ウチの姫様が強すぎる!

ベニサンゴ

第01話「私は彼女を組み伏せた」

 その日はまさに、私にとって人生の転機と言って過言ではなかった。


「ふぅぅぅ、よし!」


 頬を叩き気合いを入れる。

 乾いた音と、ジンジンと痺れるような痛み。生きていることを実感し、今この瞬間が夢幻ではないことを、しっかりと自覚させてくれる。

 私は緊張で硬くなった拳を思い切りドアにぶつける。


「シェラ・エイグル、ただいま参りました!」


 扉の向こうからのしのしと重い足音が近付いてくる。

 高鳴る胸を抑え、上擦りそうになる声を咳払いしておさめながら待っていると、ゆっくりとドアが開く。

 現れたのは鬼人オーガと見紛うほどの巨漢。

 銀色に輝く、傷一つない鎧を纏い、首元には白い水晶の嵌め込まれたタグをさげている。


「……誰だ?」

「はえっ!? しぇ、シェラ・エイグルです。三日前、王国騎士選抜試験を受け、今朝合格通知を受け取りました」


 予想していた歓迎のされ方からは、些か外れた反応だ。

 戸惑う私の言葉に彼は首筋をガリガリと掻きながら視線を上に向けて記憶を探り、ようやく思い当たったらしい。


「銀級の女傭兵ってのはアンタか。随分ちっこいからメイドかと思ったぞ」


 私じゃなくて、あんたがでっかいんだよ。と飛び出しそうになる言葉を慌てて飲み込む。

 たしかに私は、これでも人間の女の中じゃ大きい方だ。しかし、そもそも革製とはいえ鎧姿のメイドなど居るはずがないだろう。

 私は傭兵として銀級にまで上り詰め、難関と名高いリットランド王国の騎士選抜試験を受けた。そこで血反吐を吐くような身体能力試験と、脳が干からびそうな学力試験をくぐり抜け、最終選抜である歴戦の騎士と試合を終えたのだ。

 あれ、そういえば最終選抜の時、審査員席の中でこの鬼人オーガの顔も見たような、見なかったような――。


「とりあえず合格証を見せろ。俺は白晶騎士団長のバッグルだ」

「は、白晶……」


 その言葉で記憶がフラッシュバックする。確かに、彼はあそこにいた。

 鬼人改めバッグルさんは気怠そうに扉を押し開けながら、首に掛けた金属プレートを指に引っかけて見せる。

 炎の翼を広げた獅子が白い結晶を抱いている。あの紋章は、リットランド王国の王族や高位の貴族の身辺警護を務める近衛騎士団の証だ。

 人型魔獣かと思って無意識に腰の双剣へ伸ばしていた手をゆっくりと引っ込める。そのかわり、興奮しすぎて若干よれてしまった封筒と一緒に、その中に入っていた合格通知書を手渡す。


「ふんふん、なるほど。随分良い“眼”を持ってるんだな」

「えへへ。まあコレのおかげで銀級までいけたようなものですから」


 合格証を確認すると、バッグルは部屋の奥の執務机に積み重なった書類の中から紙を1枚引っ張り出す。たぶん、私の試験結果について書かれたものなのだろう。

 引き抜いた拍子に、雪崩のように他の書類が崩れたが、気にする様子もない。

 彼は鋭い眼光で私の瞳を覗き込む。


「シェラ。お前の配属先を伝える」

「は、はいっ」


 力強い足音で寄ってきたバッグルは、私を見下ろして低い声を響かせる。

 龍のような威圧感に思わず背筋が伸び、首に力が入った。

 リットランド王国には複数の騎士団がある。騎士の中の騎士と言われ、極少人数の限られた精鋭しか入団を許されない白晶騎士団の他にも、対魔獣戦闘に特化した赤晶騎士団、優秀な魔法使いを集めた青晶騎士団、治癒魔法と医療技術を習得した緑晶騎士団などなど。

 傭兵上がりの私ならば、やはり赤晶騎士団が妥当だろうか。


「――白晶騎士団、第三王女イレーネ様の護衛だ」

「…………はいっ?」


 重々しく威厳に満ちた声で伝えられた内容を聞いて、私はたっぷり思考した果てに、結局理解できず間抜けな声を出す。


「第三王女イレーネ様。リットランド王国が“三美姫”のお一人だ。知らぬ筈もないだろう」

「いやまあ、存じておりますけども! なんで私が王族――しかも王位継承権第三位の王女様の護衛に!? 言っちゃなんですけど、新参者も良いところですよ私!」


 どう考えても、たったいま合格証を受け取ったばかりの新人をあてがう相手ではない。

 そもそも白晶騎士団自体、リットランド王国が抱える七結晶の騎士団の中でも精鋭中の精鋭。他の騎士団で多大な功績を得た実力者でなければ配属されない狭き門だ。

 そして私がこうも取り乱しているのにはもう一つ、別の理由もある。


「そもそも、イレーネ様ってあの“武姫”イレーネ様ですよね。私の方が敵わない気がするんですが」

「そんなこと言ったら、俺だって“城主”リッテンカルト様に勝てないさ。近衛の役割は主人を襲う外敵を排除すること、その高貴なる御手を煩わせないことだ」


 リットランド王国が誇る“三美姫”。

 第三王女イレーネ様は、その中でも“武姫”の名を冠されている。

 そもそも第二王女様以外の王族の皆さんがその辺の傭兵よりも遙かに強かったりするのだが、彼女は特に輪を掛けて強い、らしい。


「ともかく、前任の近衛騎士が田舎に帰っちまって後任を急いでたんだ。すぐにでも居室へ行って、挨拶してこい」

「ええ……」

「ああ、鎧やら首飾りやらの装備一式は隣の部屋にあるから着替えていけ。業務内容は姫様から直接聞いて、臨機応変に対応しろ」

「え、えええっ!?」


 背中を押され、あれよあれよという間に更衣室へと放り込まれる。

 そこに置いてあった一人分の装備を見下ろして、私は追いつかない思考に呆然と立ち尽くす。


「…………とりあえず、着替えて行こう」


 傭兵は時として瞬時の判断が求められる。

 私は諸々の問題を脇に置き、ひとまずやれと言われたことからやることにした。





「あのー、第三王女様の居室は何処でしょうか」

「うん? ああ、そういえば新任の子が来るのは今日だったか。イレーネ様の居室は、この廊下を真っ直ぐ行って三つ目の角を左だよ。そこから先は別の騎士に聞いてくれ」


 王城内は迷宮のように入り組んでいる。

 防衛の関係上地図なども無く、私は首に掛けたばかりの白晶騎士団の紋章を掲げ、行く先々の同僚に声を掛けていく。


「ありがとうございます」

「いいよ、この辺わかりにくいもんな。……まあ、覚える必要は無いかも知れないけどね」

「え、それはどういう――」

「なんでもない。さあ、姫様を待たせちゃ駄目だぞ」


 曖昧な、どこか悲しみを帯びた笑みで背中を押される。

 詳しい話を聞く事もできず、私は分厚い絨毯の敷かれた豪華絢爛な廊下を一人歩き進む。


「ああ、君が新しい後任か。まあ、色々頑張れよ」

「なるほど。心を強く持つんだよ」

「大丈夫。きっと君ならできるよ。初対面だけど」


 その後も、曲がり角に着くたびに、白晶騎士団の団員たちからそんな声が掛かってくる。

 一体何が待ち受けているのか、私の前任がどうなったのか、王城を奥へ奥へ進むごとに不安が心に降り積もる。


「うわぁ、どんどんひとけが減ってくよ」


 廊下を進めば進むほど人の気配が減っていく。

 白晶騎士団でも、このエリアへ立ち入る権限を持っていない人は多いらしいし、警戒度はかなり高まっているはずだ。

 何度でも言うが、本来、私のような新米もいいところの騎士が立ち入って良い場所ではないのである。


「その証拠に、色々仕掛けてあるしねぇ」


 壁の内側、ドアの取っ手、高級な調度品の中。いろいろな所からピリピリとした殺気のようなものを感じる。不用意に触れてしまえば、その瞬間に警報が鳴り、優しい白晶騎士団の皆さんが鬼の形相で駆け付けてくれるだろう。

 私はごくりと生唾を飲み込んで、それらから距離を取りつつ慎重に足を進めた。

 そうして歩くうちにふと気付いたことがあった。


「なんか壁の損傷が激しいような……」


 最初は煌びやかで美麗な内装が隅々まで揃えられていた王城内が、いつの間にか細かな傷が目立つようになっている。

 壁には斬りつけたような傷が走り、窓枠の一部も僅かに欠けている。石柱が大きく抉れているのも見えたし、壁に穴を塞いだような真新しいも箇所もあった。


「この王城も古いし、何度か戦もあったんだよね。その補修ができてないのかな」


 ここは最重要区域、言わば王城内で最も重要な場所だ。けれど、それだけに人の出入りも少ない。

 それよりも貴族や諸国からの賓客が多く訪れる表の方を優先するから、ここまで手が回らないのかもしれない。

 もしそうなら、随分と倹約家な王族の皆様だ。とはいえ、王国がそんなに不景気だという話を聞いたことはない。


「っと、ここか。うわぁ」


 段々と窓が小さく、少なくなる。代わりに壁が分厚く頑丈なものになる。

 私は、薄暗く、物々しい空気に、ビクビクと肩をふるわせながら進み、ようやく目的地に辿りついた。

 高度な防御術式が何重にも掛けられた分厚い鉄の扉だ。その前に立ち、心臓の拍動を加速させる。

 扉の向こう側には二人ほどの気配がある。

 しかしそんなことよりもよほど目を引くものが、目の前に立ちはだかっていた。


「この扉、すっごいボロボロなんだけど。何があったのこれ」


 斜めに走る深い溝。重いハンマーで殴ったような凹み。防御術式も強引に引き裂かれたかのように拉げている。

 周囲の壁や床もそれなりに傷が多いが、この扉はその比ではない。どれだけの乱戦をくぐり抜けてきたのか、恐らく、私の小さな頭では想像することすらできない程だろう。

 不思議なことに、傷はどれも新しいものなのだけれど、最近王城の奥まで攻め入られたと言う話は聞いたことがない。


「部屋、間違ってないよね」


 ここで合っているはずだ。

 事実、扉の向こうには第三王女らしき影がある。

 このようなボロボロの扉さえ直せない部屋に、果たして王族が住んでいていいものなのだろうか。そんな疑念を頭の奥に押し込んで、私は咳払いを一つした。


「し、失礼します。本日より第三王女イレーネ様の身辺警護を拝命しました、シェラ・エイグルと申します!」


 扉越しに声を向ける。

 向こう側から動く気配はしない。


「き、聞こえてないのかな」


 この鉄扉は相当な厚さだ。

 私の声が届かないということも十分に考えられる。

 そう思って再度口を開き掛けた丁度その時、扉の奥から可憐な声が響いた。


「入りなさい」

「っ! は、はい!」


 小さくくぐもっているが、短くも有無を言わせぬ威迫に満ちた声だ。

 私は一瞬硬直し、慌てて取っ手に手を伸ばす。


「し、失礼します……」


 扉を押し、ゆっくりと開く。

 やはりそれ自体が魔導具になっているのか、鉄扉はその重量を感じさせないほどに滑らかに動く。


「死ねっ!」

「っ!?」


 直後、扉の向こうから激しい声がした。

 同時に、真っ直ぐこちらへ向かって飛来する三本の細長いダガー。


「うわわっ! あ、あぶなっ」


 身を捩り、鼻先を掠める剣に驚きながら反射的に腰に佩いた双剣を引き抜く。

 その間にも視界の端には、素早く駆け寄ってくる赤い影。


「たぁっ!」

「うわっ、と、と、あわわっ」


 死角から振り上げられた両手剣。

 剣の柄で肉厚な刀身を弾き軌道を逸らす。金属の打ち合う音が耳元で響く。


「ふっ!」

「くぅ、はっ!」


 ジンジンと痺れる手を握りしめ、衝撃を受け流し、回り込むように剣を蹴り上げる。

 少女の手から離れた大剣は、一回転して天井に突き刺さる。あれ、修理代は経費で落ちるんだろうか。


「らぁっ!」

「おわっ!?」


 感傷に浸る間もなく、背後に背骨を砕くハンマーの気配。膝を折り曲げて身を屈める。

 咄嗟に床へ倒れ込み、そのまま前転。高速で振り抜かれた鉄塊を避ける。同時に身体を水平に回し、細い足を蹴り倒す。


「きゃっ!?」

「――!」


 可愛らしい悲鳴が耳に届き、首筋に向けようとした双剣を押し止める。瞬間沸騰していた思考を落ち着け、冷静に状況を把握する。

 絨毯の上に組み伏せ跨がっていたのは、裾の短いドレスに身を包んだ女の子だった。鮮やかに燃える炎のような赤い髪が床に広がり、ルビーのような瞳が私を睨み付けている。


「お見事です、シェラ様。姫様の攻撃を全て退け、あまつさえ姫様を組み伏せるとは」


 ぱちぱちと乾いた拍手と共に部屋の暗がりから声がする。

 現れたのはメイド服に身を包んだ、黒髪の美人さんだった。


「えっと……えっ!? 姫様!?」


 彼女の言葉を理解して慌てて見下ろす。

 赤い瞳は敵意を剥き出しに、彼女――第三王女イレーネ様は私を見上げていた。

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