第8話 大人の余裕と無邪気の配合! オムライス殿下


 婚活二人目の王子さまはオムライス殿下だった。


 この人は木質素材事業部の方で城守さんとは昔から仕事で関わりがあり、そこそこ親しい間柄だそうだ。少し前に彼女と別れたとの情報からすみやかに脳内リストインされた逸材らしい。


 年齢は三十五歳。人柄は穏やかで優しく、めったに慌てることがない。仕事も申し分なくできるというその人に、城守さんはコードネームを付けた。


「オムライス王子……いや殿下だ」


 今日は夕食を兼ねて、会社を出て城守さんのお薦めのお店のある隣駅まで足を延ばしていた。


 わたしは城守さんとそろって食べていたオムライスのお皿に視線をやった。


「城守さん……そのコードネーム、思いつきで適当に言っていませんか」

「いや、あの人は大人の落ち着きはありつつも、どこか無邪気な少年性を感じるんだよね。大人向けのオムライス……オムライス殿下だ」


 お店はレトロで可愛らしい内装だった。木製の、温かみがあるテーブルと椅子がこぢんまりと配置されている。


 お皿に乗ったオムライスは、美しい黄色のオムレツに焦げ茶色のデミグラスソースがかかっていた。

 スプーンを差し入れるとトロトロの卵がほどけるように出てくる。下に鎮座している朱色のチキンライスと絡めて食べると口の中に幸せが広がった。


 オムライス殿下、根拠はないが、いい方な気がしてきた……。


「殿下はね、仕事外だとちょっとものぐさなところがあるんだけど、だからこその誠実さがある。特に女性関係は昔何かあったらしくて、徹底的に揉めごとを避けようとしてるから誠実だし浮気しない」


 そして城守さんが言うには「あの人はなんとなく、そろそろ結婚を意識しだしている感じがする」とのことだった。そこは重要なポイントだ。


 ここまでだと、なんの問題もなさそうだが、城守さんは毎度難点も事前に挙げてくる。


「ネックとしてはあの人は昔から本当にモテたみたいでさ。学生時代からずっと、放っておいても積極的な女がガンガン寄ってくるから、何もやってきてないの。そっち方面が本当に受け身なんだよね」


 わたしはそれに対して「がんばってみます」と言ったけれど、城守さんはわたしの顔を見て「どうだろうなぁ」と少し不安そうにしていた。



 翌日の終業後。

 会社の近くのカフェで城守さんにオムライス殿下と会わせてもらった。

 城守さんは引き会わせると、早々に退出した。


「木質素材事業部の池座いけざです。よろしくね」


 オムライス殿下こと池座さんはやや童顔で、年齢よりだいぶ若く見える方だった。話し方もふわっとしている。しかし、仕草というか、雰囲気は落ち着いていて、大人の余裕のようなものがしっかりと感じられる。城守さんの言わんとしているところは雰囲気だけでなんとなくわかった。


「城守がすごく推してたから、その時点で気になってたよ」


 池座さんは冗談まじりに言って「ふふ」と笑う。その笑顔は少し可愛い感じで、裏のある感じのしない自然な笑みだった。上品な感じがする。


「遊び半分ならやめてくれって、城守がずいぶんと格好いいこと言ってたけど、なんだかわかる気がする。すごく育ちがよさそうだね」


 今回は三澤さんのときのように結婚前提を先にストレートに伝えるのはやめておいたと言っていた。だから結婚前提の言い方をやんわりに変えるとそうなるかもしれない。

 城守さんの言い方なのか単にそう受け取られたのかはわからないけれど、熱血ドラマみたいで少し恥ずかしい。


「亜子ちゃんは、どのへんに住んでるの?」

「月島です。大学生のときから住んでます」


「ああ、昔、友達が住んでて、よく遊びにいったよ。あのお店はまだあるのかな……」


 殿下はやはり世慣れているのか、当り障りのない共通の話題を引っ張り出すのがうまい人だった。

 物腰が柔らかで、言葉足らずなわたしの物言いに対しては誤解がないように確認をしてくれる。


 城守さんにしてもそうだけれど、こういう会話上手な人と話しているとまるで人並みの会話力が身についたような錯覚をしそうになるが、実際は全くそんなことはない。相手の力だ。


 一時間ほどゆっくりと会話をした。


「じゃあ、亜子ちゃん、今度遊びにこうか」

「はい」

「どこがいいかなあ」


 オムライス殿下が少し考えだした。

 お任せして苦手なエリアになってしまうのを危惧したわたしは先んじて言った。


「あ、わたし、いいところを調べます」

「そうだね。亜子ちゃんが行きたいところがあるなら、それがいいね」


 これはがんばって調べて、楽しませるチャンスでもある。

 受け身なのがネックらしいが、わたしは恋愛したいわけでないので、積極的な人より、そういうのんびりした方のほうが合うのかもしれない。積極的にこられると、助かる反面対応に追われることになる。それにデート関連はこちらに決めさせてもらえたほうが失敗がない気がしていた。わたしは静かに燃えた。


    *      *


 その二週間後のことだった。

 終業時刻に池座さんがフロアを訪ねてきた。何人かは帰っていたけれど、残っていた先輩と後輩数人が背後で悲鳴をあげる。


「ギャー! ロボ子がいつの間に、また違うイケメン!」

「ロ、ロボちゃんどうしちゃったのかな? 体の具合でも悪いのかな?」

「ロボ先輩、この間までイケメンとカカシの区別もついてなさそうだったのに……! エラーですかね? 壊れたんですかね?」


 その、余計な心配は小声ではあったが、わたしの耳にはしっかりと届いていた。


「亜子ちゃん、ちょっといいかな」


 そう言った池座さんの顔はどことなく困ったものだった。


 身支度をして、三階のカフェに移動して話すこととなった。


「少し話があって呼んだんだけど大丈夫? 用事があったりはしない?」

「はい。大丈夫です」


 池座さんはそう言ったけれど、そこから少し考え込むように黙り込んだ。

 わたしもそこで止められると何を言うこともできず、黙っていた。


「実はね……」


 数秒の沈黙のあと、彼がまた口を開こうとしたときだった。


「い、ッ、池座さあーん!」


 大声が聞こえて振り向くと、女性が結構な勢いでドカドカとこちらに来た。


 すらりとした長身でベリーショートの髪型。顔立ちはさっぱりと整っており、男性のみならず女性にもモテそうな感じの方だった。


 彼女はクールビューティといえなくもないルックスなのに、それに似合わぬ慌てふためいた表情で、ハアハアと息を切らして、テーブルの前に立った。


「いいっ、池座ざぁん、そそ、その方ですか!」


 池座さんは女性に対して少し嫌そうな顔をした。


梶原かじわら、突然何の用だ。今、話をしているのがわからない?」


 わたしは部署が違うので上下関係は薄かったが、そのときの彼の態度は直接の部下や後輩に対するものを思わせる、厳しさと気安さを同時に孕んだものだった。


「違うんです! 絶対喧嘩はしません。あ、あたしはこの方と少しだけ話したいんです!」

「お前がこの人と話すことはないだろう?」

「それでも……」と言って、彼女はわたしのほうに向きなおった。

「あのっ、少しだけ……少しだけいいでしょうか! 意地悪したりしませんから!」

「亜子ちゃん、こいつのことは聞かなくていいよ」


 池座さんは言ってくれるが、女性は真剣な顔でこちらを見ている。


「お願いします!」


 見た目とは裏腹に、クールとはかけ離れた体育会系の匂いを感じる。

 いっそ目を潤ませそうな勢いに押されてわたしは頷いた。


 わたしと彼女はカフェに池座さんを待たせたまま、休憩スペースの端に移動した。


「突然すみません……。木質資材事業部で営業事務をしてます、梶原です」

「総務の小鳩亜子です」


 わたしと彼女は大きな窓を背に、寄りかかるようにして立っていた。


「あのっ、城守さんに紹介された方ですよね」

「はい」

「あたし、城守さんの紹介っていうので、もっと……派手で遊んでそうな方かと思ってたから、びっくりして……いてもたってもいられなくなってしまいました。すみません」


 城守さんのイメージに問題があるのを感じる。

 そうして彼女は勢いを落として、ぽつりとこぼした。


「あたし……池座さんが彼女と別れるの、ずっと待ってたんです……」

「え……」


 わたしはこの段階でまだ、何の用だろうと思っていた。

 敏い人ならすぐ気づいたのかもしれないが、長年恋愛から離れた生活を送っていたわたしの脳はなかなかそちら方面への関連付けをしようとはせず、まったく予想をしていなかった。


「あたし、昔っから気が多くて、惚れっぽいところがあったんですけど……池座さんのことは入社して二年間ずっと好きだったんです」

「は、はい」

「それで、最近彼女と別れたと聞いて、告白しました。そうしたら、城守さんに紹介された子がいるから、少し待って欲しいと言われて……!」


 それはわたしのことだろう。頭皮に変な汗が湧いたのを感じる。


 彼女が突然がばっとこちらに向きなおった。

 わたしの肩に手を置いて、猛烈な勢いでしゃべりだす。


「あ、あのっ! あたしはあなたみたいに可愛くもないですし……なんなら池座さんには妹……いや弟? みたいに思われている気がしなくもないんですけど、でもこの間池座さんが次に付き合う子とは結婚したいって言っているのを聞いて……やっぱりどうしても……がんばりたくて!」


 池座さんの言ったという「次に付き合う子とは結婚したい」というその言葉はわたしにとっても聞き捨てならないものだった。誠実で人柄よい人と早めに結婚ができるかもしれない。わたしにとってもチャンスはそうたくさんはない。


 でも、目の前の彼女の必死な形相に、そんなものは飛んでいきそうになった。


「あっ、あたし、悪役みたいなことをしているのはわかっているんですけど、どうか……どうか身を引いていただけませんか。あたしに……チャンスをください!」


 そう言って、彼女はバッと勢いよく頭を下げた。わたしは、小さく後ずさりをした。


 何か、得体のしれない恐怖を感じたのだ。


「梶原……そういうのは彼女じゃなくて僕に言うべきことじゃないのかな?」


 待っていられなかったのか、様子を見にきたと思われる池座さんがだいぶ呆れた顔で近くに立っていた。


 梶原さんが顔を上げてひいっと息を呑み、顔を真っ赤にしてまた頭を下げた。


「っ、あたしが選んでもらえるとは思えず……卑怯だとはわかっていながら、小鳩さんを説得……泣き落そうとしてましたあ!」


 池座さんはものすごく困った顔をしていた。


「梶原……お前は本当にいつもいつもそう……暴走が過ぎるんだよ。何回それで失敗したと思ってるんだ。営業事務になったのだって元はといえば……」

「ひい、申し訳ありません! やれることは……全部やっておきたかったんです!」


 彼女の悲壮な叫びに池座さんはお説教を止めて、呆れたようなため息をふっと吐いた。


「亜子ちゃん、迷惑をかけてごめんね」


 池座さんが梶原さんの頭を緩く押し、わたしに向かって下げさせる。


「んもッ、申し訳ありません!」

「い、いえ……」


 わたしは首を横に等間隔に振って見せたが、内心はかなり気圧されていた。


 恋する女子の発するギラギラしたエネルギーにあてられて、今にも倒れそうだった。


 彼女の発したどの台詞も、テレビドラマや恋愛漫画の中でしか聞くことのないと思っていたものだった。まさか現実で観測することになるとは思わなかった。


 わたしは自分なりに真剣ではあった。


 しかし真剣に結婚相手を探していただけで、真剣に恋愛をしようとしていたわけではない。


 できたら結婚していただけないかと会わせてもらった人にこんなにも熱く想いを燻ぶらせている人がいたことに本気でたじろいでいた。


 熱い。恋愛女子。熱すぎる。

 わたしは申し訳ないが若干引いてしまっていた。


 わたしがのほほんとおひとりさま人生を過ごしている裏では、愛憎が渦巻く恋愛模様が広がっていた。


 急に世界の裏側、いや、皮膚の中身を見せられたかのような感覚になり、軽い恐怖を感じる。


 告白。嫉妬。抜け駆け。打算。駆け引き。失恋。略奪。


 たとえみっともなくとも、泥臭くても、悪役になっても得たいという、その生々しさ。生命のエネルギー。


群雄割拠ぐんゆうかっきょ』という単語が浮かんだ。


 わたしはこんな恐ろしい世界に片足を踏み入れようとしていたのだろうか。



 足元がぐらりと揺れるような感覚がした。






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