第13話

 翌日、日曜日の夜。

 短いメッセージのやり取りだけで私と琴美は電話の時間を決め、夜八時を少し過ぎた頃に通話を始めた。琴美は何か話したい愚痴があったと言っていたと思ったのに、通話開始早々、彼女は私が昨日連れていた『女の子』のことに興味津々だった。

「別にいいでしょ私のことは」

『良くはないわよ、あんた登録者なんだからさ。他所で恋人作るならややこしいじゃない』

 確かに、コミュニティに私を引き込んだ運営側としては気になるよな。もう多くの会員が居るとは言え、コミュニティ内で相手を作れずに外で作って退会したっていう数字になっちゃうわけだから。観念して私は事実を伝えることにする。

「……よそではない」

『え、うそ、登録者?』

 肯定を返せば当然、申請についても聞かれ、もう済ませていると答えたら案の定「言えよ」と怒られた。これは運営側としての言葉だろうか。それとも友人としての言葉だろうか。後者だろうとは思うけれど、今まで、私達が互いの交際についてわざわざ報告するようなことはあまり無かった。少し遅れてから話の流れで「そういえば今は居るんだけど」くらいの報告ばかりだ。だから、コミュニティに引き込んだ立場であることと、友人であること。どちらも合わさって、今の琴美はこう言うんだろう。

 しかし、お見合いパーティーを散々逃げ回っていた私がコミュニティ内で相手を見付けたことを琴美は心底信じられないらしく、いつになく細かく質問される羽目になった。相手のことは黙っていようと思ったのだけど、あんまりにしつこいので、諦めて白状することにした。

「あの子だよ、あのー……なんか琴美が有名だって言ってた、会場の女という女を寄せ集めてた有名人」

『は』

 驚かせるとは思ったので、間抜けな声の後、沈黙が落ちたのは想定内だった。私はそれに付き合い、何の言葉も続けずに琴美が受け止めるのを待つ。

『嘘でしょ、本当に? 冗談抜きで?』

「本当です」

 琴美は多分、私の言葉を本気で疑ってなどいない。ただ自分の中の感情を整理する為だけにこうして確認の言葉を口にしている。分かっているので、私は淡々と肯定した。

『……東さん?』

「ああ、うん。名前も知ってたんだ」

 会場で彼女を説明した際には名前などを口にしていなかったが、運営としての立場上、触れ回らずに伏せただけだったのかもしれない。把握していたようだ。

 黙った理由はそうだったかもしれない。けれど、名を知っていたことは、もしかしたら琴美が運営側であることは関係が無かったのかもしれない。琴美の動揺は、落ち着くどころか次第に大きくなっていく。

『えーと、あの、お、お父さんのこと、知ってる?』

「代表だってね。この間ちょうど聞いたよ。びっくりした」

『あ、そう……』

 違和感は既にあった。いつもはきはき喋る琴美にしては、やけに声が小さくなっているし、弱々しい。それでもあまり深刻に捉えておらず、スマホを耳と肩で挟みながら呑気に日課の爪のケアをしていた私は、次の言葉に爪やすりを落とした。

『私、さ、その、東さんのお父さんと、今お付き合いしてて』

「……はぁ!?」

 ゴンと大きな音がフローリングの床を叩く。階下の住民様、大変申し訳ない。今はもう夜なのだ。幸いフローリングにも目立った傷は付いていない。慰めるみたいに手の平で床を撫で、爪のケアを止めた私は居住まいを正しながら爪やすりをテーブルの上に丁寧に置いた。

「私の話よりそっちがよっぽど衝撃的だったわ」

『あはは……』

 笑い返してくる声も力が無い。もしかして、愚痴って、これに関することか。つまり私が詩織ちゃんの恋人というのを知ってしまって、更に言い難くなってるんだな。ちょっと申し訳の無いことをした気持ちになる。どうしようかな、何か言葉を掛けた方が良いか。しかし思案している間に、琴美が意を決した様子で続きを言う。

『そして多分、娘さん、私とお父様の関係ご存じなんだけど、何も聞いてない?』

「うわ。聞いてない。あー、それかぁ……、昨日、すごく何か言いたそうにしてたんだよね。琴美のこともやけに気にしてた」

『あ~……』

 なるほど。こりゃ深刻な愚痴だな。いや愚痴なのか? とは言え、打ち明けられても私に出来るアドバイスは特に無い。本当に琴美はただ、聞いてほしかっただけのようだった。

 詩織ちゃんのお父さんは五十代後半。つまり私達の倍以上のご年齢だ。琴美が彼と出会ったのは団体発足より少し前のことで、当時はただの仕事仲間だった。娘が居ることは最初から知っていたし、惹かれていく中、年齢的に嫌な予感はしていた、と琴美が唸る。そして団体発足時に、娘である詩織ちゃんも登録者として居ること、琴美と同い年であることを知ったとのことだった。彼との交際自体は、発足後からではあったが、そういう雰囲気はその少し前からあったらしい。

 琴美の憂いは多かった。それはそうだろう。恋人と歳が離れ過ぎている。また、団体内部でも色々とあるだろう。ただの同僚間での社内恋愛ならまだしも、相手は代表。面倒は多そうだ。そして何より娘である詩織ちゃんのこと。

 なのにそんな繊細な問題に対し、詩織ちゃんのお父さんは先日いきなり、「娘にはもう君のことを話してあるよ!」と言ってきたそうだ。いや。強烈なお父さんだな本当に。あのお姫様が「バカ」と評しそうになっていたのも分かる気がした。琴美が「何を話したのか」と、ある種の期待を込めて聞いてみたら、「新しい恋人」としてしっかり説明したのだと爽やかな笑みでもって言われ、受け止め切れずに思わず私の部屋に来てしまったのが、昨夜のことだとか。うーん、なるほど。あの時、咄嗟に詩織ちゃんを隠した目的は全く違うものだけれど、そんな動揺の最中では幸いだった気がした。

『何か、ごめんね。私のせいであんたの久しぶりの春に水を差して』

「久しぶりとか大きなお世話だわ。それに、琴美が悪いとか思ってないよ」

 とりあえず軽く笑っておいた。

 私は詩織ちゃんの恋人ではあるが、この件に関しては部外者だ。何かを言う立場にないと思う。ただ、それは心配しないと言う意味じゃない。昨夜、詩織ちゃんが琴美のことを気にしながらも私に何も言えなかったのは、きっと琴美が私にとって特別で、大切な友人だと知ってしまったせいだ。父とその相手の交際に何か思うことがあっても、何も言えなくなってしまったのだ。

「……うーん、どうしたものかな」

 琴美との通話を終えて、天井を仰ぐ。

 詩織ちゃんが、彼女自身と琴美を比べたがった気持ちが今はちょっと分かる。私が『どちらの味方』に付くのかって、怖く思ったに違いない。でも二人の性格上、理不尽に拒絶し合ったり、否定し合ったりするようなことは無い気がした。何にせよ、昨日飲み込んでしまった詩織ちゃんに対しては何か声を掛けておくべきだろう。このままだと、詩織ちゃんは憂いを誰にも話せなくなってしまう。琴美の友人である私に包み隠さず告げることは難しいにしても、完全に黙らせてしまうのはあまりに可哀相だと思えた。

 その週の水曜日、私は詩織ちゃんに電話を掛けた。水曜日はお互い仕事が早く終わることが多くて、何が無くとも通話をすることが時々ある。そうして私はいつものように他愛ない日常の話を少し挟んだ後で、えいやと、唐突に切り出した。

「琴美から聞いたよ、お父さんと琴美の件」

『あー……』

「ごめんね。私が琴美の友人だから、話し難かったんだね」

『うーん、まあ。でも別に、悠子ちゃんが謝ることじゃないよ』

 言われることは分かるけれど、申し訳ない気持ちがゼロにはならない。本当なら、他人には言いにくいような家族の問題について、思っていることの全部を聞いてあげられる立場に居たはずなのに。もう琴美の友人としてインプットされた私は同じ立場には戻れない。ただ、だからって別に、詩織ちゃんの敵ではないのだ。

 しかし私には、そんな繊細な気持ちを上手く伝えられそうにない。言葉に困ってほんの少し沈黙すると、詩織ちゃんの方から話し始めてくれた。

 詩織ちゃんがお父さんから琴美のことを聞いたのは、私から琴美の名前を聞く少し前のことだったらしい。あまりのタイミングに、何だか色々考えてしまったとも言った。もしかしたら私も初めから、二人の交際を知っていたのではないかとか、知った上で詩織ちゃんに関わっていたのではないかとか。しかし当然私は全く何も知らなかったし、代表の娘さんということも知らなかった。記憶を辿るほど私が知っていたと思える点は無く、本当に偶然であることは数日内に納得できたとのことだ。良かった。でもその疑心暗鬼の数日間、可哀相すぎる。何も知らなくて本当に申し訳ない。私なんて「可愛い子と付き合えたねやったねー」って幸せだった時期じゃん。温度差。

「なんか面白い偶然が多いねぇ、私達」

『アルバムから写真が落ちてきたのは、あの子に図られてる気がするけどね』

「あらら」

 声が少し低くなった。写真から存在まで消したのにまだすっきりはしていなかったのか。だけど私が笑ったせいだろう、詩織ちゃんからも小さく笑う気配が聞こえた。

『ねえ、悠子ちゃん』

「ん?」

 声を優しくしたのは、意図的だった。言葉で上手く伝えられないから、思うこと言って良いよって気持ちを込めたつもり。ただ、お姫様っていつも私の予想の範疇から大きくぶっ飛んでいく人なんだよな。

『会ってみたい、って、悠子ちゃんから伝えてもらうこと出来る?』

 私は声を上げて笑った。詩織ちゃんも電話の向こうで笑っている。本当にこのお姫様は思い切りが良くて、私なんかが心配しなきゃいけない人じゃないように思う。

「いいよ」

 二つ返事に応じる。いいよ。大丈夫でしょ。お姫様と喋ってたら何だかそんな気になる。私はその日の内に琴美にメッセージを送った。どんな顔してそれを読んだのかを見られなかったのがちょっと惜しい気がしたけれど、流石にこの件ばかりは娯楽にしたらめちゃくちゃ怒られそうなので言わないでおこう。返事からは、文字なのに明らかな動揺があって笑い転げてしまったけれど、勿論それも伝えない。いきなり二人きりは流石にアレなので、私も入れて三人で。もし二人きりで話したくなったらその時に私が席を外しましょう。そうして私達は、翌週の土曜日に私の部屋に集合する運びとなった。

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