第23話「あたしは彼女に会いに行った」
彼女が城を去った。
あたしは再び、分厚い鉄扉に閉ざされた牢獄のような石室に押し込められた。
格子の付いた小さな窓からは、青く広がるヴォールティルグの森を一望できる。あの森のどこかで、彼女はのびのびと羽を広げて過ごしているのだろう。あたしはそれを、ただ見下ろすことしかできないというのに。
「イレーネ様、お手紙は今日も――」
控えめなノックと共に入ってきたトゥーリが、落ち込んだ顔で言う。別に彼女の責任というわけでもないのに。
「別にいいわよ」
シェラからは、毎日手紙が届いていた。
過去形なのは、今はもう届いていないからだ。
余り心配はしていない。もともと、彼女は筆まめな性格ではないだろうし、書き始めたのだって、どうせ誰かにそそのかされたからだろう。
一応、彼女が去った翌日から二週間くらいは、ちゃんと届いていた。そこに書かれているのは、森でどんぐりを拾い集めてパンを作ったらエグかっただの、苦労して鳥を仕留めたけど肉が少なくてひもじかっただの、他愛もないようなことばかりだったけど。
けれど、私の方がすぐにそれを読まなくなった。
内容がなくて面白くなかったから。いや、それすらも今のあたしには当てつけのように思えてしまうからかもしれない。
彼女が飽きて、手紙が届かなくなっても、あたしは何も思わなかった。むしろ、少し嬉しかったのかもしれない。
「イレーネ様。お食事は」
「もう下げて良いわよ」
「ですが、今日もまた――」
部屋の数少ない家具である机には、トゥーリが持ってきた食事が置いてある。何度も毒味を重ねて、出てきた頃にはすっかり冷たくなった、味気ない高級料理だ。
部屋から出ることもできなければ、おなかも空かない。
あたしは食事の載ったお盆を持って出ていくトゥーリの背中を見送り、分厚い扉が閉まるとベッドに身を投げた。
「はぁ……」
重たいため息が口から漏れる。
ここしばらくは、トゥーリ以外とまともに意味のある言葉も話していない。
鉄格子の向こうには、青い空がどこまでも広がっている。何も知らない綿雲が、のんびりと風に吹かれて漂っている。
あたしはここから出られない。鉄を裂くことができる〈無窮の練武〉も、お父様のギフト〈城主〉の前では無力だ。それ以前に、今のあたしでは、ブラックウルフを倒すだけの力すら出せないだろう。
あたしのギフト、〈無窮の練武〉は端的に言って強い。それこそ、最強であるとあたし自身が疑わないほどに。
けれど、どんなギフトにも一長一短あるものだし、〈無窮の練武〉も無敵ではない。
「今のあたしは、最強じゃないわね」
〈無窮の練武〉は、王族に相応しいギフトだ。
気高い心を持ち、不屈の精神があれば、巨人すら屠るほどの力が湧き上がる。見たこともないような武器を、熟練の達人よりも上手く扱い、肉体も頑丈になる。あたしは最強の戦士になる。
けれど、あたしが少しでも屈せば。最強であることを疑ってしまえば、その瞬間にギフトはあたしを見放す。
三年前の武闘大会は、あたしのギフトを確実なものにするためのお膳立てだった。名だたる騎士たちと戦わせ、そしてあたしがギフトの力で優勝を果たす。その結果、あたしは強さを確信し、その確信が強さを保証する。
そう、最強であると確信するが故に、あたしは最強だったのだ。
だけど、こうして冷たくて狭い石室に押し込められたあたしは、心が疲れ切っていた。王族らしい気高さなんて微塵もなく、ただ品質だけは良い枕に顔を埋めることしかできない。
「シェラ……」
名前が口から零れる。
あたしを、この部屋から出してくれた女。いや、あたしにあたしを出すことを命じられた女。
彼女は長い傭兵の生活を乗り越えて、念願の騎士へと成り上がった。それなのに、あたしは彼女を再び傭兵へと突き落とした。
きっと恨んでいることだろう。彼女にとっては、悲劇に他ならないのだから。
たしかに、最後の戦いの時、彼女は身を挺してあたしを守ってくれた。あの時の彼女は、あたしの知らない力を使ってもいた。けれど、それも彼女があたしの護衛騎士だからだ。
今の彼女は格子窓の外に広がる森の番人であり、あたしという鎖から解き放たれた自由の鳥だ。
「もう一度」
彼女に会いたい。
会って、どうするべきかも分からないのに。
部屋の隅に押し退けられた、ドレスメイルと戦斧とポーチ。積み上がった山の上に、銅板のプレートが引っかかっている。
あたしは無意識に、そのプレートを手に取った。
何の変哲もない。いくらでも同じ品のある、量産品だ。
傭兵はよく死ぬし、銅級ならば尚更だ。高価なものなど、渡すほどの余裕も理由もないだろう。
王族というのは、名誉も富も権力も、銅級の傭兵などとは比べものにならないほどのものを持っている。あたしのドレスメイルと戦斧は、銀級のシェラでも買えないような代物だろう。
それでも、あたしがどれだけお金を積んだって、どれだけ命令を出したって、彼女の胸元にある銀のプレートは手に入らない。
あたしがこれを首に掛けていたあの時間も、もう戻らない。
「く、ぅ」
不意の疼痛。
銅のプレートを握りしめ、胸元に押さえつける。
心の弱ったあたしは、ただの小柄な14才の女でしかない。そんなあたしに、この冷たい部屋は毒だったらしい。
揺らぐ視界を彷徨わせ、人を探す。
しかし、鉄扉は硬く閉ざされ、治癒魔法を使えるトゥーリも外に出ている。
脳裏に浮かぶのは、ブラックウルフを斬った時よりも、泥喰い蜥蜴を裂いた時よりも、あの白化種に吹き飛ばされた時よりも、鮮明で明確で冷たい、鋭利なナイフのような、死の予感。
「シェ……ラ……」
居もしない人物の名を、届きもしない声で呼ぶ。
彼女があの鉄の扉を開いて、ひょっこりとあの青色のすき取った瞳がこちらに笑いかけるのを、薄らぐ意識の中で期待する。しかし、そんな奇跡など、起こるはずもない。
彼女は今、森の中で一人――
「ひとり?」
何かがひっかかる。
頭の奥にあった情報の断片が、急速に繋がっていく。
どうして彼女は森番になった?
悠々自適の生活を送るため?
そんなわけがない。
彼女は傭兵だった。
彼女を傭兵につきおとした。
私は傭兵だった。
私を傭兵にしてくれた。
彼女は――。
思考が纏まらない。
胸の痛みは消えている。
栄養が足りていない。枯れていた胃が活力を取り戻し、キュウキュウと鳴き始めた。
「トゥーリ! トゥーリ! 誰でも良い、食事を持ってきなさい!」
ドアを叩く。
一月近く、静寂を保っていたドアを鳴らす騒音に、外の廊下に立っていた白晶騎士が驚く。あたしはそれに構わず、下げた食事を持ってくるように命じる。
「どうしたんですか、突然」
「おなかが空いたのよ」
困惑顔で戻ってきたトゥーリの手には、新しく作り直された食事が抱えられている。
あたしはそれを奪うように受け取って、作法も礼儀もかなぐり捨てて口に詰め込んだ。詰まれば水で押し流し、冷えた肉を我武者羅に喰らう。
王族の品位の欠片もないあたしに、トゥーリは面食らっていた。けれど、次第に元気を取り戻すあたしを見て、安心しているようでもあった。
「ブラックウルフが出てきたのはなぜ? そのあとには
栄養が頭に行き渡り、思考の歯車に油が注される。堰を切ったように情報が流れだし、干からびた脳みそが膨らんでいく。
ブツブツと呟きながら食事を続けるあたしを見て、トゥーリの顔が再び怪訝なものになる。彼女に構っている暇はない。
「――会わなきゃ」
パンの最後の一欠片を口に放り込む。それを飲み込み、立ち上がる。
「姫様? いったい、何を――」
「シェラに会いに行くわ」
ドレスメイルを着る。
なによ、一人でも着れるじゃない。
ポーチを腰に巻き、戦斧を持つ。
ドレスはいらない。ティアラも外す。代わりに着けるのは、銅のプレートだけでいい。
「駄目です、姫様。シェラさんに会いに行くことは、許されておりません。そもそも、この部屋、このお城を出ることも――」
「許す、許さないの話じゃないわ。あたしが、ここを、出ていくのよ」
全身に力が漲るのが分かる。
私は最強になる。
最強の私になる。
私は最強なのだから、最強のお父様の結界も崩せる。
最強のお父様の結界も崩せるのだから、私は最強だ。
「イレーネ様、いけません!」
「近くに居ると、怪我するわよ」
「森には入ってはいけません! 危険です!」
振り向く。
トゥーリはしまったと言う表情で、両手で口を抑える。今の言葉は、言ってはいけないものだったらしい。
「だったら、尚更行かなくちゃ」
「姫様!」
「イレーネと呼びなさい。――あたしはただのイレーネ。銅級傭兵の、イレーネよ」
戦斧を――大盾の形を取っていた戦斧を展開する。
この部屋には大きすぎる、無骨な鉄塊だ。数分前のあたしでは、とてもじゃないけれど持ち上げられないほどの重量を、今のあたしは軽々と振り回せる。
「はっ!」
鉄格子の嵌まった窓に向けて、力一杯振り下ろす。
激しい音を立てて、斧の刃が壁の表面、少し離れた空中で阻まれる。これがお父様のギフト〈城主〉の力だ。
万難を排し、内部の者を守る、領域系最強と謳われる絶対防御。“魔姫”と呼ばれるお姉様の全力魔法でも、破ることはできないと言われている。
けれど、あたしはこれを破れる。
破れなければ、あたしではない。
「はぁぁぁぁああああっ!」
虚空に刃が食い込む。
抵抗は信じられないほど強くなり、熱と衝撃が部屋中に渦巻いた。
封筒が舞い上がり、トゥーリが身を屈める。
雷が吹き出す。炎がうねる。強大な力の奔流が、あたしを城の中へ押し止めようと束になって襲いかかる。
一度で破れないのなら、何度でも。
破れるまで、何度だって。
負けるわけにはいかない。
負けるわけはない。
あたしは――最強なのだから。
「ああああああああっ!」
レセイクは良い仕事をしてくれた。
彼の造った戦斧は、お父様すら越えたのだ。
「姫様!」
「イレーネと、呼びなさいっ!」
飛ぶ。
大穴の開いた城の壁から、身を投げる。
遙か下に広がる、鬱蒼と広がる魔の森へと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます