第24話 恋心確認しました。
五月になって、およそ八ヶ月ぶりにわたしの日常が戻ってきた。
わたしは以前と同じように、毎日出社し、業務内で必要最低限だけ人と言葉を交わし、帰宅後や土日はのんびりとひとりで過ごしている。好きなときに好きなものを食べ、行きたい場所を見つけたときにはひとりで行く、焦りのない気楽なおひとりさま生活だ。
ただ、以前とは少し違う部分もいくつかあった。
ショートケーキ王子こと鷹司倫太郎は最近会社を解雇されることとなった。ある女子社員への脅迫行為が発覚し、そこから支社でやっていた横領が明るみになり、一部の経歴詐称までポロポロ出てきてしまったらしい。なんとなく、あの日の諍いの原因が彼にあったであろうことは言わずとも世間では暗黙ながら周知となっていた。
わたしはその余波ともいえるものを受けた。あれだけ会長の孫であることを隠していたのに、結局小田さん経由でバレてしまい、結局腫れ物扱いされている。
必要がなくなった矢先に社内の男性に声をかけられることも多くなり、大変わずらわしい。特に今声をかけてきている男性社員たちはことごとく、わたしが会長の孫だと知ったから寄ってきているのが見え見えなので、バッサリお断りしている。
改めて、最初に城守さんに隠せと言われてよかった気がする。あの頃は誰でもよかったから寄ってきた誰かと婚約していたかもしれないけれど、それがよいことにはならないのを今のわたしはもう知っている。
そんなふうに、わたし自身も内面では以前とはほんの少しだけ変わっていた。
書類仕事以外の業務はできる限り避けていたけれど、少しずつ進んで受けるようになった。
婚活時に社内の人間との関りがあって、苦手意識が少し減ったのもあり、その辺のコンプレックスを解消したいと思えるようになったのだ。だから基本的には以前と同じ生活でも、少し前に進めている気がしている。
そうやって日々を過ごしていると、あっという間にひと月ほど経った。
その日は他部署に新しい機材の搬入があって、そこで対応をしているうちに終業時刻になった。
総務のフロアに戻ると数人が自分の話をしているのが聞こえてきた。
「まさかロボ子が橘会長の孫とはねー」
今日は仕事が比較的少なかったからか、寄り合ってお菓子を食べながら噂話に興じているようだった。
「コネ入社かぁー」
「ほんと羨ましいなぁ。楽できて」
「べつにロボ子楽してないでしょ、あんた何回残業代わってもらってんの」
「……そ、そうですけどぉ」
「みんな当然のように代わってもらってたし……早く帰りたい日に代わってもらったことない人、ここにいないんじゃない?」
場が鎮静したのを確認して、今だとフロアに入ると、一斉にこちらを見た。
全員が何かもの言いたげな顔をしていたが、そしらぬ顔で席に戻った。
パソコンを落とし、たんたんと帰る準備をしていると「私もう我慢できない!」という叫び声が聞こえてきた。
そちらを見ると数人がすごい勢いでドカドカ駆け寄ってくる。
「ロボ子〜!」
「ロボ先輩!」
「なにごとですか」
「いい加減聞かせなさい〜!」
「そうよ! こっちは気になって寝不足だっての!」
「ロボちゃん、捕獲ー!」
「ぎゃあぁ」
わたしはその晩女子社員数人により個室居酒屋へと連行された。
わたし以外の女子はよく来ている店らしく、マジックで『総務』と書いてあるボトルキープまでされていた。
わたしはお座敷になっている部屋で、先輩二人と後輩二人に囲まれて、一番奥に座らされた。
「さぁ飲みなさい」
「食べなさい」
「そしてしゃべりなさい」
そう言って目の前のグラスにピッチャーのビールがドボドボ注がれる。
「ロボ先輩、これおいしいですよぉ」
言われて、お通しの筍の煮物を無言で口に入れた。確かにおいしい。ビールとも合う。
「食ってないで飲んでないで、ちゃっちゃとしゃべりなさいよ!」
さっきは飲めとか食えとか言ってたくせに……。
「何をでしょうか」
「全部よ全部! いきなり城守が訪ねてきた日から続けてイケメンパレードみたいになっていたじゃない! その詳細を威勢よくダーッと吐きなさいよ!」
「鷹司倫太郎の話もよ! 今でこそご愁傷様だけど、あんときはハンカチ噛み過ぎて一枚ダメにしたんだからね!」
「……なぜ、話さねばならないのですか」
「私達が気になるからに決まってるじゃない!」
首を絞められ「吐きなさい! 楽になるから!」と揺さぶられ、わたしは「グエー」とうめきながらコクコクと頷いた。
最初はいろいろぼかして、いろんなことを隠そうとしていたけれど、根掘りと葉掘りが激的で、細かな部分にも突っ込みが入り、結局洗いざらい話すこととなった。
複数飲みが久しぶりな上、質問攻めに合い、わたしはパカパカお酒を飲んだ。
こんなの、飲まないと正気を保てない。頭がふわふわしていく。
グラスがどんどん空いていく。
梅酒。ビール。ハイボール。青りんごサワー。日本酒に焼酎割。
わたしも結構飲んだけれど、周りも飲み過ぎて、でろんでろんになっていく。
後輩上原さんは飽きたのか、途中からまったく関係ない自分の彼氏の愚痴をずっと話していて、泣き出し、周りはずっとそれを慰めている。場はどんどんグダグダになっていった。
わたしの隣に座る村西先輩もかなり飲んでいた。
マヨネーズをたっぷりつけたししゃもを食いちぎりながら、しゅっと目を座らせて聞いてくる。
「んでさーロボ子は結局誰が好きなの?」
「え」
「そんだけ婚活してー、一体誰が本命だったのよー」
「ホンメー……ですか」
婚活はしていたが、わたしはここまでやってまだ恋愛の枠内でなにかをやっている感覚がなかった。
わたしのやっていたのは結婚相手探しで、恋愛ではなかった。だからそういう目で見ていなかった。
「鷹司ヘドロ王子は婚約までいったんだし、やっぱり好きだったんじゃないの?」
「いいえ、まったく」
超トロとか幻のショートケーキとか言ってたのに、ヘドロにまで落ちている。
「あ、三澤はロボ子から振ったんだっけ? あいついろいろ難しいよねえ」
村西先輩は三澤さん城守さんと同期なので、わたしとは違った方向で三澤さんを難しい方だと捉えているようだ。
「三澤さんは……振る振られるの前段階れしたけろね……」
少し、舌が重い。ろれつがまわっていないのを感じる。
「えーと、同期の眼鏡くんが好きだった?」
「いえ。いい方で、すごく応援したくなりました」
「なんだっけ、結構歳上のイケメン……」
「池座さんは幸せになって欲しいです」
「賑やかな歳下の……」
「焼肉。特に関心はないです。元気に暮らして欲しい」
「えーと、あとなんだっけ」
「せいろ蕎麦王子……しっかりした方で、尊敬しておりますが、わたしは相手にされませんでした。でも、まったく未練はないです」
「えーなんなんそれ、もういない……あ、じゃあ城守? 城守残ってたね」
村西先輩は手酌で自分のグラスにビールを追加した。
わたしは目の前の皿からだし巻き玉子を箸でつまんで口に入れた。お出汁の味が口の中にふわっとひろがる。優しい味なのにしっかり旨味があって、とても満足感がある。
「村西さん、このだし巻き玉子、すごくおいしいですね」
わたしはそれを飲み込んですぐに、城守さんにも教えてあげたいと思った。
わたしと城守さんは以前のように知らない人ではなかったけれど、相談することがないから連絡をとる必要はない。挨拶をする程度の知り合いになっていた。
けれど、城守さんはやっぱりわたしの頭の中に相変わらず、ずっと居座っていて、おいしいものを食べたとき、嬉しいことがあったとき、悲しいとき、何もないときにだって、わたしは思い出して、ついつい癖のように連絡をしそうになる。もう必要がないのに、不思議だった。
ふわんとした考えごとの世界から現実世界に戻ってくると目の前で酔っ払った村西先輩がくだをまいていた。
「こら、ロボ子、なんで黙るの。こたえろー。城守なのか?」
「え?」
「ロボ子はー、城守が好きなの?」
聞かれた言葉に突然脳内で何かがパチリと嵌った。
まるで、ずっと探していたものを急に渡されたようだった。
「はい。…………そうです」
「えっ」
「わたし、城守さんが好きなんです」
「えっ、えぇーそうなの? キャー! ちょっとちょっとみんなー! 本命城守だってー! ギャヒー!」
わたしは村西先輩の奇声を聞きながら、自分が口に出した言葉を実感していた。
そうだ。そうだったんだ。
だからわたしはきっと、鷹司倫太郎と婚約したときにモヤモヤしていたんだ。
だから城守さんに、結婚を止めて欲しかったんだ。
もう一度、ちゃんと言葉にしてみる。
「わたし……城守さんが好きなんです」
「そうかそうかー城守か。城守なのねー」
「城守さんが好きなんです……好きなんです」
「わーった、わーかったから……どうどう、ロボ子」
「城守さんが……城守さんが好きなんです。好きなんです」
わたしは初めて気持ちを人に話した。
思い切り、吐き出した。
「好きなんです。すごく、好きなんです」
「あたしも、やっぱりタカシくんのことが好きぃー!」
後輩上原さんが突然ガバッと立ち上がり、便乗して叫びだした。
「あたしだってレイくんが好きだよー!」
代々木さんも叫んだ。
「城守さんが好きなんです」
「レイくーん! オプッ」
「ターカシーあいじでるぅー!」
「代々木さん、吐くならトイレで!」
誰が何を言っているのかわからない状態になり、視界の端では下戸の山田先輩がひとり呆れた顔で撤収準備を始めていた。
鈍いわたしのことだから、こうやって聞かれて吐き出さなければ、気持ちが明確な言葉の形を作ることは難しかったかもしれない。
わたしはその答えをずっと探していて、城守さんが答えを持っているんじゃないかと思っていた。
でも、違った。城守さんは答えを持っていたわけではない。
彼は答えそのもので、答えはわたしの中にあった。
わたしはテーブルに頬を乗せてつぶれて、まだ、壊れたロボットのようにつぶやいていた。
「城守さんが、好きなんです……」
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