第9話 おはようからおやすみまで、暮らしを見つめる連絡練習
わたしは城守さんと日曜の午後に反省会をした。
「……で、譲っちゃったの?」
「そういうわけでもないですが……最終的には、無事、穏便にその流れになりました。城守さんにご紹介いただく方は無駄に見た目がいいのでこういうことがおこるんです」
「まぁ、いい男にはそのリスクはあるよなー」
「とりあえず、ますます恋愛の絡まない結婚を目指したくなりました」
「まぁ、そこは強要できるもんでもないから誠実なやつなら恋愛は無理にしなくてもいいと思ってるけど……」
「できたら、次からもう少しモテない方でお願いしたいです」
「……小鳩さんて贅沢言わないって言うけど、反対方向に贅沢というか……
「それは……その通りです……すみません」
多くの女子が憧れる、仕事ができる誠実なイケメン。
城守さんの紹介は三澤さんにしてもそうだけれど、一般的な婚活女子にはかなりありがたい人選なのだと思う。
けれど、わたしには荷が重いと言わざるを得ない。
「でも、少し張り合えば勝てたかもしれないのに、お人よしだなあ」
「あんな生命エネルギーの塊みたいな方と、整備不良で廃棄寸前のロボットみたいなわたしが張り合えるはずがありません」
彼女は悪役と言うには正直すぎる人だった。むしろ熱血主人公タイプにも感じる。
かたや結婚してくれれば誰でもいいと闇雲に相手を探し、それなのにコネクションを使ってぬけぬけとモテるイケメンと交際しようと画策していたわたし。
悪役は、邪魔者はどちらだろうという思いもある。
まじめに片思いしてる人がいるならば、そちらが実ったほうがいいに決まっている。いい当て馬になれて本望だ。そう思うしかない。
「それに、もともと池座さんはわたしを断るつもりで呼び出したのだと思います」
結局最初に呼び出された要件は聞きそびれてしまったけれど、そうじゃないかと踏んでいる。わたしと付き合うつもりなら、裏で梶原さんに断ればいいだけだからだ。
異常に女性関係の揉めごとを避けるという池座さんは、たとえ付き合う段階までいっていなくても先に紹介されたわたしに、彼女と付き合うことをきちんと告げようとしたのだと思う。
池座さんはわたしに対するよりもずっと気安い顔を彼女に向けていた。彼女の性格も、よく知っているのだろう。それに、どこかふわっとしていてペースを崩さない池座さんが、彼女に対しては呆れて怒りながらも振りまわされているような感じさえする。その時点で答えはもう出ている気がした。
「わたしとは熱意が違いますし、わたしはまだそんなに仲よくもなれてなかったですし……仕方ないです」
「仕方ないって言っても……亜子は紹介した日から二週間、何してたの?」
「わたしですか? 調べておりました」
「ん?」
「最高のデートを失敗なくプランニングせねばと……都内のデートスポットを調べ……体験談などを読んでました。面白かったです」
「連絡は?」
「へ?」
「連絡はちゃんとしてたの?」
「それは、まだデートの準備ができていなくて……」
「そういうんじゃなくて……おはようおやすみこんにちは! 今日もごはんがおいしいね! 君は今日も元気かい? みたいな日々の生活を支える、ささやかな定期連絡の提供はしていたのか!?」
「え、なんですかそれ……あ」
三澤さんのことを思い出す。他愛のない連絡。コミュニケーションのための連絡。アレのことか。
「しておりません。一度も」
城守さんは「ハー……」と情けないため息を吐いた。
「そりゃとられるよ……」
「それは、そんなに必要なものですか?」
「絶対必要とは言わないけど、まだそんなに気軽に会えない相手なら、少しでも仲よくなるために、するべきなんじゃないの? ていうか、したくならないの?」
「な、ならなかった……です。すみません……」
城守さんはしばらく呆れた顔で考え込んでいたけれど、やがて顔を上げて言った。
「亜子、今日から一週間、俺に定期連絡を入れろ」
「なんのためでしょうか?」
「特訓に決まってるだろう!」
「は、はい」
「大丈夫。お前はロボット人間だから、繰り返して習慣付けてプログラムすれば、普通にできるようになるはずだ」
大丈夫の理由が酷すぎて何が大丈夫なのか全くわからないが、わたしは城守さんに定期連絡を入れることになった。
一日に数は朝昼晩の三回。
忙しい日は省略可だが、なるべくその旨を先に伝えるのが望ましいとのことだった。
正直なところその特訓にさほどの意義は感じなかった。子供のころの漢字練習を思い出す。でも、あの漢字練習が無意味だったかというとそれもまたわからない。
しかし、よく考えてみたら紹介後に個別で行われて、人様のものを覗き見ることもできないような作法の部分まで見てもらえるのはありがたいことかもしれない。
わたしは月曜日からせっせと定期連絡をしたため、城守さんに送った。
最初は何を送ればいいのかわからず時間がかかったけれど、三日もすると自分なりのパターンができあがり、少し要領もよくなってくる。
金曜の夜の定期連絡を送信したあと、すぐに電話がかかってきた。
「亜子、キサマ手ぇ抜いてんじゃねえ! お前定型文を辞書登録して送ってるだろ!」
「なんでわかったんですか。すごい……」
「真面目にやれ!」
「眠かったんです……ごめんなさい……」
「あと無線の連絡じゃねえんだから! 要件伝えて終わりじゃねえの! 内容もロボットが自動送信してるみたいだし……画面の先に生きた人間がいる感じがしねえんだよ。なんでこうなってんの」
「はい。内容はなんでもいいとのことでしたので朝は起床の連絡、昼は食べたものの報告、夜は就寝の連絡をしておりました」
三澤さんの連絡を参考にさせてもらったのだ。このチョイス自体は間違ってないはずだ。
「ば、馬鹿者! この大馬鹿者! 毎度毎度七時起床しました、じゃねえんだよ! もっとあるだろが! 昼も写真一枚撮ってすますな! 就寝時刻です、じゃねぇ! 何のお知らせアプリだよ! お前明日ちょっと出てこい!」
四十階建てのビルの最上階にあるカフェレストランはテーブル同士の間隔が広く、椅子も座り心地がよくゆったりとしていた。
そのお店はカフェだけれどパスタが評判で、大きく取られた窓からの景色がとてもよかった。しかし、わたしはその風景を味わうこともなく、とつとつとお説教をされていた。
「城守さんに言われた通りに連絡はしておりました」
「そうだな。お前はクソまじめに送っていた。……まじめすぎるんだよ。固い」
「では、何を送ればよかったのですか」
城守さんは深く息を吐いて興奮を収めた。
「そうだな、朝は、今日もあなたが生きててよかった、一日の初めにすでにあなたを思い出してます、という想いを込めた文を作れ」
「昼は?」
「昼は忙しい合間にもあなたのことを思ってますよ。早く会いたいな、という気持ちを込めた文を送れ」
「夜は?」
「夜は間違っても就寝連絡じゃねえ。一日の総括だ。その日あったことや、次に会ったときに聞きたいことを聞いてもいい。愛をしたためるのも可だ」
確かに、今思えば三澤さんの連絡は内容自体は似たものでも、起床、就寝、食物摂取、今日あったできごとなどを複雑に組み合わせていたので、人間の温かみやまっすぐな好意が伝わるようなものだった。わたしはそれを形だけなぞっていただけだ。
城守さんには三澤さんへの返信の時まじめにやりすぎて寝不足になった旨を話してあったのでもっと気楽にと言われていたのもある。気を抜きすぎた。
「……でも、城守さんに愛をしたためるのですか?」
「そういうことじゃないの。今のは本番用のたとえ。俺に送るなら……とりあえず人間がちゃんとコミュニケーションをとりたいと思ってする感じに、もう少し業務連絡感をはずせって言ってんの」
「難しくて理解が追いつきません……」
「お前いっぺん脳をオーバーホールに出したほうがいいんじゃないの?」
そこで食事が来たのでやっと窓の外をゆっくり見ながら食べることができた。
パスタはトマトソースの上にバジルが乗っていて、お説教からの解放感もおいしさを助長した。つけあわせの小さなパンもおいしい。
おいしいごはんは心をほぐすのか、食後のコーヒーを飲むころには城守さんもだいぶクールダウンしていた。
「まぁいいや、次行こう。小鳩さんのほうでは誰かいる?」
「あ、はい。少し調べてみました。ほとんど名前と顔だけですけれど」
わたしはせっせと社内の男性を観察して、脳内にセルフ釣書を作っていた。
お付き合いではなく結婚、それも急ぎなので、全体的に年齢高めで独身の人を探した。
ただ、話しかけたわけではないので、呼ばれていた名前と人相程度しかわからない。
その四人は全て彼の知る人だったらしく、その場で却下された。
「ろくなのいねえな……」
「そうですか? 城守さんが厳しすぎるのではないですか。みなさんよさそうな方だと思いましたけど」
城守さんの基準が厳しいので、わたしも少し上げざるを得なかったのだ。少なくとも平気で浮気をしそうな人、人格に問題があって有名な人、乱暴な雰囲気の人は外している。
「そういう意味じゃないよ。まずひとりは指輪してないだけで既婚。ひとりは彼女持ち。早くに同棲して結婚のタイミング失ってるだけですごく長い」
社内にいる結婚相手の候補、意外と少ない気がしてきた。既婚者も彼女持ちもみんな目印とかつけてくれないだろうか。
「それから小鳩さんの基準がいまいちわからないんだけど、たとえばさっき言ってた、うちの部署の安田さん、なんでいいと思ったの?」
「誠実そうな方だと思いました」
「あぁ……なるほど。適齢期近くて人畜無害そうなやつを探したんだ」
「そうです。話し方や表情しか判断材料がないのがネックですが、お昼はなるべくカフェに行って見てました」
「うんうん、えらいぞ……安田さんは中身は誠実とかけ離れてるけどね」
ボソリと言われてしまう。見た目で判断するしかないのに、見た目と違う内面だともう何もできない。
「でもまあ結婚には誠実さは一番に大事だ。方向性は間違ってない。これからもそこは外さずに探そう」
そう言ってコーヒーを口に含む城守さんを見て、やはり気になってしまうことを聞いた。
「あの……城守さんのその、ご自身の言動に似合わないごく普通の結婚観は……どこで誰に?」
城守さんの言ってるのは子どもの頃に学ぶ道徳観念そのものであり、ある意味綺麗ごとに近い理想論でもある。
だから最初は単に突っ込み混じりの正論を言ってるだけと思っていた。
けれど最近少し違うような気がしてきた。
まるで誰かに言われた言葉みたいだと感じる。
城守さんは眉根をわずかに寄せたあとにぽそりと言った。
「俺のじいさんだな」
「え……」
「俺の母親はわりと早くに亡くなったんだけど……超ろくでなしと結婚したから、じいさんはずっと心配していた」
「ろくでな……大丈夫だったんでしょうか」
「結局女と逃げたよ」
大丈夫ではなかったらしい。
「ずっと、じいさんが繰り返し母親に言ってたんだよね。もっと誠実なやつにしろ、探せば世の中にはお前を大切に思ってくれるやつはきっといるからって、それがお前の幸せのためだって……俺もそれを横でずっと聞いていて、最初からそうしていたら母親も、もう少し幸せな人生だったのかもしれないと思っていた……」
黙って手元のコーヒーをごくんと飲み込む。温かくて、少し甘い。
ふと気づいた。
「なんとなく、城守さんがわたしにお節介焼く理由がわかった気がします」
彼は今のわたしの状況に、自分の祖父と母親を重ねてるのだろう。
彼の祖父は彼の母に幸せな結婚をして欲しかった。結局うまくはいかなかったけれど、ずっとその姿を見ていたから。
「うん……重ねてると思うよ。俺は今、お前に幸せな結婚をさせることにわりと燃えてる」
城守さんは意外なほどあっさり認めた。素直な返答に、なんだか少し苦笑いした。
「あの、もしタイムスリップして、こうやってお母さまの結婚を手伝うことができたらやりますか」
「え……?」
思いついたままに聞いてからしまったと思った。
こんなこと、聞いてはいけないことだった。
だけど彼は顔を上げて、ケロリと答えた。
「やると思うよ」
わたしは手元のカップの縁に視点を合わせ、指先で転がして、ぐっと胸がつまるような感覚に少し泣きそうになった。
「いえ、それは……やっぱり、やってはいけません」
「え……」
「絶対駄目です」
「……」
数秒して、わたしの意図を正しく汲み取った城守さんが小さく笑い、手を伸ばしてわたしの手を柔らかく掴んだ。
たとえそれで彼の母が幸せになったとしても、そこを正すと彼は今ここにいない。
彼は彼の母が不誠実な相手を選び、ある意味間違えたから、この世にいるのだ。
何かが正された、間違いのない世界。
たとえばそんなものがあったとして、そこに当たり前に彼がいないのは、寂しすぎる。
なんだか悲しくなって、そのまましばらく黙って座っていた。
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