番外編(詩織side)

番外編_第1話

 店内のテーブルは程よく埋まっていたものの、私の座るテーブルの付近にはまだ客は無かった。コーヒーを傾けてから、ぼんやりと窓の向こう、道を行く人々を眺める。五分ほどしてようやく、向かいの椅子に人が座った。

「今日は来るの早いわね」

「……別にいいでしょ」

 先に来て待っていたことを何故、責められなければならないのか。不満が顔に出たせいか、向かいに座ったその人は「悪いとは言ってない」と笑った。

詩織しおりが二十分も前に着いてるのが珍しいから」

「今日は偶々。近くに用事があったの」

「ああ」

 そういうことなら納得した。と言わんばかりの応答にも、少々、不満な気持ちが湧き上がる。確かにいつもはこんなに早く来ないけれど、遅刻しているわけでもないのに。……でも結局、『珍しい』については言い返せないので飲み込んだ。

「しばらくぶり。菜月なつきは、変わりない?」

「そーね、特には。出張が忙しかった分、戻ってからはのんびりしてるわ」

 菜月は先月末まで、三か月ほどの出張に出ていた。それまでは月に一度くらいは会って食事をしたり、時には夜に電話をしたりと、高い頻度で連絡を取っていただけに、三か月という隙間の時間は私達にとっては長く感じられた。

「詩織の方は?」

「私は」

 言い掛けて、一瞬止めた。本当は話したいことが沢山あって、今日、菜月に会えるのを指折り数えていて、だからこそ、いざって思うとちょっと躊躇う。言葉を選んでいる内に、菜月が頼んだアイスコーヒーを店員が運んできた。菜月がミルクとシロップを丁寧に入れて掻き混ぜ、一口飲んだのを見守ってから、改めて口を開く。

「今、気になっている人が居るんだけど」

「へえ」

 あまり友達の居ない私が唯一、心の内を話せる相手である菜月なんだけど。生まれて初めて告げた恋バナに、酷く素っ気ない反応をされたのはちょっとショックだった。

「……ちゃんと聞いてる?」

「聞いてるでしょ。このド天然お姫様。自分の話を誰もがいつでも前のめりに聞いてくれると思ってんじゃない」

「別にそんなことまで求めてない」

 たった一言に対して、あんまりな言われようだと思う。でもこんな辛辣なことを躊躇なく言ってくるから、彼女は私の友達なんだろう。

「とにかく、その人。……脈が無さそうで困ってる」

「へええ、詩織が? 俄然、興味が湧いたわ。詳しく」

「そのノリが最初から欲しかったの」

 私の文句なんて菜月は軽く聞き流して、早く続きを言えと促してきた。私は溜息を挟んでから、詳細を告げる。

 去年の十二月に、同性愛者だけが集まるお見合いパーティーで、佐田さだ悠子ゆうこという人に出会った。

 第一印象は「パリコレモデルが居る」だった。しかも十二月なのにそのパリコレモデルはバルコニーで居眠りをしていて、最初に驚いたのはそんなところで寝ている人が居る点だったんだけど、次に驚いたのは、彼女の股下が二メートルあって……あるわけないんだけど、そう言いたくなるくらい足が長くて、とにかく格好良いってことだった。

「露出の少ないドレスなのに、ほんの少し見えてるデコルテだけで妙に色っぽくてね」

「詩織がもう『気になる』レベルじゃなくてベタ惚れなのは分かったから、続き行ってくれない? 出会いから話が進まない気配がする」

「もうちょっと聞いてよ。本当に格好良いの」

 つい語気が強くなってしまったのは、誰かに聞いてほしくて堪らなくて今ようやく吐き出しているのに止めないでほしいという気持ちからだった。菜月は私の勢いに驚いたのか呆れたのかは分からないけど、ひと呼吸を置いて、宥める声に変わった。

「分かったから。いや、私が分かっても、どうせ嫌でしょうが」

「……確かに嫌かも」

 菜月の指摘が理解できてしまったので、悠子ちゃんの魅力を語り尽くすことは一旦諦める。上手な宥め方だったと、後で思った。

 つまり外見だけでも私はかなり心を奪われてしまって、本当は人気の無い場所を探していたんだから、先客が居たなら別の所に移動したら良かったのに、つい喋ってみたくなって隣に座った。彼女はその瞬間だけ嫌味なく微笑むと、その後は私が求めない限り少しも視線を此方に向けてくれなかった。

「その時点で、結構もうがっかりしてたんだよね。私って外見だけは良いじゃない?」

「うん。外見だけね」

 間髪入れずに菜月が頷いて、自分で言ったことだけど流石にむっと口を尖らせた。

「少しはフォローしてよ」

「出来ない。詩織って性格悪いもん」

「悪くはない……良くもないけど……」

 よくあるやり取りなので真剣に怒る気は無いけれど、今回に限っては本当に、外見で落とせなかったことに落ち込んでいるので少しくらいはフォローが欲しかった。無理やり求めてフォローされても虚しい為、これも一度諦めて話を進める。

「ちゃんと褒めてはくれるの。可愛い、綺麗、お姫様みたいだって、臆面もなく言うの。でも言った後は少しも興味ないみたいに、違うところを見てる」

「その現場を見たかったなぁ~。ガッツポーズしちゃいそう」

「私は真剣に落ち込んでるから止めて」

 此処まで話しておいて何だけど、やっぱり相談相手を間違えたかもしれない。でも他に言える相手が居るかって言われると、全く居ない。私は色んな想いを込めて、肩を落とした。

「どうやって落としたらいいの?」

 正直、菜月に今日聞いてもらいたかったのはこの一言に限る。悠子ちゃんに出会ったのは、菜月が出張に行ってすぐの頃だから、三か月ほどしか経っていない。でも、既に私は途方に暮れていた。項垂れる私をじっくりと見守った後で、菜月が口角を上げて意地悪に笑う。

「好意は全て外見だけで手に入れてきたもんねー。初見で落とせなかったら、お手上げなわけだ」

 悪意のある言い方だなぁって思うけど、返す言葉が無いのも事実だった。

 恋愛経験が皆無なわけじゃない。恋と呼んで良かったのかと後から思えば疑問に感じる程度の淡い気持ちは経験してきたし、アプローチをして、されて、良い雰囲気になるのを楽しむくらいのことは、私だって繰り返してきた。

 ただ、恋人が出来たことは、一度も無い。私が相手ほどの熱を持てなかったのが理由だと思う。相手からもはっきりと「冷めてるよね」って言われたことがある。そういう温度差を味わう時に、傷付いたり悲しんだりするのではなくて「面倒だなぁ」と思ってしまった辺り、私は本当に冷めていたのだと思う。

 だからこそ今になって、逆の温度差に悩む日が来るなんて思わなかった。こっちを向いてくれない。どれだけ見つめても、同じ熱で見つめ返してくれない。これが、今まで私が「面倒」と思って切り捨ててきた「片想い」なんだって、思い知っていた。

「顔が駄目なら、中身か身体で落とすしかないんじゃない?」

「後者はハードルが高くない? どのタイミングでベッドにもつれ込めばいいの。大体、経験も無いのに何も武器にならないよ」

「ふっ、はは! 身体は冗談だってば」

 真剣に食い付いてしまった私に、菜月が笑う。縋った藁は、所詮、藁だった。でも私の中身は今さっき「性格が悪い」と貶されたばかり。本当に何も手段が無くなってしまう。

「デートはしたの?」

「一回だけ……ううん、デートじゃない、けど」

 メールのやり取りをする中、かなりの頻度でクリスマスの話題を出したのに当日は「メリークリスマス」の連絡すら無いままに過ぎ去り、次に来た連絡は「よいお年を」だった。連絡が来たこと自体は嬉しかったんだけど、そうじゃないよって思った。

 そして問題のお出掛けは、バレンタインの少し前。チョコレートを買いに行くのに付き合ってほしいって向こうからお誘いがあって、正直、すごく浮かれていた。

「でも、行ってみれば全然、デートのつもりは無さそうで」

「へー。つまり手も繋がなかったと?」

「全く無い。むしろ私の方からちょっと腕を持ってみたけど、ちらっとこっち見るだけ。ほぼ無反応」

「あははは、最っ高」

「最低……」

 こんなに悲しんでいるのにちっとも同情してくれない。菜月にそんなことを期待した私がばかだった。話はすごく『前のめりに』聞いてくれているものの、まるで望んだ形ではない。

「え~めちゃくちゃ楽しい。次会う時は呼んでよ。離れて見てるから」

「絶対に嫌」

 友達が落ち込んでいるのを見て、何がそんなに楽しいのか。じとりと睨み付けると、菜月が笑いながら軽く肩を竦める。

「いやでも結局、詩織が頑張ってアプローチする以外に無いでしょ」

「アプローチって何? 顔見せるだけじゃ駄目なの?」

「この女……」

 にこにこ笑顔が苦虫を噛み潰したような顔に変わったのは満足したけれど、今の言葉がまるで嘘というわけではなく。メールだってすぐに返しているし、お誘いも断らずに付き合ったし、お出掛けには「楽しかった」「また遊んで」とまで告げたのに、これ以上のアプローチって一体何なのと思う。

 でもそれを聞いた菜月は、何処か呆れた顔をしていた。

「相手は詩織を『対象』として意識してないんだからさぁ、もっと詩織の方から誘ってみるとか、連絡してみるとかして、気があるアピールしなさいよ。脈が無いのに詩織まで待ちの姿勢じゃ、何も動かないでしょ」

 意識されていないという言葉に若干のダメージを受けて黙り込む。

 それからゆっくりと、言われた言葉を反芻した。確かに私の方からの連絡は、まだしていないかもしれない。クリスマスだって私から誘えば良かったのかもしれない。その発想が今まで全く無かった点について既に菜月は気付いていたんだろうけれど、敢えて指摘はされなかった。

「ちょっと振り回すくらいの気持ちでがんがん行けば。どうせ素はそっちなんだし」

「……嫌われない?」

「さあ知らない。でも、見せもしない中身が愛されることは永遠に無いわね」

 その言葉に思わず口を閉ざす。菜月の言う通り、悠子ちゃんとの未来を望むなら、いつかは見せなければならない。でも、好きでもない相手の我儘なんて、許してくれるだろうか。好きだから我儘も許してくれるんじゃないの? 困惑しているのを表情だけで読み取った菜月が、また、意地悪そうに口角を引き上げた。

「つまり許してくれたら、意外と好かれてるかもね。試してみれば?」

 ――相談相手が正しかったのか、間違っていたのか。後から考えても私には何とも言えない。

 だけどこの日以降、私はこんな菜月の言葉に踊らされ、本当に素に近い形で悠子ちゃんを振り回すようになった。悠子ちゃんはその度に驚いた顔や、少し困った顔を見せたけれど。最終的には全部、笑って許してしまう。甘ったるい声で「お姫様だね」と言われると、自分の全部が許されたような心地になる。

 ただ、全部を何だか当たり前みたいに受け止める人だから。「意外と好かれているかも」なんて気持ちには少しもなれなくて、私が一層、彼女に惹かれてしまっただけ。この人じゃなきゃ嫌だなって気持ちを、強めてしまっただけだった。

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