第18話 降臨! ショートケーキの王子さま



 その日、後輩の代々木よよぎさんと同じ時間に帰宅することになり、一緒にエレベーターに乗り込んだ。


 代々木さんは、エレベーター内で小さな鏡を出して、付け睫をせっせと直していた。


 見るともなしに見ていると、彼女が口を開く。


「あ、そうだ。ロボ先輩、城守さんと付き合ってるんですかぁ」

「いえ。なぜですか?」

「今日カフェで知らないお姉様方がしゃべってたんですよ」

「……聞き耳たてたんですか?」

「やだ、声が大きかったんですってぇ!」


 そう言われてなんとなくその様子の想像がついた。


「なんでもぉー、全方向に付き合いがいい城守さんが、最近は外部に彼女がいるわけでもなさそうなのにノリが悪いって」

「……そうですか」

「城守さんて、女子が周りにいないと呼吸困難になって倒れる体質で、常に彼女を二十人はキープしてるって噂なのに、どっか具合でも悪いんじゃないかって最初は真剣に心配されてたんですけど……」


 すごい体質だ。


「でも、ロボ先輩とは仲がいいんですよね。新年会の時だってずっと一緒だったじゃないですか」


 ぎくりとした。そういう動きを女子は意外によく見てる。


「そもそもあの人昔厳重注意されてイエローカード出てるから社内の女子は射程外らしいんですよぉ。本人もそれならべつに社外で十分だからって、女子社員とは個別だとそれなりに距離取ってるらしいんですけど。最近は複数でも付き合い悪いんですって。でもロボ先輩とは妙に仲がいい……これは……って、超盛り上がってました」


 特にコメントなく困った目で見つめていると代々木さんは勢いよく続ける。


「あたしも加わりたかったです!」

「そ、そうですか」

「どうなんですか。本当のとこ教えてくださいよー」

「何もないです」

「えーでもあの城守さんがただの同僚と頻繁に会うわけないって……あの人は上は九十から下は法律に触れない範囲からなら誰でも何人でもすぐ彼女にする人だからって!」


 一応年齢制限はあるのに、人数制限はないのか。すごいな。


「でも、ロボ先輩だからどうなんだろうとも言われてました」

「……どういうことですか?」

「ほらぁ、先輩そこそこ可愛いのに、言動が少し変わってるから。総務の変わり者お仕事ロボットで有名なんですよぉ」


 代々木さんはケタケタと悪気もなさそうに笑う。わたしは遠い目になった。


 とりあえず噂になってたのはびっくりしたので、帰宅後に城守さんに電話して伝えた。


 彼も既に知っていたようだった。


「俺も偶然今日聞いた。バレンタインのアレから一部で噂になってんだと。ごめんねー、俺がイケメンなばかりに……」


 加えて不誠実で有名だからですよね、とは言わなかった。


「あ、でも城守さん、最近女性に付き合い悪いって……どこかお体の具合でも悪いんですか?」


 その質問にはじめっとした恨みがましい声で返された。


「誰のせいだと思ってんだよ……」

「……え」

「俺はお前の婿探しのために仕事外で空いた貴重な時間、男とばっか遊んでんだよ! 男に声かけて、男のプロフィール探って、男の恋愛遍歴聞き出して……四六時中男のことばっかり考えて……! 俺は一体何者なんだよ!」

「そ、それは、申し訳ないです。ありがとうございます……」


 本当に頭が上がらない。電話越しにペコペコと頭を下げた。


「大丈夫なんですか? 女子が足りなくて呼吸困難になったりしておられませんか」

「……まぁ、それがさ、わりと平気で……俺もびっくりしてる」

「そうなんですか」

「そう。ずっと、仕事外で余った時間が少しでもあると暇だったから女の子と目一杯遊んでたんだけど、今はその時間は小鳩さんに幸せな結婚させるための戦略を練ってるからね。結構楽しいし、俺、今わりと生き生きしてる」

「……ありがとうございます」

「今の俺の趣味みたいなもんだからそんなに気にしないでいいよ」

 人の婚活を趣味にしやがってと思うが、趣味にしてくれてありがとうとも思う。

「んー、でもしゃあない。しばらく社内でのミーティングはなしね」

「なぜですか」

「噂がこれ以上広まると亜子の婚活の邪魔になるんだよね。急いで見つけなきゃいけないのにそのとき誤解でこじれたら面倒だし」


 それは、そうかもしれない。


「まぁ、今はどの道次の候補が決まってないから……決まったら電話で連絡する」

「はい」

「あ、でも俺明日から四月末くらいまで一ヶ月地獄に出張なんだよね……」

「え、なんですかそれ」

 行き先を聞いて頷いた。比較的ハードで評判のところだ。お疲れさまである。

「では、その間わたしも自分なりにがんばってみます」

「えぇ……それは……」


 ちょっと嫌な声を出された。


「できたら変なことせずいい子で待っててよ。なるはやで見つけるから、それまで婚活はお休みしてて」


 まったく信用がない。わたしの婚活なのに、アドバイザー待ち。


    *      *


 城守さんが地獄に旅立った翌日、社内が朝からざわついていた。


 何かあったのだろうかと思いつつも、いつも通りに仕事をしていると、山田先輩がフロアに駆け込んできた。


「大変大変!……大変よー!……っ、うぎぁっ!」


 叫びながら走って来た彼女は勢いがよすぎて机の脚に足首をひっかけ、体がつんのめったまま方向転換をしてコピー機にベッタンと突っ伏した。

 指でも当たったのか、先輩のつぶれた顔のコピーがガーッと出てきた。


 彼女は何事もなかったかのようにぱっと身を起こして叫ぶ。


「大変! 大変! 鷹司たかつかささんが本社に戻ってくるって!」


 その途端、部署内に悲鳴が満ちた。

 わたしの隣に座っていた村西先輩の目の色も変わった。ガタンと立ち上がる。


「ロボ子! 大変だよ鷹司たかつかさ倫太郎りんたろうだって!」

「誰ですか」

「だきャラ! タカツカギャヒー!」


 興奮した先輩がエラー音のような奇声混じりに肩をバンバン叩いてくる。


「タカツカサさんて……誰なんですか」


 長く遠征していた王が帰還する城下町のお祭り騒ぎのような盛り上がりに、思わず聞くと先輩達は鋭い目でギッとこちらを見て答えた。


「……王子さまよ!」

「プリンスよ!」

「どこかの王族の方なんでしょうか?」

「ロボ子! あんたはどうしてそうロボットなの! 比喩に決まってるでしょ!」


 鷹司倫太郎は日本語と英語と中国語のトライリンガルで、アメリカの有名大学を飛び級して卒業後、博士号を取得。最近まで海外支社で活躍していたという人らしい。顔面は人工物より整っていて、スタイルは黄金比、それでいて人当たりもよいという完全無欠の超人だという。


 なんでも彼の周りは常に春のそよ風が駆け抜け、無音でも背後に優雅な音楽が鳴っているのが聞こえてくるという。

 周りはミュージカルでも始まったのかといった勢いで盛り上がっている。


「寿司でいうなら大トロを超えた超トロよ!」

「花でいうなら虹色の薔薇よ!」

「ケーキでいうなら……幻のショートケーキ!」


 比喩が激しすぎて適切とは思えなくなってきている。


「えー、楽しみー。あたしもご尊顔拝めますかね」


 後輩代々木さんはやにわにメイクポーチを取り出し始めた。


「そんな狙っても無駄よ! あの方は平民は相手になさらないわ!」


 村西先輩が素早くポーチを奪った。


「いっ、メイク直すくらい、いいじゃないですかぁ! 返してくださいぃー!」

「無駄よ無駄! あんたなんてざんばら髪の侍くらいの頭でいったほうが印象に残るわよ!」

「そんなこと言って先輩、なんですかその鏡はぁー!」


 多くがいそいそとお色直しを始め、既婚者はおもむろに指輪を外し出し、業務に支障が出そうなレベルで浮つき、お祭り騒ぎだった。


 冷静な人を目で探す。

 今総務部は女性しかいない。わたしの同期は男性だったが、既に辞めてしまっていた。


 男性は、今、机で苦虫を五百匹くらい噛み潰した顔で扇子を仰いでいる部長しかいない。しかし、これはとても冷静とは言えないだろう。


 見まわしても課長の塚本さんが呆れた顔をしているくらいで、冷静に書類を書いていると思わしき先輩の机を見にいくと、部長の名前を書くべきところに、とろけた字で鷹司と書いてあった。


 お色直しの甲斐あってか、お昼過ぎに、幻のショートケーキ王子が総務に挨拶に現れた。

 背後に花が咲き乱れるかのようにさっそうと現れた彼は一瞬でその場の注目をかっさらった。


 キューティクルの輝くサラサラの髪の毛は清潔感のある感じにセットされている。

 形のいい眉の下に涼やかな瞳が鎮座していて、整った鼻梁に負けないくらいCG感のある唇がついていた。


 初めて見る鷹司王子はなるほど、顔だけでなく歩き方や立居振る舞いが優雅で王子めいていた。ひざまずいて手の甲にキスとかしてもさまになりそうな感じだ。

 彼が王族がするような優雅なお辞儀をすると、周りから一斉に「キャー」と黄色い悲鳴があがった。


 ほぼ全員が立ち上がり、囲むようにして出迎えた。

 ショートケーキ王子は全員を順番に眺めてから挨拶をした。


「鷹司倫太郎です。しばらくカナダ支社勤務でしたが、これからまたよろしくお願いします」


 大したことは言ってないのに、まるで天のお告げがあったかのようにその場から「はあぁー」と、うっとりした声が上がる。


 総務は管轄が曖昧な社内案件がまわってくることが多く、普段は「総務は何でも屋じゃないっつーの」と毒づく村西さんと「それはご自分でどうぞ」が口癖の山田さんが揃って甘い声を出し「鷹司さん、ご不便はない?」「なんでも言ってくださいね!」と詰め寄っている。


 そこから彼はずっと、質問攻めにあっていた。


 質問内容も「今、お付き合いしてる方は?」とか「結婚相手に求める条件は?」とか、はては「使っているシャンプーは?」だとかどんどん業務から離れていく。


 この、幻のショートケーキと称される人がもし何か総務に用事があったとしても、わたしのところにまわってくることはまずないと思った。関わることはないだろう。だからわたしはまるで興味がわかなかった。


 わたしは基本、自分と結婚してくれなそうな男には興味がない。

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