第13話「私は彼女と受け取った」

## 第13話「私は彼女と受け取った」

 長く伸びた影が、低く生い茂る草原に落ちる。オレンジ色の光を浴びて、イレーネ様は泥のついた頬を拭った。


「そろそろ帰りましょうか」

「もうちょっと探したいわ」

「これ以上暗くなっては危険です。日が落ちる前に、町に戻らないと」


 最初はあれほど気の向かない様子だったのに、イレーネ様は半日以上も薬草探しに没頭していた。名残惜しそうな彼女の背中を押して、私は町へと足を向ける。夜は視界が塞がれ、他の感覚に秀でた獣たちの脅威が高まる。不必要な怪我をしたくなければ、大人しく町に変えるべきだ。


「ランタンとか用意すればいいんじゃないの?」

「片手が塞がった状況で、狼と戦えますか?」

「この草原って狼がでるの!?」

「仮定の話ですよ」


 少なくとも、今はもう狼の気配はない。


「そもそも、目標の数はずいぶん前に揃ったでしょう?」

「でも、余分に集めても報酬は加算されるみたいよ」

「そこはちゃんと読んでたんですね……。ともかく、もう時間切れです」


 草原を抜け、畑の広がる地域に入る。街道も太くしっかりとしたものになり、農具を担いだおっちゃんや荷車を牽くロバが多くなる。

 一度気を抜いたからか、隣を歩くイレーネ様は急激に疲労の色を滲ませていた。歩く足の運びも重く、頭がゆらゆらと揺れている。


「イレーネ様、とりあえず王都に入るまでは意識を保って下さい」

「大丈夫、よ。しっかり歩けるわ」


 ふわふわとした声が、全然大丈夫ではない。


「自分の体力をしっかりと把握できるようになってください。家に帰るまで、気を抜いちゃいけません」

「分かってるわょ……。うるさいわね……」


 これは駄目だ。瞼が半分以上も閉じている。


「――はぁ」


 私は深いため息を一つ吐くと、薬草の詰まったリュックを胸の前にずらす。そうして、イレーネ様の前で、膝をついた。


「はい」

「大丈夫よ」

「手も温かいじゃないですか。寝るなら、地べたじゃなくて背中にしてください」

「むぅ……」


 少し強めに言うと、本人も眠気には抗いがたかったのか、素直に背中に身を預けてくる。


「ぐぉ……」

「あによ。重いって言うの?」

「いや、姫様じゃなくて武器と防具が重たいんですよ」


 どちらも重い金属をふんだんに使った代物だ。イレーネ様はそんなものを背負って平然としているが、彼女ごと背負う羽目になった私はたまったものではない。

 まったく、どうしてこの小さな体に私を遙かに凌駕する力が詰まっているのか。ギフトとはまさしく神の与えたもうた奇跡とは、よく言ったものだ。


「気高い心を、持てば、シェラだって……」

「無茶言わないで下さいよ」


 半分寝ぼけたような姫様の言葉に苦笑する。気合いで力持ちになれるなら、傭兵という仕事は子供にだってできてしまう。

 私だって、日々の鍛錬を地道に続けることで、ようやくここまでの力を持てるようになったのだ。


「……寝ちゃいました?」


 背中越しに感じる小さな体が動きを止める。そっと呼びかけるが、答えは返ってこない。代わりに、小さな吐息が繰り返し、ゆっくりと首元に当たる。

 私は体を揺らして背負いなおし、王都を囲む大きな防壁をくぐった。


「姫様、姫様。そろそろ目を覚まして下さい」

「――んぅ?」


 背中を揺らし、眠り子を起こす。

 可愛らしい声を漏らして、主は目を覚ました。


「ここは?」

「ギルドの前です。納品するまで仕事は終わりませんよ」

「はっ! そ、そうね。任せなさい!」


 イレーネ様は自分の居場所を理解し、一気に意識を覚醒させた。くしくしと目を擦り、口の端から零れていた涎を拭き取る。――涎?


「ちょ、姫様!? 私の防具、汚さないで下さいよ!」


 背中に指を伸ばせば、若干湿っぽい。

 なんてことだ。本当に王族なのか、このお姫様は。


「そんなことは良いから。報酬を受け取って帰るわよ」


 悲鳴を上げる私に構わず、イレーネ様は先んじてギルドの中へと入っていく。

 私はげんなりとした顔のまま、彼女を追いかけていった。


「イレーネ様、納品物を持っていかないと駄目じゃないですか」


 早速カウンターに向かっていたイレーネ様の肩を掴む。

 彼女のポーチに薬草は入らないから、私のリュックに入れていた。ポーチは動きの邪魔にはならないが、やはり容量に難があるのだ。


「シェラさん。復帰されたって噂は本当だったんですね」


 姫様に追いつくと、カウンターから声がかかる。顔を上げると、傭兵時代の顔見知りだった。というより、このギルドの職員は大体知り合いなんだけど。

 リリーさんは詳しい事情を同僚に話していないようで、私は騎士になったのに早速出戻りしてきたことになっているらしい。


「え、ええまあ。その、いろいろ事情がありまして」

「妹の兄の姉の母親の従兄弟の友達の知り合いの娘の妹さんでしたっけ。可愛いですねぇ」

「あ、そういうことになってるんだ。まあ、そんな感じです」


 リリーさん、事情を伏せてくれているのはありがたいが、偽の情報が適当すぎないか。それで納得してるギルド職員サイドにもちょっとばかし不信感が募るが。


「失礼ね。あたしはこの王国の――」

「あーあー! そうだ、依頼! これ納品物の薬草です。検品お願いしますっ!」


 余計なことを言いそうになった姫様の口を抑え、リュックをカウンターに置く。若い受付嬢は驚きながらも、自身の職務を始めた。


「姫様、いちおう身分を隠すって話でしたよね」

「そうだった。うっかりしてたわ」

「しっかりしてくださいよ……」


 受付嬢に確認して貰っている間に、お姫様に釘を刺す。彼女も寝起きでぼんやりしていたのだろうが、せっかく隠していることが早速知れ渡ってしまえば、面倒ごとは避けられない。


「けど、シェラも迂闊じゃない?」

「私が? どうして」


 イレーネ様は反省もそこそこに、反論の言葉を投げかけてくる。

 きょとんとしていると、彼女はむっと唇を突き出して言った。


「あたしのこと、イレーネ様とか姫様とか言ってるじゃない。それも聞かれたらマズいんじゃないの?」

「ぐ、姫様のくせに痛いところを突いてきますね」

「不敬罪よ、それ」


 呆れた顔でぞっとするような事を言う姫様。本気ではないだろうが、彼女の身分が身分だけにしゃれにならない。


「でも、それならなんてお呼びすればいいんですか」

「イレーネでいいわよ」

「勘弁して下さいよ……」


 姫様は王族だが、あんまり王族らしくない。だから自分の呼ばれ方に拘っていないのだろう。しかし、本来貴族というものは畏敬の念を持たれなければならない。

 護衛の騎士にタメ口きかれているようでは、姫様の品位まで疑われてしまうのだ。


「傭兵の間は、そういうのなしにしましょう。刃向かう奴がいれば、あたしが粛正してやるわ」

「ええ……」


 笑えない王族ジョークだ。

 しかし、彼女がそう言うならこちらも従うしかない。私はしがない護衛騎士でしかないのだ。


「では、えっと――イレーネ?」

「それでいいわ、シェラ」


 めちゃくちゃ違和感があるけれど、本人は満足そうだ。これ、慣れてきたら、今度は王城の中で呼び捨てにしないように気をつけないといけないヤツだ。


「あのー、検品が終わりましたけど」


 二人で呼び方を決めている間に、受付嬢の方も薬草の検品を終えた。

 イレーネ様は少し緊張の面持ちでカウンターに戻り、己の仕事の評価を心待ちにする。そんな彼女の内心を知ってか知らずか、受付嬢は柔やかな笑みを浮かべて言った。


「どれも良い品質のジュラ・ペンティアですね。お疲れ様でした!」


 カウンターの奥から小さなトレーが差し出される。その上に誇らしげに載っているのは、キラキラと輝く銀貨だ。


「依頼の数よりも多く持ってきて下さったので、その分も増額しております。確認してくださいね」

「おお……」


 受付嬢の言葉も、もはやイレーネの耳には入らない。彼女は赤い瞳に銀貨を映し、ぷるぷると震える手で1枚をつまみ上げた。


「こ、これ、あたしが貰っても良いの?」

「え? そりゃあ、ひ――イレーネが仕事をこなした報酬ですからね。むしろ、早くお財布に入れちゃって下さい」


 私の顔と手元の銀貨で視線を往復させながら、イレーネ様が言う。

 ギルドのカウンターでやるバカはいないとは思うが、分捕られない保証もないので、早めに財布に入れろと促すと、彼女は慌ててポーチから財布を取り出した。

 金貨が数枚入っている財布に、10枚ちょっとの銀貨が加わる。


「やったわ、シェラ! 依頼達成よ!」

「そうですね。おめでとうございます」


 彼女の総資産額から言えば、微々たる金額だ。しかし、その価値は今まで手にしてきた金貨とは比べものにならないだろう。


「ほら、シェラも早く」

「はい?」

「こっち、シェラの分よ」


 見ればトレーの上にはまだ銀貨が半分ほど残っている。どうやら、依頼報酬は二人で折半するらしい。


「いいんですか?」

「あたしよりシェラの方が働いてたでしょ。労働には対価を。当然の権利よ」


 厳密に言えば私は今も護衛騎士としての仕事中なので、これとは別にちゃんとお賃金が出る。しかし、イレーネが言いたいのはそういうことではないだろう。

 私は優しい姫様に感謝しつつ、自分の取り分を受け取った。


「初仕事ですよね。おめでとうございます」


 イレーネの反応を見て察したらしい。受付嬢もパチパチと手を叩いて喜んでくれる。

 ふと周囲を見渡せば、ギルドの中にたむろしていた他の傭兵たちも、どこか優しい眼を向けていた。


「う、こほん。シェラ、この後はどうするの?」


 周囲の視線に気がついたイレーネは、恥ずかしそうに頬を朱に染めて俯く。彼女に裾を引っ張られ、私は思わず苦笑いする。


「それじゃ、初仕事の成功祝いに、どこか食べに行きましょうか」


 せっかく稼いだのだ。最初くらい、盛大に使おうではないか。それこそが傭兵の生き様だ。

 きょとんとするイレーネにそんなことを言って、私は彼女と共にギルドを後にした。

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