第15話「私は彼女と観察した」

 翌日、私たちは再びギルドを訪れていた。

 若さとは恐ろしいもので、昨日あれだけ疲れ果てていたイレーネは、よく食べてよく眠った結果、完全に元気を取り戻している。私は若干、疲れが残っている。


「リリー! 今日の森と草原の様子を教えてちょうだい」

「はいはい。森はやっぱり少しピリピリしてるわ。なんだか、クマやオオカミの間で縄張り争いが始まってるみたい。草原もその影響を受け始めてるわね。ブラックウルフの群れの目撃報告も挙がってるわ」


 リリーさんがカウンターの奥から、ちらりと私を見る。

 私は昨日、イレーネに悟られずに追い払ったオオカミのことも、きちんと報告していた。フィールドの変化を報告することは、傭兵としての義務だ。それのおかげで、同僚の寿命が伸びることもある。

 どんな些細な情報でも、とりあえず報告しておくに限る。その取捨選択はプロであるリリーさんに任せればいい。


「シェ、シェラ……」

「どうしたました?」


 くいくいと裾を引かれる。

 視線を下げれば、イレーネが困惑の表情でこちらを見ていた。


「どっちも危険みたいよ。今日はお休みにする?」

「ええ……。初日の威勢はどこにいったんですか」


 一変、すっかり萎びた様子のお姫様に、思わずがっくりと肩を落とす。

 昨日、少し脅しすぎたかもしれない。危険の無い方を選ぼうとしたら、どっちも危険が示唆されてしまって、どうすればいいか分からなくなったらしい。

 貴方が背中に背負っているものはなんだと言いそうになるが、それでムキになって森に行かれても困る。


「平原の方はまだ目撃例があっただけです。注意して進めば大丈夫でしょう」

「そ、そうよね。じゃあ草原の依頼を……」


 気を取り直して、イレーネは依頼掲示板の方へ向かう。

 自分よりも遙かに大きな掲示板に、びっしりと張り付けられた依頼書を見渡し、彼女は再びこちらへ振り向いた。


「ジュラ・ペンティアの採集依頼が無いわ」

「あら、珍しいですね」


 私も軽く探すが、確かにジュラ・ペンティアの依頼は見当たらない。ジュラ・ペンティアは使用頻度の高い薬草の代表格だから、その採集依頼も掲示板に常駐していることが多い。それが無くなるというのは、随分と稀な話だった。

 二人揃って間抜けな顔をしていると、カウンターからリリーさんが口を開いた。


「昨日たくさん納品してもらったから、詰まってた依頼が全部終わっちゃったのよ。すぐに新しく依頼は入ってくるでしょうけど、それでも昼頃くらいになるかしらね」


 ギルドは一日を通して開いているが、依頼が止めどなく入ってくるわけではない。やはり昼間の方が多いし、緊急性の低い薬草の採集依頼なら尚更だ。

 しかし、昼頃にやってくるかもしれない依頼を待っていては、例えそれを受注することができても、今日中に終われるかは怪しいところだ。


「ど、ど、どうしましょう……」


 涙目でこちらを見るイレーネ。

 もうちょっと柔軟に考えればいいのに、と思わなくもないが、不敬罪で断頭台には行きたくないので、代わりの言葉を口にする。


「じゃあ、これでもやりましょうか」


 ピンで留められた依頼書を一つ手に取る。

 それを覗き込んだイレーネは、驚いた顔で目を丸くした。


「ブラックウルフの調査? これって、危なくないの?」

「大丈夫ですよ。何も倒せと言う話じゃありませんから。ブラックウルフが、草原に本当にいるのかどうか。いるならどれくらいの数なのか。そういったことを調べて纏めて報告するだけです」

「はぁ。戦わない依頼もあるのね」


 意外そうに言うイレーネ様。

 魔獣の討伐依頼なんていうものは、むしろ傭兵の仕事の中では少数派だ。一番多いのは、薬草や希少な鉱物なんかの採集依頼。次にこういった危険な場所の調査依頼。

 討伐依頼なんて、よほどしつこい魔獣がいて困っているとか、どうしてもあの魔獣の皮が欲しいとか、そんなことが無ければ出されない。傭兵だって、わざわざ危険な依頼を受けるより、多少報酬が少なくても安全な依頼を優先するものだ。


「リリー、これを受けるわ」

「ありがとうございます。じゃあ、タグを出してちょうだい」


 張り切って依頼書を提出するイレーネに微笑みながら、リリーさんも素早く手続きを済ませてくれる。


「シェラ、行くわよ」

「了解です」


 そうして、私たちは今日も草原へと足を向けた。


「なによ。何も変わってないじゃない」


 第二城壁を抜け、畑の間を通り、草原へとやってきた。イレーネは一面に緑の広がる丘陵を見渡して、肩すかしを喰らったような顔になる。


「昨日の今日で激変してるわけがないですよ。そんなの、悪魔でも出てこないと」

「悪魔ねぇ。それこそ望む所よ。あたしの戦斧で切り刻んでやるわ」

「だんだん調子が戻ってきましたね」


 太陽の光を浴びたからか、少し歩いて体が暖まったからか、イレーネは強気な態度を取り戻す。もう少し大人しくしてくれてても良かったんだけどな。

 ともかく、今日の依頼をこなすとしよう。

 私のギフトを使えば一瞬で終わるような仕事だけど、それではイレーネの経験にはならない。あくまで私は補助に徹することにする。


「まずはざっと見渡して、気がついたことがあったら言って下さい」

「気がついたことって言われても……。昨日の今日で違いなんてあるわけないじゃない」


 私の言葉に、イレーネは嘆息する。

 一面に緑の繁茂する草原は、一見したところ昨日と変わったところが見つからない。とはいえ、それは一目見た時の話だ。

 二度、三度、じっくりと目を凝らせば自ずと変化が見えてくる。


「そうですねぇ。例えば、ほら。あそこを見てください」


 さっと腕を上げ、草原の奥を指さす。

 なだらかな丘陵の袂に、草が倒れている線がおぼろげに見えている。


「あれは、何か大きな獣が歩いた跡ですね。草原に棲んでいる野ウサギや穴ネズミでは、あそこまで大きな跡はできません」

「うーん? ……シェラ、あんなのよく分かるわね」

「そういう痕跡があるかも知れない、と思いながら見てれば案外分かるもんですよ」


 イレーネが少し驚いた顔をこちらに向ける。

 少しは威厳が保てたようで、私はなんでもないような顔をしながら、内心では得意げになっていた。こっちは傭兵として五年も活動しているのだ。これくらいすぐに見つけられないとお話にならない。


「じゃあ、あの痕跡の場所まで行ってみましょうか」


 そう言って、私は膝下ほどの高さの草むらへと足を踏み入れる。イレーネはそれを見て、目を丸くした。


「道から逸れちゃいけないって言ったのは、あんたじゃなかった?」

「逸れる必要が無いなら、という話です。今回の任務は草原にオオカミが出没しているかどうかの調査ですからね。痕跡が見つかったなら、精査しないと」

「なんだか屁理屈言われてる気分だわ」


 納得いかないような顔をしながらも、イレーネは私の後に続いて草むらへと分け入っていく。

 とはいえ、さほど深い茂みではない。小柄な彼女でも、ざくざくと草を踏み倒すようにして歩けば、特に問題は無さそうだった。


「ほら、コレがオオカミの通り道ですね」

「結構しっかり残ってるものなのね」

「ま、体が大きいですからね。じゃあ、イレーネ。この道を何頭のオオカミが歩いたか調べてみて下さい」


 そう言うと、再びイレーネは困惑の表情を幼い顔に浮かべる。

 まあ、私の方もすんなりと答えられるとは思っていない。彼女には戦いに関する才能はあっても、敵を知る術と知識はないのだ。

 私はオオカミの通り道の側にしゃがみ込み、倒された草を指さす。


「このへん、少し地面が湿っているので足跡がついているのが分かりますか?」

「えーっと……。この窪み?」

「そうです。この形の足跡があれば、オオカミが歩いていた証拠です」


 分かりやすい足跡を選んで、イレーネにレクチャーする。

 湿った地面にしっかりと足跡がついていると言うことは、朝露が乾ききっていない早朝にここを歩いていたと言うこと。穴の深さからして、おそらく雄だということ。他の足跡の数からして、5頭の群れであること。


「これだけの足跡から、そんなに沢山の事が分かるの?」

「そうですね。足跡以外にも、草の葉っぱについた泥が森の土だとか、落ちている毛に少し白っぽいものが混じっているから老齢の個体がいるとか。フィールドを良く探せば、色々な事が推察できるようになります」

「すごい! まるで探偵みたいね!」


 手放しで褒めてくれるイレーネに、私は思わず鼻の頭を擦る。

 これくらい、ちょっと優秀な傭兵なら誰でもできることだ。フィールド調査なんかを専門にしている人なら、この十倍、二十倍の情報だって引き出せる。嗅覚の鋭い犬獣人なんかは、優れたフィールドウォーカーとして活躍していることも多い。


「ねえ、シェラ」

「えへへ。なんです?」

「早朝にこのあたりを歩いてたってことは、まだ近くにいる可能性も高い?」

「そうですねぇ」


 太陽を見る。丘の稜線から顔を出した白い星は、まだ天頂にはほど遠い。草の葉自体も未だ滴を乗せているものが多く、私のブーツも濃い茶色に濡れている。

 確かに、群れがまだ近くに居ても不思議ではないだろう。


「あれ、そうかな?」

「あれ?」


 すっと、おもむろにイレーネが指を差す。

 私たちの立っている場所から、およそ北東の方角。その先に横たわる、小柄な丘陵。


「んげっ!?」


 薄く緑の生え茂った稜線から、三角の耳をピンと立てた黒い影が四つ。それらは黄色い双眸を、まっすぐにこちらへ向けていた。


「イレーネ。ゆっくりと下がりますよ」


 私は彼らから視線を外すことなく、そっと後ろへ下がっていく。

 お互いに存在を知覚してしまったこの段階で、目をそらした時点で格下であると認められる。その瞬間、私たちは獲物となるだろう。


「イレーネ?」


 そこで、私は主人からの返答が無いことに気がつく。

 嫌な予感が脳裏を過り、思わず顔を横に向ける。

 しまったと思ったその瞬間。


「ふっ――」


 小さな吐息を残し、赤い影が草を蹴散らして飛び出していった。

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