第05話「私は彼女について行った」
王城の周辺には、貴族街が広がっている。私の借りていた宿など吹き飛んでしまいそうなほどの、立派な邸宅がいくつも並び、庭師が日々ちまちまと枝葉を整えている生け垣がどこまでも続く。大きな馬車が何台もすれ違えるほどの広い通りは、真っ白な石材が隙間なく敷き詰められていた。
騎士でも忠実に職務をこなし、功績を認められ、騎士爵を与えられれば、この通りの一角に館を構えることは可能らしい。しかし、今のところ、私の住まいは安宿から城内にある騎士寮へとランクアップしたくらいだ。そういえば、まだ騎士寮の自分の部屋すら入っていないな。
ともかく、立派な門と青々とした生け垣に囲まれた大きなお屋敷を横目に、更に外側に向かって歩くと、今度は商人街へと辿り着く。
商人といっても、私がよく晩ごはんを買うような、小汚いおっちゃんがやってる肉団子屋なんてものは無い。貴族街に接するだけあって、高貴な身分の方々を相手にするようなお店ばかりだ。
「あの、イレーネ様」
「なによ」
ずんずんと我が物顔で大通りを歩く姫様の後を、私は窮屈な思いでついていく。
一度、ご自身の武器庫――居室に戻ったイレーネ様は、メイドのトゥーリさんの手を借りながら服を着替えた。今の彼女は、どこにでもいる普通の、すごいお金持ちなご令嬢である。
私も白晶騎士団の綺麗な鎧では目立つと言われ、わざわざ傭兵時代の安い装備に着替え直した。白晶騎士団の詰め所に装備を取りに行った時、団長のバッグルさんには怪訝な顔をされたが、私だって好きで着替えたわけではない。
「すごく窮屈だ……」
「何よ。傭兵自体はずっとその装備だったんじゃないの?」
「いや、そういうことではなく。空気というか、空間というか」
貴族街の隣にある商人街は、高貴すぎる身分であるイレーネ様にとっては、文字通り我が物なのかも知れないが、私にとっては縁もゆかりもない場所だ。過去にこの通りを、こんな見窄らしい装いであるいた者がいるだろうか。正直、この装備ではアウェー感が半端ない。
傭兵時代の私が愛用していたのは、安さと軽さを重視したオーク革の軽鎧だ。胸当てに鉄のプレートを縫い付けているくらい。騎士の重鎧と比べれば、値段も重さも防御力も動きやすさも雲泥の差だ。
「あーもう! 苛々するわね。もうちょっと騎士らしく、しゃっきりしたらどうなの?」
「そう言われましても。あんなに大きなガラス窓がずらっと並んでたら、怖くて道の端も歩けませんよ」
「臆病者ねぇ。そんなんでも傭兵はやってけるの?」
「慎重な奴ほど向いてるんですよ、傭兵は。油断したり、大胆な事したり、変に勇敢な奴はみんな早死にします」
小馬鹿にしたような顔で嘲笑するイレーネ様に、真顔で言い切る。これは事実なのだから、仕方ない。自分の実力すら見極めきれず、格上に挑んで不帰の者となった傭兵は数え切れない。
しかし、私の答えは彼女を驚かせたらしい。イレーネ様は虚を突かれた様子で、きゅっと口の端を結んだ。
「それで、どこに行くんですか?」
「言ったでしょ。武器屋と防具屋よ」
「ほんとに、商人街にそんなのあるんですかぁ?」
迷いのない足取りで進むイレーネ様に、私は疑念の眼を向ける。
商人街に並ぶのは、お貴族様や王族御用達の上品なお店ばかりだ。渡来の珍品秘宝を揃える貿易商や、上質なシルクを扱う服飾店、煌びやかな宝石を山のように積み上げた宝石商などはあっても、傭兵が命を預ける武器防具を売る店があるとは思えなかった。
「あんた、貴族の事を何も分かってないのね」
「そりゃあまあ、平民育ち平民生まれのド平民ですから」
お姫様に呆れられても、こちらとしては事実なのだから何ら恥じ入ることはない。騎士としては恥ずかしいかも知れないが、職歴一日目でそんなのを求めないで欲しい。
「貴族だって、毎日ただ漫然と財を散らしてる訳じゃないのよ。相応の責務を負っているから、相応の富みを得ているの」
「なるほど?」
「この国が他国と戦争するなんてことになったら、貴族だって兜を被って走竜に乗る必要があるのよ」
「なるほどぉ」
「……ほんとに分かってるの?」
イレーネ様が胡乱な目を向けてくる。
要は高貴なる義務という奴だろう。ドアノブと唇がどうとか、ってやつだ。しかし、この国はもう何十年と穏やかな時代を過ごしてきた。今時、そんな事に備えている貴族がどれほどいるのか、私には少し疑問だった。
そんな私の思惑を感じ取ったのか、イレーネ様は軽く鼻を鳴らす。
「確かに、剣や鎧に錆を浮かせて、杯ばっかり磨いてるバカも居るわ。でも、歴史に学び、未来を憂い、いつか来たる日に備えて目を開いている賢者もいるの。だから、そのためにこの店もある」
丁度、その言葉と共にイレーネ様の歩みが止まる。
彼女が見上げた視線の先には、立派な白い石材で築かれた館があった。
建物の前面に大きく嵌められたガラス窓は透明で、中には装飾の美しい鎧の一式がずらりと並んでいる。門柱の前には、立派な長槍を携えた二人の衛士が立っていて、彼らの背後には金のプレートで、“ミュール武具工房”と刻まれていた。
「ほら、客よ。通しなさい」
衛士のおっちゃんに向かって、イレーネ様は相変わらず尊大な態度で話しかける。よくもまああれだけ自信を持てるものだ、と思わず感心してしまうが、今回は少し様子が違っていた。
「申し訳ありません。まずはお館様からの委任状などをご提示願います」
「はぁ!?」
返事を聞く間もなく、つかつかと店内に入ろうとしていたイレーネ様は、苦笑いした衛士に道を阻まれる。
「あたしはイレーネよ! この国の王女よ!」
信じられない、と怒りを隠すこともなく、イレーネ様は吠える。
「いやぁ。参ったな、ははは」
全然信じられてないね。まあ、そうだろうね。だって、今のイレーネ様は、自身の身分を示すものを何も持っていない。装いだって、トゥーリさんが選んでくれた一般貴族令嬢スタイルだ。
衛士の方も、彼女が第三王女その人であるという確証は無いだろう。王族をこんな間近で見る機会などないし、そもそも、王族が護衛も付けずに――一応、私がいるけども――こんな所をほっつき歩いていると思う筈がない。
「ききき、貴様、無礼よ! 工房長を出しなさいよ! レセイクならあたしの顔も知ってる筈なんだから!」
「お嬢様は、工房長の名前をご存じでしたか。申し訳ないですが、工房長は忙しい方でして。今もお城へ行っております」
「はぁぁああ!? なら、ここまで来た意味がないじゃない!」
ニコニコと笑顔で対応してくれる優しい衛士のおっちゃんに、イレーネ様は耳を劈くような声で答える。
若い方の衛士のお兄さんが、厄介な令嬢を連れてきやがってと言わんばかりに私を睨み付ける。私が連れてきたんじゃないんです。むしろ私は連れてこられた方なんです。
「このっ、分からず屋! 非愛国者! 不敬者!」
「困ったなぁ。はは。……飴玉でも食べるかい?」
「いらないわよ!」
イレーネ様はたしか、今年で14才だったか。それにしては小さいし、童顔だし、もっと幼く見える。それもあって、衛士のおっちゃんの誤解は止まるところを知らない。
彼女が暴走してしまえば、私でも止めることはできない。流石に手遅れになる前に対処しようと、私が前に出たその時だった。
「おおお、王女様!?」
背後から大きな声が、商人街に響き渡る。
直後、ドスドスと重たい足音が近付き、立派な箱を牽く竜車が店の前に止まった。
「工房長! お帰りなさいませ」
箱から飛び出してきたのは、綺麗に仕立てられたスーツを纏った青年だった。金髪と青い瞳がキラキラと輝いて、いつもならさぞ息を呑むような美貌なのだろうが、生憎と今は顔面蒼白になっている。
「お帰りなさいませじゃない! 何故ここに王女様がいらっしゃるのだ」
「えっ? ……えええっ!? じゃ、じゃあ本当に、この方は――」
「第三王女、イレーネ様だ!」
青年の言葉に、衛士のおっちゃんとお兄さんも表情をがらりと変える。ブルブルと震えだし、イレーネ様の顔と工房長の顔を交互に見る。
いやまあ、おっちゃんたちは何も悪くないよ。
「も、申し訳ありませんでしたっ!」
息の揃った謝罪の声。
イレーネ様はこめかみをピクピクと痙攣させていたが、ひたすら謝り倒す衛士二人と工房長に、何とか腹の虫を治めたようだった。
「とにかく、さっさと中に入れなさいよ」
腕を組み、偉そうな態度で言う。
これで実際に偉いのだから、手に負えない。
恐縮しきってガチゴチな動きになった衛士さんたちに連れられて、イレーネ様はお店中へと入っていた。
「はぁ……」
タイミング良く工房長さんが帰ってきてくれて良かった。
ともかく私も後に続こうと歩き出すと、不意に衛士のおっちゃんが私の方を見た。
「その、イレーネ様。あちらの方は?」
「……」
おっちゃんの問い掛けに、イレーネ様はこちらを見る。その口が弓形に曲がり、私は嫌な予感を覚える。
「あの、イレーネ様」
「誰でしょうね。全然知らないわ」
「イレーネ様!?」
ガシャン、と長槍が首の前で交差する。
つい数刻前にも体験した殺意を首元に感じて、私は泣きそうになりながら決心した。
――あのガキ、絶対泣かす。
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