第10話 クリスマスは誕生日


 冬が深まり、その日に向けて街がじょじょに色づいていく。


 もうすぐクリスマスだった。


「え、一緒に過ごせないのですか? ……え、それは……まだですけれど、でも……今年は…………わかりました……」


 お昼休みに会社のロビーで電話をしていたわたしは落胆して通話を切り、深いため息を吐いた。


「小鳩さん、俺が知らないうちに誰に振られてんの?」

「……わ」


 端っこでこっそり電話していたのに、いつの間にかすぐ後ろに城守さんがいた。


「いるなら気配をもっと出してくださいよ」

「いや普通に近寄ったけど小鳩さんが気づかなかったんじゃん」

「そうだったんですか」

「で、俺に黙って誰と話してんの」

「べつに何も隠してないです。婚活は進展なしです。二十五日は……ここ数年は毎年祖父と過ごしていたのですが……今年は用事があるからと、断られたのです」

「ああ、そうなんだ」

「まさか断られるなんて思わなかったから……かなりショックです……」


 今年は二十五日は土曜だから、久しぶりに一日一緒に過ごせると思っていたのに。そろそろ相手がいるはずだから愛を深める日にしなさいと、暗にプレッシャーをかけられてしまった。

 相手はもちろんいない。影すらない。しかしそんなこと言えるはずもない。


「でも意外だね。小鳩さんはクリスマスにひとりでも気にしなそうなのに」

「クリスマスなんて気にしませんよ」

「うん?」

「二十五日は……わたしの……誕生日なんです」

「クリスマスに? あー……それは……ご愁傷様」


 城守さんがすぐに察して同情を寄せた。


「あー……俺、二十五日は三澤が主催のそこそこ大規模のパーティ……なんだけど、小鳩さんも来る?」


 城守さんをカッと睨みつける。


「行くわけないじゃないですか!」

「……そうだよね」


    *      *


 十二月二十五日の朝、宅配便で祖父から誕生日プレゼントが届いた。


 中身は赤色の可愛いケトルと腕時計だった。カードもついていて、今年は一緒に過ごせないことの謝罪と、わたしの幸せを祈っていることが綴られていた。


 少ししょぼくれていたわたしだったけれど、それだけですっかり機嫌を直してしまった。


 そうだ。今日は思い切りひとりを満喫しよう。


 わたしは手始めにローストチキンを作ろうと思いたった。理由は売り場に鶏肉がたくさん並んでいるからだ。


 簡単な作り方を調べてから駅前のスーパーまで出て、鶏肉とお菓子とお酒を買い込んで昼過ぎには帰宅した。


 鶏肉をビニールに入れて、バジル、タイム、パセリ、ローリエ、ローズマリーなどのドライハーブをまぶす。それからレモンとお塩、にんにくとオリーブオイルを揉み込んで冷蔵庫で寝かせる。

 普段欠かさず自炊してるわけではないので、さほど手際よくはなかったけれど、ネットで作り方を確認しながら時間をかけてゆっくり調理をする。

 肉をオーブンに入れて、時々小窓から覗きながらシャンパンをちびちび開けた。

 そうして焼き上がったローストチキンはとてもおいしかった。皮がパリパリで中はジューシー。ハーブの味もしっかりとついている。


 わたしは料理をするのは嫌いではないが、気が向いたときだけで、上手というほどでもない。だから思ったよりもうまくできたそれは、誰かにちょっと自慢したくなるくらいだった。

 チキンをつまみながら、またシャンパンを飲んだ。


 お腹がいっぱいになってきたらサブスクで映画を一本観て、終わったら今度はテレビをつけてザッピングした。特に興味が持てる番組はやっていなかったけれど、お酒もまわってぼんやりして気持ちよかったので、しばらく寝転がって耳の端で画面の音を聴く。


 それからゆっくりお風呂に入った。とっておきのバスソルトを入れて、体をゆっくり温める。お風呂を出て、ことさらゆっくり髪を乾かした。


 そうやってのんべんだらりと過ごして、ふと窓の外を見ると真っ暗になっていた。


 今日はつくづくいい休日の使い方をした。

 控えめに言っても最高。というか、わたしはやっぱりひとりが好きなんだなということを実感した。

 そうしていると、祖父に婚活を命じられる前の生活の感じを思い出して、そこにすぽんと戻ってきたような感覚に陥った。


 誰にも乱されない。自分だけのペースで安定した一日。


 わたしはずっとこうやって過ごそうと思っていたんだった。


 窓を開けてベランダに出てみた。寒さで吐く息が白くなる。


 少し離れた駅前のあたりで光がキラキラしていた。

 街では飾り付けがされて、みんなクリスマスを楽しんでいるのだろう。

 今年はイブが金曜だから、クリスマス本番をお祝いの日にする人も多いんじゃないだろうか。そんなことを思ってから部屋に戻った。


 お布団でウトウトとまどろんでいると、スマホが着信した。


 画面には城守さんの名前が表示されていた。


「………………はい」

「亜子、起きてる?」

「……半分寝ておりました」

「そっか、ごめんね。ちょっと外出れる?」

「外……」


 もうお風呂にも入ってしまった。外は寒い。冷えたくない。

 しかし、そんな理由でせっかく来てくれた人を追い返すのは非道だ。城守さんは今日はパーティとか言っていたから、お酒を飲んでいるだろう。車ではないはずだ。外で話したら城守さんも寒いのは同じだろう。


「あの……わたしの家、前来てくださったとこの、すぐ前のマンションなんで、城守さん来ていただけません?」

「え、家?」

「はい。外は寒いではないですか。ダメでしょうか?」

「いやダメとかじゃないけどさぁ…………えぇー……」


 城守さんはしばらくしぶっていたが結局「まぁいいや。行くわ」と言って通話を切った。


 人が来てもいい程度に身なりを整え、片付けをしているとインターホンが鳴ったのでエントランスを解錠する。


 そこからしばらくして城守さんが部屋の前に到着したので招き入れる。


 城守さんは少しお酒が入っているのかご機嫌で、どことなく緩い色気を醸し出していた。


「予想はしてたけど……いいとこ住んでんね……」

「そうですか? 祖父にはもっといいところに住めと言われてますが」

「あそう……」

「ここ、祖父の持ちビルなんです。セキュリティや利便性がよくて大学生の時から住まわせていただいてます」

「住んでる人のセキュリティがザルなら意味ないけどね……」

「どういう意味ですか。わたしのおひとりさま体質を舐めてませんか。この部屋だって、祖父と、今城守さんが来た以外は誰も通したことない堅牢なセキュリティですよ」

「はぁ……堅牢っていうか……なんというか……まぁいいけど」


 城守さんはなんとも言えない顔をしていたが「あ、そうだ」と言って手に持った箱を差し出した。


「誕生日おめでと。これ、ケーキ。よかったら食べて」

「あ、ありがとうございます。わたしお茶淹れますね。どうぞ上がってください」

「知ったのギリギリだったから、プレゼントは買う暇なかった……ごめんね」

「いえ、お気使いなく。もともと城守さんに教えるつもりはなかったですし」

「でも俺、昨日今日と、結構連絡先増やしてきたからさ」

「えっ」


 キッチンに行こうとしていたところを振り返る。


「昨日は夜、独身で相手のいない社内の人間で集まって飲んでた。三澤のパーティも社内のそっち部署のやつが結構来てたから」

「……」

「来年にはいいやつと結婚させるよ。それがプレゼントってことで」

「ありがとうございます。それが一番です。誰でもいいので早く紹介してください」

「まだ無理。要調査案件が多かった」


 やはり調査は必要なのか。厚意でしかないのがわかるからあまり言いたくはないが、もどかしい。


「急ぎたいので……調査は結構です」

「いや……急いでいるならなおさら調査は必要」

「なぜですか」

「あのねー、たとえばモノを売りたかったら、何を売るかじゃなく、誰に売るかがものすごく大事なんだよ。いくら素晴らしい商品でも必要ないやつは買わないでしょ。買う気のないやつを何時間もかけて延々と口説いても無駄。それより買いそうなやつを見極める目のほうが大事」

「……はぁ」

「付き合うだけならもっと早いけど、結婚だろ。若すぎるとまだそんな意識ないやつ多いし、逆にある程度歳いって残ってるのは遊んでるやつも多くて。さらに人柄良好で、パリピは外してかないと時間の無駄だからね……」

「確かに……難しそうですね」


 わたしと結婚してくれる人なんて、やっぱりいないんじゃないのか。


「そうだ。城守さんチキン食べます?」

「え、チキン?」

「あ、よく考えたら……お腹いっぱいでしょうか。お昼に大量に作ったのですが、さすがにひとりだと余らせてしまって」

「いや、そんな食ってないわ。いただく」

「では、そこに座っていてください」


 チキンを温め直して、もらったケーキも開けた。


 入っていたのは小さなホールのショートケーキだった。『メリークリスマス』ではなく『ハッピーバースデー』のチョコプレートが付いてるのがものすごくうれしい。


 お皿を置きにいくと、城守さんはテーブルに置いてあったプレゼントの時計をぼんやり見ていた。


「あ、それ、今朝祖父から誕生日プレゼントで頂いたのです。いいでしょう。すごく可愛いでしょう。とても素敵でしょう。祖父はセンスもいいんです」

「うん、可愛いね」


 城守さんが呆れたようにくすくす笑う。

 料理を並べて、向かい合って座った。


「ん……? なんかこれクリスマスだな」

「やめてください。わたしは……クリスマスなんてやりません」

「ケーキは俺が買ったからあれだけど、なんで、チキンにシャンパンなんだよ! これ完全にクリスマスだろ!」

「鶏肉やシャンパンはこの時期たくさん売っているからです。でもこれはクリスマスではありません。わたしはクリスマスなんて嫌いです」

「わ、わかったわかった。これはたまたまクリスマス風になってるだけ」


 クリスマスを殺しかねないわたしの殺気に、城守さんも上辺の納得を見せた。


 自分も席について、おほんと咳払いをして、お酒をひとくち飲んだ。


「城守さんもお察しの通り……わたしの誕生日はいつもクリスマスに負けていました」


 勝てたことは一度もない。わたしが生まれたことよりキリストさまが生まれたことのほうを祝いたい人は多いだろう。家族でさえそうだった。


「わたしの姉はエキセントリックな美人系の才女で、学校で常に一番の成績を取ってるような人でした。兄は薄幸の美少年みたいな見た目で、音楽の才能に恵まれてるけれど、昔から病弱で目が離せない人で、そんな中、わたしはまぁ……なんというか、ずっと影が薄かったんです」


 わたしの誕生日はべつに無視されてるわけでも忘れられてるわけでもなかった。両親にはケーキもプレゼントももらえていた。ただ、兄や姉も同じ日にクリスマスプレゼントをもらっていた。それはまぁ、まだいい。ほかの兄弟にクリスマスプレゼントをなくせだとかは思わない。


 わたしが一番嫌だったのは、誕生日のお祝い自体がクリスマスと合同でイブの二十四日に行われることが多く、誕生日に誕生日のお祝いがされなかったことだった。

 だからみんなでするそのお祝いをわたしが自分の誕生日と感じたことは一度もなかった。


 もし別の日だったなら、普通にお祝いしてもらえたんだろうか。いつもは地味で影が薄くて、家族からの関心が薄いわたしでも、その日くらいはわたしのためだけの誕生日をやってもらえたんだろうか。


 わたしはべつに誕生日というイベントを盛大にお祝いしたいわけではない。そこにわたしの悲しみの本質はなかった。ただ、家族のわたしへの無関心が浮き彫りになるかのようで、それがいつも少し悲しかった。

 生まれた日のお祝いをひとりだけぞんざいにされるのは、生まれなくてもよかったと思われているかのように感じてしまう。


 両親はわたしにも親切だけれど、今でも悪気なく関心が薄い。嫌われてるとは思わないけれど、べつにいなくてもよかったんじゃないかとは思っている。


 そんなやくたいもないことをぐだぐだ考えてしまう。クリスマスは、一年で一日だけ、わたしが少し寂しくなってしまう日だった。


「でも、祖父だけは昔からわたしの誕生日をお祝いしてくれたんです。クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントを両方くださったり……いつもわたしのために予定を空けてくれてました」


 わたしは大学生以降は毎年祖父のところに行って、クリスマスは関係のない、わたしだけのお祝いをしてもらっていた。

 もしかしたら最後になってしまうかもしれないのだから、今年はなおさら過ごしたかったのに。


 ゆっくり話しながら食事をしてると、お皿のチキンは残骸になっていた。

 ようやくお皿の上のケーキをフォークでひと口分突き崩す。

 口に入れたそれはふんわり甘くておいしかった。


「城守さん。ケーキ、おいしいです」

「それはよかった。好みがわからなかったから。王道にしたわ」

「そうですね。苺のショートケーキを嫌いな方はあまりいませんよね」


 平均値が高いというか、誰にでも喜ばれる。


「俺はね……小鳩さんに、いうなれば、ショートケーキのようなやつを探したい」

「ん?」

「ケーキって言われたら何想像する?」

「ショートケーキですね」

「だろ。こいつは食物界のスイーツ部門というキラキラした場所に鎮座し、さらに競合激しいその中で王座を勝ち取った、全てを兼ね備えたキングオブザケーキ。定番感はしっかりとありつつ、ほかの追随を許さない。それがショートケーキだ! だから王子と言われてみんながぱっと想像するようなすごいのを……」

「……いえ、わたしはお茶漬け王子でも餃子王子でもなんでもいいです」

「結婚は一生に一度……ってわけでもないけど、そうポンポンするもんでもないんだから、少しくらいは高みを目指せよ」

「ショートケーキ王子がいたとして、相手にされるとは思えませんし」

「小鳩さん、顔整ってるのに……自信ないよね」

「特徴と癖がない薄い顔なので、わざわざ嫌う人は少ない気がしますが、華やかさや愛らしさに欠けるようですし……それに、そんな程度では太刀打ちする気にもならないようなとんでもない美男美女が身内にいるんですよ」


 あの姉とあの兄がいると、自分がつまらないモブでしかないことを痛感せざるを得ない。

 あの人たちがいる空間では、わたしの存在は常にピンボケしている。


 また少し憂鬱を思い出しそうになったけれど、生クリームがたくさん乗った甘いケーキを口に入れたらそれはまた影を潜めた。こんな素敵なケーキが口の中にあるのにわざわざくさくさすることを思い出す必要はない。


「城守さん、わたしの誕生日のケーキ……すごくおいしいです。ありがとうございます」

「そっか、よかった」

「わたしの誕生日のお祝いの、誕生ケーキ、おいしいです」

「う、うん。誕生日、すごい強調してくるね……」


 ひとりでもお祝いはできる。けれど、当たり前だけど誰かにお祝いしてもらうのはひとりではできない。誕生日は、できたら自分以外の誰かに生まれたことを祝ってもらいたい。


 わたしは突然現れてお祝いをプレゼントしてくれたサンタクロースのような城守さんに、感謝していた。


「誕生日おめでとう」

「ありがとうございます。あの……」

「うん?」

「できたら、もう一度お願いします」


 城守さんは小さく驚いたような顔をしたけれど、そのあと口元で笑ってみせた。


「亜子、誕生日おめでとう」


 城守さんがゆっくりと、わたしの目を見てくれた言葉は、胸の中を柔らかく、じんわりとさせた。


「……ありがとうございます」

「……おめでと」

「すごく……すごくうれしいです」


 それから、城守さんはわたしがケーキを食べるのをじっと見ていたけれど。


「やっぱプレゼントも買えばよかったな……」


 小さな声で、そんなことをつぶやいた。


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