番外編_第10話

「――え、六月? それは、えっと……急だね、大丈夫なの?」

 一月の下旬に差し掛かった頃。

 唐突にお父さんから連絡が来て、『谷川琴美さんと結婚することにした』と報告された。しかも、六月に結婚式を挙げると言う。誰が聞いても人気と分かるその時期に、もう半年を切っている今のタイミングで式場は押さえられるものなのか。最初の懸念はそれだった。

『いや、式場はもう押さえてあったんだ。あとは琴美さんにプロポーズするタイミングを計っていただけだね』

 式場を押さえてからプロポーズするの重たいからやめなよ……。

 言いそうになったその言葉は飲み込んだ。お父さんには多分、分からないと思う。そっか、まあ、結果的に上手く行ったなら良かったね。簡単にお祝いの言葉を告げて、今後私も関わらなければならないような予定だけ、きちんと確認しておいた。

『私もさっき聞いたよ~びっくりしたねぇ。日程』

「やっぱり、それだよね」

 数日経ってから悠子ちゃんに電話したら、同じ感想が出てきて笑ってしまう。結婚自体は、その内するんだろうなって予想していたから、驚きはしなかった。問題は挙式まで半年しかないのに、六月というベタな予定だということだ。報告された時は式場のことだけを心配したけど、諸々、繁忙期で押さえにくいんじゃないかな……お父さんなら何とかしそうではあるけど……。無茶なのは間違いない。

「あ、谷川さんが誕生月だとか?」

『いや全然。琴美は十一月生まれだよ』

「そう……」

 せめて何か、世間とは違う特別な意味があるなら納得できるんだけど。お父さん、六月の花嫁ジューンブライドとかそういうの、気にするタイプだとは思わなかったなぁ。未だに払拭できない違和感と驚きに唸ると、悠子ちゃんがふっと笑った。電話越しなのに、彼女が優しい笑みを浮かべているのが伝わってくる。

『多分、琴美が喜ぶと思ったんだよ。普通が好きで、普通に憧れてるから』

 悠子ちゃんの言葉に、ハッとした。そうだ。谷川さんは生まれ育ちが少し特殊な環境だった。だからこそ『普通』に憧れていたのに、私のお父さんとの結婚は何処までも、きっと特殊なものになってしまう。お父さんはもしかしたらそんな彼女の気持ちも知っていて、だからせめて結婚式くらいは周りに「ベタだ」と笑われてしまうくらい、『普通』にしてあげたかったのかもしれない。

 胸の奥から感動がせり上がってくるような感覚に息を呑んだのも束の間。

 私のお父さんにそんな情緒が果たしてあるのだろうかという疑問も同時に湧いてきてしまって、素直に感動できなかった。確かにとても愛情深い人なの。優しい人なの。でも、あのお父さんだと思うと、本当にそうかな……と首を傾ける。この話、もう止めよう。

『ところで、詩織ちゃんも忙しくなるのかな?』

「あはは、ううん。流石に私まで影響しないよ」

 結婚するの、私じゃないからね。私が何かの手伝いに駆り出されて大忙しになる予定は全く無かった。

「まあ、顔合わせには行かなきゃいけないけど……それくらいかな」

 ちなみに同じくその顔合わせに同席予定の叔母とは、もう話をした。最初は大変だった。「一体どういうこと、娘と同い年の子なんて」「あなたは聞いていたの?」「大丈夫?」と。初めの方は怒っているのかと思ったら、お父さんじゃなくて私を心配していたみたい。

 だから「お父さんには内緒なんだけど」と前置きをして、実は既に知人を介して谷川さんと会ったことがあること、そして二人のことは全面的に応援していることを話した。すると叔母は想像した以上にあっさりと「それならいいわ」と言い、全く反対しなかった。優しい人だと思うし、やっぱり、私にとっての母は彼女だと思う。

「谷川さん側のご家族は、どうなのかな。悠子ちゃん、何か聞いてる?」

『あ~、まあ、うん、大変だったみたいだけど、今はもう大丈夫だよ』

 まだ報告からは数日しか経っていないものの、私達に報告をしてくれた時には既に、谷川さんのご家族とは話した後だったようだ。つまり、お父さん、自分の家族には反対されないつもりだったってことだよね……。私にも叔母にも、決まってから伝えてきたし。お父さんらしい。

 悠子ちゃんが聞いた話では、谷川さんのご家族も頭ごなしに反対したわけじゃなくて、心配していたんだって。騙されているんじゃないかみたいな不安は、まあ、そうだよね、分かる。でも何度も話をして、今はちゃんと認めてもらえているとのことだった。

 滞りなく進めばいいねと二人で言い合って、その日の電話を終えた。

 顔合わせは二月に入った頃にあって、それが終わるともうすっかり私の方は普段の生活に戻っていた。

「谷川さん、大丈夫そう?」

「ああ、うん。準備は大変そうだけど、でも幸せそうだよ」

「そっか」

 顔合わせでは勿論、私も谷川さんと会っているんだけど、普段のことはやっぱり悠子ちゃんの方がよく知っている。

 約半月ぶりに悠子ちゃんの部屋に遊びに来たついでに尋ねてみたら、悠子ちゃんはちょっと可笑しそうに目尻を下げた。

「結構、琴美のこと心配してくれてるんだね」

「……もうすぐ私の『ママ』だからね」

「はは!」

 いつか悠子ちゃんが冗談で言っていた言葉を使えば、大きな声で悠子ちゃんが笑う。でももうすぐ現実になるんだよね。流石にママだと思う日は来ないものの、戸籍上は母になる。

 ちなみに婚姻届はまだ提出されていない。谷川さんの方の性が「東」に変わることになるけれど、諸々の変更手続きをこの短い結婚式の準備期間にやるのは大変だから、後にするんだって。結婚式当日の零時頃、二人で提出に行くらしい。結婚式の日と結婚記念日が一緒なのは確かに、覚えやすくて良いのかもしれない。

「そういえば詩織ちゃん側のゲスト、ほとんど居ないんだってね」

「私のじゃなくてお父さんのね……」

 言い方。それだと私が結婚することになるでしょ。私の指摘に悠子ちゃんはけらけらと楽しそうに笑っているが、よりによって自分の恋人を他の人――しかも自分の親友と結婚させる言い間違いをしてそこまで含みなく笑えるのは感心する。

 悠子ちゃんが言いたいのは新郎側の親族をホストとして含めた意味だから、私の、と言いたくなった気持ちも分かるのだけど。

 さておき、お父さんが式に呼ぶ予定なのは、私と叔母だけだ。だからゲストは居なくて親族のみ。他は谷川さんと共通の知人、つまり職場の仲間。結局はそれも谷川さんの方のゲストにカウントされるようなので、やっぱり私と叔母の二人だけだ。

 この偏りの理由は、谷川さんが初婚で、お父さんが二回目だからというのもあるし、お父さんが半分もう政界に足を突っ込んでいるような人だというせいもある。本格的に呼ぼうと思うと数としてのバランスは大逆転する上、ゲストが錚々そうそうたる顔ぶれとなってしまい、谷川さん本人は勿論、ゲストの方々を委縮させる可能性がある。それで、控えることにしたようだ。

 聞けば聞くほどお父さんがしたと思えない細やかな配慮で、もしかしたら叔母がそのようにアドバイスしたんじゃないかと疑っている。

「二人だけかぁ。寂しくない?」

「私は叔母が居るから、大丈夫だよ。お仕事関係の人に、何人かお会いしたことがある人も居るらしいし」

「そうなんだ」

 新郎側の出席者が二人しか居ない為、披露宴ではテーブルの席が埋まらない。だから私達は仕事関係者と同じテーブルになるとのこと。私達が親族だから、配置は後方になってしまうのだけど、相席になる予定の方々もそれは了承してくれているそうだ。

 そしてその内の二名だけ、私も顔を合わせたことがある人らしい。他は知らない人。でもそんなことで披露宴の間が耐え難くなるとは思えない。何度も言うが、私にとっては母にも等しい叔母が傍に居る予定なのだから。

 ちなみに悠子ちゃんの方は、大学の同期の方々が集まるのだとか。そっか、谷川さんとは大学で出会ったって言っていたもんね。プチ同窓会になりそうでちょっと楽しみだって笑っているけれど、中学以降、菜月しか友人の無い私にはまるで分からない感覚だった。

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