第14話「私は彼女と打ち上げをした」
## 第14話「私は彼女と打ち上げをした」
リットランド王国王都の下町。雑然と屋根の連なるモザイクの中を、イレーネと共に歩く。
夕方の陽光が通りを照らし、一仕事終えた人々の足下に細長い影を伸ばす。道行く人々の顔が不鮮明になってゆくにつれて、通りの両脇では大鍋や焼き網を並べた屋台が営業を始める。
「シェラ、あっちに鳥の串焼きが売ってるわよ」
「そうですねぇ」
「シェラ、むこうに牛の臓物炒めが売ってるらしいわよ」
「そうですねぇ」
元気の有り余る子犬のようにはしゃぐイレーネの手を掴み、段々と人混みの増していく通りを歩く。王都の治安が良いとはいえ、それは他の都市や村と比べた相対的な評価だ。人さらいは普通にいるし、強盗はその辺を歩いている。
姫様の護衛としても、たとえそうでなくとも、彼女から目を離すわけにはいかなかった。
「もう、シェラ! 打ち上げするんじゃなかったの?」
しかしそんな私の働きぶりがお気に召さなかったのか、イレーネは頬を膨らませて足の脛を蹴ってくる。的確に人体の急所を狙うのは賢いが、護衛を傷つけないで欲しい。
まったく、王都に入るまではくたくただったのに、どこにこんな元気が残っていたのだろうか。
「打ち上げはしますよ。でも、苦労して稼いだお金を割高な屋台で使うのは賢いとは言えません」
「え、割高なの?」
「そうですねぇ。ていうか、ちゃんとテーブルについてしっかりとお皿に載ったごはん食べたくないですか?」
少なくとも、私はそっちの方が良い。
屋台の食べ歩きというのも楽しいが、この人混みではなかなか難しいというのもある。万一こぼして、濃厚なタレがイレーネの高価なドレスメイルの布地にでもついてしまったら、私にはとてもじゃないが弁償できない。
イレーネは私の主張を聞いて、はっとする。
「たしかに、そっちの方が良いわね。庶民の食べ物にも興味があったのだけれど……」
「心配しなくても、今から行くお店も庶民に愛されてますよ」
たかが傭兵の初仕事の稼ぎで、王族御用達の超高級レストランなんて行けるわけが無かろうに。ドレスコードを揃えるだけで破産するわ。
根本的な所で価値観にズレのあるお姫様を連れて、私は歩き慣れた道を進む。そうして辿り着いたのは、通りの一角にその威容を構える、大きな酒場だ。
「ジークの杯……?」
「ええ。少々お高いですが、その分お味もボリュームも十分な名店です。傭兵の中では、仕事が成功した日に行くお店として知られてますね」
ちなみに依頼が失敗した時は、道具屋で買った塩を舐める。
「シェラ、早く入りましょう!」
「そんなに急がなくても、店は逃げませんよ」
急ぐイレーネの後をついていく。
扉を開ければ、豪勢に明かりの灯された広い店内が現れる。いくつもの大きな丸テーブルが並び、奥のステージでは吟遊詩人たちが陽気な声で歌っている。早々に赤ら顔になったおっさんたちが、曲に合わせて笑っている。
陽気なエネルギーの奔流に、イレーネは圧倒されていた。
「うぇぇい、かわい子ちゃんじゃねえぐあっ!?」
「はいはい。あんまり絡むなよ、おっちゃん」
まだ夕方だというのにずいぶんと出来上がっているおっちゃんを押し退ける。私は店内を見渡して、カウンターの椅子が二つ並んで空いているのを見つけた。
「ほら、行きましょう」
「え、ええ。分かったわ!」
唖然としていたイレーネの手を引いて、テーブルの間を抜けていく。
雑多で賑やかで品のない、こんな店は初めてなのだろう。彼女はきょろきょろと物珍しそうに視線を動かしていた。
「や、ジークさん」
イレーネと共になんとかカウンターに辿り着く。私は背の高いスツールに腰を下ろし、内側で忙しなく動き回っている小太りのおっちゃんに声を掛けた。
「シェラじゃねぇか。久しぶりだな」
「つい一週間前にも顔出したじゃん」
「はっ、一週間も空けば顔も忘れるさ。っと、そこのちっこい子は? まさか、子供――」
「んなわけないでしょ。えーっと、なんだっけ、遠い親戚の子だよ。傭兵になりたいって言うから、世話してるの」
スツールによじ登るイレーネを見て、店主のジークさんは目を丸くする。
彼の言いたいことはよく分かる。イレーネ様は14才。同じ年齢で志した私が言えるものではないが、傭兵になるには少々若すぎる。
「随分と強いギフトでも持ってんのか?」
「んー、まあそんなとこかな」
「そういや、シェラのギフトも傭兵にぴったりだったよなぁ。その眼がありゃ――」
「ジークさん、スペシャル定食二つね」
「うん? ああ、まいど!」
食い気味に注文を通す。少々不自然だったかと隣を見るが、イレーネは周囲を見渡すのに忙しくて気付いていないようだった。
「ここはずいぶんと賑やかなところね」
「まあ、お貴族さまの行くようなお店とは違いますよね」
温かくなった財布を冷やすため、男達が大胆に料理と酒を注文している。ふりふりの給仕服を着て駆け回っているのは、可愛らしい獣人族の女の子たちだ。乱暴で陽気な音楽は絶え間なく奏でられ、香辛料とアルコールの匂いが店中に充満している。
イレーネ様のよく知っている、真っ白なテーブルクロスが掛けられて、燕尾服の給仕が控え、しっとりとした弦楽の奏でられるお店とは、何もかもが正反対だ。
「他のお店の方が良かったですか?」
「ううん。こういう所も好きよ」
少し不安になって尋ねると、イレーネはぶんぶんと首を横に振ってはにかんだ。彼女の性格と、この店の雰囲気はよく合っているらしい。
「はいよ、おまたせ。ジークの杯スペシャル定食だ」
私たちの前に大きなトレーが二つ並ぶ。
柔らかい白パンと、具だくさんのスープ。そして、大きなお肉が並ぶ、ガッツリとした名物料理だ。
「パンとスープはおかわり自由! その代わり、飲み物はちゃんと頼んでくれよ」
「じゃあ、オレンジジュースで。イレーネもそれでいいよね」
「ちぇっ。シェラはいっつもそれだな」
言い慣れた注文に、ジークさんは少し残念そうに眉を下げる。
「シェラ、お酒は飲まないの?」
「一応勤務中ですからね。それに、もともとアルコールはあんまり」
護衛が酔っ払って動けなくなっては目も当てられない。もともと体質的に飲めないのもあって、もう数年は一滴も口にしていなかった。
傭兵稼業はストレスが溜まるから、酒飲み自体はかなり多い。野営なんてしてるとなかなか飲めないし、こういった酒場で羽目を外すヤツも珍しくは無い。
「イレーネはまだ飲んじゃ駄目ですからね」
「分かってるわよ。でも、二杯目は葡萄ジュースがいいわ」
「好みがあるなら言ってくれればよかったのに……」
「メニューも無いのに分かんないわよ」
そういえば、イレーネはこういうお店も初めてだ。何を注文すればいいのかも分からないのだろう。
少し不親切だったかな、と胸の内で反省する。
「とにかく、料理が冷めないうちに食べましょう」
「そうですね。毒味は――」
「いらないわよ。毒とか入ってないんでしょ」
護衛の務めを果たそうとする前に、イレーネは早速ナイフとフォークを取る。
彼女は止める間もなく、分厚い肉を切り分け、大きく口を開けてそこに放り込んだ。
「あっちゅ!」
「そりゃそうでしょ……。ちゃんと冷ましてから食べないと」
脂弾ける鉄板の上にあった肉厚ステーキだ。多少話に時間を割いたところで冷めるはずもない。
ちろりと舌を出すイレーネに苦笑しつつ、私も自分の皿に向かった。
ジークの酒場のスペシャル定食は、もともと長い旅から戻ってきた傭兵を労うために作られた。餓えた男どもの腹を満たすため、鬼人向けかと思うほどの大ボリュームだ。値段から考えれば、破格すぎる量で、そのうえ味もいい。
ジークの杯が傭兵たちから愛されているのは、店主も傭兵たちを愛しているからに他ならない。
「美味しいですか?」
「はぐっもぐっ。んんっ!?」
私の問い掛けに、イレーネは動きで答える。
王族としての品位やマナーを、この時ばかりは少し忘れて、傭兵らしく掻き込んでいる。一日歩き通して疲れ果てた体に、肉汁とスープが染み渡る。
喉を詰まらせた彼女に、届いたばかりのオレンジジュースを渡す。彼女はゴクゴクとそれを飲み乾して、ぷはっと勢いよく息を吐き出した。
「おいしいわ!」
「そうでしょう」
自分が作ったわけでもないのに、少し誇らしく思う。
早速ジークに向かってパンとスープのおかわりを要求するイレーネを見ながら、私も切り分けたステーキを口に運んだ。
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