第3話
バレンタイン前に一緒に出掛けて以来、私達は多過ぎず少な過ぎずという頻度で会うようになった。大体はどちらかの買い物や用事に付き合うような形で、『遊ぶ』という感覚で会ったかと言えば少し違う。
だから初めてのお出掛けから半年近くが経った真夏日の今日も、一緒に遊ぶ用事と言うよりは、詩織ちゃんが唐突に「水着買いに行くの付き合って」と連絡してきたから私は馳せ参じ、彼女の家の前までお迎えにあがらせて頂いた。今日は特に熱中症の危険性が高いという話だっただけに、余計に心配になったのだ。
「それにしても急だったね。何処か泳ぎに行く予定なの?」
最寄り駅に到着し、改札を通り抜けてから詩織ちゃんを振り返って問い掛ける。詩織ちゃんは一瞬私を視線で見上げたが、隣に並ぶともう前を見ていて、目は合わなかった。
「うん、悠子ちゃんとプール行きたいなーと思って」
「わーい初耳~。え、じゃあ今日、私も買うってこと?」
「似合いそうなの選んであげるね」
「問答無用だね」
時々こうやって詩織ちゃんはナチュラルボーンなお姫様ぶりを披露してくれる。可愛いから許してるけど、許してるからこうなるのかな。目当ての電車に乗り込むと、そこそこ混んでいた。奥に入る隙が無いので諦めて扉のすぐ傍に立ち止まり、閉じると同時にそこへと背を預ける。向かい合う形で詩織ちゃんが私の前に立った。
「水着買うほどお金下ろしてないや、まあいいか、カード使えるよね」
結局、私は彼女の思惑に沿うこと自体には文句が無いのだ。今日一緒に水着を買いに行く時点で「もしかしたら試着してくれてお姫様の水着姿が見れちゃうねラッキー」と思っていたけれど、本当にその水着で泳ぐ姿まで見せてくれると言うのならそりゃあ喜んで行きますとも。断るやつが居るなら見てみたい。女嫌いでもない限り有り得ないと思う。
「私からのプレゼントっていうのはどう? 誕生日、八月でしょ」
「よくご存じで……いやいや、流石に悪いって。自分で買うよ」
そう言うと詩織ちゃんが少し不満そうな顔をした。その顔、可愛いんだよな。今度こそ写真を撮りたかったのに、スマホは今、鞄の中だ。すぐに出てこない。それでも肩に引っ掛けている革製の小さな鞄に手を突っ込もうとしたところで電車が大きく揺れ、詩織ちゃんが体勢を崩して私の方へ数歩近付く。倒れ込んでは来なかったのに、残念ながら他の乗客も同じように体勢を崩したせいで、押された詩織ちゃんは踏み止まった努力虚しく私にぶつかった。うーん、胸が当たってるわ。そりゃそうだよね、詩織ちゃん、私と違って『無』じゃないから。
「ごめん」
「大丈夫だよ」
申し訳なさそうに眉を下げながら体勢を立て直した詩織ちゃんは当然、当たっていた胸を離したけれど、直後にまた大きく揺れ、同じようにぶつかる。後ろから押されてたらどうしようもないよね。これはきりが無いな。私は詩織ちゃんに腕を回すと、彼女の後ろの人達が体勢を立て直して少し離れたのを見計らって、ぐるりと彼女ごと反転。互いの立ち位置を入れ替えた。
「むしろ私がごめん、最初からこっちにしてたら良かったね」
「ううん、ありがとう」
扉に背を預ける形になった詩織ちゃんは、少しほっとした顔を見せた。私は無駄に長い腕を伸ばして、つり革をぶら下げている棒の方を掴む。つり革よりこっちの方が安定して良いんだよね。こういう時だけは、背が無駄に高くて良かったなと思った。詩織ちゃんは「そこ届くんだ」って顔で私の手を凝視していた。
しかし私が彼女を見下ろしたのは一瞬で、ふいと視線を上に逃がした。この距離とこの角度で見下ろすと駄目ですね、めっちゃ谷間が見えます。お姫様、ちょっと胸元の布が緩くないですか? もう少しで口に出しそうになったけれど、絶対、今言ったら駄目だろうなぁ、周りには男も居るし。でも後で言ってもなぁ。「見てたんだ」って責められる気しかしない。私は言葉を飲み込み、車窓から何の面白みも無い景色を眺めるに徹していた。
「悠子ちゃん」
「ぉあ。はい」
「……何その反応」
いや話し掛けられた場合を想定していなかったのよ。どうしたらいいの。下向いて本当に大丈夫? 躊躇いはあったけれど、顔を逸らすのも不自然だろう。扉に手を当て、少し詩織ちゃんから距離を取ってから下を向く。あー、うん、ちょっと離れてみたけど、駄目だね、見えますね。でも下着が見えないからまだセーフかな。何にせよ、覚悟が出来ていた分、そちらに視線を落としてしまうようなミスはしなかった。あと目が細くて良かった。あんまり視線とか分からないと思う。目が細くて良かったとか生まれて初めて思った。
「どうしたの? あ、暑かった?」
「平気。今日のランチ、私の行きたい店に行ってもいい?」
「勿論いいよー」
珍しい。そう思ったけど特に口にはしなかった。普段の詩織ちゃんは、出掛ける際の主目的以外はほとんど私にお任せしてくれる。だから私は事前に幾つか提案できるものを用意しておいて、彼女の反応如何で一つを選ぶようにしていた。勿論、彼女に提示して選んでもらうこともある。しかし今回は、主目的である水着選びとは別に、行きたい場所があるらしい。
水着ショップの周辺を自分で調べていて見付けた店なのか、それとも行きつけか、または、前から狙っていた場所が偶々今回の目的地に近かったのかは分からないが、こうして私と出掛ける時間を彼女なりに楽しんでくれているように思えて、ちょっと嬉しかった。
今は熱心にスマホを見つめている。その目当てのお店の場所でも確認しているのだろうか。谷間に視線を向けることなく彼女を見下ろすのにも慣れてきてその様子をぼんやり見ていると、ふとした疑問が湧く。私は少しだけ首を傾け、彼女を見つめる角度を変えた。うーん、やっぱり何か違和感が。
「わ、何?」
不意に身を屈め、視線を近付けて詩織ちゃんを覗き込む。急に視界に入り込んできた私の顔に、詩織ちゃんが目を丸めて少し仰け反った。
「いやー、詩織ちゃんってさ、別に背、小さくないよね?」
こうして身体を寄せて立っていて、頭の天辺が私の顎付近、または少し下くらいにある。平均身長ならもっと下のはずだ。そう思って問い掛けてみると、彼女はその疑問に対して不思議そうにしながらも、頷いてくれる。
「そうだね、一六〇ちょっとあるよ。二か三かな?」
なるほど、それなら数字上は、琴美と同じくらいだ。尚のこと、私にはそれが不思議に思える。
「だよねー、でも何かこう、ちまっと小さく見えるんだよねぇ。何だろう、顔が小さいのかな。肩幅が小さいのかなー、あ、首が細い……関係ないかなぁ、うーん」
更にぐっと身を屈めて詩織ちゃんを観察してみる。琴美と何が違うんだろう。何もかもが違うけれど、『身体の大きさ』を錯覚させるような差は何だろう。髪色は詩織ちゃんの方がちょっと明るいかな。これも関係ないか。考え込みながら見つめていれば、くすぐったそうに詩織ちゃんが笑う。
「そんなに見られても困るよ」
「あー、ごめん」
ついつい距離を詰めてしまった。ようやく自覚して身体を離す。そういえば彼女はスマホで何か調べもの中だった気がする。邪魔をしてしまった。今度は天井を見上げながら、記憶だけで琴美と詩織ちゃんを比べてみる。やっぱり詩織ちゃんの方が全体的に華奢だからかな。琴美も細いけど骨が太そうなんだよね。言ったら怒るだろうけど。うんうん、と一人納得して視線を落とせば、何故か私を見上げていたらしい詩織ちゃんと目が合う。
「ん、どうしたの?」
「いや極端だなぁと思っただけ。私に興味あるのか無いのかどっちなの?」
「えぇ……」
詩織ちゃんがくすくすと笑っている。ついさっきまで困るほど身を寄せて見つめていたのに、今は詩織ちゃんが見ているのも気付かないほど真上を向いていたから、ということらしい。言われてみれば指摘は尤もだと思うけれど、何だろう、問われることが妙であるような気になった。
「無いってことはないよ~、お姫様だし?」
「もう、悠子ちゃん、いつもそれだね」
私が彼女のことを『お姫様』と言うのはこの数か月の間でそろそろ詩織ちゃんも慣れてきている。でも正直、最初からそんなに驚いたり戸惑ったりはしていなかったから、呼ばれることは初めてでは無いのだろうなと思っていた。まあナチュラルボーンだからね。しかし時々はこうして呆れた様子も見せる。今回も、項垂れたのか脱力したのか、詩織ちゃんが俯いて、私の胸元に額を寄せた。当たるか当たらないかぎりぎりの距離だ。私は思わず彼女の後頭部に手の平を当てた。
「ねえ、なに」
「え、ごめん、つい。何か後頭部が可愛い」
私に頭を押さえられてしまった状態で、詩織ちゃんの肩が震えて、笑い声が漏れてくる。
「何それ。そんなところ可愛いとかあるの?」
「分かんない私が聞きたい。えっ、ていうか頭ちっさい。手に収まる」
後頭部ってこんな可愛い部位だっけ? 谷間とかご尊顔とかは気合を入れて耐えてたけど、こんなところに対して身構えていなかったからつい手が伸びちゃったよ。全然言い訳にならないし、訴えられたら負けそうだからすぐに手を離す。解放された詩織ちゃんは顔を上げると、前髪を整えながら私を見て、器用に右の眉だけを上げて苦笑した。すごいな。ほんの少し貴重な表情を見られるだけで今年の運使い切ったみたいな気持ちになった。お姫様すごい。
「あ、次だよ」
詩織ちゃんがアナウンスを聞いて降車駅を教えてくれるまで、私は先程の衝撃に呆然としたままだった。こうして一緒に出掛けるような間柄になってもう半年ほどが経つのに、私は毎回、お姫様のお姫様っぷりに驚くことばかりだ。そしてそれが、私は妙に楽しい。
「私は胸が無いからなぁ、どの水着も何の為にあるのか分からない布みたいになるんだよね」
「膨らみがささやかでも隠すべきところは一緒でしょ」
店に入れば一面に水着が並べられていて、正直途方に暮れた。その末に呟いたのが今の言葉だったのだけど、詩織ちゃんが即座に指摘してくれた言葉が気持ち良かったので何かどうでもよくなってしまった。確かに、膨らみが無くても放り出してたら犯罪だね。
「適当な水着にTシャツ着てていい?」
「だめー」
私の提案を即座に却下すると、お姫様は徐に私の腕を取って引く。ねえだから。腕組んでるみたいになるじゃん。しかも今は夏でお互いそこそこ薄着なんだからお気を付けなさいよお姫様。同性だし友達だけど、れっきとした同性愛者なんですよ私は。
いや、友達と思ってこれだけ距離を詰めてくれているのだとしたら、こうして考える私の方が酷いのか。仕方ない、無心で居よう。琴美に腕を引かれてると思えばいいわけだから。ああ、うん。毛ほどもそそらないわ。オッケーこの手で行こう。
「ちょっ、まっ、何で触るの」
折角私が無心になる極意を見付けた瞬間、お姫様はそれを横から叩くようにして綺麗に崩した。何をしてきたかというと、徐にTシャツの上から私の脇やお腹を手の平で確かめるように触り始めたのだ。
「んー、やっぱり結構引き締まってるし、スレンダーだね、それならこっちより、うーん」
「あ、全く私の声聞こえてませんね?」
めちゃくちゃ真剣に『私に似合う水着』を選び始めてるよこの人。自分の水着はどうしたんだ一体。指摘にも反応が無い。ずんずんと店の奥へと足を進めて行く彼女と逸れないように、溜息を零しつつ付いて行く。もしかしてお姫様は人の洋服等を選ぶのが好きなのかもしれない。
そもそも「一緒にプール」も問答無用だったし、これはもう、大人しくお姫様に従うしかない気がする。でもお姫様、流石に今お手に持っているそれはあまりに心許ないからやめてほしい。私は少し焦って彼女に駆け寄った。いくらなんでもそれは、詩織ちゃん自身が着るものって言っても止めますよ。
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