第09話「私は彼女に買い与えた」

 強い武器と立派な防具を揃えれば、傭兵になれるわけではない。いや、ギルドで登録するだけならば、着の身着のままで行ったっていいのだけど、それでは町の外へ出ることが出来ない。出たとしても、何も出来ずに帰ってくるか、最悪死ぬ。


「防水布のポンチョ、携帯食料、ランタン、傷薬、包帯……」


 道具屋の商品棚が半ば崩壊しそうな程に物で溢れているのは、傭兵がそれほど多種多様な道具を必要としているからに他ならない。

 中には特定の魔獣に効く麻酔薬やら、角を切り落とすための小さなノコギリやら、使い所がかなり限られているニッチな商品もあり、そんなもの取り揃えているのがこの店の良いところではあるのだけれど。携帯用の小さなカトラリーなども色々とある。

 次々と必要なものを選び取っている途中、ふいに斜め下から向けられる視線に気がついた。視線を下げると、私の側にぴったりとくっつくイレーネ様と目があった。


「どうかしました?」

「傭兵って、そんなにいっぱい道具が必要なの?」

「どんな活動を主にするかにも依りますけどね。遠方へ旅するのが多いなら、寝袋とかマントとかも必要になってきますし。薬草を専門に扱うなら、それなりに分厚い図鑑を持っていないとお話になりません」


 そう説明すればちゃんと理解してくれたようで、イレーネ様は店内を見渡しながら頷いた。


「重量のある武器っていうのは、そう言う意味でもあまりおすすめできないんですよ。リュックと一緒に背負うとしても、結構嵩張りますし」

「そんなこと聞いてないわよ」

「ちゃんと言いましたよ……」


 貴方が聞く耳を持たなかっただけでしょうに。


「しかしイレーネ様は私とペアでの活動になりますから、ある程度共有できるものもあるでしょう。基本、荷物は私が持ちますよ」

「そう。なら、よろしく頼むわ」


 立場的にもそれが正しいだろうと思うのだけれど、向こうも当たり前の顔をして頷くのはなんとなく心がもやもやする。別に感謝してくれとは言わないけどさぁ。


「とりあえずこれだけあれば十分ですかね。お婆、お会計」

「はいよぉ」


 店の奥にある山の一角が崩れ、奥から萎びた茄子のようなお婆さんが出てくる。イレーネ様が再び私の後ろに隠れてしまったが、構わずお会計を進める。


「これね。2割引、よろしく」

「はいよぉ」


 首に下げていたタグを見せて、合計金額から割り引いて貰う。おばあの方も慣れたもので、下からその計算で代金を出していた。


「それは?」

「傭兵の身分証です。一応、引退はしてないので」


 私は晴れて騎士になった訳だが、別に転職したから傭兵ギルドから脱退しなければならないという規則はない。もっとも、こんなに早く再び出番が回ってくるとも思わなかったけど。


「おばあの道具屋は、傭兵ギルドと提携してるんです。銀級傭兵なら表示金額から二割引」

「それなら、あたしも傭兵になってから来た方がよかったんじゃないの?」

「銅級は一割引ですからね。どっちにしろ私の身分証を使うことになるので」

「けちくさいわね」

「買い物上手と言って下さい」


 傭兵ギルドと提携しているお店というのは、この町にも多くある。魔獣の骨やら革やらを割高で買い取ってくれるところもあるので、そういうのを細かく覚えておけば、小金が増えるのだ。

 そんな話をしつつ、お会計を終え、商品を受け取る。リュックサックにそれを詰め込み、道具屋を後にした。


「この後はどこに行くの?」

「魔導具屋に行きます。そこで、呼び石と保存袋を買います。そのあとは鍛冶屋に行って、ナイフを買います。あとは――」

「待ちなさいよ!」


 予定している店を指折り数えながら上げていくと、イレーネ様が慌てた様子で遮った。どうしたのかと顔を向けると、彼女は驚きの表情で私を見る。


「そんなに沢山回らないといけないの?」

「ええ。必要な道具は沢山あるので」


 そう答えると、彼女はどっと疲れが押し寄せたようだ。ゆらりと体を傾ける。

 私は慌てて彼女を抱きかかえ、再び道の端にあった木箱の上に座らせた。


「大丈夫ですか」

「大丈夫よ。……道はずいぶん遠いのね」


 落胆した声でイレーネ様が言葉を零す。

 武器と防具を揃えれば、誰でも傭兵になれるわけではない。準備をせずに傭兵の身分を得ても、数日もしないうちに死ぬだけだ。


「傭兵は、危険な職業です。なので、少しでも死の可能性を潰すため、しっかりと考えて、準備をする必要があるんですよ」


 教え諭すように話しかけると、彼女は無言で小さく頷いた。

 王城での生活に息が詰まり、外の世界に憧れて傭兵になりたいと言い出したのだろう。しかし、現実は厳しい。小さな彼女の体力では、第二城壁の外に出ただけで息切れしてしまう。


「諦めるなら、今ですよ」

「……諦めないわよ。私は誰よりも強いんだから」


 少しの可能性に掛けて促してみたけれど、返ってくる答えは変わらない。彼女もずいぶん強情だ。


「呼び石と保存袋って何?」


 木箱に座ったまま、イレーネ様が問い掛けてくる。

 私が魔導具屋で買いそろえようと考えていた物だ。


「呼び石は、二つ一組の魔導具です。離れていても、互いの距離と方向を指し示すので、はぐれた時に使えます。保存袋は、薬草や魔獣の皮、肉といったものの劣化を防ぐ物です。採集系、納品系の依頼を受けるなら、必須の魔導具です」

「……ナイフはどうして? 武器はあるわよ」

「道具としての刃物です。木の枝を払ったり、魔獣を解体したり、色々な用途に使います。私は双剣使いですけど、別にナイフを持ってますよ」


 イレーネ様からの質問に答えていく。

 何も、私だっていたずらに荷物を増やすために道具を買っているのではない。ちゃんと理由があって、それを使う場面を想定して揃えているのだ。

 ていうか、一歩間違えればたちまち死の淵に真っ逆さまな傭兵稼業で、無駄な錘を持つ余裕など髪の毛一本ほどもない。

 いや、私は同業者の中では結構長めの、肩に掛かるくらいの黒髪だし、髪の毛くらいは余裕あるかも。


「ともかく、道具は武器と防具と同じくらい重要です。毎日の手入れを欠かさず、消耗品はすぐに補充する。使いたい時に使いたいだけ使えないと、意味がありませんからね」

「分かったわよ」


 傭兵としての心構えに関しては、私もイレーネ様に強く訴えることができる。彼女も、銀級として実力が認められている私の言葉を、わざわざ無視する理由はない。

 主と従者として、というよりは、傭兵の先輩としての責任感で、私は彼女に知識を伝えていた。


「そういえば、これって経費で落ちるんですかね?」


 そこまで話して、はたと気がつく。

 おばあの店では流れで私のポケットマネーを出したけど、今後傭兵として活動していくなら、消耗品の支出も結構な額になるはずだ。姫様の分も全部払っていては、収支はマイナスになってしまいかねない。


「貧乏くさいわね……。領収書切ってたらおちるんじゃないの?」

「ぐえ!? おばあの店、領収書貰ってないんですけど!」

「じゃあ、あたしのお財布から払うわよ」


 おばあの道具屋に戻ろうとする私を引き留め、イレーネ様は懐から小さな財布を取り出す。ずいぶんと可愛らしい財布から出てきたのは、デカいピカピカの金貨である。

 私が普段一番よく使ってる通貨は、リットランド王国銀貨だ。銀貨100枚分の価値がある金貨なんて、よほど高難易度の依頼でも無い限り見ることもない。


「おつりは無いんですけど……」

「これ以上小さいのは持ってないわよ。全部持っときなさい」

「あ、ありがとうございます」


 イレーネ様からの初めての下賜品だ。恭しく受け取ろう。少し温かい金貨は、噛むとちゃんと硬かった。

 王族でもお財布って持ってるものなんだなぁ。あれ、でも財布持ってるならイレーネ様が払えば良かったのでは?


「ほら、次の店に行くわよ」

「あっはい。そうですね」


 イレーネ様が木箱から飛び下りて腕を引っ張る。

 私は小さな姫様を連れて、再び人混みのひどい、雑然とした下町通りへと繰り出した。 


 魔導具屋、鍛冶屋、薬屋。いくつもの店を巡り、それぞれで必要な物を買った。店を出るたびに、私が背負うリュックは下がっていき、疲れからかイレーネ様の足取りも重くなる。

 道具を一から揃えるとなると、例え私のように事前知識がある者がついていても一日かかる。そんな無駄な知識を頭の中で持て余しつつ、私たちは最後の目的地へと向かった。


「イレーネ様、着きましたよ」

「なに?」


 でこぼこの石畳を見つめていたイレーネ様が顔を上げる。ここがどこかも分からないのか、しばらく周囲を見渡していた。


「ほら」

「ここって……傭兵ギルドじゃないの」


 目の前に構える建物の看板を指さすと、イレーネ様はぽかんと口を開いてそれを見上げた。

 流石に傭兵ギルドの紋章は知っているらしい。交差した剣と狼の、猛々しい印だ。


「今日は、ここで登録を済ませて終わりです」

「もう登録までしちゃうの?」


 今日は必要物資を買いそろえるだけで終始すると思っていたようで、彼女は驚いた顔で私を見る。疲れているからか、生意気な態度が消えて、純粋な可愛らしさが赤い瞳の奥に覗いている。


「登録すればすぐに依頼を受けられる、というわけでもありませんからね。今日は必要書類を書いて出すだけです。明日にはプレートができているはずなので、それを受け取ったら晴れて傭兵の仲間入りです」


 私の言葉を聞いた瞬間、イレーネ様の疲れ切った顔に生気が戻る。彼女は曲がっていた背中を真っ直ぐに伸ばし、ぐいぐいと腕を引っ張った。


「ほら、早く行くわよ!」

「分かってますって。そんなに急がなくても、ギルドは一日中開いてますから」


 姫様に引かれ、開け放たれた扉をくぐる。

 中に入ると、広いロビーのそこかしこから、いくつかの視線が飛んできた。


「ここが傭兵ギルド……」

「リットランド王国王都支部、ですけどね。このあたりのギルドの中じゃあ、一番大きいところです」


 四階建ての傭兵ギルドは、このあたりの町並みの中でもよく目立つ立派な建物だ。

 私も毎日のように、ここに通っていて、依頼を受けて出発し、成功、もしくは失敗の報告のため戻ってきた。


「……なんか、見られてるわね」

「女二人っていうのは珍しいですからねぇ」


 そうでなくとも、姫様は若い。しかも、いくら庶民の服を着ているとはいえ、隠しきれない品格が滲み出ている。どうやっても衆人の目からは逃れられないだろう。


「ま、互いに過干渉は避けるのが暗黙の了解です。そうそう喧嘩を吹っ掛けられたりは――」

「なんだァ、テメェ。ここは女の子がお買い物に来るような場所じゃねぇぞ?」


 マジでどうなってんだ、この町は。

 突然、目の前に現れた禿頭の巨漢を見上げて、私は心の中で舌打ちをした。

 筋骨隆々という言葉が相応しい、背の高い男だ。革の鎧を着て、背中には重そうなハンマーも見える。しかし――


「ただの銀級ですよ。何か御用ですか?」


 首に下げたタグを見せつけながら言う。


「お、あぐ……。いや、なんでもないんだ……」


 効果は覿面。それだけで大きな男はぐらぐらと揺れる。彼は情けない笑みを浮かべて、禿げた頭を叩きながら傍らのテーブルへと戻っていった。

 私は今にも爆発しそうな少女を引き連れて、足早に奥のカウンターへと向かう。


「シェラ。何なのよ、さっきの男は」


 無礼な闖入者の変わりように混乱した様子で、イレーネ様が小声で話しかけてくる。私はニッと笑って、銀のプレートを見せた。


「あの男は銅級の傭兵でした。おおかた、今日の依頼に失敗して鬱憤が溜まっていたんでしょう」

「なんでシェラのプレートを見てあんなに驚いてたの?」

「傭兵の世界で等級は絶対的な実力の壁です。例え弱そうな女の子でも、銀のプレートを提げている時点で、銅級よりも遙かに強いんですよ」


 傭兵は実力が物を言う。だからこそ、実力を示す等級のプレートは何よりも雄弁に語りかける。雑魚は黙ってろ、と。


「いらっしゃい、シェラちゃん。もう出戻ってきたの?」

「こんばんは、リリー姉さん。ちょっと事情が複雑なのよ」


 丁度良く顔馴染みのカウンターが空いていた。

 私が飛び込むと、細い銀縁の眼鏡を掛けた色白のお姉さんが柔やかな笑みで出迎えてくれる。ギルドの青い制服を綺麗に着こなし、緩くウェーブした青髪がキュートな、デキる大人の女性だ。そんな彼女のチャームポイントは、額から伸びる人差し指程度の黒い角。

 辣腕受付嬢のリリーさんは、鬼人族なのだ。


「事情が? ……なるほどねぇ」


 リリーさんは私の隣に立つ女の子の顔を見て、すぐに思い当たることがあったらしい。流石はこのギルドを裏で牛耳っているという噂があったりなかったりする女傑だ。


「応接室。空いてるけど、使う?」

「お願いします」


 リリーさんの心遣いに甘んじて、私とイレーネ様はギルドのロビーの奥へと進むのだった。

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