第11話「私は彼女と歩き出した」

 翌日。

 騎士寮の自室で泥のように眠っていた私は、部屋中に鳴り響くベルにたたき起こされた。


「どぅわっ!? な、なにごとっ?」


 シーツを放り投げ、キョロキョロと部屋の中を見渡す。ブルブルと震えるベルを見つけて、その隣にぶら下がっていた受話器を手に取った。


「シェラです」

「遅いわよっ! 何してるの!」


 名前を言っただけなのに、はちゃめちゃに棘のある声に耳を貫かれた。ジンジンと頭の中を反響する残滓に呻きながら、なんとか言葉を返す。


「ね、寝てましたけど……」

「3秒で支度しなさい! 今日は傭兵を始める日でしょ!」

「ええ……」


 キャンキャンと朝からよく響く声だ。起き抜けに聞くと、グレッグさんが入れてくれた泥水のようなコーヒーよりも覿面に目が覚める。

 ふと時計を見ると、時刻はまだ早朝どころか深夜と言ってもいいくらいだ。窓を見ても、まだ朝日すら昇っていない。


「あの、お姫様。まだ私めの勤務時間ではないようなのですが……」

「白晶騎士団が何言ってるのよ。護衛対象が動くなら、ちゃんとついてくるのが役目でしょ」

「横暴だなぁ」


 そうは言いつつ、もそもそと身支度を始める。

 始めて一週間もせずに解雇されるのは勘弁願いたい。まだお賃金も貰っていないのだ。


「あー、髪……」


 傭兵にしては長い、肩に掛かるくらいの黒髪。いつもは乙女のたしなみとして多少は櫛を通しておくが、今日はそんな暇は無さそうだ。いつも使っている紐を手に取って、簡単に束ねる。

 眠たそうな青い瞳をゴシゴシと擦り、冷たい水で顔を洗う。

 各部屋に洗面所が付いているのは、さすが騎士団の寮といったところか。役得、役得。

 柔らかいタオルで顔を拭ったところ、再びけたたましいベルが鳴り響く。


「もう行きますから! もう少しだけ待ってて下さい!」

「もう1分も経ってるわよ!」

「無茶言うなって」


 白晶騎士団の銀鎧に着替えようとして、手を止める。

 代わりにクローゼットから出してきたのは、体に馴染むオーク革の鎧だ。


「なんでまた、これを着る羽目になるかなぁ」


 そんな嘆きも早朝の靄に溶ける。

 騎士の鎧よりは遙かに短時間で着込めることだけが、この傭兵時代の鎧の利点だ。

 最後に枕元に置いていた双剣を腰に差し、リュックを背負う。これで身支度は整った。

 時間を見ると起きてから5分と経っていない。我ながら寝起きがいい。


「ふわぁ――」

「遅いわよ!」

「ぁぐっ!?」


 欠伸をしながらドアを開けると、足下から雷が飛んできた。

 舌を噛みそうになりながら、慌てて飛び退く。


「ちょ、姫様? なんで騎士寮にいるんですか」

「あんたが全然来ないから、わざわざ迎えに来てあげたんでしょ」


 なんという余計なお世話。お姫様は王族らしく武器庫で大人しくしてて欲しい。

 などと無礼なことを言えるはずもなく、私はまじまじと目の前の少女の装いを見る。


「準備万端っすね」

「当然でしょ」


 ミュール武具工房のレセイクさん謹製のドレスメイルを着込み、赤い大盾を背中に背負っている。

 昨日はあんなに疲れていたのに、赤い髪の先っぽまで艶々していて、目もルビーのように輝いている。


「これが若さか」

「何か言った?」

「いえ、時の過ぎ去るは何よりも残酷だなぁと」


 きょとんと首を傾げるお姫様。

 あなたもきっと、十年後くらいには分かるはずだよ。


「そういえば、昨日買いそろえた道具類は?」

「ちゃんとポーチに入れて持ってるわよ。レセイクに作らせた、竜革よ」

「ええ……。レセイクさん、昨日の今日でそんなの作ってくれたんですか」


 言われて気付いたが、イレーネ様の腰には太いベルトのポーチが巻き付いている。彼女のドレスメイルの接続部と同じ、青みがかった竜革を使った、値段を考えるのも恐ろしい高級品だ。

 こんなものを一晩で作らされるレセイクさんも、随分と苦労している。


「装備なんて歩きながらでも話せるでしょ。ほら、ギルドに行くわよ」

「なにもこんな朝早くに行かなくても……」

「ギルドは一日中開いてるんでしょ?」


 純粋な目で言われては、頷くしかない。

 たしかに、傭兵ギルドは急な依頼や負傷した傭兵を受け入れるため、年中無休で扉を開いている。けれど、彼女のタグが完成しているかは怪しいところだ。


「おはよう、シェラちゃん、イレーネちゃん。タグもできてるわよ」

「仕事が早いなぁ」


 早朝、人も疎らな通りを駆け抜け、やってきた傭兵ギルド。

 カウンターに立っていたリリーさんは笑顔で私たちを迎え入れてくれた。一応、イレーネ様も王族の身分を隠して活動することになっているので、リリーさんも敬称は付けずに接するようだ。


「はい、これ。銅級傭兵の証よ。身分証と識別票を兼ねてるから、少なくとも傭兵として動く間は首にかけておいてね」

「分かったわ」


 リリーさんが、銅色の金属プレートをイレーネ様に手渡す。

 それを受け取って、彼女は口元を緩ませた。

 これで晴れて傭兵の身分を手に入れたというわけだ。普通に考えれば、王族からかなりの勢いで転落した形だけど。本人は嬉しそうなのが不思議だ。


「さあシェラ! ドラゴン退治に行くわよ」

「ちょちょちょ」


 勇み足でギルドを飛びだそうとする姫様の手を、慌てて掴む。なんかもう、色々と順序をすっ飛ばしすぎだ。


「まずは依頼の受注から報酬の受け取りまで、全体の流れを軽く確認するところからです。最初に受けるのは、近場の森に生えてる薬草の採集くらいが適当ですよ」

「はぁ? なんであたしがそんな雑用みたいなことを――」

「傭兵ナメんじゃねぇぞ」


 おっと、つい怒りが声に。

 しかし、イレーネ様は驚いて口を閉じてくれたので結果オーライだろう。


「準備が大切ってのは、昨日さんざんお伝えしましたよね? まさか、もう忘れましたか」

「そんなわけないでしょ。しっかり覚えてるわよ!」

「じゃあ、しっかり準備してください。情報を集めるのも大切な準備です」

「むぅ……。でも、ドラゴンが……」

「ドラゴン討伐の依頼なんて、早々出ませんよ」


 不満そうに唇を噛むお姫様の装備はふんだんに竜革が使われているが、竜など早々お目にかかれるものではない。それに、例え現れたとしても銅級傭兵が気安く手を出していい存在でもない。

 “黒竜殺し”をはじめ、竜殺しという行為が二つ名になるほどの偉業として称えられるのは、それだけの価値と危険があるからなのだ。


「とにかく、傭兵としては私の方が経験も長いんですから、私に従って下さい」

「そんな……」

「そんなもこんなもありません。怪我でもしたら、私のお賃金に関わるんですよ」

「そこは嘘でも騎士の沽券とか言いなさいよ」


 若干、呆れられた気もするが、ひとまずイレーネ様も落ち着いてくれたようだ。

 改めて、私は依頼の選び方から教えることにした。


「いいですか? ギルドに来たら、まずはカウンターに向かいましょう」

「掲示板じゃないの?」


 イレーネ様がロビーの一角を指で指し示す。壁一面に掛けられた大きな掲示板には、依頼用紙が乱雑にピンで留められている。

 確かに、あそこで依頼を物色するのが、傭兵の傭兵らしさでもあるだろう。


「まずはカウンターです。そこで、周辺地域、もしくはその日に行こうと思っている地域についての情報を、受付嬢から仕入れます」


 カウンターの向こう側で、リリーさんがニコニコと笑顔で待っている。

 私はそこへ向かい、彼女に話しかけた。


「西の森と、東の草原。どっちの方が安全ですか?」

「そうね。森は、野獣が少し殺気立ってるわね。つい三日前には、薬草採集に行った銅級の子が、怪我をして帰ってきたし。草原は逆に平和そのものね。ウサギもなかなか見つからないくらいで、それはそれで苦労してるみたい」


 私の質問に、リリーさんはすらすらと答える。


「このように、ギルドの受付嬢は直近のフィールドの様子を細かく把握してくれています。ちゃんとその情報を把握した上で依頼を選ばないと、最悪、苦労して辿り着いたのに目的のモノが見つからなかった、なんてことにもなりますからね」


 受付嬢の下には、日々様々な情報が寄せられる。それを整理し、記録し、必要とする傭兵に提供するのも、彼女たちの重要な業務の一つなのだ。

 ちなみに、リリーさんはさらりと暗唱していたけれど、普通は分厚い冊子を確認しながら教えてくれる。全ての受付嬢が、リリーさんのようなハイパー受付嬢ではない。


「では、イレーネ様。この情報を踏まえて、どちらに行くべきか分かりますか?」


 情報を押しつけるより、自分で考えて貰った方が知識の定着も早いだろう。そんな親心で簡単な質問を投げかける。

 イレーネ様は馬鹿にするなとでも言うように眉を寄せ、すぐに答えを出した。


「当然、東の森よ!」

「バカですか」

「なんですって!?」


 おっと、つい本音が。


「自分の状況を冷静に考えて下さい。イレーネ様がいくら最強とはいえ、傭兵としてはゼロ歳児。生まれたてで、よちよち歩きもままならないんです」


 言葉を並べるたび、イレーネ様の目つきが剣呑なものになる。しかし、事実なのだから堪えて欲しい。


「なので、まずは危険の少ない草原に向かいます。そこで、傭兵仕事の流れと、フィールドの歩き方を覚えましょう」

「そんなの、必要ないわよ」

「そう言った奴から死にました」


 あえて突き放すように言う。

 嘘ではない。己の力量を見誤り、基本から逸脱した者から土に還る。ギルドの受付嬢はその仕事柄、何人も不帰の者を見送ってきた。だからこそ、彼女たちは責任を持って情報を集め、その全てをこれから出掛ける傭兵たちに伝えるのだ。

 リリーさんの顔を盗み見る。

 経験の長い彼女は、きっと数え切れない数の傭兵たちの顔を覚えている。もう二度と現れないと知っていても、彼女はずっと覚えているのだ。


「……分かったわよ。草原に行くわ」

「よく言ってくれました。では、草原の依頼を探しましょう」


 イレーネ様を連れて、掲示板の下へ向かう。

 そこで色々と吟味を重ねた後、お姫様は薬草の採集依頼を選び取った。


「リリーさん、この依頼は達成できそうですか?」

「そうね。群生地が荒らされたって話も聞かないし、ちゃんとあると思うわよ」

「では、これをお願いします」


 リリーさんに依頼用紙を渡す。

 彼女が慣れた手つきで受注作業をしてくれて、控えの紙を受け取る。


「納品する時は、この控えを一緒に渡します。無くしたら報酬が受け取れなくなるので、大切に保管して下さいね」

「わ、分かったわ」


 ようやく傭兵らしい事を始めた自覚が出てきたのか、控えを受け取ったイレーネ様は緊張の面持ちで、それをポーチにしまった。


「これで、受注の流れは終わりです」

「じゃあ……」


 赤い瞳が、期待を込めてこちらを向く。


「出発しましょうか」


 苦笑しつつそう言うと、イレーネ様は今度こそドアの方へと進み出した。

 私は彼女の背中を追いながら、リリーさんの方へ振り返る。


「行ってきます」

「ええ。いってらっしゃい」


 頼もしい鬼人族のお姉さんに見送られながら、私と姫様はギルドを後にする。イレーネ様にとっては、輝かしき門出の一歩だ。

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