番外編_第8話
私が菜月と知り合ったのは高校二年の始めの頃だった。
通っていた高校は、大学附属の中高一貫。私も菜月も中学からそこに通っていたので、お互いに存在だけは知っていた。だけどその頃に至るまでまともに接点は無く、会話をした記憶もまるで無い。
あの日、私はお昼休みに中庭に居た。周囲にもチラホラと人は居たものの、私は一人ベンチに座って文庫本を片手に、のんびりしていた。お弁当は食べた後だった。すると何処からともなく現れた三名の女生徒が目の前に立ち、文庫本に影が落ちる。
「――東さん、近藤先輩と先日二人で歩いていたそうだけど。お付き合いしているの?」
「いいえ。全くそんなことはありません」
唐突で、不躾な質問だと思う。しかも内容にも一切覚えが無い。近藤先輩というのは、一つ上の男の先輩だった。二人で歩いたことなど無く、数日前に一度、帰り道に話し掛けられた。立ち止まって話をして、その場で別れている。多分、人気の先輩なのだろう。だからと言って、ちょっと立ち話をした程度の私をこんな風に牽制して何の意味があるのかなと、不思議に思っていた。
「ああ、学生じゃ自由になるお金も無いし、東さんにとっては相手にならないのね」
「お金を差し出されても困りますね」
嘲るように言う彼女からは明らかな敵意と悪意を感じた。だけど私に何を求めているのか全く理解が及ばなかった為、ただ微笑みながら淡々と受け応えておいた。ありていに言えば、彼女の悪意にも周囲の目にも全く興味が無く、どうでも良かった。
「気が無いなら、あちこちで男性に色目を使って回るのは止めたら? 品の無い。東さんのお父様が知れば、嘆かれるでしょうね」
お父さんが? 絶対に無いよね。こんな噂が耳に入ったとしたらむしろ目をきらきらさせながら「男性まで落とすなんて詩織は格好いいね!」って言いそう。
中学生の内に私は同性愛者であることをお父さんに打ち明けている為、噂を本気で信じる可能性はゼロだった。噂の相手が女性なら、また違ったかもしれないけど。
はあ。この人達、本当に何がしたいんだろ。男の人は勝手に寄ってくるだけだしなぁ。面倒臭い。そんなことを考えていたと思う。
気付かれないように小さく溜息を吐いた時、私の背後でカシャッ、カシャッと二回、シャッター音が響く。私よりも、目の前に立っていた三名の方が表情を凍り付かせて驚いていた。
「本当、嫉妬にまみれた品の無い顔してて超ブス! あはは、中川さんのご両親、これ見たら膝から崩れて泣きそうね」
「はっ……
女の子達が急に仰け反るみたいにして、数歩、私から離れていく。背後から、さくさくと芝を踏み締めて近付いてくる一人の女生徒。それが菜月だった。
「中川さんって、近藤先輩に色目使ってまとわりついた挙句、先月、告白もしてないのに『困る』ってお断りされたんだっけ? で、東さんに八つ当たり? いや~みっともないの連鎖って地獄だねー。此処までブスになれるとは」
気持ちがいいくらい大きな声で笑いながら菜月がそう言うと、さっき私のお父さんに言及していた女生徒が顔を真っ赤にして震え始めた。中川さんって名前らしい。隣のクラスに居たかも。
とにかく彼女の反応から全部が事実で図星なんだなと思って、私は彼女をしげしげと眺める。ちなみに左右に付いていた女生徒は取り巻きか何かなのか、中川さんの表情を窺いながらおろおろしていた。これ、何の茶番? 改めて呆れた。
「差し出がましいかもしれませんが――」
事情をようやく理解したので、私は口を開いた。ベンチの後ろに立っていた菜月も、目の前の三人も、それが予想外だったのか、大人しく口を噤んで私を見つめた。
「好きな男性が居て振り向いてほしいと思うなら、周りの女性を威嚇するのではなくてちゃんと自分を磨いた方が良いと思います。確かにあなたはあまり見目が良くないかもしれないけど、それ以上に今のあなたは『振る舞い』があまりにも醜いので」
「ぶっは!!」
私の言葉尻に掛かってくる勢いで菜月が大笑いした。ますます顔を赤らめた中川さんは怒りが振り切れたのか目尻に涙まで浮かべて、何度か口を開閉した。
「あっ、あなたほど性格ブスじゃないわよ! 近藤先輩にも言い付けてやるわ!」
遂にはよく分からない言葉を叫んで走って行った。えー。折角、アドバイスしてあげたのに。あと、近藤先輩に振られたのに言い付けに行けるのかな。まあいいか。近藤先輩にどう思われても、私、心の底からどうでもいいし。
「あ~、最高、笑った笑った」
一頻り笑った菜月は、特に断りも無く私の隣に座る。彼女の手元には大きな一眼レフカメラがあって、さっきのような下らない光景をそんな良いカメラで収めたのだと知ってちょっと引いた。
「長谷さんは、彼女の……中川さんの事情をよくご存じなんですね」
「私は別に知りたくもないんだけどねー」
菜月は軽く肩を竦めると、『知りたくもない』のに入ってきてしまった情報の経緯を語ってくれた。
彼女は、新聞部に所属していて、月に一度の校内新聞の一部を担当している。すると何故か、色んな生徒がゴシップ情報をあれこれ持ってくるようになったそうだ。
「記事になるわけないのにさ。中川さんが情けなく振られた記事、面白いだろうけど先生と保護者に怒られるでしょ、フツー」
その記事が面白いかどうかはさておき、確かに、学校新聞に載るべき記事でないことは確かだ。私は小さく頷く。だけどもう一つ気になることもあった。
「中川さんのご両親についても仰っていましたけど、お知り合いなんですか」
彼女は、菜月が「ご両親」って言った時に妙に怯えた様子だったから、ただ売り言葉に買い言葉で言ったわけじゃないのかなと思ってついでに尋ねてみる。菜月は手元のカメラを弄りながら、チラッと私を見た。
「いや全然。でも中川さんのお父さんって、うちの父が経営してる会社の『子会社の社長』なんだよね」
菜月が登場した途端、中川さんが引いた理由が一瞬で分かった。この学校、かなりお金持ちのお嬢様達が集まるせいで、親の会社同士の関係まで時々持ち込まれてしまう。もしかしたらさっきの取り巻きの女生徒達も、中川さんのお父さんが経営するその『子会社』で働く従業員、または立場の弱い関係会社の娘さんなのかも。
「中川さん……うーん、うちの関係会社に居たかな」
さっき、私のお父さんのことを言っていたけど。関係あったっけ? 隣の菜月に聞かせるつもりじゃなくってただ独り言のように呟いて首を傾けたら、菜月は「いやぁ」と言って笑った。
「全く無いんじゃない? 単に東さんくらい屈指の財閥のお嬢様なら、『良くない評判』を流すって言えば怯えると思ったんでしょ」
「はあ」
一番スキャンダラスなのって、むしろお父さんだからなぁ。そう思って気の無い返事をしたら、また菜月が楽しそうに笑う。
「思った以上に、『お姫様』の気が強くって最高だわ」
直後また、カシャ、と一つのシャッター音。反射的に顔を上げたら、菜月が隣から私を撮っていた。
「……何に使うんですか」
「いや、ただの記念」
何の記念? この人はこの人でよく分からないなと、この時は思っていた。
「ところで東さん、近藤先輩と田所先輩と、あと一年の新垣君を三股してるって噂、本当?」
「嘘が過ぎますね……」
「あはは! やっぱり嘘か!」
田所先輩と新垣君って、委員会が同じなだけじゃない? まともに喋ったことは無い気がする。ほんのちょっとでも関わりがあったら付き合ってることにされるのは一体何故なんだろう。中学生くらいからこういうのはよくあって、その度に不思議だった。
「っていうか敬語じゃなくていいんだけど。何で敬語?」
「え、ああ、癖で……」
菜月は同学年だし、さっきの中川さん達も同学年だけど。この頃の私は、誰と話す時も敬語を扱っていた。敬語を使わないのはお父さんと叔母にくらい。特に親しい人が居なかったから、言葉遣いを選ぶのが面倒臭くて、統一させていただけ。拘りではなかった。
「東さん、いっつも敬語で大人しくて、周りに何を言われてものんびり微笑んでるから、気が弱くて心優しいばっかりの、箱入りのお嬢様なのかと思ってた。さっきみたいに言うこともあるのねー」
余程、私が中川さんに言い放った言葉が意外だったらしい。少し首を傾ける。
「箱入り娘なのは特に、間違ってないですね」
事実、私はいつもお父さんや叔母に守られているし、友達が居ないからあんまり外でも遊んでいない。自分は同世代に比べてずっと世間知らずなんだろうとは、正直思っていた。
「でも、心優しくないとは思わないんですけど。さっきは折角、アドバイスしてあげたのに……」
ちょっとわざとらしいくらいに憂いを込めて溜息を吐いたら、菜月はいよいよお腹を抱えて笑い始めた。
「いや、あんた性格悪いでしょ」
「そんなの心外です。顔と同じで心も綺麗です」
「心が綺麗なら自分で言わない! しかも『顔が綺麗』って当たり前みたいに言うじゃん!」
あんまりにも菜月が笑うから、この時の私はちょっと楽しくなっていたんだと思う。
きついことを言うと怯えるか引いていく女の子達ばっかりと関わっていたから、こんな反応を返してくれると思わなくて、誰と関わるよりも素の私で言葉が選べていた。
どうやらそれが菜月のツボに入ったらしくって。この日以来、時々話し掛けてくれるようになった。絡まれるという形にも近かったかもしれない。でも私も菜月と下らない掛け合いをするのが楽しくて、学校で多少なりと感じていた息苦しさを、忘れてしまえる貴重な時間だった。
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