第12話「私は彼女と探した」

 王都の東にはなだらかにうねる丘陵が広がっている。浅く草の多い茂る穏やかな場所で、ウサギやネズミといった小動物も多い。

 更に、喉風邪に効く薬草や、虫除けに使える香草が自生していることもあり、駆け出し傭兵がまず最初に訪れる場所としても定番化していた。


「フィールドを歩く時は、基本的に道を外れないこと。ルートがあるということは、ある程度の安全が確保されているということですからね」


 草原の真ん中を走る、人々の往来によって踏み固められた細い道を歩きながら、イレーネ様にフィールドの歩き方をレクチャーする。

 しかし、当のお姫様は退屈そうな顔で、平穏な草原を見渡した。


「つまんないわね。もっと草むらを掻き分けて、手つかずの薬草を探し出すものじゃないの?」


 道の側で葉を伸ばしていた草を蹴り、彼女は唇を尖らせる。どうやら、もっと未開の道なき道を掻き分けて進むようなものを想像していたらしい。


「危険が大きすぎます。見通しの悪い場所を歩いて、毒蛇にでも噛まれたらそれだけで最悪死にますからね」

「そのために解毒薬も買ったんじゃないの?」

「使わなくて済むなら、使わない方がいいんですよ」


 ぴしゃりと言い切ると、姫様は「ふぅん」と曖昧に頷いた。獰猛な犬のように何でもかんでも噛み付いてこないようになったあたり、少しは傭兵としての私を信頼してくれているのだろうか。


「さて、ではお目当ての薬草ですが。どんなものか、把握されてますか?」

「丸い葉っぱがついてる草でしょ。ちゃんと分かってるわよ」


 馬鹿にしないで、と彼女は胸を張る。

 予想していたよりも随分とアレな返答に、私は少し肩を落とした。


「では、薬草を探してみて下さい」

「ふんっ。言われなくても――」


 キョロキョロと周囲を見渡すイレーネ様。しかし、自信に漲っていた表情が、徐々に苦虫を噛みつぶしたようなものに変わっていく。

 そうして、たっぷり数分探し回った後、ようやく彼女は白旗を上げた。


「全部同じに見えるわ」

「まあ、丸っこい葉っぱの草なんてありふれてますからねぇ」


 当然と言えば当然だ。

 日頃から意識していなければ、路傍に生える草の種類や区別など、気に掛ける方が変わっているのかも知れない。しかし、傭兵ならば知っておかねばならない知識でもある。


「イレーネ様、ポーチに植物図鑑は入れてますか?」

「昨日買った物ね。ちゃんと入れてるわ」


 私の問い掛けに、彼女はすぐさま答えてくれる。

 ポーチの中から現れたのは、イレーネ様の手にも収まる小ぶりな冊子だ。


「そこに、今回のお目当ての薬草の情報が載ってます。調べてみて下さい」

「わ、分かったわ」


 イレーネ様は緊張の面持ちで、ペラペラとページを捲っていく。しばらくして、彼女ははっと顔を上げた。


「シェラ。薬草が載ってないわ」

「んなわけないでしょ」


 王族らしくもない間抜けな声に、思わず素直な言葉が口をついて出る。


「もしかして、姫様。“薬草”って名前で探してます?」


 もしやと思って問いただすと、イレーネ様はきょとんとした表情で首を傾げた。


「探してるのは薬草なんでしょう?」

「はぁぁ」


 相手が王族であることも忘れて、頭を抱える。いや、今は彼女も身分から解放されて、ただの銅級傭兵なのだから別にいいのか。

 ともかく、私は手間の掛かる新人に向かって説明してあげた。


「薬草なんて名前の草はありません。雑草という名前の草もないでしょう? 今回、我々が探す薬草は、正式な名前を“ジュラ・ペンティア”と言います」

「随分と気取った名前ねぇ」

「別名を“口裂け草”と言って、実際そんな感じの花を咲かせます」


 私の説明を、イレーネ様は素直に聞いてくれる。

 そうして早速、その名前を植物図鑑で調べ、目当てのページを見つけた。


「あったわよ!」

「そりゃあね。その図鑑は王都周辺に生えてる薬草類を纏めたものですし」


 ジュラ・ペンティアは割と色々な所に生えている薬草だし、薬効的に使途も多岐に渡る。これを載せていない植物図鑑などないし、もしあるなら落丁本だ。


「じゃ、ジュラ・ペンティアを探して下さい」

「シェラは探してくれないの?」

「今回は姫様が主役ですからね。私はお手伝いに徹します」


 草原一帯を見渡しながら、イレーネ様の問いを受け流す。

 ジュラ・ペンティアは特徴的な花を付けるから、割合見つけやすい部類の薬草だ。そうでなくとも、私は眼が良いから、見つけようと思えばすぐに見つけられる。しかし、それではイレーネ様が傭兵として育たない。

 本人もそれは分かっているのか、しつこく食い下がることはなく、早速、図鑑片手に草原を歩き始めた。


「シェラ、あったわ!」

「それはアクラ・ペンティア。似てますが、茎が若干太いです。同じく薬草ですが、薬効が違います」

「シェラ、これは?」

「ユラグ・ペンティア。葉っぱが小さいですよね。香りがいいですが、口にすると手や足が痺れます」

「ジュラ、これはシェラ・ペンティアよね」

「いろいろ間違ってます!」


 ペンティア族は本当に数が多い。それでも、注意深く図鑑と見比べれば区別できるのだが、イレーネ様にそこまでの観察眼は無いらしい。

 私は彼女が傭兵になったことに若干の後悔を覚えつつ、根気強く付き合った。

 ここで放り出すこともできないし、どうにか形を覚えて貰うしかない。


「イレーネ様。しっかりと見て下さい。姿を見て、色を見て、形を見て、花を見て、茎を見て、葉を見て。あらゆる情報を得て下さい。ペンティア族は比較的安全なものばかりですが、他の植物には猛毒を持つ種類が混ざっていることもあります」

「そんなこと言われても、どれも同じに見えるんだもの」

「どこかに違いがあります。正解と間違いをどちらも見つけたら、匂いなども覚えておくといいです。冷静に、しっかりと隅々まで観察することは、戦闘においても重要でしょう?」


 観察眼は重要だ。

 彼女が優勝した過去の武闘大会でも、それはきっと重要だったろう。

 相手の一挙手一投足を見極め、次の行動を、剣の軌道を予測する。相手の表情の機微を拾い、思考と感情を予想する。

 視覚から得られる情報は膨大だ。それをどう料理するかで、その者の力量が分かると言っても過言ではない。

 そんな風に説明すると、イレーネ様にも伝わったらしい。彼女は数秒前とは打って変わって、真剣な眼差しで周囲を見渡した。


「これは……違うわね。葉っぱの形が違うわ。こっちは花の色が違う。これは茎に節ができてる。……あった! これね!」


 イレーネ様が突然しゃがみ込み、一本の草を千切って掲げる。

 それは紛う事なき、ジュラ・ペンティアだった。

 私が頷くと、彼女は無邪気に跳び上がって喜ぶ。

 傭兵としては些細な成功だが、彼女の初仕事である。 ただし――


「イレーネ様、そのジュラ・ペンティアは納品できません」

「なんで!?」

「力任せに千切ったからですよ。ちゃんと根から掘り起こし、柔らかい布に包んで持ち帰らないと。図鑑にも取り扱い方が書かれていますから、確認してください」

「そんなぁ……」


 がっくりと膝をつくお姫様に、思わず口元を緩める。

 駆け出しの傭兵によくある失敗だ。かく言う私も最初はこうだった。

 いくら希少な薬草を見つけても、その品質を保ったまま持ち帰らなければ意味は無い。少しでも上質なまま持ち帰らなければ、その薬効はどんどん下がっていく。

 苦労して探し出し持ち帰った薬草が、低品質判定を喰らったために報酬もゼロ、なんてこともたまに聞く話だ。


「ジュラ・ペンティアは珍しい薬草でもありませんし、次を探しましょう」

「分かったわ。ちゃんとやってやるんだから!」


 しばらく落ち込んでいた姫様だったが、少しすると勢いよく立ち上がる。へこたれないのは、慎重さと同じくらい傭兵として大事な気質だ。

 再び草むらを覗き始めるイレーネ様を見て、私は少し微笑ましい気持ちになる。この小さな少女が王国一の戦闘力を持つとは、どうにも信じられない。


「ん――」


 その時、視界の端に影が映った。

 傭兵として習慣付いた警戒の網に、それが捕らえられた。

 緑の中から垣間見える、黒い耳。

 おそらくはブラックウルフ。本来の住処は森の方だが、この草原にも、小動物を狙ってたまにやってくる。数は3頭。向こうもこちらに耳を向けて、品定めをしている。


「……」


 姫様は薬草探しに夢中で、気付いている様子はない。

 私はそっと、足下の石を拾って握りしめる。


「まだ魔獣の相手は早いもんね」


 腕を弓なりにして、投擲する。

 真っ直ぐに狙った場所へ。

 それはブラックウルフの足下を抉り、土を打ち上げた。


「シェラ?」

「ちょっと虫がいたので、追い払いました」


 草むらを揺らして逃げ出す3頭の狼を見送りながら言う。イレーネ様のギフトは視力を強化するようなものではないし、彼らの姿は見えないだろう。

 私は何でも無いように誤魔化して、姫様に向かって笑いかけた。

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