第12話

 詩織ちゃんと付き合うようになったのが八月で、そんなこんなで順調に日々を過ごし、季節が巡って秋も終盤になった頃。少し肌寒い夜道を二人で歩いて、いつも通り私の部屋へと辿り着く。するとそこには、私の部屋のインターホンを押した直後の琴美が立っていた。私は驚きながらも、咄嗟に詩織ちゃんを背中に隠した。同時に、琴美が私に気付いて振り返る。

「あ、うわ、女連れ……嘘でしょ、あんたどこで拾ってきたの」

「拾うかバカ」

 呆れてそう返すが、まあ、言われることは分からなくもない。お見合いパーティーは逃げ回り、合コンの誘いも悉く断って、相手を探す気配がすっかり無くなっていた私のことを、琴美が一番知っている。モテないのだから、私が探すのを止めていたら、相手なんて出来るわけもない。改めて、驚きは尤もだ。

「ごめん、邪魔するつもりじゃなかった。帰るわ、また今度」

「ああ。うん」

 琴美は少し慌てた様子でそう言うと、無感動に踵を返して私達とすれ違い、エレベーターホールの方へと歩いて行く。振り返る様子も無いし、すれ違う時に、詩織ちゃんを確認しようともしていなかった。こういうドライなところが、友達としては居心地よく、私達は長く友人で居られるのだと思う。その背中を見つめ、私は詩織ちゃんに家の鍵を渡した。

「ごめん、先入ってて」

 詩織ちゃんが私を見上げる。目が合ったけれど、了承も納得も確認しないで私は彼女から離れて、慌てて琴美を追った。

「――琴美」

「ちょっと何よ、女連れてて他の女を引き止めてんじゃないわよ」

「引き止めてないわ。帰れ」

「流石にその言い方は酷いでしょ!?」

 私達の会話が廊下の奥まで響いていく。まだ部屋に入っていなかったら、詩織ちゃんにも聞こえているだろう。私達のところへは、玄関扉の開閉音など聞こえそうにないから、詩織ちゃんが私の願いに応じたかどうかは確認できない。

「……何の用だった? 明日の夜なら良いけど」

 電話でもメールでもなく、突然会いに来ることが珍しい。琴美はあんまりべたべたする奴じゃないから、こうしてほんのちょっと頼ってくる時に、何度も無下にする気にはならない。琴美は私の言葉に、何処かばつの悪い表情で、私から目を逸らして肩を竦めた。

「あー、まあ、ちょっと愚痴りに来ただけ。そうね、うーん、じゃあ明日の夜、電話で良いから聞いて」

 少し迷う様子を見せつつもそう言う琴美に、やっぱり何かあったんだな、と思う。

「分かった。じゃあ明日。帰り道、気を付けてね」

「ありがと」

 照れ臭そうに笑うと、琴美はエレベーターのボタンを押そうと手を伸ばした。けれど、それを途中で止めて、私を見上げる。こうしてみると、確かに琴美は詩織ちゃんと同じくらいの身長だな。

「悠子さー、そういうところ気を付けなね」

「どういうところ?」

 何だか最近『そういうところ』と言われることが多い気がするなぁ。琴美には怪訝な顔で聞き返せたのに、そういえば詩織ちゃんにははっきりと聞き返せていない。あの時は自分でちゃんと読み取ろうと必死だったけど、次に言われたら素直に教えを乞うのも良いかもしれない。一瞬、自分の部屋に思考が飛び掛けたところで、やや困った色を含める琴美の声が響く。

「声がさ、優しいの。心配してくれたんでしょ、それがありありと分かる」

「……それの何が悪いわけ?」

 不満と照れが同時に湧き上がる。そりゃ心配くらいはする。琴美はもう長く友人を続けている。素直に大事とか好きとか口にしたい相手ではないけれど、何かあるならば、出来る範囲で手を貸したい気持ちがあることは否定しない。そう思うことの何を「気を付けろ」なんて言われるのか、分からなかった。でも琴美は困った顔を深めていた。

「いや良いところなんだけどさ、他の女にそういう声掛けてたら心配する彼女さんも居るだろうし、勘違いする女も世の中には結構いるから。悠子は鈍いからね、老婆心」

「鈍い……のかなぁ」

 そんな風に自己評価はしていないのだけど。それでも、琴美がそう言うのであればそうなのかもしれないと思う。私達はお互い、あまり気を遣わない。元より琴美は歯に衣着せぬ物言いの多いやつだ。少なくとも琴美は私のことをそう感じていると、教えてくれているのだろう。

「めちゃくちゃ鈍いよ。気配りは出来るのにねぇ。でもま、心配してくれてありがとね、じゃ、また明日」

「うん」

 少し考え込みそうになったが、琴美は話を切り上げた。私が部屋に女の子を待たせていることを、私以上に気遣ってくれたのだと思う。また明日ゆっくり話せばいい。エレベーターに乗り込んだ琴美が扉の奥に消えるのを見守って、私も部屋に戻った。

「おかえり。早かったね。送らなかったの?」

「うん。まあタクシー拾うだろうし。そんなに無防備なやつじゃないから大丈夫」

 そういえば琴美は、私がもう申請を済ませ、恋人が居る状態であるのを全く知らない様子だった。団体の運営側に居るものの、各登録者の状況までは見えないらしい。さて、そうなると恋人が居るという話は自分から報告する必要があるのか。うーん、面倒くさいから、それはまあいいか。

「あの人が悠子ちゃんのお友達さんなんだね」

「うん、そう」

 運営側に居て、コミュニティに入った切っ掛けの友人。改めてそう説明すると、詩織ちゃんは何にも無い床の一点をぼんやり見つめていた。

「いつ知り合ったの?」

 妙に琴美のことを気にしているなと思う。私から出てくる女の名前がそれだけだからかな。しかし私と琴美の間には何も無いし、隠さなきゃいけないことも一切無い。聞かれるままに私は素直にありのままを答えていく。


 私と琴美は大学が同じだった。新歓パーティーにもお互い参加していたが、その時、私達に接触は無い。「新歓も居た?」「居たよ」「そうなんだ知らなかった」と言い合ったのは入学の二か月後のことになる。

 お互いを認識したのは、少々ドラマチックで笑えるのだけど、琴美がアルバイトをしていた本屋に私が偶々訪れた時のこと。琴美が踏み台を使い、本棚の上段に入れようとしていた本を落としてしまった。琴美は煩わしそうな顔を一瞬してから、とりあえず抱えている分を全部入れてから拾おうと思ったのだろう。床に一冊、落とした本を放置していた。通り掛かった私は何気なくそれを拾う。

「入れる?」

「え、デカ……。あっ、すみません」

 拾った本を棚の方へと向けると、踏み台無しで届きそうな私を見た琴美が、あまりにも正直な感想を漏らした。この時の私達は客と店員という関係で、「デカイ」なんてお客様に向けるべき言葉じゃない。その迂闊さがどうにも面白くて、私はくつりと笑う。そしてもう一度「入れる?」と問えば、琴美が頷いたので、私はその本を棚に差し込んだ。それだけ。ロマンスが生まれるわけでもなく、そのまま軽く頭を下げて私は立ち去った。

 再会は翌日の大学。必修科目の一つを受ける為に教室へ入ろうとしたら、入口付近で琴美に呼び止められた。

「昨日の人!」

「はい?」

 私はすぐに分からなくて、「どちら様?」という顔をした。続けて琴美が「本屋の!」と言うのを聞いてようやく思い出し、「ああ」と生返事。何の用だろうかと首を傾けていたが、琴美は別に何の用も無かった。「一年生?」「はい」「一緒だ!」そんなやり取りの末、最初の会話に戻る。

「背が高いからすぐに分かったわ」

 琴美は妙に得意げにそう言っていた。そして何故か流れでその日の授業は並んで受けた。

 その当時、私にもまだ友達らしい友達は少なかった。琴美もそうだったらしい。とは言え、琴美は明るくて物怖じしないやつだし、私もそんなに人付き合いは苦手じゃない。私も琴美も、日ごと多くの友達を得ていった。なのに、私達は自然と一緒に居ることが増えていった。お互い、一緒に居て『楽』だったことが一番の理由だったと思う。

 尚、私達は二年に上がる少し前にそれぞれ彼女が出来たのだが、二年になって数か月で別れた。相手に振られたのだ。理由まで一緒で、「琴美(悠子)と仲が良すぎる」だった。でもそんな指摘で思い浮かべるような仲の良さは私達の間には無かったと思う。私達はスキンシップを一切しないし、べたべたした会話も無い。頻繁に連絡を取ることも無く、恋人より琴美を優先したことも一度も無かった。ただ、私は確かに琴美に対して、家族に近いような気の許し方をしていた。琴美もそうなのだと思う。それが相手に伝わってしまったんだろう。

 琴美には両親や兄弟が居ない。母一人子一人という家庭で育ったそうだが、高校に上がる頃にお母さんが事故で亡くなり、それ以来は叔母夫婦に引き取られていたらしい。本当の親子のように仲が良いけれど、それなりに気も遣うんだろう。大学進学を機に家を出て、地元を離れてきたそうだ。私にはそこまでの大きな理由は無いけれど、同じく地元を離れて進学している。だから私も、子供の頃からの友人などは全て置いてきてしまった。私達は多分その時、偶々『家族のような友人』というポジションが空いていて、多少なりと求める心があって、自然とそこにお互いを入れた。前にも言ったが、私達はお互いを大事とか好きとか言葉にするような間柄ではない。ただ、特別であることだけは否定のしようもなかった。

 私の話を聞いた詩織ちゃんの反応を窺う。琴美を理由に振られたのはあの一回きりだが、人によっては許せないと感じる可能性があることは、もう知っている。だけど、詩織ちゃんの表情には『不満』らしい色は生まれなかった。それとは別に、何かを言いたそうにしていた。

「琴美は友達だよ、それ以上の関係も感情も全く無いよ」

「ん、うん。それは分かるよ。大丈夫、妬いてないよ」

「そか」

 言葉があっさりしていたから、疑わなかった。しかし様子はいつもと少し違い、新しい話題に変えようという様子も無い。抱えた膝の上に、ちょんと顎を乗せている。それ可愛いから写真撮りたいんだけど、撮影NGである以前に今この雰囲気でやったら絶対にだめだろうな。私は身動きせずに大人しく詩織ちゃんの次の言動を待った。詩織ちゃんは何度か膝に乗せる顔の角度を変えながら考え込んだ後、控え目に口を開いた。

「悠子ちゃんの中で、私ってどれくらい特別?」

「えぇ……本当に妬いてないの?」

 返す言葉としては落第点だったとは思う。しかしそれくらい驚いていて、気が回らなかった。琴美は確かに『特別』な友人ではあるけれど、『友人の中で特別』という意味だ。恋人である人と比べるような相手じゃない。結局比べさせたいのなら、やっぱり妬いているということなんだろうか。私は首を傾けていた。すると、問い掛けた当人も同じように首を傾けていた。

「ごめん。うーん、妬いてるのとは、ちょっと違うかな。ただ上手く言えないんだけど、悠子ちゃん、が」

 詩織ちゃんにしては妙に途切れ途切れに、言葉を選びながら、迷いながら話している。彼女も、彼女自身が言いたいことを今この瞬間、探しているみたいだ。私は努めて柔らかく「うん」と相槌を打って、続きを促す。

「今までの彼女に対する未練とか興味が、全く無いみたいで、それは私にとっては勿論、良いことなんだけど」

 彼女に話した過去の彼女の話は二つ。一つは、高校時代に付き合っていた人。アルバムに挟まっていた写真を無感動に捨てた。もう一つが、琴美が理由で振られた相手。琴美の話の中でふわりと出しただけ。実際、彼女のその後を私は一切知らない。

「いつか私も、そんな風に、興味の無い顔されちゃったら嫌だなぁって……」

 昔の恋人に対する無作法は、引いては今の恋人の未来として受け止められることがあるとは、聞いたこともある。だから彼女らに対する文句などを、詩織ちゃんに告げるつもりは無いし、元々彼女らに悪い気持ちを抱いてはいない。だけど、あまりに無関心でいることも、寂しく思わせるのだろうか。ただ、それが詩織ちゃんの未来だったとして、詩織ちゃんが憂える必要は無い気がした。

「別れた後は、その方が良いでしょ」

「そう……かもしれないけど、でも、悠子ちゃんは本当に、別れたから、興味を失くしたの?」

 私は沈黙した。高校時代の彼女に「疲れた」と言われて「そうだよね」と返した私はどの程度、彼女に対する執着を残していただろう。「分かってた」と思った。もうそろそろ無理そうだなと感じていて、近い内に言われるだろうと思っていて、その中で告げられて応えた。あの時、縋りつくような想いが少しも無かったのは、彼女を好いていなかったというのとは少し違う。ただ私は、傷を負わない術を知っていただけだ。

「……諦めることに、慣れちゃったんだよ」

 引き摺りたくないから、忘れるように癖が付いている。忘れる方が、ずっと楽だ。早々と切り替えて諦めてしまえば、苦しい気持ちが少なくなる。答えた私の声は弱かった。私らしくない。

「悠子ちゃんが、私以外じゃだめだって、なってくれたらいいのに」

 お姫様の手が私の頬に触れる。白くて細くて、柔らかくて小さい手だ。その可愛らしさを知っていて、見せようとしているみたいにゆっくりと顎まで撫でられた。お姫様の望みならば叶えてあげたいけれど、怖くて流石に頷いてあげられそうになかった。手に寄り添うように頭を傾け、苦笑を零す。

「捨てられた時に死んじゃうでしょ」

「そんなことしない」

 まるで当たり前みたいに言ってくれるじゃないですか。大きな目が強く私を見つめていて、瞳に映り込む私の姿が居た堪れない。この綺麗な顔の綺麗な目に映るべきじゃない。俯こうとしたのに、詩織ちゃんが両手で私の顔を挟み込んで阻止してきた。そして何か対応する暇も与えられることなく重ねられる唇。敵わないな、このお姫様には。これ以上の反論を口にすることなく、私は彼女の細い腰に腕を回した。

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