第10話
「ちょっとごめんね」
「ううん」
断りを入れて受話ボタンを押す。耳を当てれば向こうからは少し騒がしい音が入り込んできた。
『悠子ー?』
「げっ……嫌です。行かない行かない行かない」
一声を聞いただけで私は同じ言葉を三回繰り返す。声のトーンで即座に察してしまった。私はスマホに耳を当てた状態で、詩織ちゃんの隣へと腰掛けて項垂れる。琴美は数秒間、沈黙した。
『まだ何も言ってないでしょ』
「酔ってんのが丸わかり。一人なのか複数なのかも知らないけど、私は合流しないからね」
『つれない! 偶には付き合ってくれてもいいじゃん!』
スマホから少し耳を離した。声がでっかいんだよなぁ、酔ってる時の琴美。
「偶にはね。でも今日はダメ、他に約束あるから」
琴美は私の言葉を疑うような言動を繰り返していたけれど、嘘を吐いて誘いを断るくらいなら「面倒だから行きたくない」と言う性格の私だ。彼女がそれを知らないわけもなく、一分間ほど管を巻いた後で我に返ったのか、『忙しいのにごめん、じゃあまた今度ね』と、急にしおらしくなって通話を終えた。
「ハァ。ただの酔っぱらいだったわ」
無視しても良かったなこれは。いや、そうしたら繰り返し掛かってきたかもしれないから、これで良かったのか。それはそれとして詩織ちゃんを放置してしまったことを改めて詫びながら、この琴美にお願いされて、人数集めの為にコミュニティ登録していたのだとついでに説明した。別に必要は無いけれど、不意に思い出したから。
「ああ、納得。だからお見合いパーティー、気乗りしなかったんだね」
「ご明察です~」
自ら進んで登録した人間が逃げ回るのは矛盾が過ぎる。時々疲れてしまうのならともかくとして、私は毎回逃げていたのだから、不思議に思われていてもおかしくない。むしろ今まで理由を聞いてこなかったことの方が不思議だ。ふとその疑問に思い至って、私は詩織ちゃんの方の理由を知りたくなった。
「お姫様は? ぶっちゃけあんなの登録しなくても、相手なんか選びたい放題だったでしょ?」
「ん~そうでもないかな、私、ちゃんとお付き合いするのは、悠子ちゃんが初めてだから」
「え、本当に?」
「うん」
行為が初めてだったのはもう知っているけれど、本当に何も経験していないのは――いや、何もという言い方ではなかったので『交際』を経験していないだけか。何にせよ私からは意外に思う。同性愛者とは言え、詩織ちゃんだけは選ぶ相手に困る日なんて永遠に来ないだろうに。
「あんなに囲まれてても、良い相手は一人も居なかったの?」
「逆に多すぎて分からないっていうか、一人一人と向き合う暇なんか一度も無かったっていうか……」
「すごい納得した。何それ可哀相……」
そりゃ一回のお見合いパーティーで五十人とかに集られたらそうもなるよな。ちょっとした挨拶や社交辞令を返している間に三か月なんかあっという間で、また次の五十人が押し寄せてくるんでしょ。そんなの誰でもキツイわ。会場でも一人一人とゆっくり話す時間も無かったんだろうし、逆にあのシステムはお姫様の出会いを邪魔しかしていなかったんじゃなかろうか。
「その状態でも、どうしてこのコミュニティに拘ったの? しんどかったでしょ」
コミュニティに頼らない方がまだ、詩織ちゃんにとってはゆっくり誰かと出会えたかもしれないし、もっと平和に過ごせていたかもしれないのに。コミュニティが色んなサービスを提供してくれているとは言え、詩織ちゃんはそれすらもあまり活用に積極的でなかったようだから、ますます、理由が思い付かない。じっと見つめていると、詩織ちゃんは少しだけ言い難そうにしてから、「あー」と小さく唸る。
「東
「あ、うん、……え?」
「あの人ね、私のお父さんなの」
「はあ? マジで? へー、ええー?」
色んな驚きが一気に押し寄せてきた。何から口に出したら良いか分からない。
マジでお金持ちのお嬢様だったんだね。顔は全然似てないな。いや、っていうか、この言い方だとお父さんの勧めか何かで登録してたってこと? 自分の娘を同性愛者用のコミュニティに入れようとする父親って、想像付かないんだけど、どういう思考回路?
次から次へと疑問や感想が頭には浮かぶのに、どれも私の口からは出てくることなく、詩織ちゃんが続きを話す方が先だった。
「だからね、私も特に気乗りはしなかったんだけど、でもお父さんの手前、悪いようにも出来ないし」
良い子だな。私は琴美の手前とか何も考えていなかった。頭数にはなっているだろうと思っていたし、そろそろ会員数も増えているんだから抜けても構わないのではないかと考えていたくらいだ。
「……申請して、パーティー不参加になるのは良かったの?」
あれだけ人気があった詩織ちゃんだ。コミュニティに入れることで、詩織ちゃん目当ての会員とかが稼げていたとしたら、申請を出して抜けてしまったことはマイナスになるのではないか。詩織ちゃんのお父さんの思惑を勘ぐってそう問うと、詩織ちゃんは私の考えを理解した様子で笑った。
「ああ、うん、それは別に大丈夫。客寄せとして使われてたわけじゃないよ。私も、入りさえしてたら良かったから」
妙にあっけらかんと言ってくれているが、これってもしかして深刻な話ではないのかと考える。つまりお父さんの仕事の道具として扱われたってことか? そんな考えが顔に出てしまったらしく、詩織ちゃんは何処か慌てた様子でぽんぽんと私の肩を手の平で叩いた。
「いや、深刻な話じゃないよ。お父さん、ちょっとバ……変わってるんだよね。あれはあれで愛情表現のつもりなんだと思う」
今お姫様、絶対に『バカ』って言おうとしたよね。
私が心配をしたせいで丁寧に語らせてしまったが、聞けば聞くほど、詩織ちゃんのお父さんは変わり者だった。同性愛者であることについて詩織ちゃんが勇気を出してカミングアウトしてみたところ、「そうか! なら詩織の為に新しいビジネスをしよう!」と言い出してこんな団体を計画したとのことだ。カミングアウトは中学生の頃だったというので、確かに『娘の為』に政治の世界に片足を突っ込んでこのような大きな団体を作ったこと、それに十年近くも掛けたことは愛情なのだろう。一般的なものであるとはちょっと思えないのだけど。
「まあ、そういう性格、お母さんは付いて行けなかったみたいで、出てっちゃったけど」
「深刻じゃん!?」
「あはは。それは結構、小さい頃の話だよ」
「尚更!?」
お母様が出て行ってしまったのが団体設立と関わらないというのは、詩織ちゃんのせいじゃないっていう意味ではマシかもしれないけれど、小さい頃から母親が居ない生活ってかなり厳しい心境であるように思える。
しかし詩織ちゃんは過去を説明する間ずっと飄々としていて、辛い記憶を辿る様子が無い。詩織ちゃんが実家に居た頃、家事はほとんど家政婦がしていたらしい。なるほどお金持ちだったね。それから、お父さんの妹、詩織ちゃんの叔母に当たる方が色々母親代わりをしてくれたとのことで、それもあって本人はそんなに気にしていないと言う。
詩織ちゃんからすれば、お母さんが付いていけなかった気持ちも分かるけど、お父さんも変わってるだけで悪い人じゃないのも分かる、という心境だそうだ。もしかしたら詩織ちゃんは両親から綺麗に半分ずつ譲り受けた性格をしていて、そう感じるのかもしれない。
「その、谷川さんっていう人は、初期から運営に居るの?」
「多分そうだね、団体が正式に発足する前から私に入ってくれ~って相談してきてたし」
詩織ちゃんは急に俯いて黙り込む。先程、こっちが言葉に困るような家庭環境を話していた時よりも思い詰めた顔をしているように見えた。少しだけ身体を傾け、その横顔を慎重に窺う。
「どうかした?」
「あ……ううん。何でもないよ」
声を掛ければすぐに、はっとした顔をして、それからいつも通りの笑みを浮かべた。何でも無い、わけじゃないかもしれないけど、触れられたくもなさそうだ。私は何も気付いていない顔を貼り付けて、にっこりと笑った。
「お風呂だったね。狭いバスルームだけどご案内しますよ」
「うん、ありがとう。お借りします」
多分そんなこと、詩織ちゃんは分かっている。分かっていて、同じ調子で笑ってくれた。
なお、結局この後、私が客用布団をクローゼットから引っ張り出すことは無かった。
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