第04話「私は彼女を追いかけた」
鋭利な槍の刃を首筋に当てられ、そのまま硬い床に組み伏せられる。
我らが白晶騎士団は身内にも厳しい、優秀な方々です。
「うわ、物騒だなぁ。彼女も別に悪気があるわけじゃないし、解放してあげてよ」
執務机の方から、軽い調子の声が掛かる。
それを受けて何本も突き出された長槍が、ゆっくりと下がっていった。
私は自分の首がまだ繋がっているのを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
「って、そうじゃないですよ。陛下、どうかお考え直し下さい!」
本来の目的を思い出し、リッテンカルト様の方へと一歩踏み出す。
その瞬間に針のむしろのような視線に晒されるが、こっちも引き下がるわけにはいかない。
「イレーネ様はリットランド王国に欠かすことのできない御方です。万一の事があれば――」
「万一の事はない。そうだよね」
「んなっ!?」
私の言葉を遮り、リッテンカルト様は穏やかな笑みで言う。柔和な表情だが、この場に於いてあらゆる意味で誰よりも影響力のある傑物だ。
私にだけ向けられた、押し潰されそうなほどの強大な圧迫感に、思わず後ずさる。
「シェラだったかな。君は、イレーネの悪戯を受けきったそうじゃないか」
国王の唐突な発言に、一瞬理解が遅れる。
それが先ほどの
「就職初日に殉職するかと思いましたが……」
「ははは。イレーネはまだ人を殺してないよ」
まだ、という言葉が非常に重い。
国王の隣で胸を張っているイレーネ様は、その意味が分かっているのだろうか。怪しいところだ。
「イレーネは、自分より弱い者に守られるのは嫌だと言っていてね。僕の方でも少々手を焼いていたんだ」
「自分より弱い……。それはかなり難しい条件では?」
「そうだねぇ」
リッテンカルト様は愛娘へと視線を向ける。
「〈無窮の武練〉は武術系最強のギフトだ。彼女に敵う騎士は、白晶騎士団にも居ない」
国王は断言する。
そのはっきりとした言葉は、彼が常軌を逸するレベルで娘を溺愛しているために紡がれたものではない。誰にも否定できない、歴然とした事実なのだ。
赤髪の姫が歴戦の傭兵たちに向かって吐いた台詞は、決して思い上がりではない。
彼女は、最強なのだ。
「でも、君はイレーネの攻撃を全て躱した。傷一つ付いていないじゃないか」
「ぐぅ。それは、運が良かったというか」
「僕の娘の剣が、たかが幸運程度の不確定要素で躱せると?」
リッテンカルト様の笑みが深まる。
凄味のある柔和な顔に、足が竦み上がった。
こんなところで子煩悩を発揮しないで貰いたい。
「君はずいぶん良い眼を持っているんだろう」
「それは……そうですが……」
「なら、その目でイレーネを見守ってくれれば良い。君が居れば、不埒な輩の2,30人くらいどうってことないよね」
柔やかな顔でたちの悪い冗談のような事をほざ――仰る国王様。思わず引きつりそうになる頬を抑え、拳を握って頬の内側を噛む。
見ることも避けることも私の十八番だが、誰かを守るのは専門外だ。そんなこと、彼ほどの人物なら分かっていて当然だろうに。
「なに、君はただ付き従っているだけでいい。イレーネに傭兵の暮らしを教えるだけで、十分だ」
彼もまた王族だった。
庶民、傭兵のことなど分かっていない。彼らの胸に宿るなけなしの矜持も、きっと理解できないのだろう。
けれど、私もまた騎士なのだ。
彼が、彼女がやれと命じるのならば、腰に佩いた剣に誓ってそれを成し遂げねばならない。
「もちろん、何十年と続けさせる気はない。――一ヶ月だ。一ヶ月だけ、イレーネが城の外に出ることを許そう」
リッテンカルト様が人差し指を立てる。
1ヶ月――それだけの期間に限定するならば、と私は思わず納得しそうになる。きっと私は交渉ごとには向いていないのだろう。
「一ヶ月!? そんな、短すぎるわ! 最低でも一年、いえ、三年は欲しいわ!」
逆に、今まで悠然としていたイレーネ様が烈火の如く吠える。
父上が示した期間は、彼女が思い描いていたものよりも遙かに短かったようだ。三年とか、本当に勘弁してほしい。
「駄目だ、イレーネ。期間は一ヶ月。それ以上は許さない」
真剣な眼をして、リッテンカルト様はイレーネ様に告げる。
有無を言わせぬ王の気迫を真正面から受けては、さしものお転婆姫様も口を噤む。不満げに頬をぷっくりと膨らませてはいるが。
「シェラ。君にも相応の褒美は与えよう。一ヶ月の任務が終わったら、僕の権限の範囲で要望に応えよう」
「んえっ!?」
さらりと飛び出した言葉に、目を丸くする。
リッテンカルト様の権限といえば、正真正銘、国王としてこの国で最高の力を持つ。庶民な私のちっぽけな欲望など、指先一つで叶えてしまうだろう。
例えば、安全で暇な部署で安定したお賃金を貰って悠々自適なセミリタイア生活を送るとか。
「い、一ヶ月だけなら」
「うんうん。話が早くて助かるよ」
結局、権力には勝てなかったよ。
私が屈服すると、リッテンカルト様は満足げな表情で鷹揚に頷いた。
「そういうわけだ、イレーネ。一ヶ月、いろんな経験を積みなさい」
「ぐぬぬぬ……」
当の姫様も最後まで眉間に深い皺を刻み、不満げに唸っていたが、頷かざるを得なかったようだ。ここで下手に食い下がれば、その一ヶ月すら露と消えるかも知れない。
イレーネ様は父の執務机を一度強く叩くと、早い足取りで扉の方へと向かう。その途中、私の隣で一度立ち止まった。
「何をぼさっとしてるのよ。時間が少ないんだから、さっさと行くわよ」
「ええっ!? き、今日からですか?」
「当然でしょ! このウスノロ!」
ガシガシと脛を蹴られる。熟練の格闘家のように鋭いローキックが、騎士の鎧を貫通してダメージを確実に入れてきた。
「わ、分かりました。分かりましたから!」
「ふんっ!」
ひとしきり私の脛を蹴った後、少しすかっとした顔でイレーネ様は部屋を出る。
「し、失礼しましたっ」
「うんうん。ま、よろしくね」
慌てて頭を下げる私に、リッテンカルト様は軽く手を振って応える。彼もまた、執務机に山のように積まれた書類との格闘があるのだろう。少し、表情に陰りが見える。
王様も私も忙しい。義務と責務に忙殺されている点に於いては、お互い様だ。
私は一瞬、天を仰ぎ、急いで小さな姫様の後を追いかけた。
「イレーネ様、イレーネ様!」
広い廊下の真ん中を堂々と歩く小さな背中に呼びかける。
彼女は鮮やかな赤髪を揺らして、うんざりとした顔でこちらに振り向いた。
「何よ、騒がしいわね」
「本当に今すぐ始めるんですか?」
「何度も同じ事言わせないで。一月しか期間がないのよ? ぼやっとしてる暇は無いじゃない」
きっぱりと言い切るさまは格好良いが、私としては勘弁してほしいところだ。
「どうして、念願の騎士になったのにその日のうちにギルドに戻らないといけないの……」
思い描いていた騎士生活とはかけ離れた実情に、思わず嘆く。
そんな私を、イレーネ様はきょとんとした顔で見上げた。
「何言ってるの。今日はギルドには行かないわよ」
「ええっ? そんな、でもギルドに行かないと傭兵にはなれませんよ?」
知らないんですか、と首を傾げていうと、彼女はむっとして再び私の膝下を蹴った。
「んなこと知ってるわよ! でも、武器も防具も用意してない状態で行っても仕方ないでしょ」
「武器も防具もって、武器庫――居室にいくらでもあるじゃないですか」
「あんなのただのインテリアよ。命を預けるものは、ちゃんとした物を用意しないといけないんじゃないの?」
イレーネ様の視線が下がる。
その目が私の腰にある双剣に向いているのに気がついて、それはそうだと頷いた。
私を見て、彼女は鼻を鳴らす。
「ほら、行くわよ」
「ど、どこに……?」
「決まってるでしょ。武器屋と防具屋よ」
きっぱりと言い切って、イレーネ様は再び歩みを進めた。
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