第4話 熱血! カレーの王子さま【前編】
三日後の終業時刻。彼氏持ちの先輩に残業を頼まれていた。
「今日は予定があります」
「えっ、ロボ子が用事? 珍しい」
話しているとフロアの端に約束相手の城守さんが現れた。にこにこしながら手なんて振っている。
「小鳩さん。もう出れそう?」
先輩を見ると「あ、大丈夫。行ってらっしゃい」とどこか慌てた顔で手をパタパタされて言われたので鞄を手に、挨拶をして席を立つ。周り全員に唖然とされた気配があった。
「お仕事ロボ先輩が人間の男性と約束……?」
「ロボ子、人間になんて興味なさそうにしていたのに……なにごと? なに? 恋?」
「えぇ、ロボちゃんに恋とかないでしょ……。あ、でも恋だからこそ動きがおかしいということも……」
背中でヒソヒソ勝手なことを言っているのが聞こえる。
「しかし城守か……」
「ロボちゃんたぶん免疫がないから……」
「騙されてるんでしょうか……」
普段から業務以外の話や自分の話はいっさいしないので、気になるのかもしれない。
意外な組み合わせだったのか余計な心配までされている。
エレベーターに乗ったところで城守さんが口を開く。
「なんか、小鳩さんてたまに見かけるといつも帰り遅いけど、もしかしてああやっていつも人の仕事押し付けられてるの?」
「見ていたのですか? ……用事がある人のを代わっているだけですよ。人のといっても、誰がやってもいい仕事ですし」
「たまにはちゃんと文句言ってるの?」
「べつに文句はないです。人が途中までやった仕事の仕方を見ると……たとえばエクセルの機能の使い方とか結構違ってて参考になりますし」
わたしは対人業務はポカが多く、地味に時間がかかる書類作成はミスなくこなすので、そちらを割り当てられることが多い。しかし、総務としては使いづらい人材であることは確かだ。断らず人の代わりをやるのはそれに対する罪滅ぼしのような感覚もあった。
これは、ポンコツロボットなりの歪な社内コミュニケーション術でもあった。
ただ、それを口に出すのはなんだかみっともなくて、恥ずかしい。
そこでエレベーターが一階に着いて、城守さんもそれ以上の反論はなかったのか、黙って外に出た。
会社のエントランスを出ると風が冷たくなってきていた。
十月半ば、昼はまだ暖かい日が多いけれど、夜になると急に冷え込んでくる。
小さく「さみ」とつぶやいた城守さんがスーツのジャケットの前を軽く合わせて聞いてくる。
「小鳩さん、カレーは好き?」
「ええ、好きです。あ、でも、あまり辛いのはダメなんです……」
「辛さは調整できるよ」
「それならむしろ好きです」
「うん、じゃ、夕飯はカレーだ」
本日は会社の最寄り駅付近のカレー専門店のお店でわたしの王子探しミーティングとなった。城守さんのお薦めの前回のお店がおいしかったのでちょっと期待してしまう。楽しみだ。今回は城守さんが事前にリサーチしてきたというわたしの王子さま候補について聞けることになっていた。
席について注文をすると、さっそく城守さんが口を開いた。
「部署は違うんだけど、俺の同期にいいのがいるんだよ」
「独身ですか。ぜひ紹介してください」
「そのつもりだけど……あのさぁ、その、独身ならなんでもいい、みたいのやめてよ」
「事実、なんでもいいです」
「ハー……。小鳩さんて絶対恋愛経験ないよね……」
「恋愛経験はありませんが、なくても結婚はできると思います」
世の中の夫婦が全員恋愛結婚かというと当然のことながらそんなことはない。恋愛をする気がなくても人として相手を敬い適切な夫婦生活を送ることはできるはずだ。
「小鳩さんはぜんっぜんわかってないな。結婚って人間関係の最終形態だよ?」
「城守さんだって結婚経験はないでしょうに……」
「あのさ、結婚相手の候補紹介するってんだから、まず、どんな人か聞いてよ……」
「どんな方なんですか」
そのとき頼んでいた食事が来た。目の前に欧風カレーの皿がゴトリと置かれる。ほこほこ小さな湯気が立っていて、それに見惚れる。色がすでにイイ。わたしはとりわけ深いこげ茶色のカレーが好きだ。ルックスにコクがある感じがする。香辛料の匂いも食欲を増進させる。
「どんなやつかひとことで言うなら」
城守さんが手元のスプーンをびしっと構えて言う。
「熱血・カレーの王子様だ!」
「カレーの……」
だいぶ適当で反応にこまる形容だった。
スプーンでカレーを掬いながら、城守さんの説明を聞いた。
「名前は
「それで、結婚はしていただけるんでしょうか」
ものすごく呆れた目で見られた。
「会長が求めてるのは紙切れの契約結果だけじゃないんだよ……まずは知り合え」
「でも知り合うところから始めたら……友達になる壁、恋人になる壁、結婚の壁と超えなければならない壁が多すぎます。どれも、わたしごときにできるとは思えませんし、できたとしてもあと十年はかかります」
「まぁ、それも一理ある……だからこそ真面目な熱血カレー野郎がいいんだよ」
「そうなんですか」
「三澤はガチで誠実で真面目なやつなんだよ。付き合うとこまでいけば結婚前提は当然だし、そのタイミングで会長の病気の話を聞いたなら絶対すぐ結婚してくれる」
「……それは、すごい方ですね」
「あと、三澤の家も結構裕福そうだし、そういう意味じゃお坊ちゃんだから、あんまりガツガツしてない。そこもよさそうだと思った」
聞けば聞くほど素晴らしい条件の方だ。でも、そんな人がわたしのような結婚を闇雲に求めるポンコツロボット女……婚活ロボ子と結婚してくれるのか、不安しかない。
「それに俺のほうでも小鳩さんが真面目に結婚相手を探してるスタンスは重くない程度に先に伝えておいた。向こうにしても真面目な子が好きだから好感こそ抱いても嫌には思ってない」
「つまり……結婚前提の交際前提で知り合えるということですか」
「可愛くて真面目ないい子がいるって、バッチリ売り込んでおいた。俺のセールストークを舐めるな」
未だカレーに到達していないスプーンを小さく振りまわした城守さんが不敵に笑う。
色々根まわし済みだった。さすがすぎる。
「城守さん……城守さま……ありがとうございます」
お辞儀をして顔を上げるとニヤリと笑った城守さんが掛け声をかけてくる。
「よし! 結婚! したいかー!」
「は、はい。したいです」
「よし! 結婚、するぞー!」
城守さんが「えい、えい、おー」と掛け声をかけて、わたしはそのテンションにだいぶ戸惑いつつも遠慮がちに片方の拳を合わせた。
そうしていると体育会系プロポーズと勘違いした周囲のお客さんが生温かい目でぱちぱちと拍手をくれた。
「おめでとうございます!」
城守さんが平然と陽気に「ありがとうございまーす」と返した。
また別の人に「おめでとう!」と言われる。
「小鳩さん、ほら、返して」
「えっ、あ、ありがとうございます……」
言われて返したが、絶対におかしい。小声で城守さんに聞く。
「城守さん、何か周りの方に誤解されてませんか……」
「おめでとうは言われて縁起がいいからもらっときなよ。これはこれから結婚する小鳩さんにおめでとうの先渡しなんだって」
ケロリと返され、わたしはまたウエイターさんに「おめでとうございます」を言われた。
「ありがとうございます」
わたしは意外と乗せられやすいほうなのかもしれない。そうしていると不思議と幸先がいい気がしてきた。
祖父の喜んでいる姿を浮かべ、案外とすぐに報告できるかもしれないと思う。
この瞬間、わたしはまだだいぶ楽観的だった。
* *
翌日、城守さんの紹介で連絡先を交換することになった。
昼休みに城守さんに呼ばれて社内の共用休憩スペースへ行くとスッキリした短髪のイケメンがそこにいた。
「三澤篤史です」
カレーということで勝手に浅黒い肌の、インド系彫深いマッチョを想像していたが、健康的な肌色の人だった。体は逞しいが脚がスラリと長く筋肉ダルマ感はまるでない。
聞いていた通り背が高く、そこそこ長身の城守さんよりさらに大きかった。百九十はありそう。ニカッと効果音がつきそうな笑顔は白い歯がキラリと覗き、これでもかというさわやかさだった。
「小鳩亜子です。よろしくお願いいたします」
「よろしく。亜子さん」
ガッチリと握手をしながら、わたしはなんとか結婚してもらえるようにがんばろうと奮起した。
終業後、今度は三澤さんがフロアに現れた。
「亜子さん、オレ今日早く帰れそうなんだけど、帰りちょっとお茶でもできる?」
そう言ってニカッと笑う三澤さんは、少しでも話す時間を取るためにわざわざ来てくれた。すごくいい人だ。右も左もわからないポンコツロボ子には感謝しかない。
少しはみ出たがちょうど仕事も終わったところだったので「お先に失礼します」と挨拶して部屋を出ようとする。背後で残っていた先輩と後輩数名がざわめいた。
「ロボ先輩……この間は城守さんだったのに」
「突然どうしちゃったの?」
「合コン誘ったとき、わたしは出家してないだけの尼ですって言ってたのに……!」
誤解だが解くのも面倒なのでそのままフロアを出た。
会社を出て、駅の近くでお茶をした。
カレーの王子様は少し話しただけで誠実な人柄が伝わってくる、なんでも楽しもうとする明るい人だった。表情筋が誠実だし、笑い方が熱血。たぶん細胞が善人。こんないい方わたしにはもったいないんじゃないかと、申し訳ない気持ちになる人だった。
「三澤さんはお付き合いされてる彼女とか、いらっしゃらなかったんですか」
「オレね、クソ真面目すぎてすぐ振られちゃうんですよ」
三澤さんは「はは」と少し恥ずかしそうに笑う。
「今時結婚前提とか、重いんですかね」
「いえ、素晴らしいことと思います」
結婚に目がくらんだわたしはこの人になんとかして好かれねばと思った。
「三澤さんは、女性の好きなタイプとか……ありますか」
少しでも情報を収集したいと捻りも何もなく質問をぶつけたわたしに、三澤さんはちょっと笑って鼻の頭を少し掻き答える。
「一緒に趣味を楽しめる人ですかね」
「そうですか」
大事な情報をインプットした。
そこから話は途切れて、少し気まずい沈黙が流れた。
わたしは頭の中でああでもないこうでもないと話題を探しては自己却下をしていた。
しばらくして三澤さんが気を使ったようにぱっと口を開く。
「亜子さん、好きなサッカーチームとか、あります?」
「えっ、サッカー、あの……大勢でひとつのボールを蹴り、ゴールに入れたら点が入る球技のことでしょうか」
「そ、そうです。それです」
「…………え、と。足が器用な方たちですよね」
まったく関係のない感想をもらしたあと、聞かれていた質問を思い出す。
好きなチームを聞かれていた。たしかに、それぞれ名前があったはずだ。カタカナの、あと地名もついていたかもしれない。耳に入ることはあったはずだが、興味がなさすぎて脳にひとつもメモリーされていなかった。好きも嫌いもわからない。
「…………え、と」
わたしのロボ脳が激しくピガガーとエラー音を立てる。
「ベ、ベンキョウしテおきまス」
「い、いや無理しないで。ちょっと、その……聞いてみただけです」
「いえ……その……がんばりますので」
三澤さんは少し困ったような笑顔で「ありがとう」と返した。
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