第12話 すけべ焼肉王子! あとバレンタイン
まだまだ寒さが厳しい二月半ば。
わたしと城守さんの喧嘩の発端は、焼肉王子との婚活だった。
焼肉王子は城守さんが三澤さんのパーティで会った別部署の若い方ということだった。
「小鳩さんの見た目が好みだとかで、自分は真剣だし浮気は絶対しない男だと、熱心に頼んできたんだよね。新卒だからまだあんまり情報がなくて、少し話しただけだからどうかなーと思ったけど」
「どんな方なんでしょうか」
「んー、若くてやたらとエネルギッシュなやつ」
「食べ物でたとえていうなら、なんでしょう?」
城守さんは少し考えてから「焼肉だな」と言った。
「焼肉ですか……大丈夫なのでしょうか……」
なんとなく、前情報として不安になる形容だった。
「俺もそこまで知らないんだけど……向こうから言われたんだよ。まあ、気に入らなかったら断ればいいんだし、一度会ってみたらいいんじゃない」
そんなやり取りのあとに会った焼肉王子は元気で明るく、言動がいかにも若い印象の方だった。そしてやはりルックスはいい。アイドル系のやんちゃな顔立ちをしていた。
場所は王子の希望で焼肉屋さんとなった。
お肉が好きらしい。今回はそこまでよくは知らない相手と言うことで城守さんも食事に同席していた。
「小鳩さん、イエー! オレ前から可愛いなと思ってたんっすよー! いや、マジうれしいっす! 握手しましょう!」
テンション高くそう言って、固く握手した手をブンブン振るさまは、確かに元気な焼肉野郎だった。この明るさに、アウトドアの気配を感じ、わたしは一抹の不安を覚えた。
しかし、その心配は杞憂だった。
「オレ、休みの日は一日中ゲームしてまっす!」
彼はハイテンションなインドアゲーマーだった。ファッションこそスケボーに乗って空に飛んでいきそうな系統だったけれど、しっかりインドア。城守さんはそのへんはぬかりなかった。
会う前は少し心配していたけれど、お肉をおいしそうにばくばく食べるさまは健康的だった。
気を使って焼けた肉などをわたしの皿にくれたり、明るく場を盛り上げてくれた。わたしの言ったつまらない反応にもいちいち笑ってくれる。いい人だと思った。
しかし、三十分ほど話していて、ずっと黙って隣にいた城守さんが唐突に「やっぱ断るわ」と言い出した。
「え……」
どういうことですか、と聞く前に城守さんが畳み掛けるように続ける。
「お前には紹介しない」
「……もうされましたけど」
「やかましい! この取引は無効だ! 加藤、飯代は払っとく。悪いが帰ってくれ」
焼肉王子はだいぶ不満そうにしていたけれど、城守さんが頑として文句を受け付けなかったので、名残惜しそうにしながらも帰っていった。
網では誰も触らなかったお肉が焦げていた。
「……何かおかしなことでもありましたか?」
少し不貞腐れて聞いた。
せっかく相手を連れてきてくれているのに、連れてきたその人が破談にするなんて馬鹿馬鹿しすぎる。
「悪い。俺の見たて違いだった。あれはダメだ」
「どこがでしょうか。ダメも何もまだ何も……」
「あの焼肉野郎は視線と、言うことなすこと全部ダメだった。まじめに付き合う気があるっていうから会わせたのに……あんな露骨に胸元とか脚ばかりジロジロ見て、やたらとベタベタ触ろうとして……あげく速攻で自分ちで酒飲もうとか、アホか! あんな性欲の強そうなドスケベスケベ野郎はダメだ!」
「す、スケベ野郎が理由ですか?」
「ドスケベスケベ野郎だ。しかもぜんぜん隠そうともしてない。鼻息荒すぎ。あれはダメ」
そう言われるが、わたしにはぴんとこなかった。
自分の感覚より先に話を進められて突然壊された感覚に釈然としない。
理不尽なものに対するような怒りが薄くわいた。
「スケベスケベって……城守さんだって名高いドスケベ好色男ではありませんか」
「俺はお前と結婚するわけじゃないからドクズでもド変態でもゴミカスでもいいんだよ! でもお前と結婚するやつは誠実じゃないと許さない!」
なんてエゴイスティックな精神構造をしているんだ……。
「でも、わたしは結婚してくれるならドスケベだろうがド変態だろうが……」
「いや、あれ、たぶん結婚はしないよ」
「えっ」
「あいつ真剣だって言って頼んできたけどさ、それって目先の真剣さでしかないんだよ。その瞬間は真剣でも、すぐ気が変わる。よしんば結婚できたとしても、すぐほかに真剣になるよ。それくらい見てればわかるだろ」
「……考えすぎではないですか?」
「相手をよく知りもしないのに真剣を連呼するところも……直情的な思い込みで生きてる。悪気なく自分でも嘘と思わずその場の嘘をつくタイプ。仕事なんかはその集中力が発揮できれば案件ごとに切り替えられていいのかもしれないけどねー……」
「でも……」
「もう忘れて。次行くよ次」
城守さんの決意は固い。覆すのは難しそうだ。
なんだかんだお世話になっているので、意見を無視してまで彼との関係を進める気にはなれない。
しかしわたしは、ここに来て城守さんのこだわりが強くなりつつあるのをうっすら感じていた。もともとうるさかったのが失敗を重ねるたびに厳しくなっていってる気がしている。個人的には失敗には妥協を覚えて欲しい。
「俺だって、お前がもう少しちゃんと選ぶなら……ここまで先まわりする必要はないんだっての……頼むからもっと真剣に考えろよ」
呆れながら言われてむっとした。
「わたしだって、真剣です。そもそもそうでなければこんなことしてないんです」
けれど、その基準はやっぱり城守さんのそれと離れていた。
「わたしにとっては……祖父が喜ぶのが一番で、そこに間に合うかどうかが最優先なんです」
それなのに……城守さんはわたしの出す候補は却下して、難易度の高い人ばかりを連れてくる。協力したと思ったら邪魔してくる。
初対面の人ひとりと会うだけでもエネルギー値が減少するのに……こんなことを繰り返していたら精神がもたない。わたしは、ロールプレイングゲームの村人みたいな人と結婚をしたいだけなのに。贅沢を言って邪魔をしているのは城守さんではないか。
だんだんムカムカが大きくなっていく。
怒り心頭に発したわたしは立ち上がって啖呵を切った。
「もういいです。城守さんの言う理想に合わせてたら絶対間に合いません。自分で探します」
「あ、待って小鳩さん……待て亜子!」
そうして怒って店を出た。
お会計をほっぽって出てきてしまったので城守さんはすぐには出れないだろう。急ぎ足で歩みを進める。
わたしはお店を出て数分で、早くも後悔してきていた。
頭に血がのぼって啖呵を切って出てきたけれど、わたしはもともと城守さんがいないと候補すら出せないおひとりさまポンコツロボだ。城守さんは自分に得があるわけでもないのに、わたしの幸せを考えて選んでくれているというのに。
わたしはまた、焦るばかりにスケベでもド変態でも結婚してくれればいいとやけっぱちな思考になっていた。
よく考えたらド変態は少し嫌だ。
焼肉王子が本当にド変態かどうかはわからないけれど、男性の城守さんが言うならド変態の片鱗くらいあったのかもしれない。なにしろ実際わたしは城守さんの言う、スケベで無遠慮な視線にさえ気づかなかったのだ。
なんにせよ、わたしはすぐに城守さんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになってきた。
そこで気づいたのだけれど、わたしは今まで誰かと喧嘩をしたことがついぞなかった。
幼稚園のころだとか、記憶にない時代のことはわからないけれど、物心ついてからの記憶を探っても人と喧嘩をしたエピソードがまったく出てこなかった。
喧嘩しないというのは一見平和的でいいことだけれど、わたしの場合自分の意思を言わず、関わりを閉ざしていて排他的なだけだった。
とにかく、まったく喧嘩に慣れていなかったので、我に返ったときに落ち込んだし、どうしようと途方に暮れた。
喧嘩をしてしまったときは、どうしたらいいんだろう。
ずっとひとりで生活をまわしていたわたしには、大抵の人が小学生で通り過ぎてきたような幼稚な悩みに答えてくれる知り合いはいない。
トボトボと歩いていて、通りすがりのお店に目をとめる。
おりしも世間はバレンタインを目前にしていて、ショーウィンドウはピンクやハートで可愛らしく飾り付けがされていた。
わたしのバレンタインは毎年祖父に贈り終了する。それ以外は仕事以外でおよそ関わりのないイベントだった。
それも先輩方の働きかけにより、女子がまとめて買って全員に平等に配布するという社内の義理チョコ文化は去年から廃止となっていた。個人的に仲がいい人に渡す友チョコだったり、それからもちろん本命チョコは禁止はされていないが、どちらにせよ友達すらいないわたしには関係ない。
今年の祖父宛のチョコはもう手配済み。あとはせいぜい自分用に買うくらいだった。
それでも、バレンタインは好きだ。
バレンタインフェアも、企業が気合を入れた可愛いチョコやおいしいチョコがたくさん並ぶので好きだった。
わたしは落ち込んだ気持ちを少しでも上げようと、ハート型の風船や、ピンクや淡い色のお花で飾り付けられたショーウィンドウに張り付き、しばらくぼんやり見ていた。
そして、突然天啓を得て店内に吸い込まれた。
* *
翌日の二月十四日の月曜日。
わたしは仕事を終え、席を立った。わたしは個人的に残業多めのほうとはいえ、それでも事務方なので極端に遅くなる日はそこまでない。
城守さんはだいたいいつも遅いので、おそらくまだ帰っていないだろう。やはり、今日謝ってしまうのが妥当だ。
そのためのものも昨日購入していた。
通勤鞄に忍ばせたチョコレートに想いを馳せて、重たいため息を吐いた。
昨日わたしが買ったチョコには『昨日は申し訳ありませんでした。いつもありがとうございます。』という短いメッセージカードを付けていた。
呼び出して顔を見て謝るのは緊張する。
文字なら余計な装飾なく謝罪の気持ちを素直に伝えられる気がした。
城守さんの事業部のフロアをそっと覗いた。
何人かは外出だったり、社内の別のフロア、すでに帰宅している人もいるようで、人は少なめだった。
城守さんは席を外していて、そこにはいなかった。
でも机の上を見る限り、まだ帰宅はしていないだろう。
少しホッとした。メッセージカードだけだと変だからチョコがあるのはちょうどいいと思ったけれど、正直ビジネスチョコ以外のものは身内以外の異性には義理でもあげたことはないし、柄じゃないし、直接渡すのはものすごく恥ずかしい。
せっかく本人不在なのだから、これはさっと机に置いて帰ろう。
しかし、彼の机のすぐ隣の席の男性が普通にパソコンに向かっていた。
パーテーションもあるので少し離れた席ならともかく、真隣はまずい、嫌でも気づく。
総務のロボット女が社内で有名なチャラ男の机にチョコレートを置くところなど、わたしは絶対に、なにがなんでも見られたくなかった。
しかし、男性は動く気配がない。
このままここにいても不審だし、諦めて帰ろうか……。そんなことを思っていると、隣の席の男性がマグカップを持って立ち上がった。
あれは、コーヒーを注ぐ気だ。
そしてコーヒーマシンがあるのは廊下。
わたしはぱっと身を翻し、少し戻ったところで壁に向かってスマホを操作しているふりをしながら息を殺す。そして男性が通り過ぎた瞬間に急ぎ足でフロアに入った。
城守さんの席の前に行くと、机の上に義理チョコらしきものがいくつか無造作に置いてあった。廃止になっても、チャラくても、イケメンは一応もらえるものらしい。
でも、これは都合がいい。わたしのもそこに混ぜてしまおう。隣の人が戻ってきたときに、ひとつくらい増えてても気づかないだろう。
大急ぎで自分の鞄をゴソゴソ探る。
気分的なものもあって最奥に忍ばせていたせいで、チョコレートはなかなか出てこなかった。
これは違う、頭痛薬だ。
こっちも違う、これは文庫本。
どこにあるんだ。急がないと、さっきの人が戻ってきちゃう。
焦って鞄をガチャガチャかきまわすように探す。
「小鳩さん……? なにやってんの」
「ひぎゃあっ!!」
急に声をかけられ、びっくりして鞄をひっくり返してしまった。
中身が一瞬だけ宙を舞い、バサバサと音を立てて落下する。
床には鞄の中身が盛大に散乱し、目の前には呆れた顔の城守さんが立っていた。
「…………はは」
とっさに、乾いた笑いしか出なかった。
城守さんが黙ってしゃがんで床のものを拾い出したので、慌てて自分もしゃがみ込む。
手際よく床のものを拾って、渡してくれていた城守さんがチョコレートに気づいた。
「はい」と言って返してくる。
バレンタインにそんなものを鞄に入れてるロボについて突っ込んでこない優しさが逆に気まずい。
「あの……それは、チョコレートです」
「うん? 禁止になったんじゃなかった?」
「城守さん、もらってるじゃないですか」
「……ん?」
今日の城守さんは察しが悪い。
「わたしがそんなの持っていて、変だと思いませんか」
「え、普通にかい……お爺さんにあげるんじゃないの? 小鳩さん、ほかにいないでしょ」
「おりませんが……いえ、そうではなくて……!」
わたしは、ここに何をしにきたんだろう。
心の準備もないまま鉢合わせしてしまったがゆえに、言うことがまとまらない。
本来の目的を思い出そうとする。幸いなことに思い出した。
「あの……昨日、ごめんなさい」
「……え?」
城守さんは一瞬きょとんとしたあとに、くすくす笑った。
「あー、もしかしてそれ言いに来たの? 小鳩さん、まじめだなー」
「あとこれは、城守さんに、義理チョコです」
勢いのまま両手で差し出した。
「え、ありがと……」
城守さんが少し意外そうな顔でそれに手を伸ばす。
そのとき、席を外していた男性が戻ってきた。
しかし、わたしと城守さんを交互に見て、口元をそっと押さえ引き返そうとした。
「なぁ、おい……これ義理だよ!」
城守さんが男性の背中に声をかける。
一瞬、なぜわざわざそんなことを言うのかなと、思いかけて気がついた。
わたしは緊張で顔面がホカホカになるくらい熱かった。
これは外から見たら真っ赤になっている可能性が高い。さらに、急に鉢合わせたことによる軽いパニックと、柄ではないことをしている恥ずかしさが極まって、涙目で呼吸さえ荒かった。
こんな様子で義理チョコを渡す人間はあまりいないだろう。わたしが買っていたのが、わりと高級チョコだったのもある。
これは側から見たら完全に本命チョコでチャラ男に告白してる女子社員だった。
「ぎ、義理です! いつもお世話になっております! 感謝の気持ちでいっぱいです! 先日は申し訳なく、お詫びの品でもあります!」
全世界に届いて欲しい大声で聞こえるように言う。
しかし、ここまで顔が赤いと何を言っても逆効果というか、気持ちを悟られたくない女子社員が照れ隠しで言ってるかのように見えるかもしれない。
「…………お疲れさまです」
わたしはそれ以上その場にいられず、脱兎のごとく逃げ帰った。
喧嘩をするのも、謝って仲直りしようとするのも、バレンタインにチョコレートを渡そうとするのも、こんなに大声で叫んだのも、記憶にない。
城守さんと関わると新体験が多い。
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