第22話「私は一人、歩き出した」

 展開は迅速だった。

 翌日には勅命が下り、私は赤晶騎士団へと移籍された。それと同時に西に広がる森――ヴォールティルグ大森林を管理する、森番へてあてがわれた。

 今日、王都を発つ私の首には、赤い水晶のプレートが掛かっている。


「本当にいいのか?」

「何がです?」


 王城の立派な門の足下。

 走竜を持ってきてくれたバッグルさんの、主語を抜かした問いに首を傾げる。

 隆々とした筋肉を、窮屈そうに鎧に押し込めた彼は、深いため息をついて私を見た。脳筋みたいな人に馬鹿にされるのは一番傷付くな。


「イレーネ様だよ。別れの挨拶くらいしてもよかったんだぞ」

「えへへ。それが、部屋にも入れて貰えなくなりまして」


 後頭部に手をやって答えると、彼は太い指で眉間を揉む。彼も白晶騎士団の団長として、色々苦労が耐えないのだろう。

 バッグルさんは真剣な目をして、こちらをじっと見る。


「姫様には言ってるのか?」

「……」


 私の沈黙で、彼は大きくため息をつく。


「きっと、これが最良の選択です」

「独りよがりだな」


 バッグルさんが走竜の鞍に腰掛ける。

 私も、もう一頭の走竜の鐙に足を掛け、跨がった。

 西の森は王都のすぐ側だが、森番が詰める小屋は森の奥深くにある。森の入り口までとはいえ、走竜に乗って行った方が断然楽なので、この子を貸してくれたバッグルさんには感謝せねば。


「本当に、心残りはないんだな」

「はい。大丈夫です」


 再度確認してくるバッグルさんに、私も再び頷く。

 彼は仕方なさそうに嘆息して、走竜を蹴った。

 緑がかった褐色の鱗を持つ、四足歩行の竜が、勢いよく走り出す。私もその後に続き、城門をくぐる。


「ギルドのフィールドワーカーと、赤晶騎士団の調査団が、森を調べた」


 大通りを走り抜けながら、バッグルさんが口を開いた。ドスドスと、竜の重い足音が五月蠅いが、低い声がよく通る。


「それで、成果は?」

「何も」


 彼がこちらを見る。

 よそ見運転は危ないぞ。


「何の成果も得られなかった。ただ、いつもより静かで、獣も鳥も見当たらなかったらしい」

「巣ごもりブームですかね?」

「そうかもな。食料はちゃんと持って行けよ」


 言われなくとも、色々と荷物を積んでいる。携帯食料は味気なくて苦手だし、傭兵時代に一生ぶん食べたから、飽き飽きしているけど。


「まあ、お前は目が良いらしいからな。隠れてる獣も、すぐに見つけられるか」

「ですねぇ。人並み程度には」

「なんでも、一睨みしただけで泥喰い蜥蜴マッドイーターの白化種が竦み上がったそうじゃないか」


 バッグルさんの視線が、再びこちらを向く。

 だから、よそ見運転は危ないってば。


「それは、姫様が?」

「ああ。動けなかっただけで、シェラの戦いは見ていたらしいからな」

「そうですか」


 とはいえ、イレーネ様は私の後ろ姿しか見ていないはずだ。私の、あの眼は見られていない。


「バッグルさん」

「なんだ?」


 今度はこちらから話しかける。

 随分と重いだろうに、バッグルさんを乗せた走竜は軽快に駆けている。流石は腐っても、龍の血を引く魔獣といったところか。

 バッグルさんもバッグルさんで、随分と慣れた身のこなしだ。上下左右に大きく揺れる竜の背の上だというのに、上半身、特に頭はほとんど揺れていない。なんか、ニワトリみたいだな。


「おい、なんなんだよ」

「おっと」


 全然動かないおじさんの頭に見とれていた。

 私は気を取り直して、口を開く。


「バッグルさん、傭兵に必要な資質って何か分かりますか?」

「うん?」


 脈絡のない質問に、彼は目を丸くする。硬いヒゲの生えた顎を擦り、視線を宙に彷徨わせて思案する。

 そんなに深く考えられても困るんだけど……。


「強さだろ。どんな魔獣も打ち負かす強さがあれば、それは優秀な傭兵だ」

「確かにそうですが、違います。傭兵は別に、魔獣を倒すだけが仕事じゃないですからね」


 そう言うと、バッグルさんはむっと眉間に皺を寄せ、再び考え始める。

 彼は私のように、傭兵時代を経て騎士に成り上がったわけではないらしい。それでも、暇つぶしがてらかもしれないが、真剣に考えてくれていた。


「なら、信頼だ。どんな依頼もしっかりとこなす。仕事なら信頼が大事だろ?」

「それもまあ、確かに。でも違いますね」


 いちいち的を射た答えが返ってくるから、こっちも拒否しづらい。とはいえ、正解ではないので首を横に振る。

 バッグルさんは憮然とした顔になり、低く唸った。


「それなら、何が傭兵の資質なんだ」


 私は彼に向かって答える。


「生きることです」

「生きること?」


 その答えは意外だったようで、バッグルさんはきょとんとする。


「どんな魔獣と遭遇しても、生きて帰ること。どれだけ間抜けな失敗で依頼を台無しにしても、しぶとく生きて、また新しく依頼を受けること。信頼を積むにも、強さを示すにも、まずは生き抜くことができなければなりません」


 言うだけなら容易い。だが、それを実戦し続けるのは、死ぬほど難しい。

 当たり前だろ、と言いたげなバッグルさんに、私は笑みを浮かべて続ける。


「剣の手入れを怠って、鞘から引き抜く時に少し引っかかった。まだあると思い込んでいた薬が、もう底をついていた。珍しくもない魔獣だからと、下調べもそこそこに出掛けた。そんな、取るに足らない理由で皆、死んでいきました」

「……」


 バッグルさんが押し黙る。

 白晶騎士団は、王族を守る最後の盾だ。それだけに、平時の死亡率はさほど高くない。人員の入れ替えがあるとすれば、仕事がキツくて退職するか、何かやらかして左遷されるか、それくらいの理由しかない。

 だが、傭兵の死亡率は高い。同期は年を経るごとに半減し、意気揚々と出掛けて帰らぬ知り合いも多い。

 だからこそ受付嬢は情報を集め、分析し、フィードバックする。

 傭兵たちも情報を集め、できる限り共有する。

 いつ死ぬとも分からぬ生活だからこそ、一夜にその日の稼ぎ全てを費やす。


「でも、私は銀級の傭兵なんですよ」


 知ってました? と明るい声で言う。


「銀級ってのは、つまりそこまで一度も死ななかった証です。生き残る力――優秀な傭兵にとって一番の資質を持つ者の証なんです」


 だから。


「だから、きっと森でも気ままに過ごしていますよ。そんなに心配しなくても大丈夫です」


 気がつけば、私たちはすっかり王都を飛び出していた。

 目の前に広がっているのは、鬱蒼と茂る大森林。暗く湿った空気を帯びて、人里とは隔絶された世界であることを如実に示している。


「毎日、定刻に報告書を送ります。って、受け取るのは赤晶騎士団の団長さんか」


 これは失敬。


「シェラ」

「はい?」


 バッグルさんが名前を呼ぶ。


「手紙を書け」

「え、恋文ですか?」

「俺宛じゃねえよ!」


 申し訳ないが、脳筋族は好みじゃない。乱暴者はギルドで山ほど見てきた。どいつもこいつも人を見下して、その割に銀のプレートを見せればヘコヘコしていた。

 そんなわけで、屈強な男ほど情けないという認識がすり込まれてしまっているのだ。


「――イレーネ様宛だ。俺が責任を持って、毎日届ける」

「……いいんですか?」

「当然だ。もちろん、中身は見ない」

「それは白晶騎士団としてどうなんですか……」


 もし手紙に何かしら細工してたらどうするんだ。

 王族には毎日膨大な手紙が届くが、それをわざわざ開いて中身を確認するのも、随分と手間の掛かる作業だと聞く。白晶騎士団にも事務方の部署があり、そこでは毎日地獄が広がっているらしい。


「お前のことは信頼しているからな」

「はぁ。分かりました。何かしら書きますよ」


 森番からの報告は、高価な魔導具を使って行われる。それを私的な手紙に使うのは、どう考えても越権行為、ていうか権力の私有化なのだけれど。他ならぬ白晶騎士団の団長様のお達しなら大丈夫だろう。


「では、私はそろそろ行きます」

「ああ。しっかりな」

「悠々自適のスローライフを楽しませて頂きますよ」


 森の中へと入るのは私だけだ。

 ここまで走ってくれた竜を労い、持ってきたリンゴを一つ与える。


「バッグルさんもいります?」

「いらんわ!」


 冗談なのに。

 走竜に跨がるバッグルさんに見送られながら、私は森の中へと入っていく。

 一歩進むごとに闇が深まり、湿度が増す。粘っこい空気が纏わり付き、知らず知らず、腰の双剣に手が伸びる。

 驚くほど静かな森の中を、私は一人、奥へ奥へと進んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る