第23話 婚活、再度終了しました。
わたしはその日、祖父に朝一で呼ばれていた。
わたしは婚約が破談になったことを祖父にずっと言えてなかった。
あれからまた退院した祖父がどこかで話を聞きつけたのだろう。わたしは連絡があってすぐ自分から婚約がご破産になったことを先にメールで連絡した。
それでも仕事中には呼ばないだろうと踏んでいたのにすぐに来いというのだから、これはだいぶご立腹かもしれない。
鷹司さんは鼻がちょこっとだけ折れたようだったが、本性を会長には絶対に知られたくないようで、そこを伏せる代わりに城守さんが彼を殴ったことは事件にはならなかった。
それでも、婚約が破談になったことと、わたしと城守さんと鷹司さんの間で小さな諍いがあったことは、会社中に知られていた。
さほど事情を知らない口の軽い目撃者、小田さんがそこにいたためだ。
城守さんは細かな事情を周りに聞かれても、のらりくらりとかわして何も言おうとしなかった。わたしも黙っていた。
なので最近の世間の噂では鷹司王子と付き合うわたしに、女癖の悪い城守さんが手を出し、男好きなわたしの二股が発覚して破談になったというストーリーが囁かれているようだった。
なんとなく、その悪意に満ちた噂の発信源は鷹司王子ではないかと思っている。
わたしは、細かな事情を伏せた上で祖父にうまく説明しなければならない。
荷物を置いてから会長室に行こうとしていると、総務に用事でもあったのか、エレベーター前に城守さんがいた。
「あれ、どこ行くの?」
「あ、今からお爺……婚約がなくなったことについて、会長に話してきます」
「そっか……」
「お爺様、ガッカリしたでしょうね……」
つぶやいて、城守さんが黙ってこちらを見ているのに気がついた。
「あ、城守さんは何も心配しないでください。うまく説明しますから」
祖父がどこまで知っているのかは不明だが、城守さんが悪者になるようなことだけは絶対に避けたい。
やってきたエレベーターに乗り込むと、城守さんは一緒に入ってきた。
「俺も行く」
「え、いや……」
「俺も行くわ」
「ハイ……」
エレベーターが最上階の二十階に着いた。
さて、なんて言ってごまかそう。
ふたり揃って入室した。椅子に座る祖父はわたしが思っていたよりも顔色がよく、元気そうで、まずそこにホッとした。
祖父が予定外の訪問者である城守さんに視線をやった。
「木質製品事業部の城守蓮司です」
わたしが口を開く前に、城守さんが深々と頭を下げた。
「このたびは申し訳ありません。私が小鳩さんに横恋慕をして邪魔したせいで彼女は鷹司さんに誤解され、破談となりました。彼女は誤解を解こうとしましたが、それはうまくいかなかったようです」
城守さんの台詞に驚いた。
なんとなく筋が通っている気もするけれど、そんなことをわざわざ言う必要もない気がするので少し違和感がある。
「お爺様、この方は無関係です。結婚について相談に乗っていただいてました。でも、わたしはやはり、誰とも結婚したくなかったんです。だから破談にさせていただきました。申し訳ありません」
城守さんを見ると睨まれた。
「なんですかその顔」
「嘘言わないでよ……俺が、邪魔したから誤解されたんだろ」
睨まれたまま妙にハキハキ言い聞かせるように言われるが、目を逸らした。
「嘘はそちらです……城守さんはわたしのことをずっと応援くださいました。わたしは、社会性が欠如しているのでやはり結婚をしたくなかっただけです」
「いーや、違うね。小鳩さんはちょっとズレてるけど、それでも自分を犠牲にしてもご祖父君を安心させようとがんばってた」
「それでも結局ひとりがよかったんです」
祖父そっちのけで軽い言い合いになっていると、祖父が口を挟んだ。
「ああ……もういい。大体わかった。仕事に支障がなければ細かいことは問わない」
思ったより突っ込まれなくてよかった。ほっと息を吐いた時だった。
「ただ、ひとつ。私が今一番聞きたいのは……」
「はい」
「君達の関係かな」
「えっ」
思わず、城守さんと顔を見合わせた。
「ですから私が一方的に……」
「違います! 城守さんは……わたしが、誰でもいいって、適当に結婚相手を探そうとしたときに、お爺様の気持ちになって考えろって……誠実で大切に思い合える相手を探すべきだって、そう言ってくれたんです」
「……あのさ、小鳩さん……」
「あと! 結婚なんてしたくない、自分には無理だって、投げ出そうとしたときも……励ましていただきました」
城守さんは諦めたように息を吐いて黙った。
「……お爺様、わたしは、最初あなたが古い価値観で結婚を押し付けてると思ってた。だから、誰でもいいから結婚すれば、安心するんじゃないかって思っていました」
「……」
「でも最近、その気持ちが、やっと少しわかったんです……」
祖父は穏やかなまなざしでわたしを見ていた。
「本当は、お爺様はわたしに結婚させたかったわけではなくて……だって結婚させたいだけならお見合いさせればいいだけですし……」
家ではいつも姉と兄はが中心で輝いていて、わたしはいつも悪気なく忘れられていた。
誰にも構われない、できのよくない末っ子。
きちんと目をやってくれて、心から可愛がってくれたのは家族で祖父だけだった。
話していたら、なんだか泣きそうになった。
「お爺様は、自分が、いなくなったあと……わたしが……この世で、大切に思える人間が誰もいなくなるんじゃないかって……そう思って……心配していたんですよね」
ひとりでも構わないと思っていた。幸せだった。
でも、周りに誰もいない生活を送っていても、わたしにはずっと祖父がいた。
自分を大切に思ってくれて、自分が大切と思える人がずっといた。
精神的に孤独にならなかったのは祖父のおかげだった。
彼がいなくなってしまったら、わたしは自分でも予想していなかった新しい孤独にさいなまれることになるだろう。
結婚相手を見つけようとすれば、社内の人間との関わりは多少は増えるだろう。それは男性に限らず、女性にだって、相談することもあるかもしれない。わたしが人と自分から関わるきっかけになる。祖父はきっと、そんなふうに、考えた。
「だから……きっと、結婚なんてしなくても。お爺様はわたしに……そういう人を、自分で探そうとして欲しかったんだと……」
わたしはそこまで言って苦しかった嗚咽を吐き出すように静かに泣いた。
しばらく、黙ってそれを見ていた祖父が、わたしが落ち着くのを待って口を開いた。
「亜子、実はね、今日はほかに大事な話があって呼んだんだ……」
「外しますか?」と聞いた城守さんに、祖父は「いや、構わないよ」と鷹揚に答えた。
「以前に、私の患ってるものは手術不能なもので……残りの時間は一年だと言ったと思うが、覚えているかな」
「はい」
そんなこと忘れるはずもない。
「私もそのつもりでずっと挨拶回りをしていてね……少し前に旧い友人の医師と久しぶりに会ったんだ。そうしたらな、そいつにずいぶん元気そうだ、と不思議そうにされて、もう一度別の場所で再検査することになった」
「はい」
「そうしたら、まぁ、別の手術可能な病だったことがわかってね、先日そちらの手術に無事成功した」
「えっ」
「私もいい歳だから、無駄に期待を持たせてもなんだと思って、確実に治ってから言おうと思って黙っていた。遅くなってすまないね」
「…………つまり」
「治ったんだよ。亜子」
祖父はどこかいたずらめいた笑いをニッと浮かべた。
「え、もう死にませんか?」
「死ぬけど、まだ死なないな」
「本当に……? あと千年くらい生きていただけますか?」
「それは難しいが、十年くらいは生きるつもりだよ」
あまりの喜びにぼうぜんとしてしまう。
「よかった……うれしい……うれしいです」
せっかく収まった涙が、喜びでまた出そうになった。
「まぁ、そういうわけだから。結婚相手は無理に急いで探さなくてもいいぞ」
「えっ、あ、はい」
「とりあえず、お前は急かすと無鉄砲で適当に決めようとする本当にまずいタイプなのがわかったからね」
ど、どういう意味ですか……と言いそうになり口を噤む。
さっき自分でペラペラしゃべったばかりだった。
「でも私の気持ちは変わってないよ。わかってくれたなら……五年、十年かけてもいいから……きちんと恋愛するなり友達を作るなりして、先の人生のことはじっくり考えなさい」
「はい」
それから祖父は軽い感じで「城守くん、孫が馬鹿でごめんね。ありがとね」と言って、話は終わった。
部屋を出て、城守さんと顔を見合わせた。
「よかったね」
「え?」
「会長、よくなって」
「はい。すごく安心しました。これで……」
そのとき、これでもう、彼に結婚の相談をすることはないのだという当たり前のことに気づいた。
どこか気まずいような気持ちで彼を見ると、彼は気負わない顔で笑ってみせた。
「城守さん……今まで、本当にありがとうございました」
「いや、お別れじゃないんだからそんな湿っぽくならなくていいよ。本当よかったじゃん」
「はい……」
「俺も小鳩さんの婚活がなくなると少し寂しいけど、そういうのはやっぱり無理して急いで探すもんじゃないと思うしね」
「はい」
「会社ですれ違ったら今まで通り挨拶くらいはしてね」
「当たり前ですよ」
「うん。本当によかったね……」
わたしの婚活と城守さんの関わりは、その日、あっけなく終わることとなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます