王子様なんていりません! -訳あって、至急婚活することになりました。-

村田天

第1話 至急婚活することになりました。



「わたしと結婚してください」


 その晩わたしは、女癖が悪いという噂の、チャラ男先輩に結婚を申し込んでいた。


 なお、この先輩と話したことはほぼない。



    *      *



 まだ蒸し暑い九月中旬。

 日本橋の、オフィスビルが立ち並ぶ一角にある会社で、わたしは仕事をしていた。


 時刻は午後七時をまわっていて、昼間に社内に満ちていた喧騒は鳴りを潜めていた。

 残っている少数の打鍵の音だけが響く、どこかしんとした終業時間を過ぎたフロア。


「あー! 落ちた! データ半分飛んだ! やだ、最悪ー!」


 女子社員の悲壮な悲鳴が耳に入ってくる。


「このあと久しぶりに彼とデートだったのにぃ……」


 さめざめと嘆く声に「ロボット先輩にお願いしてみたら?」とひそひそ声の別の女子社員。それは少し離れた席でもくもくとキーボードを叩くわたしの耳にもしっかり聞こえていた。


 ロボット先輩とはまぎれもなく自分のことだ。


 わたしには小鳩こばと亜子あこという名前があるが、社内ではさほど使われない。愛想も表情も薄く、付き合いも悪いわたしは部署内の一部先輩にはロボ子、ロボちゃんなどと通称をつけられていた。


 それからその女子社員が頼みにきた。全部聞こえていたが「いいですよ」と答える。

 わたしはこういうのは断らない。その代わり、飲みやランチの誘いなどは全て「行きません」ですませている。


 仕事には難易度は低いが時間だけはしっかりかかるものがいくつか存在する。そういうのはよくまわってくるが自分の性質にはさほど苦ではない。単純な作業をいかに効率よくやるか追求するのは好きだ。また、もくもくとキーボードを打った。


 気がつくと誰もいなくなっていた。モニタ右下の時刻表示を見る。だいぶ遅くなった。

 パソコンを終了させ鞄を見ると、スマホに着信が入っていた。すぐに折り返すと呼び出しの連絡だった。


「わかりました。すぐまいります」


 通話を切り、自社ビルの最上階に移動するためエレベーターへ乗り込んだ。

 静かな振動を感じながら階数表示が上がっていくのを見ていると扉が開いた。


 ノックをして入室する。その部屋は広さのわりにはさほどものが置かれていない。大きく切り取られたガラス窓から夜の風景が覗いていた。

 その窓を背に、上品な老紳士が革張りの豪奢な椅子に座っている。


「お爺様、御用でしょうか」


 彼はこの総合商社の会長のたちばな善次郎ぜんじろうだ。

 一介の社員でしかないわたしが呼び出された理由はわたしが彼の孫娘だからだ。

 身内とはいえ、普段は隠しているのでほとんど関わりなく仕事をしている。

 久しぶりに顔を見て、頬がわずかにほころぶのを感じる。部屋は秘書の姿もなく、静かだった。

 祖父がゆっくりと口を開く。


「亜子、変わりはないか?」

「いつも通りです」

「恋人ができたりは?」

「ございません」

「そうか……相変わらずか」

「お爺様は、お変わりありませんか?」


 小さなため息を吐かれて、そのとき違和感を覚える。今日の祖父はいつもわたしと相対するときにたたえている穏やかな笑みがなく、表情もどこか暗かった。

 祖父は神妙な顔で重々しく口を開く。


「実は先日の検査で病気が見つかった」


 祖父の年齢は六七歳。不調が出てもおかしくはないが、実年齢より若く矍鑠かくしゃくとしている普段の姿からは想像してなかったことだった。祖父はそのまま、たんたんと病名と、それが手術不可能であることと、残りの時間があと一年ほどであることを告げた。


 衝撃を受けすぎて言葉を失ってしまう。

 祖父はわたしがこの世で一番親しい相手だ。兄弟の中で一番目立たず地味だったわたしを彼はずっと可愛がってくれた。

 だからほかの兄弟はそれぞれ華やかな道を歩んだけれど、わたしはほんの少しでも祖父の会社の力になりたいと、ここをを選んだ。

 祖父は思いのほか落ち着いた口調で続ける。


「私もまぁいい歳だ。思いつくことはやってきた人生だと思っている」

「……はい」

「ただ、心残りというか、心配がひとつあってな……」

「なんでしょう?」


 わたしは今、病気だと聞かされただけで目が潤みそうになるくらいには昔からお爺ちゃん子だった。祖父の心配はなるべく消してあげたい。


「お前のことが心配だ」

「え……わたしですか?」

「そうだ。残していくので心配なのはお前のことだけだ。どうか私を安心させると思って生きているうちに社員の中から自分で結婚相手を見つけてきてくれないか」


「え……えぇ……」


 心の底から情けない悲鳴がもれた。


 祖父は困った顔のわたしをじっと見て言葉を続ける。


「私にはお前が望んで孤独に生きてるように見える。できるならどうか生涯を共にできるいい相手と巡り会うのを見届けたいんだ」

「で、でも……わたしは」

「お前は母譲りの器量よしだからいくらでも可能性はあるのに、そのためのやる気がなさすぎる」


 どうやら祖父は、恋人を作るわけでもなく、休日に友人と遊ぶでもなく、人と関わらずたんたんと日々を過ごす孫娘のことを以前から心配していたという。両親はわたしの大学時代からずっと海外におり、結果お目付役のようになってしまっていたのもある。


 確かにわたしは人付き合いが苦手、人混みは苦痛、イベントごと嫌い、おまけに連絡不精という四重苦が起因して、仕事外であまり人が周りにいない。実家に沢山いたようなお手伝いさんもひとりもつけず、ひとり質素に暮らしている。それでも、べつに寂しく生きてるつもりはなかった。


 友達もほぼいないし恋人なんてできる気配はついぞないが、そのことでまったく困ってはいない。ひとりでいるのは気楽で大好きだ。寂しくもない。好き勝手に好きな場所に行き、好きなものを食べる。好きなガムラン音楽を聴き、好きなSF小説を読み、ゾンビ映画を観る生活を最高に気に入っていた。これは自分に合った生活スタイルで、わたしは単に生粋の“おひとりさま体質”だっただけなのだ。

 そのことをなんとか納得してもらえるよう、口を開こうとしたときだった。


 祖父が突如咳込んだ。


 それだけで頭が真っ白になってしまい勢いよく駆け寄った。


「お爺様、わたし結婚します! 絶対一年以内に結婚しますから! 死なないでください!」


 祖父はしばらく咳込んでいたが口元を拭い微笑んで言う。


「ふふ……それなら、あと十年は生きないとな……」

「はい、もっと生きてください! がんばりますから!」


 それから祖父は、おもむろに手に持った湯飲みを見せてきた。


「今のは……ぜんざいのアズキが喉につまっただけだ……」

「その湯飲み……ぜんざい入ってたんですか……」


 激甘党だとは思っていたけど……なんてものを入れているんだ。

 恨めしい目で睨めつける。

 祖父はしれっとした態度でまたぜんざいをぞぞっと飲んで「ガッハッハ」と笑った。


「亜子、ありがとう。私は曾孫も楽しみにしてるぞ……!」


 まんまと嵌められたような感覚があったがもう遅い。


 会長室を出たときは夜も深まっていた。

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