第19話 恋人ができました。


 そのお祭り騒ぎから数日経ったころ。駅までの帰り道。


 小雨がぱらつく中、わたしはぼんやり城守さんのことを考えていた。


 街路に咲いていた桜が少しずつ雨で散っていた。


 城守さんは桜を見ただろうか。

 このあとも雨が続くようだし、戻るころには散ってしまっているかもしれない。別の場所で違う桜を見ているかもしれないけれど、少し、一緒に見たかった気もする。


 地獄で元気にしているだろうか。存在自体がどこか賑やかな人なのでいないとスカスカした気持ちになる。


 婚活を自分でがんばると言ったけれど、実際最近は完全に城守さん頼りだったので、わたしはやはり選び方もきっかけも何もつかめないまま過ごしていた。

 城守さんの基準が厳しいのもあって、最近はすっかり自分で探すのを放棄していたところもある。


 それにしても、会えなくなってからふとした瞬間によく頭を過ぎる。頭にぽんと浮かんだとき、そうか、近くにいないんだった、というのを思い出して、残念な気持ちになる。

 大人になって、変わらぬ日々を営む中、例外的に濃ゆい付き合いをしていた人だからかもしれない。

 近くにいないと……どこかもの足りない。


 あと、何日だったかな。頭で計算する。

 連絡をしようかと考える。


 そのとき気がついたけれど、わたしは連絡不精とは思えないほどに城守さんには連絡をしていた。


 べつに定期連絡ではないけれど、候補がいないときに独身男性を見つけて報告して却下されたり、ついでにミーティングによさそうないいお店を見つけた時にも連絡してるし、おいしいものを見つけて食べたとき、感動する映画を観たときも世間話的に報告しているし、先日犬の糞を踏んだ時も悲しくて連絡した。割と頻繁だ。


 けれど、向こうは出張先。婚活もお休み中だと、そういったくだらない連絡をするのは妙に気が引ける。そういった意味でも早く帰ってきて欲しい。


 雨は激しさを徐々に増していたけれど、まだ水たまりができてるほどではない。


 早めに帰ろうと足を速めたときだった。


 少し行ったところの軒下に立っている人に目が留まる。


 あれは、ショートケーキ王子の鷹司倫太郎だ。


 傘を持っていないので、雨宿りでもしているんだろうか。

 そのまま通り過ぎそうになると、よく通る声で呼び止められた。


「あっ、総務の小鳩亜子さん、だよね」

「はい」

「僕のこと……覚えているかな」

「はい」


 一度見たら忘れられないようなご尊顔で、さらにあれだけ周りに連呼されてればさすがに名前もフルネームで覚えるというものだ。


「小鳩さんは今、帰り?」

「はい」

「急に降ってきたから……まいったよ」


 そう言って彼はわたしの傘をじっと見た。


「よかったら一緒に入っていっていいかな」

「え……あ、はい。どうぞ」

「ありがとう。とても助かるよ」


 鷹司王子は優雅な仕草でわたしから傘を受け取った。


「さぁ、入って」


 二人並んで歩く形になった。

 さっきからほぼ「はい」しか言っていなかったことに少し気まずさを覚え、当たり障りのないことを話しかけた。


「久しぶりの本社はどうですか」


 王子鷹司はこちらを見てにこやかに笑ってみせた。


「戻ったばかりで少し戸惑うところもあるけれど、みなさん親切に助けてくださるから、スムーズに仕事させてもらっているよ」

「そうですか。それはなによりです」

「これから、小鳩さんもよろしく」

「よろしくお願いいたしします」


 もちろんそれ以上に会話が弾むはずもなく、狙って弾ませるスキルもない。しかしわたしの基準だと感じが悪くならなかっただけで上出来だ。


 そのまま駅に入ると、ショートケーキ王子が「お疲れさま」と言うので「お疲れさまでした」と言って傘を受け取り改札に入った。王子は駅には入らず、立ち止まって手を振っていた。


 ホームに入って気づいた。

 よく考えたらあの人は車通勤だったはずだ。高級車が話題になっていた。



 二日後の帰り際に、鷹司王子は再び現れた。

 彼は会社のエントランスを出たところにいて、わたしを見ると笑顔で近くに来た。


「小鳩さん。一緒に帰ろう」

「鷹司さん、車ですよね」


 素朴な疑問をもらす。


「うん。あの日はたまたま歩きでね。今日は君を待っていたんだ。よければ送らせてもらえないかな」

「え……」


 社内の有名人、とはいえよく知らない人だ。なんとなく遠慮したい気持ちもあったけれど、ここまで有名な王子を警戒するのも馬鹿馬鹿しいかもしれない。


「君と少し話がしたいんだ。いいかな」

「はい」


 駐車場に停めてあった、見るからに高そうな車に乗り込むと鷹司王子が聞いてくる。


「家はどこ?」

「月島です。駅からすぐなので……」

「うん。じゃあとりあえず駅まで行くよ。君に、少し相談があってね」


 わたしはほどなくして、見るからに高そうな車の、静かな車内で外を見ていた。


 世間話くらいはしたほうがいいのはわかっていたが、鷹司王子の車は揺れ方がわたしと相性悪く、すでに少し酔っていた。三半規管が少し、ぐるんとする。それで、結局黙っていた。


 早く駅に着かないかな、と考えていたところ、鷹司王子が口を開いた。


「実は……住所変更の手続きをまだ終えてなくてね。君に頼めないかな」

「え、はい」

「ほかの社員の方に頼むのに、少し危険を感じてね。先延ばしになっていたんだ」

「あ……はい。わかりました。なるべく人目につかないように処理しておきます」


 思った以上になんてことのない用件で、ほっと息を吐いた。

 わたしは車を降りてほっと胸を撫でおろした。


 吐かなくてよかった。


 頼まれた仕事を無事終えて、その二日後。

 すっかり忘れていたころ、鷹司王子と会社のエントランスでまた鉢合わせした。


「よく会うね。今帰り?」

「はい。お疲れさまです」

「今日も、また送らせてくれないかな。先日のお礼に」


 わたしは正直、鷹司さんの車にはあまり乗りたくなかった。

 破滅的に相性が悪い。五分で酔ってしまう。


「いえ、お気遣いなく」

「遠慮しないで。さ、行こう」


 やんわり断ろうとしたが意外にも食い下がってきた。

 笑顔で背中をぐっと押されて、断れる感じではなくなってしまった。


「ありがとう……ございます」


 これが最後だろうし、我慢しよう。

 地獄のドライブが始まった。


 数分で胸のあたりにムカムカが込み上げる。


 まずい。これは前回以上かもしれない。わたしは人生でこんなに揺れ方が合わない車に乗ったことがない。

 クッションのきいた高級車特有のふわふわ感と、鷹司さんの意外とキビキビしたハンドル捌きが合わさってわたしの三半規管を右に左に振動させる。


 それでも、耐えなければならない。

 こんな人の車に吐いたりしたら、わたしは、あの会社で生きていけない。


 呼び名だって絶対嘔吐ロボになる。


 気を散らせ。散らすのだ。


 ふいに城守さんの顔が浮かぶ。


「大丈夫なの?」と呆れたように心配する顔。


 もう実際に見なくても想像できてしまう。

 あまりにはっきり浮かんだその顔に、なんだか小さく笑みが漏れそうになった。


「小鳩さんは、付き合ってる人はいるのかな」

「えぁッ、おりません」


 脳内で城守さんを使って気を散らしていたところ、現実に引き戻す唐突な問いが来て、車酔いの脳が深く考えることなく反射で返した。


「実は……一目惚れなんだ」

「え? この車のことでしょうか?」

「君にだよ」


 鷹司王子が言うその台詞にはなんだかリアリティがなくて、数秒目を瞬いた。


「びっくりしたかな」

「はい」


 ものすごくびっくりした。

 というか、現在進行形で聞き間違いを疑い、彼の言葉の別の意図や解釈を探している。


「僕も……まだ言うつもりはなかったんだ。出会ったばかりだし……でも、話してみたらより強く惹かれてしまった。こうしていたら、抑えきれなくなってね」


 鷹司王子は落ち着いた口調で、車を停めた。

 こちらに向き直る。


「小鳩さん、よかったら僕と付き合ってくれないかな」

「え…………はい」


 ものすごくびっくりしたが、婚活中のわたしが断る理由は特に見当たらなかった。


 たまに止めてくる城守さんもいない。いたとしてもこのショートケーキなら止めないだろうと思われる。


 急ぎで結婚相手を探していて、候補さえも見つからないのに向こうから来てくれた人を断るなんて、あり得ないことだ。


 そう思いながらも、口に出した返事に、自分でどこか驚いていた。


 その後車が駅の近くで停められて、わたしは狐に化かされたかのような気持ちで駅前に立っていた。


 わたしは突然、なんの前触れもなく、恋人ができた。



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