってください。メモを取ります」

「メモっても会話は生物だよ」

「一応導入部だけでも……」

「お前勉強熱心でまじめだけど、ロボットが人間の知識丸暗記してるみたいでそこも微妙に応用きかないんだよなー……」

「そんなしみじみ言わないでください」


    *      *


 その翌日のお昼、奇跡的なことに社内のカフェテリアでひとりでいる谷沢くんを見つけた。この機を逃すとたぶん何日でも先になるだろう。意を決して近づいた。


 谷沢くんはお昼はもうすませたみたいで、文庫本を片手にお茶を飲んでいた。


「たっ、谷沢くん。ご無沙汰しております」


 谷沢くんは声をかけると本から顔を上げた。


「小鳩さん、この間もカフェで会ったばかりじゃない」


 そう言って柔らかく笑ってくれた。

 問題はそこからだった。


「どうかした?」

「はい。あの……」


 段取り組みはバッチリだった。まずは久しぶりの挨拶、時候の挨拶からの休日の過ごし方を聞き出す。相手の趣味を聞きつつ、自分はよく映画を観ている、と言い、調べておいた最近話題の無難な映画の話に持っていき、そこからさりげなく誘う。


 この段取り組みは城守さんには「モテない男がやりがちなやつ。適当にいけよ……」とゲンナリした顔で呆れられたが適当にいけるほどのアドリブスキルもないし、なによりそういうのに慣れていない。

 しかし、予習が甘かったのかもしれない。


「土曜日に、映画に行きませんか?」


 そのあとの流れをすっとばしたわたしの口からは唐突な誘いが出た。


「映画?」

「あっ、はい……人気スターそろい踏みの……アクションと涙と笑いと感動の溢れる大作だそうです」


 きょとんとした顔の谷沢くんに、公開中の映画のタイトルを告げる。しかし、途中何を言ってるのかわからない感じになっていた。


「え、あ、なんか行く予定の人が行けなくなっちゃったとか? それ気になってたし、僕でよければ行くよ。最近暇なんだ」


 へにゃりと笑ってすんなり頷いてくれた。

 崖から落ちそうになっていたところを極太の荒縄を投げてもらった感じに救われた。


 しかし素晴らしく恋愛感のない感じに処理された気はする。

 彼は元々グイグイ来る女子が苦手っぽい。幸か不幸かわたしの性格もあって、まったく警戒されていないからガードが緩かったんだろう。お誘い自体は奇跡的に成功した。


 あまりの感動に、そのあと物陰に隠れて速攻で城守さんに電話をかけた。


「城守さん。今大丈夫でしょうか」

「なに」

「谷沢くん誘えました。すごいです……これは、すごくないですか」

「べつにすごくない。結構可愛い女の子に誘われたら一応行っとくのがほとんどの男」


 ぞんざいに返されて通話を切られた。

 わかってない。城守さんはチャラ男だからこの偉業が理解できてない……。


   *     *


 翌日のお昼に沢谷くんがフロア入口に現れた。

 何人かはお昼休憩に出ていたけれど、残っていた先輩と後輩数人が寄り集まってざわつく。


「ギャー! ロボ先輩がいつの間にまた違うイケメン!」

「ロ、ロボちゃんが悪女になった!」

「ひー! ロボ子、帰ってきて!」


 なんだかすごくショックを受けられている。

 それだけならまだよかったのだけれど、部屋を出ようとしたとき、ざわめきに混じってポソっと低い声が聞こえてきた。


「男と遊んでばかりで……」


 背筋が冷えて、そっと振り返る。

 自分の席で今にもボールペンを噛みそうな顔をしていたのは最近彼氏と別れたと嘆いていた小室先輩だった。


 最年長者で課長の塚本さんが、彼女の言葉を聞きつけて近づいた。


「小鳩さんはやるべきことはきちんとやっているし、人に押し付けたりもしてないわよ」


 かばってくれている……。

 塚本さんはわたしと目が合うと、さっさと行け、と目配せしたので急いで退散した。


 確かにわたしは最近ずっと異常な動きをしている。

 付き合いも悪くお仕事専用として置かれていたロボットが突然イケメン捕獲ロボみたいな動きを始めたら周りだってびっくりするだろう。


 こんなことを繰り返さずにさっさとひとりの結婚相手を見つけなければ……わたしはどんどん遊び人ロボになってしまうだろう。焦る。谷沢くん、結婚してくれないだろうか。そう思って顔を見る。


「ごめん、連絡先、同期のグループ全体のしか知らなかったから」


 谷沢くんはよくわかってないようだったけれど、自分が来たことで騒がれたことにどことなく申し訳ない様子で謝ってくる。


「あ、ごめんなさい、気づかなくて。わたし、連絡先は知ってるつもりでいました」

「それ、僕もだよ」


 はは、と谷沢くんが笑う。そのままフロアを出て、三階まで降りて共用休憩スペースに移動した。そこで顔を突き合わせ、連絡先を改めて交換した。


 たまたま城守さんが少し離れた通路を通りかかる。

 城守さんはスマホを眺めている谷沢くんに気づかれないように、片方の拳を軽く上げて、口パクで何か激励を飛ばして去っていった。


「そういえば小鳩さん、ロボ子って言われてるの?」

「はい……わかりますか?」


 谷沢くんは数秒考えたけど「あんまり」と言って笑った。


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