第22話 地獄からの帰還【後編】


 城守さんと二人揃って戻るとき、通りすがりの小さめの会議室の中から声が聞こえてきた。


 会議室としてはけっこう狭くてショボい部類に入るその部屋は、離れ小島なのもあり、会議には使われなくなり、現在は簡易的な資材室となっていた。


 そこの扉がほんの少し、開いていて、中から声が聞こえる。


「いやしかし、鷹司さんの相手としては意外でしたよ」


 わたしは気になって、なんとなしに細く開いた隙間からそこを覗き込んだ。


 少し上の隙間から城守さんも同じように中を覗いた。


 さきほどの声の主は知っている人だった。

 わたしがかなり前に一度候補に上げて即却下されたリサイクル事業部の小田さんだった。その近くに鷹司さんも座っていた。


 小田さんはすっかり王子の取り巻きと化しているらしく、肩でも揉みそうな勢いで立ったまま近くで両手を揉んでいる。


 驚くべきは鷹司さんの態度だった。

 彼は椅子に座ったままぶすったれた顔で足を机の上に乗せてふんぞりかえっていた。


 天井を見てつまらなそうな顔で「何がぁー?」とだらしない声を出した。


「いや、婚約者の方、可愛い方ですけど……面白いあだ名もついてますし……鷹司さんならもっと派手な美人もいるかな〜なんつってアハハッ」


 鷹司王子は突然小田さんの頭を乱暴にべしっと叩いた。


「いっダァ! ずびばぜえん!」


 大袈裟に痛がる小田さんを見て鷹司王子はゲラゲラ笑った。


「お前はほんっとバカだな。俺が考えなしにあんな女と婚約するわけないだろ」

「えっ」

「アレは橘会長の孫なんだよ」

「どえぇーっ! なんですとー!?」


 小田さんが両手をひろげて、古典的なびっくりポーズをつくってのけぞった。

 鷹司王子の顔はものすごくニヤついていて、王子感はゼロだった。


「えっ、しかしそんな話は……ほほ本当なのですかぁ?!」

「口止めされてたみたいだけどな。人事部から聞き出したんだよ」

「そこからこの早さで婚約まで……!」

「まぁ楽勝。ちょっと声かけたらもうあとは向こうから結婚してくださいって縋ってきたよ」

「まったくもってさすがでございます!」


 二人の会話を聞いてなるほどと納得した。

 鷹司さんは最初に総務に挨拶に来たときも、わたしにほとんど視線をとめなかった。それなのに後日一目惚れというからおかしいなとは感じていた。


 内面が窺い知れなかったのにもなんとなく納得がいった。しかし、喋り方もわたしといるときとぜんぜん違うので演技達者なほうではあるだろう。


 わたしが思考をしている間にも会話は進んでいて、連想される別の話題となっていた。


「鷹司さん、人事部といえばあの女性はどうなったんですか」

「は? 誰だよ」

「その……ホラっ、かなりお胸がお目立ちになる……ブフフッ」

「あぁ、アレ? ったくお前は本当クソバカスケベだな!」


 はんっと呆れた笑いをこぼした鷹司さんはもう一度小田さんの頭をスパーンと叩く。


 それから机を足で押して椅子をぎっとしならせた。


「まー、なかなかよかったよ。一回で十分だけどな。あの女……がすげぇ……んだよ」


 そこまで至近距離じゃなかったので後半小声で言った部分は聞き取れなかった。しかし、下劣なことを言ったのは聞かなくても十分わかる。

 鷹司さんは言葉のあとに非常に下品にゲラゲラ笑った。

 なぜか小田さんも一緒になってゲラゲラ笑っていた。この人も大概だ。


「いやしかしすごいですね。お戻りになって速攻で会長の孫と婚約とは……さすが! さすがすぎますですよ!」


 鷹司王子はふん、とつまらなそうな顔をして、机に乗せた足を乱雑に組み替えた。


「あんなつまんねー女……そうじゃなきゃ俺が結婚相手にするかよ……」


 鷹司倫太郎はニヤッと笑って言う。


「そもそも、この俺がひとりに絞るなんて退屈だろ」

「その通りでございます!」

「まぁ、あちらさんボンヤリで鈍そうだから、結婚してもほかでもちょいちょいよろしくやれば楽しい結婚生活は送れるだろうよ」


 鷹司はグェッヘッヘというような音で笑った。すごい。ここまですがすがしく邪悪だと、傷つくより驚きが勝ってしまい、わたしは目を白黒させて見ていた。


 人って、邪悪な顔をしていると美形も美形に見えないものなんだなと思う。でもなるべくならそういう顔はもっと厳重に隠して欲しかった。にじみでる醜悪さに目も当てられず顔を伏せて考える。


 どうしたものだろう。


 コレと結婚するのはさすがにやめたほうがいいのではないだろうか。

 でももう祖父にも報告をしてしまった。すごく……喜んでいた。もう新しく探す時間はない。


 だったら、ひとまず今は見なかったことにして……。


 あれ?


 ふと気づくとすぐ背後にいたはずの城守さんの気配がなかった。


 顔を上げ背後の通路を見まわす。いない。


 正面に顔を戻すと細く開いていた扉が半開きくらいになっていた。


 中を覗くと城守さんが鷹司さんの目の前にいて、ギョッとする。


「ひぇっ」


 鷹司は最初城守さんを見ていたけれど、わたしが声を上げたので、こちらに気づいた。ギョッとした顔で目を見開いたが、わたしがどこまで聞いていたのかわからないからなのか瞬時に足を下ろし、引き攣った王子フェイスに切り替えてふわんと笑った。


 鷹司王子は目の前の城守さんに気づいていたが、それよりわたしが気になるらしく、そこは無視して笑顔のまま立ち上がった。


 城守さんがわたしと鷹司さんの間を塞ぐように前に立った。


「あのさ、全部聞こえてんだよね」

「え、何がかな?」


 鷹司王子が王子スマイルのままとぼけた返答を返す。

 もうさっきの人誰、というくらいには王子モードに切り替えている。この人役者にでもなればよかったのに。


 城守さんが拳を握って必殺技を繰り出すかのようにぐっと身をかがめた。


「き、城守さん? 何を……」


 わたしがそこまで発声したところで、「わしゃアッ」と珍妙な悲鳴が響いた。


 鷹司さんは貼り付けた笑顔のまま、城守さんに殴られて勢いよく飛んでボサッと倒れた。


 城守さんが床に向かって捨て台詞を吐いた。


「お前なんかと、誰が結婚させるか」




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