第25話「私は悪魔と戦った」
「うっわ。これほんとに進めるの?」
飛び出した枝を押し上げ、なんとか作った隙間に体を滑り込ませる。
ヴォールティルグの森の最深部は、天然の要塞だ。堅木の枝葉が入り乱れ、気がつけば牢屋のように閉じ込められる。濃い緑は視界を隠し、方向感覚すら曖昧にしてくる。
「これは、歴代の森番が入らないようにしてたのも納得だなぁ」
入りにくく、出にくい。まるで罠のようだ。
森番たちの足が遠のいたことで、余計に植物が隆盛を極めていたのだろうが、そうでなくとも栄華は確実なものだったろう。
道なき道を切り開き、私の後ろに道ができると言わんばかりに、強引に奥へ奥へと進んでいく。双剣とは別に、頑丈な鉈を持ってきたのは幸いだった。ほとんど殴るようにして、太い蔦を落としていく。
「うーん。つらい」
戦闘において、私はスピード型だ。だから、こういう動きにくい閉所はあまり好まない。そうでなくともしつこいくらいのクソ緑で息が詰まる。
「さて、藪を突いたら鬼が出るか蛇が出るか……」
苔むした倒木を乗り越え、活き活きと伸びる若木を掻き分ける。腰まである藪を漕ぎつつ、ざくざくと鉈で枝を落として奥へと進む。
「っと?」
変化は唐突だった。
ほとんど思考が麻痺して、惰性で鉈を振り回しながら進んでいたら、突然風が吹いてきた。足下が涼しくなり、圧迫感が無くなる。
まず初めに目に飛び込んできたのは、見上げるほど巨大な老樹だった。
その周囲は芝生のような草が生えているだけで、すっきりと開けている。およそ円形の空間だろうか。まるで、聖域のような厳かな雰囲気に満ちていた。
「すっご。なんだろ、この木……」
分厚く濃緑の苔が幹の表面を覆っている。太い蔦がぎっちりと締め付けている。
それでも、その巨木は悠然とそこに立っていた。
「精霊樹ヴォールティルグ。この森の守護者、この森の心臓ですよ」
「うわっ!?」
突然響く男の声。
驚き、反射的に腰の双剣に手を伸ばす。
「厄介なものです。深く根を下ろし、そこに封印されているワタシを束縛している。溢れ出す魔力を浄化し、森に還元している」
老樹――精霊樹の向こうから、細身の男が現れる。
黒い燕尾服を着て、白い手袋をはめた手には金色の装飾のステッキを握っている。黒髪は丁寧に固められ、姿だけは上品な紳士だ。
――だからこそ、この場に似付かわしくない。
「貴方は」
油断はしてはいけない。
彼が言葉を発するまで、私はその存在に気がつかなかった。まるで、この緑の海に潜っていたかのように、今もその輪郭がぼやけている。
「失礼。ワタシの名前はレストゥーティン。もしくは――“緑爪の悪魔”と言った方が通りが良いでしょうか」
男が白い手袋を外す。細く、女のように白い指先には、周囲の景色と同じ深い緑色の爪が伸びていた。先は鋭利に尖っていて、引っかかれると痛そうだ。
「いや、どっちも知らんですね」
「……そうですか」
しかし、レストゥーティンという名前も、“緑爪の悪魔”という通り名も、私の記憶にはない。素直に知らないことを白状すると、彼は虚を突かれたようで、目を開き、少し落胆した。
「もしかして、ル・ルタ帝国の方ではない?」
「なんですか? そのル・ルタ帝なんとかっていうのは」
「……かつて、この森の近くにあった国の名前ですよ」
もの悲しそうに目を伏せて、レストゥーティンは言う。
なるほど。彼はたしかに悪魔なのだろう。まるで滅びた国を哀れむような所作だが、その口元は醜く笑っている。
そして、国が滅び、新たな国が興るほどの長きに渡って、彼は封じられていた。おそらく、この森に――王国の周辺に少しずつ起こっていた異常事態は、精霊樹の封印が綻び始めていたことに起因するのだろう。
「貴方が封印から解かれたら、マズい感じですかね」
「ワタシにとっては喜ばしいことですよ」
「近くに人間たちの国があればどうなります?」
「滅びます。緑の波に喰われて」
ふむ。悪魔という人種は、正直らしい。嘘をつけない、というのは事実だったようだ。
実のところ、悪魔という存在はさほど珍しいものではない。低級悪魔のインプなどは、魔獣と一緒くたにされて、傭兵によって討伐されることもある。だから、私もある程度のことは知っていた。
「でも、流石に低級悪魔じゃないよね」
「その区分がどの程度を指しているかは図りかねますが。インプやイフリータあたりと比べられるのは恥辱ですね」
「そんなレベルですか」
イフリータは、火の悪魔だ。インプより遙かに強く、中級として区別されている。そして、中級悪魔が一体でも現れれば、国が滅びる。
「貴方をここで殺せば、問題は片付きますか?」
「いいえ。ですが、先延ばしにはできるでしょう。ワタシは地中に眠る本体を復活させるための先兵です。それが消滅してしまえば、また一から生み出すため、少しずつ力を溜める必要がある」
「なるほど。では、ここで貴方を殺します」
言った瞬間に駆ける。
話ながら、少しずつ詰めていた距離を、一気に。
剣を抜き、紳士の喉元に向かって突き出す。
「殺されるわけにはいかないので。失礼」
空虚な手応え。同時に紳士の姿がぶれる。確かに捉えたと思ったそれは、地面から生えた若木に成り代わっていた。
「幻術!」
「ワタシは悪魔ですからね。騙すのは得意です」
「なるほど――」
レストゥーティンの声。
振り返れば、三人の紳士が立っていた。いや、紳士の数は瞬きするたびに増えていく。気がつけば、私は無数の紳士に囲まれていた。
「探しなさい。もしくは、諦めなさい」
「申し訳ない。捜し物は得意なんです」
周囲を見渡し、全てを看破する。
私の眼に、幻術は通用しない。
「おっと」
「ちっ」
刃は確かに本体へと向けられた。しかし、簡単に払われる。どうやら小技だけではないらしい。私は踏み込んだ勢いを殺さず、切断剣を肩口に向けて斬りかかる。
「器用ですね」
「――“魔眼解放”“石蛇の邪視”」
「ッ!?」
悪魔が硬直する。私の蛇の眼に睨まれたからだ。
刃が光り、右腕を切り落とす。
しかし、
「あぶない。随分と良い“眼”を持っておられる」
「……どうしてそちらにいらっしゃる?」
再び彼は逃げる。真横の若木が悪魔に変わっていた。彼は口元に笑みを湛え、黒い瞳を細くして答えた。
「全てがワタシだからですよ。この若木も、あの若木も。――精霊樹を侵蝕している、あの苔と蔦も」
「なるほど」
本体を掘り起こすというのは、そういうことだったか。
精霊樹を蝕み、森を侵し、封印の力を緩める。そうして、深く地中に埋葬されている悪魔が目を覚ます。
「盗掘は違法なんですよ」
「悪魔に人間の法は適用されませんから。それに、ワタシはワタシを呼び起こそうとしているだけです」
再び悪魔の姿が掻き消える。
視界が真っ赤に染まる。気がつけば、杖が喉元に迫っていた。蛇の眼を開き、睨み付ける。一瞬の硬直。しかし、次の瞬間また別の方向から杖が迫る。
「くそっ!」
「動きを止めるだけでは、何もできませんよ」
杖を剣で払う。
間髪入れず、別の木が悪魔となって襲いかかる。
「“魔眼解放”“火猿の熱視”」
「がァッ!?」
私の眼が赤く染まり、火花が散る。視界にある全ての木々が燃えあがり、悪魔が身を捩る。泰然としていた悪魔の、初めての苦悶の声と表情に、少しだけ胸がすく。
「くそっ」
しかし、私の方も無事ではない。眼を襲う激しい痛みにもだえる。まるで、焼きごてを乱暴に突っ込まれた可能だ。
「小癪なことを……。貴様の眼はなんだ?」
「……ただの〈心眼〉ですよ」
「そんなわけがないだろう」
悪魔が杖を握りつぶす。
どうやら、怒らせてしまったらしい。
私はじわじわと焼くような痛みに耐えながら、息を整える。
「――〈神眼〉。あらゆる魔眼を取り込み、自分のものにするギフトです」
悪魔に向けて、力を明らかにする。
私のギフトは〈心眼〉ではない。ただ、その希少性と有用性から身を守るため、そう偽っていただけ。
〈神眼〉は、いわゆる“魔眼”と呼ばれるものを取り込み、コレクションする。見た者を石化させる“石蛇の邪視”、視界にあるものを燃やす“火猿の熱視”、どれも私が集めた魔眼だ。
「貴様はいくつの魔眼を保有している」
悪魔の傷が癒えるまで、私の痛みが落ち着くまで。
両者の利害が一致して、世間話に花が咲く。
「ほんの、100程度ですよ」
そう言って薄く笑うと、悪魔は僅かに眉をうごかした。
「ほう」
私が傭兵になった理由。それは、魔眼を集め、〈神眼〉に取り込むためだ。
〈神眼〉それ自体は、ただ少し目が良くなるだけの些細なギフトだ。真骨頂は魔眼を取り込めること。だがそのためには魔眼を持つ者に会う必要がある。
「最初は殺して、その目を喰わなきゃいけなかったんですけどね。“複写眼”を手に入れてからは、結構楽になりました」
魔眼系ギフトは多種多様。それと同じく、魔眼を持つ魔獣も多い。
〈心眼〉と偽るための気配察知も、視線に敏感な魔獣の眼を喰ったことで手に入れた。
「常時発動できるのは、数個くらいです。あんまり多すぎても負荷が掛かりますから」
「丁寧に教えてくれますね」
「教えたところで、何か形勢が変わるわけでもない」
眼の痛みは消えた。
見たところ、ヤツの弱点は植物らしく火であるらしい。ならば、もう一度“火猿の熱視”を使って周辺一帯を燃やせば――
「燃やせば、精霊樹が消えて大助かりなのですがね」
「……そういえばそうだった」
普通に忘れていたが、守るべきものも木だった。
燃やせばそれこそ、あの悪魔の思惑の通りになってしまう。自分の迂闊さに舌打ちしつつ、教えてくれた悪魔に感謝する。
「それじゃあ、正攻法で倒します」
「こちらも」
再び動く。
今度は同時だ。杖と剣が交差し、残った剣が首元を狙う。
次の瞬間、周囲から赤い殺気。
身を投げて避けると、無数の枝が一点を貫いていた。
「ひょえ」
「何も変身しなければ攻撃できないわけではない。周辺一帯の木々は全て、ワタシの支配下にあるのですから」
「なるほど!」
手近な若木を折る。悪魔は平然としている。
別にここからダメージが入るわけではないらしい。
「結局、本体を叩かないと駄目なのか」
「叩けるものならっ」
剣を振るう。
杖がそれを受け流す。
傭兵として培ってきた剣技が、紳士には届かない。
石化させ、麻痺させ、今まで集めてきた魔眼を細かく切り替えながら戦っていく。けれど、そのたびに彼は場所を換え、姿を変え、のらりくらりと避けてしまう。
「じれったいなぁ!」
「こちらも同じ気持ちですよっ」
鞭のようにしなる枝。
死角から迫るそれをノールックで避け、回避先にある木を燃やし、伸びてくる蔦を剣で切り払う。
戦いが長引く予感に、思わず舌を打つ。
「邪魔ですね、その眼」
「貴方の、雑草もね!」
幸か不幸か、悪魔と私の力は拮抗している。
そのバランスを崩そうと、両者の視線が交叉した。
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