第08話「私は彼女を背負った」
王城を囲む貴族街、その隣にある商人街。そこまでがお貴族様や豪商の生活する場所。その周囲には第二の城壁があって、庶民の暮らす下町とを隔てている。
私にとっては、第二城壁の外側の方がよっぽどなじみ深い場所だった。
「ほら、こっちですよ」
「分かってるわよ。それにしても歩きにくい道ね」
「これでも整備されてる方ですよ」
変装したイレーネ様の手を握り、下町の大通りを歩き進む。
本日のお姫様は、一般貴族令嬢よりも更に質素な、一般庶民の服装だ。私がわざわざ監修してあげたのだから、これはもうどこからどう見てもただの一般人である。――ただ唯一、頑として手放さなかった大盾だけを除いて。
「どうしてこんな、埃っぽい服を着ないといけないのよ」
さっきから不満ばかりのイレーネ様は、もう何度目かも分からない服に対する苦言を繰り返した。
「目立たないようにするためですよ。金目のものなんて付けてたら、それだけで余計な面倒ごとを巻き込みます」
「王族が目立たなくてどうするのよ!」
「王族という身分を隠して傭兵になりたいとおっしゃったのは、イレーネ様じゃないですか」
今回の舌戦は私の勝ちだったらしい。
イレーネ様は不満げに低く唸っていたが、結局、観念した様子で私の隣を素直に歩いてくれた。
「……この国は、そんなに治安が悪いの?」
途中、イレーネ様が呟くように問い掛けた。
王族として、ゆくゆくはこの国を司る者として、何か思うところがあるのかもしれない。
「別に。むしろかなりいいと思いますよ」
だからこそ、私の返答は意外だったらしい。ま、さっき脅した時と違うからだろうけど。イレーネ様が口を開く前に、私が話を続ける。
「あくまで、相対的に見て、という話です。ここはリットランド王国の王都で、町の至る所に黄晶騎士団の騎士がいますからね。悪人も大手を振って仕事に励めるわけではありません。他の村や地方の町なんかは、スリや強盗も日常茶飯事ですが、ここではたまに見聞きするくらいです」
「そう……。スリも強盗も、この町にいるのね」
「そりゃあまあ、人間の町ですから」
悲しそうに目を伏せるお姫様。少し萎れているようだが、そんなにショックだったのだろうか。
犯罪など、軽いものを含めれば毎日起こっているし、起こらない日などない。それは人間でも、エルフでも、ドワーフでも、知性のある存在が一定数以上の集団で暮らしていたら当然のことだ。
「ま、ここは天下のリットランド国王のお膝元です。そうそう襲われることなんて――」
「女ァ! 荷物置いきやがれ!」
「きゃっ!?」
ああもう、人がせっかく安心させようとしていた所なのに。随分と間が悪い。
突如人混みの中から襲いかかってきたおっさんを睨み付ける。
悲鳴を上げるイレーネ様を抱きかかえ、滑るように双剣の片方を抜いた。
「黙れ、おっさん。襲うなら、獲物を見極めろ」
街中で剣を抜いて応戦したことで、周囲に動揺が広がる。
私は構わずおっさんの喉元に剣を突き出し、睨み付ける。
「ひぃっ!?」
襲ってきたのは向こうなのに、おっさんは情けない悲鳴を上げて腰から崩れ落ちる。
見た目は一般人とはいえ、腰に剣を吊ってる女に向かって襲いかかってくるくらいだから、それなりに腕に覚えがあるのかと思ったけど、どうやら何も見えていないだけだったらしい。
私は遠巻きに眺めていた商店のおばちゃんから縄を投げて貰い、それでサクサクとおっさんを捕縛する。
「誰か、このおっさん、黄晶騎士団に引き渡して下さい。その辺に転がしといてもいいけど」
「あ、あんたは……」
「私はお嬢さんと急ぐ用事があるので。ではっ」
ぎゅっと私の腹に顔を埋めているイレーネ様と共に、足早にそこを後にする。
あとは親切な市民の皆さんがどうにか対応してくれるだろう。
「ほら、イレーネ様。もう暴漢はいませんよ」
「……わ、分かってるわよ」
静かな場所までやってきて、イレーネ様の肩を叩く。
彼女は強きな言葉を吐くが、その表情は緊張で強張っている。ずいぶんとお強いらしいが、荒事には慣れていないらしい。お姫様らしいのか、らしくないのか、よく分からないお方である。
「……ほんとに傭兵になります?」
「なるわよ! なるに決まってるでしょ!」
疑問に思って尋ねると、イレーネ様は髪の毛を逆立てて即答した。しかし、ふっと息を吐くと、ぐったりとした様子でしゃがみこんだ。
「い、イレーネ様? どこか怪我されたんですか?」
「違うわよ。でも、ちょっと重たくて」
そう言ってイレーネ様は背負っていた大盾を地面に下ろす。
私は周囲を見渡して、小さな広場の隅に並んだ樽の方までイレーネ様と大盾を運んだ。
「とりあえず、座ってて下さい。何か飲み物でも買ってきますから」
そう言って背中を向けると、服の裾を引っ張られる。
随分と弱い力に逆に驚いて振り返ると、イレーネ様が弱々しい顔でこちらを見ていた。
「どうしたんです?」
「護衛対象を置いていくバカがどこにいるのよ。あたしも連れて行きなさい」
「ええ……。でもイレーネ様と大盾を持ったら流石に重――。なんでもないです」
きっと睨まれ、観念する。
私は気合いを入れて、背負っていたリュックサックを胸の前に回す。そうして、イレーネ様を背負って大盾を抱えた。
「いきなり弱々しくなっちゃって。そんなにあの悪漢が怖かったですか?」
「……そうじゃないわよ。ちょっと疲れただけ」
彼女は棘のある声で答える。
私はため息をひとつついて、なるほど、と答えた。
とりあえず、今はそういうことにしておこう。
しかしこの大盾は随分と重い。イレーネ様が今まで軽々と持っていたのが不思議なほどだ。私のギフトは身体能力強化系じゃないから、筋肉自体は自前のものでしかない。こういう荷物を持っている時は、〈怪力〉やら〈剛力〉やらのギフト持ちが羨ましくなるね。
「水で良いですか?」
「なんでも良いわよ」
近くの屋体で水を貰う。ついでに売っていた焼き魚も二本買って、一本を姫様に渡した。
「毒味は必要ですか?」
「いちおう」
〈無窮の練武〉は毒を無力化する効果はないらしい。
私が串焼きを一口食べたのを見て、彼女ももそもそと食べ始めた。欠片が私の服の襟首に落ちていく。
「美味しいですか?」
「そうね……。まあまあかしら」
「傭兵として外に出ると、もっと不味いモノも食べることになりますから、覚悟しておいてくださいね」
「楽しみだわ」
すっかりへにゃへにゃになってしまったイレーネ様と、他愛のない会話を交わしながら町を歩く。いつもこれくらいのテンションならやりやすいのだが、ずっと負ぶっているのもまあまあしんどい。
「もう大丈夫。下ろしてちょうだい」
「あっはい。よいしょっと」
魚を食べて、喉を潤して、体力が回復したのか、イレーネ様が私の頭を叩く。
石畳の上に下ろすと、彼女は再び大盾も軽々と背負った。
「うん。もう大丈夫」
「それは良かった。じゃあ、この店に入りましょう」
私たちが立ち止まったのは、奇しくも私が目指していた店の前だった。ナントカ道具店と看板に書かれているが、前半が掠れて読めなくなっている。
「ここは?」
「傭兵御用達の道具屋です。武器と防具以外にも、細々とした道具を揃える必要がありますからね」
ごちゃごちゃと規則性の欠片もない店内を見て、イレーネ様は顔を顰める。たしかに、ミュール武具工房とは対極にあたるような店構えだろう。しかし、ここは多くの傭兵が長年お世話になってきた店だ。傭兵を志すのなら、今後も幾度となく訪ねることになる。
「とりあえず中に。必要なものは、私が見繕いますので」
おっかなびっくりと言った様子で足を踏み入れるイレーネ様。
彼女の隣を歩きながら、そういえば私が傭兵になろうと思った時もこんな感じだったかと思い出す。
「いらっしゃい」
「ぴっ!?」
薄暗い店の奥から、老婆の声が響く。
イレーネ様が驚いて跳び上がるが、別に魔獣が巣くっているわけではない。この店の主を務める、謎のお婆だ。
「お婆、こんにちは。知り合いが傭兵になりたいって言うから、ちょっと色々見させてもらうよ」
「はいよぉ」
お婆の声はすれども、姿は見えない。
おどろおどろしい声に、イレーネ様は私の腰にしがみついてしまった。本当にこんな調子で、傭兵などできるのだろうか。
一抹の不安を覚えながら、私は乱雑に積まれた商品を掻き分けていった。
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