第7話 模擬デートしました。【後編】
城守さんの運転は穏やかだった。
べつにチャラチャラした蛇行運転を想像していたわけではないが、思っていたよりずっと心地いい。
車窓からのんびり景色を眺めていたら車が目的地に着いたらしく、駐車場に停められた。
「そういえば……ここはどこでしょうか」
「もっと早く訊けよ……危なっかしいやつだな」
「それならもっと早く教えてくださいよ」
「どこだと思う?」
「……公園……というか……御苑ですね」
「そう」
もったいをつけたわりに簡素な返事がかえってきた。
城守さんが連れてきてくれたのは緑広がる新宿御苑だった。
中に入ると人はまばらでそこまで混み合ってはいない。
天気がよくて、空はあわい水色だった。
気温はほどほどにあるのにひんやりした気持ちのいい風が吹いていて、頬を撫でていく。
デートという苦手な単語に、まだわずかに張りつめていた息が一気に抜けた。
「わたし、日ごろほとんど会社と家の往復と、休みの日も最寄り駅までしか出ないんで……すごく浄化されます……」
「そりゃよかった」
いつも都心の雑多な喧騒に囲まれたビルで仕事しているので、大きく抜けた空の下、樹々が揺れているのは空気が二割増しでおいしくなる。
モニタの見過ぎの眼球にも緑が優しい。大きく伸びをした。
「わたし、デートって、何かアミューズメントで戦わないとならないと思っていました」
「アミューズメントは戦場じゃないし、べつに約束してふたりで行けば宇宙ステーションでもゴミ捨て場でもデートだろ」
「そっか。わたしのデート観、偏ってました……」
城守さんのチョイスとしても意外だった。
でもおそらく城守さんは比較的嗜好に偏りが少ないオールラウンダータイプで、彼は和にも洋にも軽食にもシフトチェンジできるハンバーグみたいな人だ。
なのできっと、今回は陰キャのわたしに合わせくれたんだろう。
「あと、公園とかは付き合って長いカップルが行くイメージでした」
「本当偏見まみれだなお前……デートなんてさぁ、好きなとこに好きなやつと行くだけのもんだろ」
気負いのない言葉だ。
ある程度の慣れがないとこうはならない気がする。
「でも、城守さんとだと、あまりデートって感じがしませんね」
そう言うと、心外だとばかりに睨まれた。
「このやろ……なんてことを……ハイ」
ムッとした顔で手を伸ばしてきたので、とりあえずぱしっと取った。何かあるのかと思いきや、特に何が起こるでもなく、城守さんはそのまま歩き出した。
数秒後、何が起きたか理解してびっくりした。
「あの……三澤さんのデートでは繋ぎませんでした」
「俺のデートでは繋ぐんだよ」
「そ、そうなんですか……」
「あと、これは模擬デートだからまぁ目を瞑るけど……デート中にほかの男の名前を出すのは……」
「ひ、人としてわかりますよそれくらい……城守さんだし……いいかと」
「まじめにやれ」
「はい」
わたしはどうも、城守さんが相手だと油断しやすい。なんでも言ってしまいそうになる。
デートから極限までやることを抜くと、こうなるんじゃないかと思うくらい、特に何もしなかった。
手を繋いだまま歩いて、思い出したようにたまに話して、それからベンチに座ってぼんやり空を見る。
普段やかましくペラペラしゃべる城守さんは今日は少し大人しめで、ベンチに座ると充電するように日光を浴びていた。
もしかしたら彼も疲れているのかもしれない。
わたしは自分との関わり外の彼をほとんど知らない。
空を見ると、遠すぎて小さく見える鳥が飛んでいた。
なんだか、ここ最近の焦りや、劣等感の塊なんかがまとめてほろほろと日光に溶けていくような気がした。
失敗はあったけれど、また新しく、がんばれるかもしれない。
「城守さん、ありがとうございます」
「ん?」
「わたし、ここに来たかった気がします」
わたしが普段ひとりで遊びにいくのは映画と食事と買物が多い。
それもほとんどひとり暮らしの住居がある月島周辺ですませていた。
ひとつの街が馴染みになってくると自分に必要なお店がある程度固定されてくる。いつもだいたいお決まりの店や場所をフラフラしていた。
ルーチンになると新しい発想がなかなか出てこないもので、こうやって大きな公園のようなところに行くのはわたしの発想になかった。
かといってわざわざひとりで電車に乗って行くかというとなかなか腰が上がらない気がするので、こうやって連れ出してもらえると本当に来てよかったと思う。
「元気も出たし、お腹も空いてきました」
「じゃあ、そろそろなんか食べに行こっか」
新宿御苑を出て、少し歩いたところにある城守さんお薦めのベトナム料理のレストランで食事をとることにした。
入店してから、わたしは長いことメニューを熟考していた。
豚スペアリブレモングラス焼き。青パパイヤと煮豚のサラダ。手羽先のヌクマム風味。鶏肉のライム葉巻。
どれもおいしそうで、眼球が右へ左へ忙しい。
「……城守さん、この、ブンリュウっておいしいですか?」
「俺も食べたことない」
「ううむ、そしたらこっちにしようかな……」
真剣に悩んでいる最中に、頬杖をついてこちらをぼんやり見ている城守さんに気がついた。
「すみません。早く決めますね」
あまり食べたことがなく、メニューも豊富だったので、いつになく迷ってしまった。
「べつに、後ろに予定があるわけでなし……ゆっくり選べばいいじゃん」
「……え」
「急ぐのはわかるけど、亜子は色々無駄に焦りすぎなんだよね……。じっくり決めて、好きなものを好きなだけ頼めばいいよ」
そうかもしれないと思った。
少なくとも、今日くらいはすべてにおいて焦るのをやめてゆっくりしよう。
時間を気にしなくていいのはすごくいい。
これはあの料理と味が似ているだとか、子どものころは食べられなかったものが急においしくなったときのことだとか、婚活や仕事ともぜんぜん関係のない話をしながら、ゆっくりと食事をした。
駐車場までの道すがらに店舗内でやっていた北海道物産展にふらっと入ったので、自分へのお土産にチョコと乾麺を買って、城守さんにもあげた。
「城守さん、今日、ありがとうございました」
「デート恐怖症の小鳩さん、大丈夫だった?」
「あ、はい。とても楽しかったです。楽しいものですね、デート」
「少しは自信ついた?」
「いえ、それは……」
「ついてないんかい……」
「なんというか、初心者向けにより過ぎていて……楽しかったのは城守さんがそういうのに慣れてるからで……」
初心者がゲーム慣れしてる人と一緒にボス戦をやったみたいで、自分でボスを倒した気がしないというのが素直な感想だった。
「……そもそもこれ、デートなんでしょうか」
わたしと城守さんは交際してるわけでも交際前提でもない。そうするとデートと言えるんだろうか。
「俺と亜子がデートだと思えばデートだろ」
「でも……」
城守さんは口元でちょっと笑って繋いだ手を軽く上に上げた。
「俺も楽しかったよ」
「……」
「これはほかのどんな組み合わせでもなく、俺と亜子のデート。だからやっぱりデート」
「……うん、はい」
言わんとしてるところは、わかるようでよくわからなかった。ただ、城守さんが女性にモテるのはなんとなくわかった。
「…………たぶんデートです。デートレベル上がりました」
「よし、その意気で王子みつけるぞ!」
「はい」と小さく返事をしたあと、向き直る。
「……でもやっぱり、そんな素敵な人を探す必要はないと思います」
「は? なんで」
思ったより強い語調で言われて少したじろく。
「急いでいるのもありますけど、まずわたしにはもったいないです。それに……平気で浮気しそうな人とかのほうがこちらも気をつかわずに勝手にやれる気がします」
正直な話をすると、三澤さんと会ったことで余計にその気持ちが強くなってしまった。
素敵な人を紹介されるとその人を不幸にしたくないのでこちらも無理をしてがんばらなければならなくなる。
そして相手のためといえば多少聞こえがいいが、それだけではなく、わたし自身が素敵な人にがっかりされたり、落第点をつけられたくないという怯えもあった。
素敵な人であればあるほど自分の至らなさが浮き彫りになってしまう。
わたしは自分の能力の低さを知っていて、難しい目的を達成するためには自分の心や意思、希望の部分を除外して方法を考えるよりないと思っていた。
そのために一般的に嫌がられたり、人が寄り付かない難ある部分を持った方を照準に合わせていた。
しかし自分が素敵な相手に相応しく向上するという方向性での努力はまったく考えていなかった。それができる可能性は低いとわたしの脳が判断したのだろう。
城守さんがまた呆れたように顔を歪める。
「あのね、すっごい普通のこと言うけど……最低限敬意と好意を持てる誠実な相手と結婚したほうがいいと思わない?」
「それは一般論です。ひとくちに夫婦と言ってもいろんな形があると思いますし、誰にでも当てはまるものではないのでは」
「いや、誰だってそうだよ。今結婚するなら、結婚してからのほうがそれまでの人生より長いんだから。誠実で歪んでいない関係が作れる相手のほうがいいに決まってる」
「誰でもですか?」
「そう」
城守さんは当たり前の顔で頷いた。
「……不思議なんですけど、それが城守さんにとっての幸せな結婚観なら、なぜ城守さんはそう生きないんですか」
そう言うと彼は少し黙って眉根を歪めた。
そのあと出てきたのはわりと投げやりな声だった。
「俺は結婚にいいイメージがないから。べつにする気がないし、いいんだよ」
「わたしにあれだけ誠実なやつにしておけ、それが幸せだって言ってるのに。それが城守さんにとっての幸せだって知ってるのに……変ですよ」
そう言うと、城守さんは中空に視線を彷徨わせ、少し考えた。
「まぁ……言われてみれば……そうかもね」
少しの間沈黙が降りた。駐車場に戻ってきたので、そのまま乗り込んだ。
「それはそうと俺は、さっき言ってた平気で浮気しそうなやつとか、認めないからね。亜子には絶対にちゃんとしたいいやつを見つける」
「え、えぇ……」
この人はなぜこんなに、闘志を燃やしてるんだ。
「会長だってそうだよ」
それを言われると何も返せない。
わたしは城守さんに協力してもらう限りは自分の自信のなさと、ふがいなさと向かい合わなければならない。
でも、もしかしたらそれが普通で、みんなそうやって他人と関わっているのかもしれない。
わたしはようやく、ずっと逃げ続けていたスタートラインに立っただけかもしれない。
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