第5話 熱血! カレーの王子さま【後編】


 二週間後、わたしは城守さんに電話越しに謝っていた。


「……え、三澤と、もう終わったの?」

「ものすごくいい方で……本当に本当に申し訳ないのですが……お断りしました……本当に……すみません」

「なんで」

「それが……体が持ちませんでした……」

「えぇっ? まだ会って一週間で何があったんだよ? どういうこと?」

「ゴルフです」

「はい?」

「ゴルフ」


 話は数日前に巻き戻る。

 わたしは自室のベッドでだらしなくゲームをしながら、お箸でポテチをつまんでいた。

 至福の時間だった。


 スマホのメッセージアプリが鳴って確認した。カレーの王子さまからだった。

 三澤さんはマメな連絡が多かった。


 彼が出会った初日にくれたメッセージは「これからよろしく!」というようなもので、彼に似合うような似合わないような可愛いクマのスタンプ付きだった。

 わたしは人とこういったメッセージのやりとりをすることをほとんどなく生きていたので、返事をするにあたり、数秒考えた。


 しかし、遅くなってもいけない。すぐに自分もスタンプショップにいき、すみやかに無難で可愛い猫のキャラクターのスタンプを購入して似た感じに返事をした。ノリがわからない場合は相手と同じようにしたら問題ないだろうと踏んだのだ。

 その日から彼はずっと、非常に細々した連絡をくれた。わたしは交際前提の流れもわからないし、また自分からメッセージをするのも内容に悩んでしまう。だから向こうから連絡がもらえることや、前向きに交際を前提としてくれている感じを本当にありがたく思っていた。


 しかし本当に他愛のないことが多かった。何を食べたとか、朝の挨拶として今起きたよとか。今帰ったよとか。用件がほぼなかった。

 そのことに最初はやや不思議に思ったけれど、しばらくして、なるほどこれは用事があるわけではなくコミュニケーションのための連絡なのだと気づいた。力を抜いて喜び、楽しめたらよかったのだと思う。


 しかし、わたしはその全てに血走った目で本気でまじめな感想をつけた、長過ぎず短過ぎずな返事を考えてしていた。こういったものに慣れてなさ過ぎたのだ。失礼があってはいけないと、必死になっていた。

 他愛がない分似た内容が多いので前回使った返事とは多少バリエーションを変えねばならず、時には検索してウェブの類語辞典、連想語辞典なども活用し、それっぽいものを作成してなるべく早く返す。しかしだんだんきちんと返すのは仕事のように感じられてきていた。


 また、三澤さんは仕事終わりの時間が合わないときには遅くに電話をくれた。

 わたしは睡眠時間が長いほうで、毎日定時に燃料切れを起こし眠ってしまう規則正しい体質だった。なので、その時間には瞼がしぱしぱしていた。しかし、交際前提、結婚希望の相手に眠気を悟られてはならない。頬をつねったりしながら懸命に会話をした。


 会話自体は、やはりうまく広がらない、というか噛み合わないことが多かった。

 正直、わたしは今までやる気がないだけで、その気になればもう少しできると根拠なく思っていた。業務外での日常会話というか雑談の類をサボりすぎていたツケのようなものを感じていた。


 彼はわたしがスポーツに無知なのを知ってからはなるべくほかの話題にしようとしてくれていた。それでも彼は見るのもやるのも趣味がことごとくスポーツ全般なので、ちょっとしたもののたとえなどでもスッとスポーツ選手が出てきたりする。わたしはことごとく知らなかったのでそのたびに彼は申し訳なさそうにした。


 なのでやはり帰宅後にネットで調べてそちらも勉強した。甲斐あってか数日でサッカーと野球のチーム名や選手やまつわる有名エピソードなどをいくつか覚えたが、もともと興味があるわけでもないので一夜漬けのテスト勉強に近かった。

 そして木曜日の帰り。知り合って初めて、休日の約束をした。


「ゴルフ……ですか」

「うん。亜子さんインドアって言ってたから、さすがにサッカーとか野球は一緒にできないかなと思ったけど、テニスかゴルフなら行けるかなって。どうですかね」

「やったことないです……」

「大丈夫だよ! オレが教えるし。やってみたら楽しいはずだよ! こんな楽しいことを知らないなんてもったいないし、試しに一度やってみようよ! ハマるかもよ?」


 熱血カレー王子が心からそう思って言ってるのはわかった。この人には悪気のカケラもない。そして、わたしの脳裏に過ったのは彼が以前に言ったことだった。


 彼の好みは『一緒に趣味を楽しめる人』だ。

「行きます」


 それ以外の答えはなかった。


 前日の夜にメールで翌日のスケジュールが届いた。

 朝七時に集合。八時にはゴルフ場に着いて、そこから受付したり少し練習してみたり、といった大体の流れが書かれていたが、ちょこちょこカタカナのゴルフ用語らしきものが入っていた。


 文章というのは、基本的に書き手が一般常識と認識しているものの説明はわざわざ書かない。しかし、わたしがゴルフ用語で知っていたのは『ゴルフクラブ』くらいのものだったので、知らない単語が出てくるたびに検索して調べなければその文書を正しく解読することができなかった。


 また、三澤さんは紳士のスポーツであるゴルフのマナーについても簡単に書いてくれていた。走らないとか、乱れた芝生は直すだとか、ひとつひとつは簡単なものだったけれど、意外と項目が多かった。


 それを繰り返して読み込み、またネットでも調べてみた。そこでわたしは服装についての注意書きに気づき驚愕した。ラフ過ぎてはならない。シャツは中に入れること。この服はNGなど細かく書いてあった。三澤さんはうっかり忘れていたようだが、服装がおかしいと入れなかったりすることもあるらしい。


 先に気づいてよかった。冷や汗をかきながら勢いよくクロゼットを開けた。

 もともとそんなにおかしな格好で行くつもりはなかったけれど、たとえ必要なものがなくても、もう買いに行く時間はない。衣類をひっくり返して無難にふさわしい組み合わせを血眼で探した。


 翌朝、完全に寝不足のわたしはしぱしぱする目を擦りながらヨロヨロと家を出た。

「おはよう、亜子さん。よく眠れた?」

 迎えにきてくれた三澤さんの車に乗り込む。朝日以上に笑顔が眩しくて目が痛い。その笑顔に、寝不足です。もうすでにお家に帰って寝たいですとはとても言えず、力なく笑った。


 わたしはだいぶヨレヨレのまま、ゴルフ場に到着した。


 何種類もあるゴルフクラブはわたしの思っていたよりも重く、また、当てるだけでも想像よりずっと難しかった。当てられたら気持ちがよさそうだなとは思うが、実際は空振りを連続させ、たまに当たってもポテポテとしか飛ばなかった。

 三澤さんは馬鹿にすることもなく、優しく根気よく教えてくれた。

 だからわたしは必要以上に卑屈になってはいけない、投げ出してもいけないと、笑顔で楽しさを演じた。善意で連れてきてもらっているのに楽しんでいないのを悟られないように。長年ろくに使われず蔵で錆びついていた『社交力』をなんとかひっぱりだしてフル回転させる。


 しかし「大丈夫! いけるいける!」「がんばれもうひと息!」「諦めなければ道は開ける!」と善意百パーセントの熱い応援を聞くうちにわたしの意識はふつっと飛んだ。


 心と体の電池残量が急激にゴリゴリ減ったため、脳がバッテリーセーブモードに入り、体と意識を繋ぐブレーカーがばちんと落ちた。


 わたしは動いてはいたし、笑ってもいた。


 しかしわたしの本体は、張り付けた笑顔のロボ女がゴルフクラブをブンブン振りまわしている滑稽な姿を空中からずっと見ていた。


 次に気がついたとき、わたしはガクガク震える膝で自宅のマンションの扉の前にいた。


 もうすでに、太ももと腕と背中と、日頃使われていないすべての筋肉が大絶叫をあげていた。


 部屋は出る前にひっくり返した衣類で惨状が広がっていた。片付ける気力もなく、ベッドに倒れ込む。自宅に帰ってこれた。もうずっとここにいたい……。

 正直なところサッカーやバレーボールなどと比べたらぬるい動きのスポーツの部類だろうと舐めていたところがあった。


 実際健康的な体力を保持している人にとってはどうなのか知らないが、学校卒業後運動なんてろくにしていなかったわたしの体はすでに起き上がれない程の筋肉痛になっていた。


 そして悲鳴をあげたのは肉体だけではなかった。

 いくら初心者でも、あそこまでみっともないのはわたしくらいだった。同じ場所でやっていたほかのお客さんを少し待たせたりもあって、他人に迷惑をかけた罪悪感も手伝って精神にも多大なダメージを受けた。

 わたしは少し動かすだけで痛む手足にお布団の中で低くうめいて、激しい後悔にさいなまれていた。


 もともと運動は不得手だったのだ。最初から、断ればよかった。


 三澤さんは大人だ。何も無理強いしようとしたわけではない。

 わたしはなんとか好かれて結婚をしたいあまり、無理をしてしまった。

 しかし、スポーツは無理だ。がんばってみたけど無理だった。「そうだよ、お前には無理だ」と全身がそう言っている。「なんで、できると思ったんだ」とお説教までされてる。


 なおもお布団でうめいているとスマホがヒョロンと音を鳴らした。


 三澤さんからだった。


 彼は体力があるので、今日も、むしろ遊び足りないぐらいの感じだった。

 そして気まずくならないようにと、明日も会おうと誘ってくれていた。それでもわたしが運動音痴なことは悲しいまでに伝わったらしく、疲れているだろうから明日は体力を使わないものがいいねと言ってくれた。わたしもそれなら大丈夫。運動でなければ問題ないですと返事をしていた。少しでも早く、彼と打ち解けなければならない。


 わたしはお布団の中でうつろな目でお誘いのメッセージを見た。

 友人宅でホームパーティーがあるので、一緒に来ないかとのことだった。


『パーティー』


 その単語を見た時、血の気がひいて目の前が真っ暗になった気がした。

 あの、知らない人がたくさんいる中で、不特定多数との会話を楽しみながら食事をしたり、大勢でゲームを嗜んだり、大声で笑いあったりする恐ろしいやつ。

 わたしが……人生で、なるべく避けてきていたやつ……。


 わたしはお布団の中でスマホを持っていないほうの手で顔を覆ってしばし震えた。

 三澤さんはすごくいい人だ。


 でも、彼とは生きるフィールドが違いすぎる。

 陰キャが陽キャに寄せようとしたのが間違いだった。


 城守さんはわたしのことを「恋愛経験がないからわかってない」と言ったけれどその意味がわかった気がした。

 わたしは選ぶ基準もないし、強いて言うなら「わたしと結婚してくれる人」が基準だった。そんな奇特な方がいるならどんな人格破綻者でもいいと思っていた。それなのに人柄がいい人なんて、ありがたいばかりだし、向こうが問題ないなら絶対に結婚する。そんなふうに、祖父のこともあって覚悟を決めたつもりで謎の自信を持っていた。


 まさか、悪人でもないのにそばにいるのが辛いなんて考えてもみなかった。


 そもそも、どんなにいい人だろうが、イケメンだろうが、人とただ一緒にいるのがきっとわたしには困難なのだ。その、自分の駄目気質を改めてビンビンに感じていた。わたしは、なんて駄目な女なんだろう。


 三澤さんは確かにカレーの王子さまだった。


 子どもから大人まで、みんなが大好きなカレー。わたしだってそこまで辛くないのは好きだ。三澤さんは一口目はおいしくて、油断して二口頬張ったころに辛味がくるタイプの……スパイシーなカレーだった。


 問題はわたしが、普通の人なら美味しいねと言って食べるその程度の辛味が、食べられないヘッポコだったことなのだ。


 わたしは静かにスマホを手に取り、三澤さんに電話をかけた。


 そして、布団上で見えもしないのにペコペコと頭を下げた。


 短い通話のあと、今度は城守さんに謝罪と報告するため、電話をかけた。



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