第6話 模擬デートしました。【前編】


「申し訳ありません……」


 週明けの月曜日の夜、わたしは会社の三階の、椅子やソファが並んでいる社員共用の休憩スペースで城守さんと向かい合って座っていた。


 彼はまったく怒ってはいなかったけれど、わたしはずっと平謝りしていた。


 申し訳なさが体からポコポコと溢れてきてしまい、止まらなかった。


「本当に……すみません……申し訳ないです……」

「趣味が合わなかったのは仕方ないだろ。俺もそこまで気がまわらなかった……」

「いえ、わたしはやはり根本的に恋愛に向いていないのです……」

「んなことは……」

「一般的な女性はイケメンと一回デートしただけでこんなに疲労しませんよね?」


 だいぶゲッソリしたわたしの悲壮な顔を見て、何か言いかけた城守さんが口をつぐむ。


「三澤さんは本当にいい方でした。あの方は多くの女性が大喜びで交際結婚したがる人です。優しくて、明るくて、まじめで。そんなありがたい機会をわたしごときが……誰でもいいとか言ってたくせに……自分のほうから断るとか、本当に何様かと……」


 いっそ頭をテーブルにゴンゴン打ちつけたい気持ちで小声で叫ぶ。


「まぁ相性もあるって……」

「わたしと相性がいい人間なんて地球にはいないのです」

「……宇宙にはいるの?」

「いえ……。祖父に……結婚相手は人間でなくてもいいか聞いてみます……」

「……何と結婚するの」

「カ……カエルとか……」

「……爬虫類いけんの? すごいね……俺は無理」

「いえ、生物相手など、おこがましいです。消しゴムとか、はんぺんにしときます」


 言っててどんどん落ち込んでくる。


「真面目な話……わたし、ひとりでいるのが好きで、ずっと好き勝手に過ごしていたせいで……余計に他人と過ごすのに適さない人間になっていたのかもしれないです」


 たとえば引籠り生活が長くなると声帯周りが衰えて声が出なくなるという。

 わたしは会社に行って最低限の社会生活は送っていたが、それ以外の人間関係を怠ってきていた。見えないコミュ帯だとか、協調筋だとかが気づかぬうちに劣化していてもおかしくない。


「たぶんそういうことじゃないよ」


 城守さんが呆れた顔で慰めを投げ続けてくれるが立ち直れない。わたしは祖父にはんぺんを紹介するシミュレーションを脳内で始めていた。


「だーいじょうぶだって。小鳩さんはこうして話してても……言動は若干はおかしいけど……会社で仕事できてるんだし」

「仕事はロボットでもできます」

「この間の議事録、小鳩さんが作ったんだよね」

「はい」

「あれ、すごく見やすかった。単に記録として必要事項が連ねてあるんじゃなくて、あとから見る人がどこを必要とするか考えて要点が整理されてて、簡潔だった」

「あ、ありがとうございます……」

「他人と絶対過ごせないようなやつはさ、他人が見ても使いやすいものなんて作れないでしょ」

「書類は人よりたくさん作っているからなだけです。ものによっては自分で作ったものが使いにくかったり見にくかったりで後から改良を考えたりしてますし……場数です」


 書類作成は頼まれる率が高く、面倒なものほどよく作っているので嫌でも要領がよくなっていく。

 その代わり対人業務は場数が足りずにまごつくことが多く、進歩が少ないから余計に苦手意識が募り及び腰になっていっている。


「めげるな。恋愛も場数だ。慣れれば人とのデートも楽しいもんだよ」

「デートは怖いです」


 あの情けない気持ちを何度も味わうのかと思うと、場数なんて踏みたくなかった。


「じゃあ練習行くか」


 ぱっと顔を上げる。


「練習って? ゴルフの? ほ、本当に無理であります……」

「そうじゃなくて……ゴルフ以外にも、もっとほかにもデートくらいあるだろ」

「誰と行くのですか」

「俺と」


 なるほど。練習相手は目の前にいた。


「あれ? 城守さん彼女は?」

「少し前の繁忙期が凄すぎて全員に振られたから、そこは気にしなくていーよ」


 ん? 全員? 今全員て言った? この人。


「……何人いらしたんですか」

「え、三人だけだよ」

「さんにん」


 静かにおののく。わたしはひとりすら無理とか言って半ベソかいてたのに……もしかしてこの人本当に達人かもしれない。


「みんな平等に忙しい合間を縫って会ってたのに……」


 ブツブツ言ってるが忙しい時に会えるのが三分の一になっているのが原因だろう。

 きちんと捌けてないからやはり達人ではないかもしれない。


    *      *


 城守さんとの模擬デートは祝日の水曜日となった。


「デートか……」


 火曜日の夜、わたしは自宅で深いため息を吐いていた。


 わりと打ち解けてきている城守さんと出かけるのはそこまで気重ではなかったが、いかんせんわたしは人間とのデートへの自信を失っている。単語自体に憂鬱になってしまう。


 正直、誰が相手でも休日は自分の部屋でお菓子でもつまみながら映画でも観ていたいのが本音だ。そして眠くなったら昼寝して、早めに起きたら夕飯は作ってもいいし、どこかでひとりご飯をしに行ってもいい。好きなときにお風呂に入って好きな音楽を聴く。お酒だって飲んじゃう。何時に寝ても起きてもいい。

 考えるだけでそれがとても素敵な夢想に思えてしまい余計に気が重くなる。


 わたしのおひとりさま体質は学生時代からの筋金入りなので、学校に友達がまるでいないというわけではなかったが、学校外で『二人』という人数でどこかに行くこと自体がほとんどなかった。


 団体行動は先頭の能動的な人間に黙って付いていけばいいのでまだいい。二人だと意見を出し合わねばならないし、双方の快適さや嗜好に合わせ、片方の買物の最中には片方が少しずつ我慢したり、させたり。

 空腹の時間を合わせて食事したり、ずっと黙っているわけにもいかないのでその間常に相手にも少し注意を払い、必要なら会話もほどよく嗜まねばならない。

 ひとりのほうが明らかに自由で気楽で、正直二人のよさがわからない。


 しかし、結婚したいならそういったものに耐性を付けていかないといけないのはわかる。


 今、そんな小学生以下の練習に付き合ってくれるのは城守さんだけで、それはものすごくありがたいことだった。


 城守さんとの約束の朝。寝起きが絶望的に悪いわたしはわりとすんなり起きれた。

 これは単純な話で、約束の時間が十一時とそこまで早くなかったのでよく眠れたのだ。自然起床できたので、のんびり支度をした。


 そうだ。デートだから、あれが着れる。買ったはいいが、仕事に着ていくには可愛すぎるしで、いまいち着どころを失っていた服を思い出して少しうれしくなった。


 時間に連絡があって、城守さんが自宅近くまで車で迎えにきてくれた。

 わたしがすぐに気づかなかったので降りて手を振ってくれる。そこに駆け寄った。


「おはよ」

「おはようございます」

「今日は完全に普通デートのつもりでやるからそのつもりで肩肘張らずについてこい」

「ハイ」


 完全に教官の顔でそう言った彼に兵士の気持ちで返事を返した。この時点で普通のデートでもなんでもない。


 城守さんは車の前で腕組みしてわたしを眺めて言う。


「小鳩さんインドアロボットだからもっとヤバい感じかと思ってたけど……」

「何がでしょう」

「服……普通に可愛いのな」


 どこか微笑ましい感じに笑われて、少しムッとした。


「服は恋愛のために着るものではないですから。彼氏持ちと違って他人の好みとかまったく気にしなくていいんですよ。いいでしょう」


 極端な話、わたしは自分に似合うかどうかも度外視して選んでいる。人目を気にしないとはそういうことだ。モテ具合とかもまったく気にせず本当に自分が好きな服を買えるのは最高だ。


「そこを俺に自慢してどうすんのよ……」

「最高だったんです……」


 しかし、それもここまでだ。失われつつあるものへ、悲しみを覚える。これからは色々、少しは気にしなくてはいけない。


「普通におかしな趣味でもないし……そこはそのまま生きればいいじゃん……」

「そうなんですか。彼氏がいるとアレを着ろとかアレは着るなとか監査が入るとかなんとか聞きかじりました」

「小鳩さんネットでわけわからん知識得てるの? そういうやつもいるかもしれないけどさぁ、人それぞれだよ」


 そういう城守さんの服は歳相応で、華美な派手さや主張の強いものではなかったが、絶妙にお洒落だった。わたしは男性のファッションにはさほど関心がないため、流行ってるのかまではわからない。

 でも、彼にすごくしっくりきていた。

 ともすると印象に残らないのに、確実に彼を引き立てていると感じる。この人はおそらく、好みの服を着ているんじゃなく、自分の容姿やスタイルに似合うかどうかだとか、魅力的に見せるためのものを優先して選んでいるんだろうと感じた。


 扉を開けてもらって乗り込む。城守さんが運転席に座る気配を感じながら、シートベルトをしていた。


「亜子」

「はいっ?」


 突然あまり使われていない名前を呼ばれ、びくりと彼を見る。


「今日だけ名前で呼ぶわ」

「なぜ……」

「雰囲気出るだろ」

「ああ。確かにそうですね。で、では、蓮司……さん?」


 城守さんが軽く目を見開いた。


「なぜ驚いているのですか」

「いや……俺の名前知ってたんだね」

「相談した日にフルネームを聞いたではないですか」

「忘れてるかと」


 少しムッとしたけれど、同じことを思ってたいたのであまり言わなかった。そして、蓮司さん呼びも、気恥ずかしくてそれ以上は使えなかった。




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