第16話 お墓参りデートに行こう!【前編】


 せいろ蕎麦王子に超速で振られたわたしは金曜日の夜、城守さんとイタリアンバルで向かい合っていた。


 そこは珍しいクラフトビールをたくさん扱っているお店だったけれど、それらの味の区別がつかないほどにわたしは落ち込んでいた。


 時間がないわたしにとって、情も何も芽生える前に、無駄に期待を持たされないのはありがたいことだった。だからせいろ蕎麦王子のこと、そのもので落ち込んでいるわけではなかった。


 彼に限らずわたしは今まで会った誰とうまくいかなかったことに対しても、そのひとつひとつには全て納得していた。今考えても自分にどうにかできたとは思えないし、どうにかしたかったという無念もなく、後悔はひとつもない。


 しかし、やはり振り返ってみると失敗が続いている現実と結果だけが目に入る。


 どんな言い訳をしようとも、わたしは、九月からこの三月まで、およそ半年もかけて、失敗しかしていなかった。結婚以前に、付き合うところにまでこぎつけていないのが致命的だった。その事実には無条件で落ち込む。


「城守さん、わたし……婚活、簡単とまではいかなくても、ここまで厳しいとは思ってませんでした……」

「いや……結婚だからなぁ……難しくて当たり前だって」

「なんというか、いよいよ無理な気がしてきました」

「まだぜんぜんいけるよ。そのうちスルッとうまくいくときが来るって」

「これだけお会いしてたら、普通の人ならひとりくらいお付き合いしてると思いませんか? みんないい方達で、いつかは誰かと結婚するのかなって思うんですけど」


 ことごとくわたしはその相手にはなれなかった。

 自分が目指すものに対して、現実的に難しい性質だということがいよいよ浮き彫りになってきた気もする。


 そしてそれ以上に単純に、穴を掘って埋めるような、失敗の繰り返しに心が疲弊してきていた。


「こんだけ人がいて、結婚相手はひとりだけなんだから、合わないやつのほうが多くて当然だろ。そん中から自分に合った人間をみつけるのが婚活なんだよ」

「合う人なんていませんよ。やっぱりわたしには無理なんです……生まれながらに社会性が欠けてるんです」

「んなことないって」

「もう……あきらめて……祖父を説得……」

「大丈夫だっていってんだろ! このウジ虫野郎! ウジウジしやがって! 俺がついてんだから自信持ちやがれ!」


 城守さんが逆ギレした。ついてる人の基準がわたしと違うのも問題なのに。


「お前みたいな金持ちで顔もいいようなやつに落ち込む権利はない! 世の中にはなんの罪もないのにハゲでモテなくて悩んでるやつもいるんだからな!」


 薄毛の方を引き合いに出される意味がわからない。


「ったく……亜子はどうしたら元気でんの?」

「この不毛な婚活をやめればすぐにでも」

「今やめたらさぁ、自分は誰とも関われない人間なんだって思い込みが強くなるよ」

「はぁ……」

「俺は正直結婚なんて、人に言われてするもんではないと思うけど……せっかく始めたんだから、やめるならもう少し自信をつけてからにしなよ」

「成功すれば自信はつきますけど、そうするとやめる必要はないのでは」

「違う。もっとさ、誰とでも結婚できるけどきちんとこっちが選ぶ自信、振られても合わなかっただけだなって思える自信を持つの。そしたらやめてもいいと思う」


 確かに、やめるならもっと早くやめていればよかったのだ。

 ここまで来てやめたら本当に自信を失うだけの作業だったことになる。


「まぁ、気分転換でもしてさ……」


 確かに、このうつろな気分は少しでも転換させねばならないだろう。

 しかし、その方法を考えることすら億劫だった。


「そうだ。俺、明日墓参り行くけど、一緒に来る?」


 城守さんに言われてどんよりした顔を上げる。


「最近は、そういうのも流行っているのですか?」

「え、なにが」

「お墓参りデート……」

「まさか。さすがにデートで墓参りに誘ったことはないし」

「ではなぜ墓場なんですか」

「命日なんだよ。毎年その辺りには行ってんの」

「あ……」


 思い当たる。城守さんのお母さん。


「車で行けるけど、それでもかなり遠いから、来てくれると俺の暇つぶしにもなるし。周りなんもなくて、のどかだからわりといいんじゃないかと思ってさ」


「……行きます」


    *      *


 今日は婚活のことは考えない。そう決めて城守さんのお墓参りに同行することにした。


 それでも家を出る前は少し億劫な気持ちがあったのだけど、外に出てみると天気がよくて解放感があって、籠らなくてよかった気がしてきた。


 晴れ渡る空の下、まだ三月半ばではあるけれど、その日は風や空気がすっかり春めいていた。


 途中、車窓からは雄大な日本アルプスが目に入った。

 高速道路に乗るのも久しぶりで、そのときも少しわくわくした。


 わたしは大人になってからはずっと、苦手なことや面倒なことはことごとく避けて生活していた。それができる環境になったことがうれしかった。


 でも、おそらくストレスを避けるがゆえに、新しい楽しみの類も失っていた。億劫ながらにやってみて、意外と楽しかったこと、そんなものが十にひとつくらいあって、印象深い思い出はそのときのものが多い。


 洋服は高校時代に友人数人で出かけた本当に数少ない思い出の中で、楽しそうにお洒落について語る級友に影響されて買うようになった。

 映画だって最初は家で観ればいいと思っていたのに、祖父に誘われて初めて大きな劇場で観てからは時折映画館に足を運ぶようになった。


 そんな、十にひとつの感覚をふわっと思い出した。今日はそんな日になる気がする。


 わたしはすっかりと、仕事からも婚活からも離れて羽を伸ばすような気持ちになっていた。失敗続きの婚活のことは、できることならもう一生忘れていたい。


 途中、サービスエリアでお昼を食べて、さらに走る。


 話すこともなくなってじっと外を見ていたころ、そこに到着した。


 城守さんの家のお墓はいわゆる墓地にはなかった。


 山道の途中の原っぱみたいな、変なところにあった。とはいえほかにも墓石はいくつかあったので、一族か近辺の集合墓地ではあるのだろう。

 城守さんが墓石にお線香とお花を供え、手を合わせながら、話しかける。


「よし。母さん、仇はとってやる。…………この女でな!」

「人で仇を討つ気満々ですね……」


 直接仇を討てるわけでもなかろうに……。

 時間をかけて来たわりに、お墓参りはすぐ終わってしまった。


 お墓自体も先に誰かほかの人が来たのか手入れされていて、掃除の必要もなかった。


「もう、いいのですか」

「うん。そうだ、せっかく来たし、寄ってく?」


 彼がひょいと指差した先には大きな日本家屋があった。


「どうせこのへん店もなんもないし。疲れたでしょ」

「あそこはどなたのお家なんですか」

「俺の、じいさんと、ばあさんの家」


 そのまま、家の前に行く。

 近くで見るとよくわかるけれど、立派な家だった。年季が入っているけれど、きちんと手入れされている。庭も広くて、家のすぐ隣に小さめの家屋があった。


「あれは、離れですか?」

「うん。じいさんは陶芸家だから、あっちはアトリエ」

「へぇ……すごいですね」


 城守さんは門を入ってどんどん進み、雑に呼び鈴を押した。


 しかし、反応はなかった。


「お留守でしょうか」

「耳が遠いか……いや、これ壊れてるな」


 城守さんは呼び鈴をスコスコ押していたが、諦めて引き戸をバンバン叩き始めた。


「じいさん! じいさーん! いるかー! 出てこいジジイ!」


 やがて、奥から人がゴソゴソ動く気配がして、パチリと鍵が開けられた。


 城守さんが扉を勢いよくガラガラ開ける。そこにはお爺さんがいた。


「……そろそろ来ると思っていたぞ……」

「なんだよその台詞。悪の帝王かよ。あがるよ」

「おじゃまします……」

「あ、こちら小鳩さん。こっちは俺のジジイ!」


 城守さんの祖父君は「どうも、ジジイです」と言って笑った。

 わたしの祖父は歳のわりに若々しく、キリッとした老紳士系だけれど、城守さんのお祖父さまは、それとはまたタイプが違う。白い髭が少し長くて、仙人みたいな人だった。


 奥から可愛い老婦人もひょっこり顔を出した。


「蓮くん、いらっしゃぁい。そちらの可愛い方も、入って。そろそろ来ると思って待ってたのよ」

「待ってたなら呼び鈴を直しておいてよ」

「先に連絡くれたら直しておけるんだけどねぇ……蓮くん直していってくれる?」


 こちらの笑顔が可愛い方は城守さんのお祖母さまだろう。


「いいよー。どうせ電池切れでしょ」

「ありがとうね。どうぞ。そこ座って、お菓子持ってくるわ」


 畳敷きの居間に通されて、彼のお祖母さまは奥に消えた。


 わたしは城守さんの隣に座り、木製のローテーブルを挟んで彼の祖父が座っていた。


「先に聞いておきたいんだが……蓮司、そちらの、小鳩さんはお前の恋人なのか?」

「違うって。会社の後輩。俺今彼女いないし」

「じゃあ、特に誰とも結婚の予定はないんだろうな」


 お祖父さまが確認するように聞く。よくあるお決まりの世間話にしては、口調が固かった。


「しないから安心して」


 城守さんはムスッとして答える。


「うむ、そのほうがいいだろうな」


 お祖父さまは深く頷く。どうもこの様子だと、彼の祖父は彼に結婚をして欲しくないようだった。


 不思議に思って見てるとお祖父さまがおほんと咳払いをして言う。


「知ってるのかどうか……こいつは、蓮司は昔っから……幼稚園の年長時代にはもう複数と結婚の約束をしているようなやつでね……」

「あぁ……」

「小学生になったらプロポーズはやめたが……一年生のときにはもう彼女がいたとかなんとか……その彼女もコロコロコロコロ、すぐ変わる……」


 驚くほど今と変わらない。


「はいはい。俺は誰かを幸せにとか、どうせできないしね。人を不幸にしないため、結婚なんてしないから、安心してよ」


 城守さんの投げやりなその言葉はどこか自虐的にも聞こえた。


「小鳩さんは、その辺をちゃんと知っておられるのかな」


 結婚するわけでもないのに反対されている。まぁ、普通はただの後輩を連れてきたりはあまりしないだろうから無理はない。


 しかし、一応そういうわけではないと伝えてはある上で、なにかしら言葉を求められている。


 数秒考えて口を開いた。


「わたしは……蓮司さんのことは、人づてに耳に入ってくるものと、わたしが関わった範囲でしか存じておりませんので、あまり深く知っているとはいえません」


 わたしは城守さんの全部は知らない。

 噂は本当のこともあるだろうけれど、たまにとんでもないデマが混ざることがあるので正確性に欠ける。

 だからわたしが知っているのは、わたしが話した彼が全てだ。言えることは本当に限られていて、少ない。


「でも……その上で……」


 だからそれはただの感想だった。


「彼が人を不幸にするような方には思えません」


 はっきりと言うと、彼の祖父が本当に小さく息を呑んだような気配がした。


 個人的な感想でしかなくても、その思いに偽りはない。実際に今、わたしの幸せを、わたし以上に考えてくれているのは彼だと思う。

 しかしすぐに、わたしは何を言ってるんだ……とも思い、城守さんと彼の祖父の顔が見れなくなった。


 お茶を持ってきてくれたお祖母さまが口を挟む。


「そうよ〜。蓮くんは昔から何に対しても気が多いんだけど、ひとつにハマるとよそ見はしないんだから。ほら、あの玩具のときもそうだったじゃない。普段は何あげても本当にすぐ飽きて見向きもしなくなるのに、あれ買ってもらったあとは、しばらく部屋から出てこなかったものね」

「玩具ですか」

「あ、これよこれ!」


 お祖母さまは棚からアルバムを取り出してめくり、一枚の写真を指差して教えてくれる。

 一体どんな素敵な玩具なんだろうと期待に胸を膨らませて覗き込む。


 そこには蓮司、五歳と小さく注釈があり、想像よりはだいぶショボいブリキのロボットを抱えた蓮司少年が写っていた。


「……失礼ですけど、この玩具、そんなに素敵なものなんですか?」

「その年齢のときのことなんか覚えてるわけねえだろ! 俺だって知らねえよ!」

「蓮くんにはよさがあったのよ。ロボロボ言って可愛がってたのよ。部屋にね、小さい基地を段ボールで作ってあげて……お風呂にもトイレにも外にも連れてって。僕のロボットはさいきょうなんだって言って、近所の犬と戦わせそうになって……」

「……ばあちゃん……なんか……やめて」

「それで、ほかの玩具ではぜんぜん遊ばなくなって……欲しいとも言わなくなって、結局そのまま玩具は卒業、そうだったわよね?」

「だーから覚えてないって……」

「蓮くん、あのときのわんちゃん、会いに行った?」

「え、まだ元気なの?」

「可愛い孫がいて、そっくりなのよ」


 城守さんとお祖母さまが楽しそうに盛り上がる。


 わたしはそのまま渡されたアルバムを黙ってめくり、小さな城守さんとその家族を見ていた。ほとんどは彼の祖父母と母親とのものだった。


 そんな中、彼の両親の写真を一枚だけ見つけた。二人並んで、お母さんは赤ん坊の城守さんを抱いている。

 でも、お父さんの顔の部分は破られていて、わからなかった。

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