第17話「私は彼女と出動した」

 翌日。イレーネ様の傭兵生活の三日目。

 私は、今日も今日とて完全武装のお姫様と共に、早朝の傭兵ギルドへ訪れた。

 傭兵というものは大半が自由気ままな生活を是とする種族で、早寝早起きの規則正しいリズムを刻んでいる者は少ない。そんなわけで、大抵、この時間のギルドは閑散としているものなのだが……。


「なんだか、今日は朝から騒がしいわね」

「ですねぇ」


 ギルドの大きな扉を開けるまでもなく、中からガヤガヤと騒がしい声が漏れ聞こえてくる。

 私とイレーネ様は互いに目を合わせ、結局、ここで立ち尽くしていても埒が開かないと入室する。そこに広がっていたのは、物々しい空気に満ちたギルドのロビーだった。


「あら、シェラちゃん。良いところに来てくれたわ」

「おはようございます、リリーさん」


 丁度いいところにリリーさんが通りがかる。

 彼女は分厚い紙の束を抱えており、私を認めると分かりやすく安心した様子で息を吐いた。

 そこかしこで武器や防具の微調整をしている傭兵たち。忙しそうに情報を集めている受付嬢。いつもとは違う、緊迫した雰囲気に、私は覚えがあった。


「もしかして、何か緊急の案件でも入りました?」


 間違っているなら、それに越したことは無い。

 そんな私の淡い希望は、少し草臥れた顔で頷くリリーさんによって打ち砕かれた。


「草原に魔獣が出たの。泥喰い蜥蜴よ」

「ぐえ。マッドイーターですか……」


 思わず顔を顰めると、服の袖をくいくいと引かれる。視線を下げれば、イレーネがきょとんとした顔をこちらに向けていた。


「シェラ、どういうこと? 何が起こってるの?」

「草原に手強い魔獣が出てきました。危険性が高く、人死にも考えられる事態ということで、緊急依頼が発令されたようです」

「緊急依頼……」


 彼女は噛み締めるように言う。

 緊急依頼というのは、傭兵ギルドが特に早期解決の必要性があると判断した事態に対して発動するものだ。その性格ゆえに危険性も高いが、そのぶん報酬にも色が付けられ、昇格審査の材料としても使える。


「イレーネ。今日は休業した方が――」

「あたしも受けるわ」

「ちょっ!?」


 イレーネは一歩前に出て、リリーに向かって宣言する。

 彼女は一瞬面食らった顔をしたが、すぐに真剣な眼差しを彼女に向ける。


「緊急依頼は危険よ。傭兵歴三日の子には荷が重すぎる」

「そうですよ。いくら昨日、ブラックウルフを倒したからって」

「でも、人の命が掛かっているんでしょう? それなら、なおさら見過ごせないわ」


 きっぱりと言い切る姫様に、私は唇を噛んで唸る。

 こういう時に限って、この少女は王族としての風格を宿すのだ。


「リリーさん。私も緊急依頼を受けます」

「シェラちゃん……」

泥喰い蜥蜴マッドイーターなら、私は適役でしょう? 銀級は何人居ますか」


 幸いなことに、泥喰い蜥蜴と私は相性がいい。そのことはリリーさんも重々承知で、だからこそ言い淀む。

 それに、私は今も銀級の傭兵だ。このロビーに集まった傭兵は、見たところその殆どが銅級。ブラックウルフ相手にも苦戦しそうなヤツも少なくない。そもそも、銀級自体がそれほど数の居ない存在なのだから、ギルドとしても、一人でも多くの銀級を確保しておきたいはずだ。


「ただ、今回は他の傭兵との協働はできませんけど」

「ええ。それでも、銀級のシェラちゃんが居てくれると安心だわ」


 複雑な顔で、それでも最終的にリリーさんは頷く。

 そうと決まれば、準備を整えなければ。


「リリーさん、群れの規模は分かりますか?」

「先遣隊からの報告によると、50匹以上は確実ということだけ」


 その言葉に思わず絶句する。

 泥喰い蜥蜴は群れを形成する魔獣だが、それにしても規模が大きい。まるで一族郎党での大がかりな引っ越しでもしてきたようだ。


「発見の経緯も教えて貰えますか?」

「発端は昨日の夕方ね。遠征帰りの傭兵が、草原に泥喰い蜥蜴マッドイーターの移動痕を見つけたの。その報告を受けて、猫獣人のフィールドワーカーに調査依頼を出した。その結果、大規模な移動が分かったの」

「なるほど……。泥喰い蜥蜴マッドイーターは西の森に群棲しているはず。オオカミを追ってやって来たの?」

「原因は分からないわ。ただ、今朝早くにも街道で襲われた傭兵がいるの」


 すでに被害者が出ているという事実に、イレーネが表情を険しくする。彼女の責任など欠片もないが、他ならぬ彼女自身が、その事態を看過できないのだろう。


「赤晶騎士団は何をやってるの?」

「すでにギルドから使者は出しているわ。ただ、王都の住民には直接の被害が出ていないから、できるとしても城壁周辺への展開だけでしょうね」


 王族を前にして、少し言いにくそうにしながらリリーさんが説明する。

 それを聞いたイレーネは、ぎゅっと小さな拳を握りしめた。そうして、くるりと踵を返し、ギルドを飛び出した。


「ちょ、イレーネ!?」

「ちんたらしてる暇は無いわ。今すぐに対処しないと」

「落ち着いて下さい。まずは準備をしないと……」

「そんなこと言ってる間に、被害者が出たらどうするのよ!」


 肩を怒らせて早足で大通りを歩くイレーネ。彼女は振り返ると、キッと私を睨み付けた。

 これは、まずい。


「イレーネ。冷静になって下さい」

「あたしはいつだって冷静よ」

「それなら、立ち止まって話を聞いて下さい」

「そんな暇は――」

「止まれっつってんだろ!」


 制止の言葉を無視して歩き続けるイレーネに、思わず声を荒げる。そうすると、彼女は驚いた顔で、体を強張らせた。


「準備が大切だって、散々言ってきたでしょう。敵についてどれだけ知っていますか? 対処法は? 生態は? ただ闇雲に飛び出したところで、第二の被害者になるのは貴女かも知れないんですよ」


 小さな肩を固く掴み、赤い瞳を真っ直ぐと見つめて語りかける。

 しばらくの沈黙のあと、彼女はしゅんと両肩を縮めて力を抜いた。


「でも、あたしは……」

「今はただの傭兵です。国を背負う必要も、義務もない。ならば、生きることだけ考えるべきです」

「そんな」

「そんなもこんなもありません。私は貴女を生かさないと、お賃金が貰えないんですよ。勝手に突っ走られて、勝手に死なれては困ります」

「……随分な言いようね」

「それが私の仕事ですから」


 自分でも大概な物言いだと思うが、イレーネには言い毒抜きになったらしい。彼女は憑き物の取れたような顔つきになり、気持ちを切り替えるように息を一つ吐き出した。


「それじゃあ、先輩。あたしは何を準備すれば良いの?」

「まずは道具屋のお婆の所へ行きましょう」


 頼りない後輩を連れて、町を駆ける。

 道具屋はいつでも開いているし、お婆はいつでも奥で寝ている。私はゴミ山のような陳列台から、目当てのものを見つけては、自分のリュックの中へ詰め込んでいく。


泥喰い蜥蜴マッドイーターは地中で暮らし、地中の土を喰い、地中を進みます。そのため、強い光に弱く、嗅覚、聴覚といった他の感覚も鋭敏なんです」

「なるほど」

「なので、これの出番です」


 私が手当たり次第に詰め込んでるのは、強烈な匂い袋、閃光石、共鳴玉といったアイテムたちだ。

 匂い袋の紐を緩めようとしたイレーネの手を、慌てて払いのける。


「不用意に触らないで下さい。匂い袋を近距離で嗅ぐと、最悪気絶します」

「ぴっ」


 脅しでもなんでもない、ただの事実だ。

 私の表情からそれを悟ったのか、イレーネは小さく悲鳴を上げて、以降は大人しく立ち尽くす。


「地中に潜られると、こちらとしては打つ手がありません。なので、多少強引にでも、こちらのフィールドへと引きずり出す必要があるんです」

「なるほど、これらで誘き寄せるというわけね」


 頷く。

 何も傭兵は己の体と得物だけで人外の魔獣たちと対峙しなければならない、という法律があるわけではない。

 使えるアイテムは存分に使い、便利なギフトは十分に発揮し、できうる限り有利な状況を作り出せば良い。

 もしドラゴンを倒したいと思うなら、その牙を抜き、翼をもぎ、四肢を切り、目を潰し、喉を締め、幾重にも罠を張ってしまえばいい。


「イレーネはこれを」


 私は陳列台の奥に眠っていた、小さなガラス瓶を手に取り、イレーネに渡す。


「これは?」

「暴風瓶です。割れば、中に封じられた〈暴風ストーム〉の魔法が解放されて、吹き飛ばされます」

「駄目じゃない……」

「欠陥アイテムじゃないですよ。緊急時の離脱用アイテムです。危なくなったらこれを使って、敵と距離を取ってください。滞空時間で私が駆け付けます」

「今、滞空時間って言った!?」


 背後でイレーネが騒いでいるが、それに構っている暇はない。

 私は懐の財布から銀貨を一掴み取り出して、おばあの寝ている机に置いた。


「じゃ、行きましょうか」

「え、ええ」


 取れる準備は取り終えた。

 ギルドの本陣が出動するまでには、まだ少し時間があるだろう。それも、今なら好都合だ。


「イレーネ」

「なに?」

「気合い入れて下さい」

「……分かってるわよ」


 彼女は赤髪を纏めていた紐を解き、再びきつく縛り直す。まだ幼い顔に、大人びた表情を浮かべ、彼女は背後の赤い大盾を軽く撫でた。

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