第10話「私は彼女と帰路についた」
ギルドの応接室は、私も一度しか入ったことがない。それも銀級へ進むための試験を受ける許しが出たのを知らされた時だけで、私以外の傭兵も何人かいた。
ミュール武具工房と比べれば流石に劣るが、それでも品の良い、落ち着いた調度品の揃えられた部屋だ。
「なるほど、第三王女様が傭兵にね」
そこで事情を聞いたリリーさんは、ソファに身を沈めるイレーネ様を見る。
「期間は一月だけ。王族という身分は隠して、活動したいんです」
「念願の騎士になれたって言ってたのがつい一昨日のことなのに、随分なお土産持って来てくれたわね」
王族その人が目の前にいるというのに、リリーさんはあっけらかんと言い放つ。鬼人らしい豪胆さは見習いたいが、今は少しだけ抑えて欲しい。
幸い、ちらりとイレーネ様の方を見ると、彼女は特に気にした様子はなかった。私はほっと胸を撫で下ろす。
「ギルド長には話を通すことになるけど、それでもいいかしら?」
「当然です。流石に、知るべき人には把握しておいて欲しいので」
いくら身分を隠すとはいえ、下手にこじれても面倒くさい。そこはイレーネ様も承知のようで、特に何か言われることもなかった。
「じゃあ、こっちの書類に必要事項を記入してください。無いとは思うけど、文字が書けないようなら代筆もできますよ」
「書けるに決まってるでしょ。ペン貸しなさいよ」
リリーさんからペンを受け取り、イレーネ様はさらさらと書類の空欄を埋めていく。イレーネ、なんたらかんたら、リットランド、という長ったらしいフルネームではなく、ただのイレーネとして名前を記す。
性別やら、年齢やら、出身地やらも特に問題は無い。嘘をつくような場所でもない。
「14才でも傭兵ってなれるんですねぇ」
「何言ってるのよ。シェラちゃんだって14才でこれを書いたでしょうに」
「5年も前のことなんて、もう忘れましたよ」
イレーネ様が書類を書き進めている間、手持ち無沙汰になった私は、リリーさんと他愛もない話に花を咲かせる。
リリーさんは私が傭兵になるずっと前から、ここで受付嬢として働いていて、色々と助けて貰った。私以外にもそういう傭兵は多いから、彼女はこのギルドのお母さんのように親しまれているのだ。
私も含め、若くして傭兵になろうとする人は、大抵裕福な過程ではない。親がいなかったり、家に居場所がなかったり、下級貴族の末っ子で財産の宛てもない人もいた気がする。
「シェラは、14才で傭兵になったの?」
話を聞いていたらしい。イレーネ様がぴくりと耳を動かしてこちらを向いた。
「必要に迫られて、ですけどね」
別に傭兵に憧れていた訳ではない。他にできそうな仕事が無かったからだ。けどまあ、私のギフトと傭兵稼業はそれなりに相性が良かったし、今ではその選択も間違っていなかったと思える。
――こうして、念願の騎士になった直後に出戻ってくるとは思わなかったけど。
「書けたわよ」
「ありがとうございます。確認しますね」
イレーネ様がペンを置き、リリーさんが書類を受け取る。ちらりと見えた紙面には、綺麗な文字が並んでいた。
「うん。特に問題は無いわね。これなら、明日の朝に来てもらえばタグを渡せるわ」
「ありがとうございます」
色々と手を回してくれたリリーさんに、感謝を伝える。
鬼人族のお姉さんは、頬を僅かに赤らめて目を細めた。
「では、イレーネ様。今日の所はお城に戻りましょう」
「そうね」
ギルドに書類を提出したことで、今日予定していた用事は全て消化した。私はイレーネ様の手を引いて、ギルドを後にする。
「お疲れですか?」
「別に、これくらいなんともないわよ」
闇が迫り、店先の明かりが増えてくる時間帯。
イレーネ様は、私に手を引かれるまま言葉少なに歩く。大盾を背負うだけの余裕はあるみたいだけれど、その顔には疲労の色が濃く滲み出ている。
年相応の体力といえばそれまでだが、この分では傭兵として活動を始めても苦労するだろう。
それに、こうしてとぼとぼと歩いている姿を見ると、どうにも彼女が王国最強と謳われている武姫とは思えない。
「イレーネ様は、どうして最強って言われてるんですか?」
王城への道すがら。空白の時間を紛らせるためにも、イレーネ様に話しかける。色々と不敬罪ポイントが溜まっているけど、これくらいなら大丈夫だろう。
「三年前の、武闘大会」
「武闘大会?」
記憶を掘り返し、それらしいイベントがあったのを思い出す。
王国中の猛者を集め、最強を決めるトーナメントを開いたのだ。
私はちょうど、大陸各地を回る武者修行的な旅に出ていたので、そのころのことはあまり知らない。そもそも、リットランド王国に帰ってきたのも、つい1年ほど前のことだ。
「三年前と言うと、イレーネ様が11才の頃ですか」
「ええ。〈無窮の練武〉が発現した一年後よ」
「なるほど、そういうことですか」
通常、ギフトは10才前後でその身に宿る。その後、神官様に見てもらって、正式な名前と詳細な能力が判明するのだが、とりあえず自分の手に飛び込んでくるのは、だいたいそれくらいの時期だ。
三年前に開かれたという武闘大会は、イレーネ様が授かった〈無窮の練武〉の力を知らしめるために開かれたのだろう。
「ちなみに、その大会の結果は?」
「優勝よ。全戦無敗の完全試合。白晶騎士団のグレッグも、あたしには敵わなかったわ」
「おお……」
白晶騎士団の団長――つまりは私の上司に当たる人物。
彼も伊達や酔狂で、騎士の中の騎士と称えられる白晶騎士団の長を務めているわけではない。その彼を破ったというのだから、イレーネ様の力は本物なのだろう。
「流石に、お父様には敵わないでしょうけど。それでも王城の外ならあたしが最強なのよ」
「なるほど、なるほど。それでこんなに生意気に――」
「不敬罪?」
「なんでもありませんよ」
すっと親指の爪を首元に寄せるイレーネ様。ギロチンは人道的な処刑具らしいけど、まだ胴体とサヨナラはしたくない。
「ていうか、武闘大会で最強であることは証明できたんですよね? ならわざわざ傭兵にならなくても……」
そんな私の言葉は、一睨みで封殺される。
まるで分かってないと言うように、彼女は語り始めた。
「武闘大会は一対一の決闘形式。命まではとらないし、試合と試合の間には、十分な休憩があったわ」
「そりゃまあ、そうでしょうね」
バトルロイヤルという方式も無いわけではないが、それで優勝した人が最強ですと言われても、少し疑問が拭えない。
どうやら、イレーネ様は武闘大会の形式に不満があるようだ。
「あんなの、全然ほんとの強さじゃないわ。現にあたしは、一日町を歩いただけでヘトヘトになってる」
「まあ、持久力は無さそうですね」
「シェラはまだまだ余裕そうね」
「そりゃあ、これでも一応、銀級の傭兵でしたから」
傭兵とは歩く職業だ。不整地の森を、切り立った崖を、入り組んだ谷を、どこまでも歩く。誰も辿り着けない場所に向かい、そこにあるものを持ち帰ることで、生計を立てているのだ。
石畳で舗装された町くらいなら、歩き続けることができて当然である。
「一月あったら、シェラと同じだけの体力はつくの?」
「どうでしょうねぇ。私は12年傭兵やった後の体力しか知りませんし。体力を付けたいだけなら、お城にある練習場を走った方がいいのでは?」
「そういう話じゃないのよ!」
イレーネ様の考えている強さとは、そう単純なものではなかったようだ。彼女は苛立ち紛れに歩速を早める。
私はその小さな背中を追いかけて、苦笑いして言った。
「でもまあ、傭兵になればある程度は体力はつきますよ。あとは忍耐力とか、判断力とか」
「……そうなの?」
「戦うだけが傭兵の本質じゃありませんから。むしろ、どうやって戦闘を避けるか、という所が肝要です」
命あっての物種なのだ。
何千回と依頼を失敗しようと、しぶとく生き残っている方がいい。その次の依頼を成功させれば、それだけで実績が一つ積み上がる。死ねば、積んだ実績も泡沫と帰す。
しかし、お姫様にはその言葉がいまいち理解できなかったようだ。細い眉を寄せて、怪訝な顔をしている。
「ま、泣いても笑っても、明日から傭兵生活の始まりです。そこで嫌というほど思い知るといいですよ」
どうせ分かることをわざわざ詳しく説明する理由もない。そう笑い飛ばして言うと、イレーネ様は憮然として私を見上げた。
「あんた、まだ勤務三日目なのに随分とボロが出てきたわね」
「傭兵上がりを王族の護衛に回す方がどうかしてるんですよ」
こっちは碌に礼儀もマナーも学んでいないのだ。これくらいの粗相は許してくれないと、何もできない。
思い切ってそう言うと、予想に反してイレーネ様はあどけない笑みを浮かべる。
「ま、いいわ。あたしもそれくらいの方が気が楽だし」
「そうですか? なら、遠慮無く」
王族らしい身勝手さを見せたかと思えば、王族らしくない事を言う。なんとも不思議な女の子だと、私は小さく首を傾げた。
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