第18話「私は彼女に見せつけた」

 本日の草原は、生憎の曇天。日差しがあるほうが、泥喰い蜥蜴を引きずり出しやすいから好都合だったのだが、こればっかりは仕方が無い。

 雨が降り、足下が泥濘まないことだけを祈りながら、私はイレーネと共に草原の間口に立った。


「なによ、これ……」


 草原を見渡して、イレーネが唖然とする。

 彼女の驚きもよく分かる。つい昨日まで柔らかな緑に覆われていたなだらかな丘陵地帯には、ぼこぼこと土の線が縦横無尽に走り回っていた。


「あれが泥喰い蜥蜴マッドイーターの移動痕です。奴らはでっかいモグラみたいなものなので、あんな痕が付くわけですね」

「これ、畑に入ってきたら……」

「甚大な被害が出ます。幸い、今のところ王都周辺の畑には影響も出ていないようですが」


 草原までの道中に確認していたが、城壁の周囲に広がる広大な畑には、それらしい痕は見つけられなかった。魔獣とは言え野生動物には変わりないので、滅多なことがなければ人の生活圏には近づこうとしない。今回はそれが功を奏した。


「それで、シェラ。どうするの?」

「イレーネはもう、準備できてますか」


 私の問いに、彼女は斧を展開することで答える。

 小さな背丈には不釣り合いなほど巨大な戦斧を構え、無残に掘り返された草原を睥睨する。


「いつでも。ドンとこいよ」

「なら良かったです。――では」


 リュックから、手のひらに収まる程度の小さな玉を取り出す。くるくると筐体に巻かれた、細い紐の先を指に括り付け、大きく腕を振りかぶる。


「せーのっ!」


 渾身の力を込めて、それを投げる。

 曇天に向かって飛び出したそれは、紐を長く伸ばし、空の高いところで紐に繋がっていたピンが抜ける。


「あ、耳抑えて下さい」

「はいっ?」


 直後、大空に轟音が響き渡った。

 天地のひっくり返るような衝撃が広がり、草原に波紋が広がる。

 突然の耳を劈く激音に、イレーネはぎゅっと両耳を抑えて目を白黒させていた。


「突然なにをするのよ!? 耳が破れるかと思ったじゃない!」

「耳は破れませんよ。警告が遅れたのは申し訳ありません。ただ、これで奴らも出てきます」


 腰に吊り下げた双剣を引き抜き、周囲に視線を巡らせる。

 そんな私の動きを見て、イレーネも取り落とした戦斧を拾い、臨戦態勢を整えた。


「来ますっ」


 私の視線の先、かすかに地面が揺れる。

 揺れは次第に大きくなり、やがて地面そのものが大きく隆起する。割れた大地から現れたのは、茶褐色の先鋭的な頭部。ぎょろりと無感情の大きな目玉が周囲を見渡す。


「んひっ!?」

「あれが泥喰い蜥蜴マッドイーターです」

「蜥蜴って言って良い大きさじゃないでしょ!?」

「移動痕から察して下さいよ」


 その体格は、泥喰い蜥蜴の中ではそれほど大きいほどのものではない。しかし、それでもイレーネの予想を遙かに上回っていたらしい。

 まだ体の三割ほどしか露出していないが、それでも私が横に寝転んだのと同じほどの長さがある。

 更に特徴的なのは、深くまで切れ込みの入った大きな顎。あの蜥蜴、あれを大きく開いて、周囲の土を丸ごと飲み込んでいくのだ。


「あれは私が仕留めます。イレーネは周囲からの奇襲に注意しながら、よく見ていて下さい」

「無茶言うわね」

「この状況が無茶なんですから、多少は堪えて下さい」


 そう言って走り出す。

 周囲に他の人影はない。

 つまり護衛対象を無防備に晒すことになるわけでが、彼女の戦闘能力なら、昨日思う存分見せつけられた。


「まずは喉元ッ!」


 大蜥蜴の懐に潜り込み、地面を滑りながら斬りつける。細かな鱗を押し退けて、しなやかな皮膚を切り裂いていく。

 喉元というのは、大抵の生物にとっての弱点だ。太い血管を裂けば膨大な血液が流れだし、秒を経るごとに弱体化していく。

 しかし、同時に野生動物のリミッターを外し、凶暴性も爆発的に増していく。


「シェラ!」


 遠くで名前を呼ぶ声がする。

 それが届くよりも早く、耳元で風を切る音がした。

 私は視線を動かすことなく、前方へと倒れ込む。頭のすぐ後ろを、鞭のようにしなる太い尻尾が通り過ぎていく。

 地中の穴から滑り出してきた泥喰い蜥蜴が、その長い尻尾を振ったのだ。


「蜥蜴は大人しく、尻尾を切ってなさいっ」


 空を切った尻尾は、行き場を無くして彷徨う。体に対して長すぎるため、慣性の動きに体も引っ張られ、一瞬無防備を晒すことになる。

 それを逃す理由はない。私は尻尾の根元に片刃の剣を叩き付け、全体重を乗せる。


「硬っ」


 しかし、尻尾の中程で刃が止まる。密度の高い筋肉によって、剣が絡め取られていた。

 やむなく剣の柄から手を離し、後ろへ飛び退く。

 次の瞬間、細長い体がぐるりと回転し、さっきまで尻尾のあった場所へ大きな口が喰らい付く。目と鼻の先でガキンと風を喰らって牙を打ち鳴らす、大きな顎。

 すれ違いざま、黄色く濁った巨大な瞳と視線が交差する。


「――らぁっ!」


 目は、柔らかい。

 咄嗟に突き出したもう一本の剣が、相手の瞬きよりも早く、巨大な瞳孔に突き刺さる。

 そのまま腕を横に振り、刃を深く進める。

 激痛に大蜥蜴が絶叫し、体を海老反りにする。

 興奮すればするほど血流は活発になり、喉元の傷から吹き出す量も増していく。

 それでも野生の生命力はしぶとく、せめて私を道連れにしようと喰らい付いてくる。


「返して貰うよ」


 牙を掻い潜り、足を飛び越え、再び尻尾の付け根に辿り着く。

 そこには未だ、私の愛刀が深く食い込んでいる。

 引き抜こうとしても、手間取るだろう。それならば、いっそ突き抜けた方が良い。


「おらっ!」


 厚底のブーツで、剣の背を蹴る。

 強い衝撃は鋭利な刃の先端にまで伝わり、一気に太い尻尾を断ち切る。

 解放された短剣の片割れを空中で逆手に握り、再び蜥蜴の腹に突き刺す。

 だくだくと血が流れ出す。

 その頃には、大蜥蜴の動きも緩慢になっていた。


「ふぅ。こんなもんか」


 剣に纏わり付いた、粘っこい血を払い落とす。

 二本の剣を腰の鞘に収めた時、泥喰い蜥蜴はゆっくりと地に落ちた。


「シェラ!」


 トカゲが確実に死んでいることを確認していると、背後から名を呼ばれる。振り返ると、カミルが赤髪を揺らし、草むらを蹴散らして駆け寄ってきた。


「どうです。こんな感じで戦えば勝てます」

「それはなんとなく分かったけど……」


 まじまじと私の顔を見つめるイレーネ。

 返り血でも付いていたかと思って頬を拭うと、しっかりべっちゃり付着していた。うええ……。

 しかし、返り血がイレーネの表情の理由ではなかったらしい。どうすべきか困り果てていると、彼女はようやく口を開いた。


「シェラって、強かったのね……」


 その言葉に、私は思わずがっくりと体を揺らす。


「これでも一応、銀級の傭兵でしたから」

「あたし、そんなの言われてもピンと来ないもの。シェラってば、戦いは避けてばかりで、本気は出してなかったし」

「昨日、ブラックウルフを華麗に倒しませんでした?」

「あたしはあの時四頭倒したじゃない」


 しれっと言うが、オオカミ四頭を首を刎ねて倒すのが異常なのだ。それに私は、避けられる戦いは避けるのが傭兵の基本だと、彼女には常々教えている。


「尻尾が襲ってきた時、死角からの攻撃だったのに避けてたわよね」

「ああ。それはまあ、コレのおかげです」


 私は自分の青い瞳を指さして答える。

 原理としては、イレーネの投げた短剣を防いだのと同じだ。私の眼は、私に向けられた殺意を感じ取ることができる。


「便利ね、その眼」

「まあ、そうですねぇ。実質的に死角はないですし」


 イレーネは羨ましそうに私を見るが、使っている側からすればただ“視える”だけだ。分かっていても反応できず、避けられないということも考えられるし、そうならないのは私の実力だ。


「それよりも、イレーネ」

「なに?」


 周囲を見渡す。

 私の視界には、地中から向けられる敵意が、赤い光の線となって映っている。その数は、十では効かない。


「一帯のトカゲ共が仲間の血に気付いて近づいてきたみたいですね。ここからは、一緒に戦って貰いますよ」


 ぼこぼこと周囲の地面が盛り上がる。彩度の低い体色をした大蜥蜴たちが、ぐるりと私たちの周囲を取り囲んでいた。


「いいわね。今度はあたしの実力を見せてあげるわ」

「昨日さんざん見せて貰いましたけど」

「あんなの、雑魚も良いところじゃない」


 ブラックウルフ四頭は普通にその辺の傭兵でも手の余るような脅威だと思うのだが、彼女は軽く言ってのける。

 そして、それが決して大言壮語でないことは、私もよく知っている。


「さあ、行くわよ」


 ぼこん、と地面が割れる。

 その下から現れた、濁った黄色いぎょろ目の大蜥蜴。

 それを見上げて、イレーネは颯爽と走り出した。

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