第03話「私は彼女に反対した」

「ちょちょちょ、待って下さいイレーネ様!」

「待たないわ!」


 リットランド王城、第三王女イレーネ様の居室に悲鳴が響き渡る。

 無論、私である。

 しかし原因は、お姫様にある。

 突然、傭兵になるなどとのたまった彼女に、私は身分と立場と我を忘れて詰め寄った。


「冷静に、冷静に考え直して下さいよ!」

「冷静よ!」

「ならなんで傭兵になるなんて言うんですか!?」


 そのか細い両肩をがっしりと掴み、全身全霊を込めて彼女を説得せんと畳みかける。


「傭兵なんてのは泥臭い庶民の、それも腕っ節以外なにも無いような輩の受け皿なんです。他の職にあぶれたような奴が他に賭ける物も持ってないから仕方なく自分の命を賭けて、危険な魔獣に挑むだけ。

 命なんていくらあっても足りませんし、実際毎日誰かしらが死んだり復帰不能な怪我を負ってるんです。

 イレーネ様がなるような職ではないんですよ」


 何か反論される前に諦めさせようと捲し立てる。

 嘘は何一つ言っていないし、全て誇張のない現実だ。傭兵稼業というのは危険・汚い・過酷と三拍子揃った職業なのだ。少なくとも、高貴なる血であるイレーネ様が関わるようなものでは決してない。


「――“黒竜殺し”ロアル」

「はい?」


 私の瞳をじっと見つめ返し、イレーネ様は唐突に口を開いた。


「“骨砕き”ペストリカ、“魔封じ”テジム、“伸びる手”カカシ、“青腕”ヤンダル、“千斬”ガストン。あんたも傭兵なら、知らないわけはないでしょう?」

「それは……はい」


 淀みなく並べられた名前の数々。それが意味する事を、私はよく知っていた。

 皆、金級の傭兵だ。しかし、有名なのはそれが理由ではない。猛者揃いの金級の中でも、特に優れた能力を持つ傭兵は、同業者たちから畏怖と尊敬の念を込めて、二つ名が送られる。

 それは彼らの確かな実力を示す看板となり、報酬を上積みさせる交渉材料となる。傭兵にとっては己の歩んできた道を証明する勲章として、己の命の値段を示す値札として、懸命に手を伸ばし続けるような代物だ。

 二つ名とは、命を賭した傭兵が至る極致の一つなのだ。


「彼らの名前は、ここまで届いたわ。こんな辺鄙な王国の、分厚い壁に囲まれた王城の隅っこの部屋までね」

「辺鄙な王国って……」


 仮にも王族が言って良い台詞じゃない。

 そんな私の目をさらりと無視して、イレーネ様は続ける。


「彼らは強い。とても強い。希有で優秀なギフトを授かって、それを使いこなすために血の滲むような努力をしてる。――でも、あたしの方が強い」


 静かに、はっきりと、彼女は断言する。

 私を見上げる赤い眼に冗談の色は浮かんでいない。

 彼女は心の底から、そう言っていた。


「龍を殺した剣士より、あたしの剣の方が鋭い。堅骨を一打で砕いた格闘家より、あたしの拳の方が硬い。そうは思わない?」

「お、思いま――」


 反射的に頷きそうになって、唇を噛む。

 私だって傭兵だった。傭兵が持つ“二つ名”の重みを、目の前の少女よりずっと深く理解しているつもりだ。


「――思いません」


 真っ直ぐに見つめて。


「ふぅん」


 イレーネ様は赤い瞳を細め、挑戦的な笑みを浮かべた。幼い顔立ちにそぐわない、老練の騎士のような殺気が滲み出ている。


「そうでしょうね」

「えっ」


 直後、彼女は緊迫した空気を霧散させて、すんなりと頷く。

 驚くほど潔い身の引きように、私の方が驚いてしまう。

 しかし、安心する暇も無く彼女は再び口を開いた。


「だから、証明するのよ。あたしの方が、その辺の傭兵よりよっぽど強いってことをね」


 ともすれば高慢不遜。だが、王族としての高貴な光が、それをただの思い上がりでは終わらせない。

 何より、彼女はリットランド王国が誇る“三美姫”の一人――“武姫”イレーネ様だ。

 傭兵が死に物狂いで手を伸ばし、泥の中を這いずってでも掴もうとする輝きを、その者の存在を広く知らしめる“二つ名”を、すでに持っている。


「――だめです」


 しかし、私は言わなければならない。

 首を横に振らなければならない。


「……なに?」


 従順でない私に、イレーネ様は不快感を隠そうともせず睨み付ける。

 それでも私は、頷くわけにはいかないのだ。


「傭兵の世界は危険です。汚いです。臭いです。イレーネ様のように、高貴な身分の方が足を踏み入れるような場所ではありません」

「五月蠅いわね。あたしがあたしの判断で、あたしの責任で行こうとしているだけなのよ。あんたに止める権利はないわ!」

「あります。私は貴女を傭兵にはさせません。私は貴女の近衛です。貴女の身をお守りするという使命を、他ならぬ貴女のお父上から賜っています」


 彼女はぎゅっと両の拳を握りしめる。

 憤怒を堪え、額に深い皺を寄せている。


「もし、イレーネ様が傭兵になろうと言うのでしたら、私は私の全力を以て、それを止めます。私に貴女を止める権利はありませんが、止めなければならない責任があります」


 小さな体から放たれる、押し潰されそうな程の重圧。どうして、この幼い少女がそれほどの威圧を見せるのか。足を伸ばし、真正面からそれに対抗する。

 しばらく、私と彼女は無言でにらみ合った。

 静寂に満ちた争いは、唐突に終わる。


「分かったわ」


 馬鹿らしいとでも言うように、イレーネ様が頭を振る。

 さらさらと赤髪が揺れる。

 霧散した圧から解放されて、私はほっと胸を撫で下ろす。真正面から彼女と真剣勝負をしたら、恐らく私は負けていた。彼女が力尽くで突破しようとすれば、私にそれを止める術は無かった。

 なんとか平和的に収まって良かったと、そう思った矢先のことだった。


「なら、直接お父様に聞きましょう」

「…………はっ!?」


 小さくぷっくりとした唇から飛び出した言葉に、私は頓狂な声を上げる。

 予想だにしていない展開だ。どうしてそうなるのか、理解に苦しむ。

 そんな私の混乱を見て、イレーネ様はしてやったりと悪い笑みを浮かべていた。く、このガキ……ッ!


「ほら、行くわよ、シェラ」

「え、えっと。何処へ?」

「決まってるでしょ。お父様の執務室よ。あんたはあたしの護衛なんだから、ちゃんとついてきなさいよ」


 でないと勝手に傭兵ギルドまで行くわよ、と私の主は口角を引き上げる。一回、その白いもちもちとしたほっぺたを往復でぶっ叩いてやりたいところだが、そんなことをした瞬間に私の首が飛ぶ。


「ぐ、わ、分かりました」


 ニヤニヤと笑みを浮かべるイレーネ様に、怒りを抑えて付き従う。


「トゥーリ、片付けよろしく」

「かしこまりました」


 彼女が手を振ると、メイドさんが深々と頭を下げる。

 なるほど彼女はトゥーリさんと言うのか、などと頷いている暇はない。私は好き勝手に歩き出すイレーネ様を追って、部屋を飛び出した。

 しかしまあ、今の私はさほど焦ってはいない。

 このリットランド王国の国王、リッテンカルト様は三人の娘を溺愛していることで有名だ。お妃様に先立たれたこともあるだろうが、無論それを差し引いてもあの御方はイレーネ様たち“三美姫”に無量の愛情を注いでいる。

 イレーネ様の居室を守る頑丈な防御術式の施された扉も、そんな愛の表れだろう。

 そんな偉大なる賢王にして愛深き父親である、リッテンカルト様が、如何に“武姫”と呼ばれようと愛しい娘であるイレーネ様に、そんな危険で汚くて臭い傭兵稼業を許可するようなことが――


「傭兵? いいよ」

「はぁぁああああああああああっ!?」


 憎たらしいほどの笑み。

 私は駆け付けた同僚たちの長槍に組み伏せられ、猫のような赤い瞳に見下ろされた。

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