第19話「私は彼女と蹂躙した」
無防備に己の元へと飛び込んでくる、小さな少女。
その不敵な笑みを慢心と判じたか、泥喰い蜥蜴は嘲笑するかのように口角を引き上げ、その大きな顎を大きく開いた。土の中から頭を出し、口を開くだけで獲物が自分から入ってきてくれる。彼にとってこれほど都合の良いことなどない。
「はっ!」
無論、都合の良いことなどないのだ。
悠々と開いた口が、更に開く。鋭利な斧の銀に光る刃が、ネバネバとした唾液に濡れたトカゲの口腔を切り裂く。鱗に覆われておらず、硬い外皮もない。柔らかなピンク色をした口の内側を、戦斧が貫く。
予想だにしない激痛を感じて、泥喰い蜥蜴はようやく、その段になってやっと、その矮小な存在が己を傷つけるものだと知った。
「遅い!」
しかし、その頃にはもはや全てが後手だった。
地中に体の半分を埋めていては満足に回避行動を取ることもできない。
空中で赤髪が翻り、ドレスメイルのスカートがふわりと広がる。
イレーネの持つ戦斧が大きく旋回し、スパリとバターを切るように、大蜥蜴の口蓋を切り裂いた。内側からの斬撃は、重力に逆らった動きにも関わらず、トカゲの頭の上半分を切り裂いた。
だくだくと流れる血を待つまでもなく、頭蓋を割り、脳を潰し、一瞬にしてトカゲはその命を掻き消した。
「次ッ!」
ゆっくりと倒れるトカゲの頭を蹴って、彼女は軽やかに跳躍する。地面に足を付けることなく、近くにいたトカゲへと戦斧を差し向ける。
その時にはすでに、同胞の惨事からトカゲたちも警戒心を露わにしていた。黄濁した目をギラつかせ、全身を地中から露わにし、太い尻尾を振り回す。
「そんな尻尾が何よ」
しかし、彼女の微笑みは止まらない。
戦斧を繰る。
風が吹き、尻尾が離れる。
「ひょええ。どんな馬鹿力なんですかね」
それを見て、私は思わず呆気に取られる。
双剣ではなかなか手こずった、あの強靱な尻尾をたったの一振りで切り落としたのだ。
「まったく、お姫様なのに強すぎる」
身を屈め、背後から襲いかかってきたトカゲの攻撃を避ける。
いつまでもイレーネの華麗なる戦いぶりに見とれている訳にもいかない。
こちらはこちらで、敵が多いのだ。
「イレーネ! こっちも手一杯なんで、頑張って生き残って下さい!」
「こっちの台詞よ! 死ぬのはもちろん、かすり傷一つ許さないんだから!」
「簡単に言ってくれるなぁ」
私とイレーネ、二人。
周囲には沢山のトカゲども。
戦えば戦うほどトカゲの血が大地に広がり、それを嗅ぎつけて他のトカゲがやってくる。
気がつけば、草原一帯を覆い尽くすほどの群れが地中から顔を出していた。
「ほんっとに多いですね。森の方が餌も豊富でしょうに!」
本来、泥喰い蜥蜴は土中の昆虫を主食にしている。
こんなだだっ広い草原よりも、一年を通して鬱蒼と緑の生い茂る森の方が食料は何十倍も多いはずだ。
「イレーネ! 閃光石を使いますっ」
「三秒後ッ!」
少し離れた所に立つイレーネが、纏めて三頭の泥喰い蜥蜴を撫で切りにする。
三秒後、私はリュックサックから取り出した石を軽く上空に向かって投げ、もう一つ同じものを再び投げる。
「閃光ッ!」
合図と共に、空中で二つの石がぶつかり合う。
衝撃と共にそれらは大小様々な破片となって砕け散り、瞬間、内部に溜め込んだ魔力を光に変えて広範囲に撒き散らす。
無防備に大きな眼を開いていたトカゲたちは、一時的に視力を失う。我武者羅に尻尾を振り、身を捩るが、狙いも定まらない攻撃に当たることもない。
「一気に稼ぎますよ」
向こうが停滞している間に、こちらはできるだけ動かねばならない。
太い血管、薄い皮膚、体の急所を狙い、二つの剣を柔軟に使い分けて、突き刺し、斬りつけ、裂いていく。
私の持つ双剣は、それぞれに違う形状をしている。
一つは
もう一つは、ある意味ではスタンダードな片刃の剣。緩やかに湾曲した刀身の片手剣で、若干肉厚だ。こちらは斬ることが専門で、尻尾を落とすのにも使っている。
どちらをどちらの手に持つ、という縛りは課していない。右手、左手、順手、逆手。状況に合わせ、臨機応変に切り替えていく。
時には剣を手放し、もう片方で回収のチャンスを切り開くこともある。
「おらァッ!」
刺突剣を喉元に突き刺す。
穴の開いた水袋のように、黒く濁った血が吹き出した。
その僅かに開いた傷口に、切断剣の切っ先を滑り込ませ、横に腕を動かすことで皮を裂き、傷口を更に広げる。
刺突剣、切断剣、と言うのは便宜上の名前だ。別に区別するために特定の名前を付けているわけでもない。
傭兵の中には、愛剣にアーサーやらランスロットやらと名前を付ける文化もあるらしいが、モノに固執すると隙が生まれるというのが私の考えだ。
「だからといって、剣を投げるのは悪手ですけどね」
「何か言った!?」
「なんでも、ない、ですッ!」
力を失い、倒れ込んできたトカゲを押し退けながら答える。
随分離れているのに、耳が良い。
「そっちは順調ですか!」
「斧の切れ味が鈍ってきたっ」
叫び声を上げると、すぐに叫び声が返ってくる。
何度も何度も生き物を切っていれば、どんなに鋭利な刃も脂が纏わり付き、なまくらになっていく。
連戦というのは体力的にも厳しいが、物資や武器の消耗も着実に死の足音が近づく原因だ。
「刃を整える時間を稼ぎましょうか?」
「いらないわよ。ていうか、あんたも双剣でしょ」
「切断剣はともかく、刺突剣は多少汚れたところで威力も衰えませんから」
体格を生かし、押し潰そうとのし掛かってきたトカゲの胸に剣を突き刺す。
刺突剣の良いところは、多少乱暴に扱っても、ある程度曲がったとしても、折れていなければ使えるところだ。
「あたしだって! 斬れないなら――」
微塵の衰えも見せない動きで、イレーネは跳躍する。
空中へ飛び出すというのは、飛翔能力のない人間族にとっては無防備に体を晒すだけに他ならないのだが、彼女にとっては、それさえも敵を誘き寄せるための罠になるらしい。
「――叩くだけよっ!」
首を伸ばし、口を開いて襲いかかる泥喰い蜥蜴。
彼女は空中で斧を振り上げ、その脳天に叩き落とす。しかしそれは、刃を天に向けている。
「うっわ……」
思わず声が漏れる。
イレーネは戦斧を戦斧として使わず、敢えて斧の背をぶち込むことで、棍棒のように扱っていた。
巨大な鉄の塊である戦斧は、その重量だけでも恐ろしいものがある。それを軽々と扱えるイレーネも大概だが、その重量が全て乗った打撃は、例え刃がなくとも命を奪うに十分なだけの威力を持っていた。
「さあ、まだまだ戦えるわよ」
「みたいですね……。っと」
周囲を取り囲む泥喰い蜥蜴たちも、ようやくになって私たちが二人とは言え十分な脅威たり得ると認識したらしい。彼らが攻めあぐねる間に、少し冷静に周囲を見渡す時間ができた。
「姫様」
「イレーネと呼びなさい」
「北東の方角に、白化種がいます」
「へえ。……それがどうしたの?」
いつもの調子で傭兵語を使って、そういえばと思い出す。彼女はまだ始めて三日の初心者だった。
私は群れの奥に小さく見える、白い肌をした泥喰い蜥蜴を指さした。他の通常種よりも一回り大きく、目が赤く光っている。
「白化種は、どの魔獣にも稀に生まれる個体です。大抵は弱く、生き残れず、すぐに死ぬわけですが……」
「あの個体、元気そうね?」
目を凝らして訝しげに首を傾げるイレーネ。
「それだけのハンデを背負ってなお、生き残った個体です。ああいうのは、厄介ですよ。逆に言えば、強いからこそ群れの柱になっている可能性も高い」
「つまり、何が言いたいのよ」
簡潔に言いなさい、とイレーネが文句を言う。こっちはちゃんと理由も含めて説明しているんだがら、大人しく聞いてなさい。
「あの白化種を倒せば、楽になるかも知れないという話です」
「なるほど。分かったわっ!」
「ちょっ!?」
言った瞬間、イレーネが飛び出す。
そうなりそうな気配はしていたが、ここまで逡巡なく走り始めるとは思わなかった。
一瞬遅れて、私もトカゲを飛び越えて赤髪の揺れる背中を追いかける。
「イレーネ! 待って下さい!」
「ぐずぐずしてる暇はないでしょ! アレを倒せば群れは瓦解するのよね?」
「そうですが、白化種は強い」
「強いから何なのよ、あたしは最強なのよ!」
「そうじゃなくて。あれほどまでに成長した白化種と言うのは――」
がぱり、と白化種の泥喰い蜥蜴が口を開く。
その赤く爛々と輝く瞳は、真っ直ぐに私たちを捉えていた。
まずい、と思うよりも先に、私はイレーネの体を掴む。驚き、藻掻くイレーネを羽交い締めにして、草むらへと飛び込む。地面に着くと同時に足を蹴り出し、真横に転がる。
直後。
「なっ――」
太い光線が、丘陵の青い草を焼き払う。
それだけでは飽き足らず、土を抉り、岩を焦がし、更には同胞である通常種のトカゲたちでさえも、問答無用で貫いた。
熱線に巻き込まれ、吹き飛ばされた空気を補おうと、大風が吹き乱れる。
頭部を消し飛ばされた土喰い蜥蜴は間違いなく即死だ。背中が焼け焦げた個体は、長く苦しみながら着実に死に向かっている。
広大な丘陵地帯には、一本のどす黒い線が、深く刻みつけられていた。
「な、な、なんなのよこれは!」
「生き抜いた白化種というのは、得てして強い個体です。その強さは、白化種である以上、肉体的な強さではない。ならばそれは、魔獣的な強さ。――成長した白化種の魔獣は、通常種にはない、強力な魔法を扱えることが多い」
再び、白化種が口を大きく開く。
攻撃力において常人を遙かに超えるイレーネも、防御力はレセイクさん特製のドレスメイル頼みだ。〈
「イレーネ。撤退してギルドの応援を待ちましょう」
「時間がないわ。熱線が王都の方に向いたら、それこそ甚大な被害が出る。あたしたちで食い止めないと」
「イレーネ!」
彼女は機敏に立ち上がると、真っ直ぐに白化種へ駆け出していく。
「ああもう、あのクソガキッ!」
そんな彼女を見捨てるわけにもいかず、私もまた白化種の元へと走り出した。
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