第21話「私は彼女と決別した」
眼球のじんわりと熱い違和感に、ゆっくりと瞼を開く。
「……ここは」
「あっ! お目覚めですね。お名前は言えますか?」
仰向けに倒れる私の視界に、若い女性の顔が現れる。
丸い眼鏡を掛けた彼女の首には、緑の水晶の嵌め込まれた金属のプレートが下がっていた。
「……シェラ。シェラ・エイグルです。ここは」
「ふむふむ。名前は分かるようですね。ここは緑晶騎士団の診療所です」
緑晶騎士団。
我が白晶騎士団と共に、リットランド王国五色騎士団に数えられる。治癒魔法の使い手で構成されており、個々が高度な医療知識を持ち、主に負傷者の救助などを担う。命の門番。
「――イレーネ!」
「うわわっ。急に起き上がらないで下さい。まだ完全に回復しているわけじゃないんですから」
「言ってる場合か! イレーネ様はどこに?」
「姫様は居室にいらっしゃると――」
騎士のお姉さんの話も終わらないうちに、私はベッドから飛び下りる。鎧やら双剣やらは外されているが、なんとかインナーだけは着込んでいる。
私は制止するお姉さんの手を振り払い、部屋のドアを勢いよく押し開いた。
「ぴゃっ!?」
「うわっ!?」
開いたドアが、何かにぶつかる。
同時に可愛らしい悲鳴が聞こえ、私はドアの隙間から顔を出した。
「い、イレーネ様!?」
「――あたしが見舞いに来てやったのに、随分元気そうね」
診療所の廊下で艶やかな赤髪を抑え、涙目でキッと睨み上げてくる猫のような少女。
彼女の元気そうな姿を見て、私はよろよろとその場に倒れ込んだ。
「ちょ、シェラ!? や、やっぱりどこか怪我してるの?」
「ご心配なく。安心して腰が抜けただけですよー」
追いかけてきたお姉さんが、私を抱えてズルズルと引きずる。これでも傭兵だし、女にしては重いと思っていたのだが、彼女は軽々と私を持ち上げて、ベッドに降ろした。
「すみません、イレーネ様」
「何よ、急に」
イレーネ様がベッドの側にある椅子に腰掛ける。私は彼女に向かって、深く頭を下げた。
「護衛なのに、守り切れませんでした」
白晶騎士団として、王族の近衛騎士として、私は彼女を――イレーネ様を守る義務があった。なのに、それを達成することができなかった。
きっと私は、この後断頭台に送られるだろう。王族を危険に晒すと言うことは、そういうことだ。だがその前に一言だけ、彼女に謝りたかった。
「何言ってんのよ、あんたは」
「……はい?」
しかし、頭上から返ってきたのは、呆れの声だった。
ぽかんとして顔を上げると、彼女は心底馬鹿にしたような目で私を見ていた。
「あんたの目は節穴なの? あたしは生きてるでしょうが」
「いや、でも……」
「怪我なんて、緑晶騎士団がぱぱっと治してくれたわよ。むしろ、あんたの方が全然目を覚まさなかったんだから」
イレーネは腕を組み、説教でもするようにどんなに苦労したかを教えてくれる。
私が倒れて気を失ってすぐ、ギルドの本隊が到着した。泥喰い蜥蜴の残党を処理しながらやってきた彼らは、爆心地で白トカゲと一緒に倒れている私とイレーネを、すぐさまこの診療所に運び込んでくれたらしい。
イレーネは軽い脳震盪だけで、殆ど傷はなく、緑晶騎士団の治癒術師による処置ですぐさま回復した。
私の方はギフトを使いすぎた反動で、肉体はともかく精神の方がかなり疲弊しており、そちらは治癒魔法でもなんともできないため、自然に目を覚ますのをずっと待っていたらしい。
「ちなみにどれくらい眠ってました?」
「一週間よ」
「なるほど……」
どおりで節々が痛むわけだ。
これは、普段通りに動けるようになるまで、少し時間が掛かるかも知れない。リハビリの内容を考えて、私は憂鬱な顔をした。
「イレーネ様、シェラさんのことをずっと心配なされてて、毎日様子を――」
「だああああっ! あんたは余計なこと言わなくて良いのよ。どっかいってなさい!」
にこにことして何か言い掛けた治癒術師のお姉さんを、イレーネは両腕をぶんぶんと振って追い払う。
私はふと、枕元に置かれたサイドテーブルを見る。そこには小さな花瓶が置かれていて、可愛らしい花が数輪、生けられていた。姫様に似た、赤い花弁の小さな花だ。
「ありがとうございます」
「……なんのことよ」
感謝を告げると、彼女はそっぽを向いてぶっきらぼうに言う。これ以上は、彼女も求めていないだろう。私は話題を変えることにした。
「泥喰い蜥蜴の顛末はどうなりましたか」
「白化種が死んだことで、統率は無くなったわ。泥喰い蜥蜴って、もともとは群れない魔獣なのね」
「そうですね。時折、強い個体が現れると結束しますが、普通は群れません」
群れの要が討たれたことにより、統率は消えた。散り散りになる残党は、傭兵たちの良い小遣いとなったのだろう。
しかし、結局あの大侵攻の原因は分からずじまいだ。
「イレーネ様、シェラさん。少しいいですか?」
そこへ、お姉さんが戻ってくる。
今度は何だとイレーネが睨むが、彼女は両腕を振ってそれを抑えた。
「国王陛下、リッテンカルト様がお呼びです」
その報せに、私たちは互いに顔を見合わせる。
国の最高権力者であり、イレーネ様のお父様。私たちがそれに逆らう理由はなく、また急がないわけにもいかなかった。
イレーネに急かされながら、最低限の身なりだけ整えて、診療所を飛び出す。同じ敷地内とはいえ、王城は広い。二週間の惰眠の中で鈍った体に鞭打って、私は入り組んだ城内を駆け抜けた。
「遅くなりました、お父様。シェラも連れてきました」
お姫様モードのイレーネ様が、国王の執務室のドアを叩く。
「うわ、早かったね。もっとのんびりしてもよかったんだけど」
威厳のない砕けた口調の声が返ってきて、ドアが開く。
国王の部屋にしては質素な内装は相変わらずで、大きな机に書類を山積みにして、その隙間から穏やかな笑顔を覗かせている国王陛下も変わらない。
「やあ、元気そうだね」
「はっ。緑晶騎士団の方々のおかげで、後遺症もありません」
「そりゃよかった」
うんうん、と頷くリッテンカルト様の背後には、銀の鎧を纏った鬼人の如き大男――我らが白晶騎士団の団長、バッグルさんも立っている。そういえば、労災は下りるのだろうか。
「それで、シェラ」
「はいっ」
紙の塔の間から、微笑を浮かべた国王がこちらを向く。
自分ではなく、護衛騎士の名前が呼ばれたことに、イレーネ様は怪訝な顔をした。
「――どこに行きたい?」
「……」
短い質問。そこに全てが詰められていた。
私が答えるよりも先に、イレーネ様が声を上げた。
「お父様!? ど、どういうことですか?」
思わず駆け出し、執務机に勢いよく両手を突くイレーネ様。リッテンカルト様は微動だにせず、口元の笑みも崩さない。
「しぇ、シェラは処刑されないわよね。あたしは傷一つないんだもの」
「ああ、処刑はされない。イレーネが説得に来た時も、ちゃんと約束したからね」
「じゃ、じゃ、じゃあ何を――」
困惑するイレーネ様に、リッテンカルト様は諭すような優しい口調で答えた。
「それでも、シェラは責務を全うできなかった。その事実に変わりはない。だから、彼女にはその責任を負う必要があるし、僕にはその責任を課す必要がある」
「そんな――」
父親に掴みかかろうとするイレーネ様。
咄嗟に動いたバッグルさんが、彼女を押し止める。
「堪えて下さい、イレーネ様。これは規律です。ここで甘い考えをして、処罰を出さなければ、騎士団全体の統率を揺るがすことになる」
「そんな、でも。シェラはあたしを守って――」
「イレーネ様、どうかご理解下さい。私は、すでに覚悟はできております」
「シェラ!?」
バッグルさんから、イレーネ様を受け取る。
私の服にしがみつき、信じられないと赤い瞳が見上げる。
「だって、あんたは、あたしを……。そうだ、まだ約束の期間は終わってないわ。あたしはまだ傭兵に――」
「イレーネ様。もう、そういう話ではないのです」
胸の奥がチクリと痛む。
イレーネ様は私の顔を見て、バッグル、リッテンカルト様、ドアの側に控える騎士たち、全員の表情を伺う。どこにも反対する者が居ないことに気付いて、彼女はよろよろと下がった。
「そんな……」
「命を救われただけでも、私にとっては感謝しきれません」
「救われたのは、あたしの方じゃない」
首を振る。
そうして、私はリッテンカルト様の方を見た。
「森番の職は余っていますか」
「森番というと、西のヴォールティルグの森かい?」
頷く。
王都の住民は誰も正式な名前を覚えていないが、西に広がる広大な森には、ヴォールティルグという随分物々しい名前が付いている。その所有者はリットランド家であり、森番として赤晶騎士団が付いている。
とはいえ、普段はほとんど解放されていて、傭兵なら誰でも出入りすることができる。森番と言えば仰々しいが、その実体は森の奥にある小さな小屋で暮らしている隠者のようなものだ。
「席はあるけど、本当にいいのかい? 黄晶騎士団や、赤晶騎士団のもう少し上の役職に就けることもできるけど」
「いいんです。森番なら、あまり動くこともないでしょう」
森番の仕事は、異常がないか軽く散歩するだけ。ここ数十年は平穏無事そのもので、厄介者の左遷先にも使われているという。
王都へ出向く機会も少なくなり、双方にとって利のある選択肢だろう。
「シェラ、嘘よね? あんた、まだあたしに傭兵について何も教えてくれてないじゃない」
「イレーネ様。申し訳ありません。――私では、貴女を守り切れない」
縋り付く少女に、膝を突いて視線を合わせて言う。
彼女はそれを聞いて、氷のように固まった。
「それにほら、私にとっては悠々自適の暮らしと言いますか。その、イレーネ様には他の優秀な騎士が付くと思いますし。そんなに心配されなくても――」
「バカッ!」
乾いた音と、痛み。
揺らいだ視界を戻すと、彼女は大きな瞳に水を湛えてこちらを睨んでいた。その苦しそうな顔を見て、私はようやく自分の失言に気がついた。
「姫様――」
「シェラのバカ! あたしなんか放っておいて、狼にでも喰われなさいよっ!」
そう言い捨てて、彼女は執務室を飛び出す。
彼女の小さな背中を追いかけることもできず、私は呆然と目だけを開け放たれたドアの方に向ける。居心地の悪い沈黙が、部屋中に満ちていた。
「――森番でいいのかい?」
国王が確認する。
「はい。――温情、感謝致します」
私は頷き、深く深く、腰を折り曲げて頭を下げた。
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