第20話 婚活完了しました。


 幻のショートケーキ王子と付き合うことになってもそこまで接触はなかった。


 連絡先は交換したけれど、鷹司王子は忙しいようで、三澤さんのくれたようなマメな連絡もなかった。だからわたしは相手をよく知らないまま、初の交際歴を二週間も刻んでしまった。


 鷹司王子のことはリアリティがなかったので、城守さんにすぐ報告をすることはしなかった。わたしは、これは、話自体がすぐになくなる可能性が高いと踏んでいた。すぐ終わるのに報告をするのは早計だ。


 裏でいろんな女子社員に同じことを言ってるとか、そんなのもあり得る。なにしろ唐突過ぎる。だから以前言われていたように、コミュニケーションのための連絡をこちらからとることもしなかった。わたしはいつ話がなくなるのかを静かに待っていた。


 その日の終業後、ショートケーキ王子に動きがあった。

 突然わたしのフロアに会いにきたのだ。

 今までも何度か似たことはあったとはいえ、わたしはさすがに今回ばかりは周りの反応が怖くなり、立ち上がってネズミのようにサカサカ走り部屋を出た。


 なるべく目立たない場所に移動した。それでも通りすがる人は例外なく見てくる。まじめにほっかむりが欲しくなったのは人生で初めてだった。


「忙しくて、なかなか連絡できなくてすまなかったね。今晩、夕飯でも一緒にどうかな」


 こういう人は見られ慣れているのか、周りがジロジロ見ていてもまったく気にしない。はきはきと誘いを口にした。


 わたしがあまりにキョロキョロしていたので、鷹司王子が怪訝な目を向けてくる。


「僕とのことは隠したいかな」

「そうですね。鷹司さんはファンが多くて……怖いですから」


 いっそ命の危険を感じる。できたら……なるべく……やっぱり絶対に隠したい。


「そうだね。でも、僕は君とのことは真剣に考えているから、隠すつもりはないんだ。僕ができるかぎり守るから、君もそのつもりでいてくれないかな」

「あの、真剣にというのは……」


 わたしはここで、ひとつの確認をした。


「結婚前提ということで、よろしいでしょうか?」


 わたしが全力で見極めたいのはこの台詞を言われたときの態度だった。


 まだ早すぎるのはわかっている。今このタイミングでこれを言われて、頷くとは思えない。その気があるのかないのか、もしはぐらかしたりするなら、関係は終わらそうと思っていた。


 鷹司王子は少しびっくりした顔をしたけれど、優雅な笑みを浮かべて「もちろん」と答えた。



 その晩、鷹司さんと食事を一度した。

 彼が予約していたレストランに行き、食事をした。有名なところで、有名なグルメガイドの星がついてるとかなんとか、説明をしてもらった。

 目の前に見栄えがよくておいしそうな料理が並んで、時間が過ぎていった。


 なんでだろう。わたしの性格だと、わざわざひとりで予約してまでは行かないようなおいしいお店で、会話も向こうから気まずくない程度に振ってもらえて無理なく続いている。


 でも、食事も、会話も、なぜだかあまり味がしなかった。


 何もかもが唐突な上に、鷹司王子は王子故か、少し話してもなかなか内面が窺い知れない感じで、一体どんな人なのかもよくわからなかった。なんとなく、掴みどころがなく現実感もない。今まで会ってきた誰とも違う感じがする。


 城守さんがわたしの連絡に対して言った、画面の向こうに人間がいない感じ。それを実際に対面している彼から感じてしまう。


 正直にいうなら、そのデートはあまり楽しくなかった。


 みんなが羨む、ショートケーキみたいな人。


 結婚もしてくれるらしい。


 わたしは彼に結婚できるかを聞いたとき、本当は逃げる理由を探していたのかもしれない。承諾されて、逃げ場を失ったような感覚があった。断る理由はもうどこにもない。


 モヤモヤした気持ちの正体がわからなくて、城守さんに聞きたかった。あの人はきっと、わたしにわからない答えをいつも持っている。

 そんな思い込みが募っていき、ますます城守さんに会いたくなった。


 わたしはずっとひとりで不便なく生きていたので、誰かと会えなくて心細いような気持ちになったことなんてなくて、自分に戸惑う。


 結局我慢できなくて、土曜の午後に電話をかけてしまった。


「亜子、どうかした?」


 知っている声にドキッとした。城守さんは、会社では小鳩さんと言うけれど、二人しかいない状態だと、ふわっと気まぐれに呼び名を変えたりする。今、久しぶりに聞いた声から出たのが名前だったのは少し心臓に悪かった。


「今、大丈夫でしょうか」

「いや俺、これからまた出ないといけなくてさ、でも、少しならいいよ。長くなるなら夜にでもかけなおすけど」

「大丈夫です。そんな大した用事はないです」


 鷹司王子のことを報告したり、いろいろ相談をしたかったのに、声を聞いたら懐かしいような安心に包まれて、一瞬でどうでもよくなってしまった。


「あのっ」

「うん?」

「……お元気でしたか?」

「うん、今元気になったよー」


 おちゃらけて答えた城守さんはどこまでも城守さんで、わたしはなんだか素直に想いを口にしていた。


「城守さん……」

「うん?」

「早く、帰ってきてください」

「仕事終わったら帰るよ。なんなの、俺がいなくてそんなに寂しかった?」

「色々相談がたまっているんです。帰ってきたら聞いてください」

「あいよ」

「はい」

「あ、俺そろそろ出なくちゃ。電話くれてありがとね」

「はい。ありがとうございます」

「またなんかあったら、いつでもかけてね」


 しかし、実際は結局、彼に相談をすることはなかった。


    *      *


 病気の話を聞いてから、祖父とはずっと連絡をとっていた。


 連絡手段は主にメールだった。

 彼は一日一度は必ずそれをチェックして、返事をくれていた。

 内容は病気のことにも婚活のことにも触れないような、他愛のないものが多かった。

 頻度は週に二回くらいと、それほど高くはなかったけれど、それでもわたしは短いそのやりとりで安否を確認していた。


 あるとき、いつも翌日にはある返信が一日経ってもなく、電話をかけた。

 スマホの電源も入っていなかったので祖父の自宅に電話をした。

 祖母は早くに亡くなっていたので、父の家の使用人頭、いわば家令のようなポジションの人が出て、不在を伝えてくれた。


「旦那様は入院されてます。ただ、今回すぐに退院するので心配しないようにお伝えするよう言われています」


 その話を聞いた時、どくんと心臓が鳴った。


 祖父は病気が判明したあとも、マメに会社に顔を出し、親類や友人と会ったりもしているようだった。見た目もそんなに変わらなかった。だから聞かされてはいたけれど、どことなく危機感がわいていなかった。


 でも、もう気づけば四月だ。

 最初の約束から七ヶ月が経過しようとしていた。

 もうすぐ春が終わる。

 急がなくては。絶対に間に合わなくなる。



 祖父の入院は最初に聞いてた通り一週間ほどだった。

 退院して、今日は会社に顔を出しているとの話が入ってきた。


 わたしはお昼休みに連絡して、終業後に祖父に会いにいく約束を取り付けた。


 それからすぐに、鷹司さんを呼び出した。こちらから連絡するのは初めてかもしれない。

 鷹司さんはなかなか電話に出なかったので、時間を十分ほど空けて何度かかけた。

 彼は三回目くらいで出た。


「鷹司さん、終業後に少しお時間いただきたくお電話しました。それから、今すぐお会いできますか」

「ごめん。少し外せなかった……重要なことかい?」

「はい。わたしの……祖父に会って欲しいんです」


 鷹司王子は電話越しに数秒黙った。

 わたしの態度に逼迫したものを感じたのか、呆れたのかは表情がないのでわからない。


「今、社内にいるのかい? ……会いにいくよ」

「エレベーターの三階前にお願いいたします」


 果たしてエレベーター前にゆらりと来たショートケーキ王子に詰め寄った。


「鷹司さん!」

「い、はいっ」


 勢いに押されたのか同じくらいのテンションで返事をされた。


 そのまま勢いで切り込む。


「すぐにわたしと婚約していただけませんか」


 だってすぐ結婚してくれないなら、この人と付き合っても時間の無駄なのだ。


 鷹司王子は最初表情を変えなかったけれど、やがて端正な顔に人工的に見える笑みを浮かべ「喜んで」と返した。


「両親は今海外なので、また後日になりますが、急ぎで会っていただきたいのは祖父です」

「もちろん。事情はわからないけれど、君がそんなに急ぎたいならそうしよう。予定を調整するよ。どこに行けばいい?」

「少し驚かせてしまうかもしれませんが……このビルの上にいるんです」

「うん?」

「わたしの祖父は橘善次郎。この会社の会長です。終業後、一緒に来ていただけますか」


 わたしは焦っていて、真剣で、少し異様だったと思うけれど、鷹司王子はにっこりと笑ってみせた。


「もちろんだよ」


 終業時間を過ぎてすぐ、鷹司さんはわたしの働くフロアの入口に現れた。


 すぐにエレベーターに乗り込んだ。

 その間ずっと黙っていて、静かな中エレベーターの揺れる感覚がどこか非現実にも感じられた。


 上階に上がり会長室に入る。部屋は、ほんの少し薄暗かった。


 祖父はいつも通りの、どこか威厳のある顔で座っていた。背筋だってぴんと伸びていて、もうすぐいなくなる人にはとても見えなくて、余計に悲しくなる。


 自分も背筋を正して、報告をする。


「お爺様、婚約者の方を連れてまいりました」

「鷹司倫太郎と申します。亜子さんとは近いうちに結婚を考えています」


 形式的な挨拶が交わされるのを耳の端でどこか他人事のように聞き、わたしは急速にやってきた達成感と脱力感に支配された。


 祖父は驚くほどほっとした顔をして、喜んでくれた。


「亜子、やったじゃないか。お前ならきっと見つけると思っていたよ」


 わたしはその顔を見たら、こんなにも心配をさせていたのだと、そんなことが伝わってきて泣きそうになった。


 うれしさで目を潤ませているように見えたのだろうか、祖父は「おめでとう」と「よかったな」を何度も繰り返し、本当にうれしそうな笑顔を向けてくれた。


 わたしはずっと頭を悩ませ考えていたことを済ませてしまうと、完全に脱力してしまった。だからそのときのことは飛び飛びにしか覚えていなかったけれど、祖父のその顔だけは脳に焼きついた。


 祖父はそれからまたすぐに入院した。

 わたしは無事、婚約者を見つけて祖父に会わせることができた。


 報告してすぐは大きな達成感があったけれど、ふと現実を見たときにわたしはまた強い不安にさいなまれた。


 高い目標を果たすためには自分の意思や希望を除外するのが一番効率的だと思ったのに。

 そして自分はきちんと目的を果たせたのに。なぜだか悲しみに似た感覚が脳にじんわり充満していた。

 きっと、これから始まる、この先に続いていくであろう生活に、楽しい想像がなにひとつできなかったのだ。


 わたしはそこまで無理をすることもなく、周りも認めてくれるような人を見つけられた。酷い結果にはなっていない。それなのに取り返しのつかない大きな失敗をしてしまったような、喪失感に似た気持ちしかそこにはなかった。


 わたしの婚活はこうして幕を閉じた。





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