第20話「私は彼女を守れなかった」

 遠方でキラリと光る。


「ッ!」


 視界が真っ赤に染まるほどの強烈な殺気。

 反射的に身を投げ出すようにして地に伏せる。

 毛先を焦がすような熱波が背中を撫でる。一秒でも反応が遅れたら、その瞬間に腰から上が消えていただろう。間一髪で回避できたことに、心の底から安堵する。


「イレーネ!」

「問題ないわよ。あたしがあの程度にやられるわけがないでしょ」


 はっとして名前を呼ぶと、返事は思ったよりも近くで返ってきた。

 彼女もまた草むらに倒れて回避したようで、白い頬が泥で汚れ、赤髪に緑の葉っぱが引っかかっている。ひとまず傷は追っていないようで、不遜な表情を浮かべていた。


「しかし、あんなにバカスカと魔法を撃たれちゃキリが無いわね。近づくこともできないじゃない」

「そこは大丈夫でしょう。相手はいくら白化種と言っても泥喰い蜥蜴マッドイーターです。あんな大がかりな魔法を連発できるほどの魔力はないはずです」

「ということは?」

「同じものが撃てるようになるまで、時間が空くはずです」


 私とイレーネは同時走り出す。

 思った通り、白トカゲは大きな口をパクパクと動かすだけで、魔法を放ってこない。


「あははっ! アイツ、もう弾切れみたいね。あとは大人しく切り刻まれなさいっ!」

「イレーネ」

「うわっ!?」


 調子に乗るイレーネの手を掴み、横へ逃げる。

 直後、さっきよりは幾分細い熱線が、一瞬だけ放たれた。規模こそ小さいが、当たればひとたまりもないことだけは変わりない。


「な、な、何よ撃てるじゃない……」


 焼け焦げた草原を見て、イレーネは引きつった顔に冷や汗を垂らす。


「あの規模の魔法が撃てなくなるだけです。今度は魔力が回復し次第、細かいのを撃ってくる可能性もあります」

「それを早く言いなさいよ!?」


 言う前に調子に乗ったのはそっちの方だ。


「イレーネは私の後ろに」

「シェラは大丈夫なの?」

「発動の直前、殺気が出ればそれを見て予測できますから」

「あんたのギフトも大概よね」


 呆れながらも、イレーネは大人しく後方へ下がってくれる。

 ――これで、もし私の反応が遅れても、私が焼ける間に回避する時間は稼げるだろう。


「しかし、うざったいわね!」

「小刻みに連射する方向に切り替えましたね。魔獣のくせに小賢しい」


 白トカゲは私たちと距離を詰めるとマズいと判断したようで、短く細い光線を連続で放ってくる。そのたびに私たちは横方向へ避ける必要があり、思うように前へ出ることができない。

 短気なお姫様はそのジリジリと距離を詰める方法に我慢ならないようで、我武者羅に斧を振る。


「傭兵は忍耐強さです。一歩でも進めばそのぶん距離が詰まりますから」

「面倒くさいわね……。そうだ!」


 赤髪の頭上に、ピコンと何かが輝いた気がした。

 ろくでもない事が起きる予感が脳裏を過り、私は背後へ視線を向ける。イレーネは悪巧みを企む顔で、ポーチから小さなガラス瓶を取り出していた。


「ちょ、イレーネ様!?」

「イレーネと呼びなさい。ともかく、今からあたしが画期的なアイディアを教えてあげる」

「言われなくともなんとなく分かりますが、それはマズいのでは!」

「いいのよ。一気に距離が詰められるし、相手の意表も突けるでしょ」

「考え直して下さい!」

「もう無理!」


 光線が襲いかかる。

 イレーネと共に真横に避け、再び走りだそうと足を踏み出す。その瞬間、背後から小気味良く何かが割れる音が聞こえた。


「ぐあああっ!?」

「ひゃっほう!」


 解き放たれる〈暴風ストーム〉の魔法。

 圧縮された空気が爆発し、全方位に向かって勢いよく広がっていく。背中全体に風を受け、腰に小さな腕がしがみつくのを感じた。


「イレーネ様!?」

「イレーネと呼びなさいっ! なかなか気持ちいいじゃない!」


 下から突き上げられるような衝撃と共に、私とイレーネは上空高くへと跳び上がる。綺麗な放物線を描き、猛スピードで落下する。

 その速度に白トカゲも照準を定めきれず、頭上の少しズレた場所を細い光線が通り過ぎる。


「行くわよ行くわよ行くわよっ!」


 高ぶる感情のまま言葉を繰り返すイレーネ。彼女は空中で身を翻し、戦斧を振り上げる。目指すのは白トカゲの頭。その小さな頭蓋を叩き割ろうと、赤い戦斧の銀色の刃が光り輝く。

 その時、私の視界が深紅に染まった。


「イレーネ!」

「ッ!?」


 灼熱の爆炎。

 熱波が頬を焼く。

 爆心地は、白化種の泥喰い蜥蜴。

 彼が地面に向けて放ったのは、自傷を顧みない超近距離の全方位に向けた爆発だった。

 何も、白化種の使える魔法が擬似的な〈竜の火砲ドラゴンブレス〉だけとは限らない。誰も、そんなことは言っていない。

 これだけ成長するだけあって、狡猾な個体だ。私たちがここまで近づくまで、その機会を待っていた。敢えて同じ魔法を連発することで、私たちの油断を誘っていた。

 そして、我々はそれに乗ってしまった。


「あたしは……無事よ……。レセイクに、感謝しないとね」


 近くでイレーネの声がした。その事実だけで、涙が浮かびそうになる。

 だがその声に数秒前の活気はない。

 彼女は爆発の直前、咄嗟に戦斧を盾状態に変形させたようだ。そのおかげで直撃を避け、結果的に私も命を救われた。


「イレーネ。立たなくて良いです」

「でも、白化種が……」


 だが、彼女は傷付いてしまった。

 頬が土で汚れ、ドレスメイルが焦げている。艶やかな赤髪の毛先が、煤けている。


「そこで、見ていて下さい」


 私が付いていたのに。

 護衛騎士が側に居たのに。

 守るどころか、守られてしまった。

 傷を受けるのは私でよかったのに、傷付いたのは彼女だった。


「私が、すぐに片付けます」


 ならば私は仇を討たねばならない。


「――“魔眼解放”、“石蛇の邪視”」


 白トカゲと視線が交差する。

 瞬間、その傷一つない青白い鱗に覆われた巨体が硬直する。赤い瞳に困惑と恐怖が浮かぶのが、ありありと見て取れた。

 自身を巻き込んだ〈爆発エクスプロージョン〉の魔法と同時に、身を守る〈防御プロテクト〉の魔法を展開していたらしい。本当に器用で、悪知恵の回る、憎らしいトカゲだ。


「怖いだろう」


 泥喰い蜥蜴の大規模な群れの頂点に立つ彼は、長らく恐怖を感じていなかっただろう。だが、今その鈍りきった小さな頭の内部では、生命の危機を知らせる警鐘が、けたたましく鳴り響いているはずだ。

 私の眼は、人のそれをしていない。

 カエルを睨み付ける蛇の様に、圧倒的な強者として、絶対的な捕食者として、その矮小なトカゲを見下ろしている。

 ゆっくりと、歩み寄る。


「逃げるな」


 私が足下に辿り着いても、白トカゲは微動だにしない。否、僅かにも動くことが許されていない。

 その太い両足は杭を打ち付けられたかのように動かず、その巨体が子犬のように震えている。しっとりと湿った白い鱗に指先で触れると、喉がぎゅっと締まった。


「ただ一方的に、嬲られて死ね」


 刺突剣をおもむろに突き刺す。

 悲鳴も上げられず、抵抗もできず、ただ小さな傷だけが喉に開く。

 ドクドクと流れ出す、粘り気のある血液。

 傷口を広げることはしない。ただ太い血管を狙い、数カ所だけ、穴を穿つ。


「――ちっ」


 頭の奥から、じわじわと痛みと熱が滲むように広がってくる。

 私は頭を振り、痛みを払う。もう少し時間を掛けたかったが、そうも言ってはいられないようだった。


「“魔眼封印”」


 痛みがすっと引く。

 その清涼感と同時に、硬直の解けた白トカゲが口を大きく開いて襲いかかる。命尽きるまでの僅かな力を振り絞り、せめて私を道連れにしようと、果敢にも喰らい付く。


「邪魔だ」


 無造作に剣を振り、トカゲを払いのける。

 結局、彼の最後の一撃は、私に届かなかった。

 白い巨体が大きく揺らぎ、焼け焦げ抉れた地面へと倒れる。土煙が舞い上がり、私は片目を閉じた。

 眼球が熱を帯びている。

 少し、力を使いすぎた。


「――あとは、ギルドに任せるか」


 背後を振り返る勇気はなかった。

 彼女の視線をしっかりと感じ取りつつも、私は全身を襲う倦怠感に抗わない。全身が鉛になっていくような気分だ。

 そのまま、私はゆっくりと意識を手放した。

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