第2話
「――今日も逃げちゃって良かったの?」
「そっちこそ」
昨日と同じ場所で寛いでいると、そろそろ終わるかと言う時間に、彼女がやって来た。返された言葉に、私は肩を竦めた。
「まあ私は、毎回なので」
「毎回だから問題なんじゃないのかなぁ……」
そう言いながらも傍に寄って来たので、昨日と同じようにスペースを空けた。私は昨日とあまり代わり映えしないドレスを着ていたけれど、彼女は少し雰囲気の違う装いに変わっている。可愛い人というのは見る目も多いから、色々気を遣うのかもしれない。
「もうちょっとで終わりの時間だね。最後に滑り込もうと思ってた人はご愁傷様だ」
「うーん、一通りは交換してるから、大丈夫、だと思う」
「へえ、そっか。そりゃ大変だったね」
参加する度にあれだけ人を集めても相手が居ないというので、もしかしたら断ることも多くてあまり受け取っていないのかも、と予想していたが、そういうわけでもないようだ。私と違って彼女は、人が集まり過ぎるせいで疲れてしまうだけであって、ちゃんとこのお見合いパーティーに対して前向きに活動している。尚更、私のような者から受けるアプローチなど、余計なものでしかないかもしれない。
そう思うのに、もう決めてしまっていた私は、自分の連絡先カードを取り出して、彼女の方に差し出す。
「ついでに貰ってくれない?」
カードを見た彼女は、一瞬、目を丸めて静止した。
「ごめんね、逃げた先でまで渡されたら嫌だろうなーと思ったんだけど、昨日話してて楽しかったし、もし今日も来てくれたら、渡そうと思っててさ。勿論、迷惑なら」
「え、ううん。ありがとう。じゃあ私のも」
先程の静止は何だったのだと思うくらい淀みなく目の前のカードを受け取った彼女は、小さなハンドバッグから彼女の連絡先カードを取り出して、渡してくれた。『油断をしていたものの、やり取り自体は慣れている』という反応だろうか。何にせよ受け取ってもらえただけでなく、交換してもらえたのは嬉しかった。
「おおー。久しぶりの連絡先交換」
「これで今回は怒られないね」
「あっ、確かに」
会場の外ではあるが、一つ行動を報告できる為、お小言を頂くことは無いだろう。
「でもそういう人、私に渡すこと多いよ。私が沢山もらってるから、その中に紛れてしまえばカモフラージュになるって思うんだろうね。その後は連絡ない人、結構いる」
「へー、そうなんだ。モテるのも色々あるんだなぁ……」
まるで他人事のように相槌を打った私は、どうして今彼女がこの話題に触れたのかまだ分かっていなかった。その様子が可笑しかったのか、彼女はくすくすと笑う。
「だから一回くらいは連絡してね?」
その一言ではっとして背筋を伸ばす。そうだ。私も状況や立場が酷似しているのだから、疑われても仕方がない。
「勿論。私はカモフラージュのつもりじゃないから」
少し慌ててそう返すと、彼女は一層楽しそうに笑っていた。本気で疑ったわけではないのだろう。もしそうであれば、愛想笑いで交換だけして、彼女はこんなことに触れないような気がした。まだ少ししか話していない中、『そういう人』と判断するのは強引だったかもしれないが、私は妙な確信を持っていた。
「ところで今日は何枚貰ったの?」
「えー、数えてないや。いち、に、さん……」
鞄の中にあるカードを丁寧に数えている指先の動きすら妙に可愛い。また、俯いているからよく見える項とか。あんまりそうして観察していると訴えられそうだけど。それとなく視線を逸らしたところで、彼女のカウントが二十六で止まった。
「え、それ、今日だけで?」
「うん」
「ひえー」
昨日と合わせれば五十枚以上を貰っていそうだ。一日目の方が多いことを仮定するとそれ以上か。聞くところによれば、どのお見合いパーティーに出ても同じくらいの枚数を受け取ることになるらしい。
「でも連絡あるのは七割くらいだと思うなぁ」
先程のカモフラージュ集団が三割も居るらしい。それはそれで迷惑な話だと思うが、それでも一度のお見合いパーティーで五十枚貰うとして、三十五人くらいからは連絡があるということになる。改めて私は「ひえぇ」と言った。
「それ、名前見て誰か分かるの?」
「顔覚えるのは得意な方だから、そこそこ。でもたまに分からないかな」
私は心の底から感心した。こんな短い時間で、五十人分の顔と名前を憶えて、次回のパーティーでもまた改めて新しい人達を覚える。そんな状態で分からなくなるのが「たまに」なんて、『得意』どころの話ではない。とんでもない能力だ。私が苦手であるだけに余計にそう思う。
「すごいね~。私なら会場出る頃にはもう分からなくなってるよ、絶対」
「あはは」
その後は昨日と変わらず、意味の無い雑談をして、終了の時間が迫ったところで彼女を先に会場へと返す。
「じゃあまた連絡します」
「うん、待ってるね」
その背を見送って、私はというと、一度ベンチに座り直した。私も当然、会場へと戻るべきなのだけど、あんなにも目立つお姫様が誰かと連れ立って戻ると問題だろう。ちょっと視線を集めちゃうくらいで済めばいいが、最悪の場合、帰り道に闇討ちされそうだ。あれだけモテるのだから普通に怖い。そういうことで私は少しだけ待ってから戻ろうと思う。手に入れた彼女の連絡先カードに視線を落とす。『
「東さん、ねぇ」
団体の代表者と、名字一緒じゃん。
この時はそれだけの感想だった。事実、彼女が代表者の一人娘だと知るのは、もう少し後のことだった。
それはそれとしてその日の夜、早速、彼女に宛てるメッセージを作成する。あまり気合も入れていないものだ。今夜だけでも彼女は多くの連絡を貰うのだろうし、そもそも五十もの連絡先を登録するのも一苦労だろう。大変だなぁと同情しつつ、そんな中で長い文章など絶対に読みたくないだろうという気遣いだった。
『
これだけを迷うことなく送信した。すると、今はきっと連絡先登録や他の対応にも忙しいに違いないのに、彼女はすぐに返信をくれた。
『流石に覚えてるよ(笑)。佐田さんもお疲れ様』
同じく簡潔に返してくれたことに、やはり好意的に思う。満足して、この日はそれだけ。やはり挨拶は礼儀と思うものの、今夜の彼女は疲れているだろうし、他の対応に追われているだろうと思うから。
以来、私達は時々、メッセージでやり取りをしていた。下らない雑談ばかりだ。出会ったのが十二月だったから、日に日に増えていく街のクリスマス飾りのことだったり、美味しかったクリスマスメニューのことだったり。しかしクリスマス当日や、前夜には連絡していない。どうせデートしてるよ。触らぬ神になんとやら。
ただその次のイベントは、ふと気になったので触れてみた。
『東さん、バレンタインは渡す方? 渡される方?』
物凄く気になる。ついでに言うと毎年何人くらいから貢がれているのかも気になる。いつも返信の早い彼女だからすぐに答えてくれるだろうと思い、わくわくしながら待っていたら、案の定、五分足らずで返信が来る。
『渡すことは無いかな』
「流石お姫様!」
思わずそう口にしながら同じ言葉を入力する。貰うことはあるのだと暗に意味しながらもその量などに触れようとしない辺りが怖くて最高に面白い。それだけだとつまらないので、そうだ、と思い付いて続きを打ち込んだ。
『良ければ暇な日、バレンタインチョコ買いに行くの付き合ってくれない?』
ああいう、可愛い子ばかりがひしめき合う場所に一人で赴くのは恥ずかしかった。琴美はいつも「私は手作りするから買わない」と言って絶対に付き合ってくれないので、仕方なく通販することがほとんどだ。彼女も普段買わないのなら用は無いと思うけれど、観光気分でなら付き合ってくれるかもしれない。別に私も、あげたい意中の誰かが居るわけではないのだけど、毎年女性陣が用意することを当たり前にしている職場なのだ。こういう風習を廃止している職場の方がもう多いと言うのに、正直、時代錯誤に呆れてしまう。大体、何故こういう時だけもれなく『女』扱いなのかが分からない。回避しようものなら「やっぱり佐田さんには女性らしさが足りないね」などと言う輩も出てくる。やかましいわ。
このように浮かぶ文句は沢山あるのだが、私はそれでも波風を立てない方を選びたい。適当に流し、そこそこのものを用意して、ついでに自分用に美味しそうなものを見繕うのがバレンタインの過ごし方となっていた。
『いいよ。来週の土日空いてるよ』
気付けば返事が来ていた。躊躇いが含まれない快諾にほっとする。想像よりずっと、お姫様からのメッセージはいつもシンプルで簡潔だ。絵文字や顔文字も極端に少ないし、「!」が付いているのは見たことが無い。いつもこうなのか、私が『お友達』だからこうなのかは分からないけれど、私にとってはこの方が気楽で良かった。
「一番怖いのは好みを把握してる場合だね」
モテる女には人によって使い分けられるくらいの観察眼と技術があるのかもしれない。偏見も甚だしいが、そう考えるとちょっと怖くて、ちょっと可笑しかった。
「……そんなわけないでしょ」
私のバレンタインチョコの買い出しに付き合ってくれるお姫様に、会った早々でそのような不躾な質問をしてみたら、呆れた顔をされた。わー呆れた顔してても可愛いねー。思ったことが顔に出たのか、私を見上げる目は更にその色を深める。これ以上やると怒られそうなので素直に謝った。これが彼女との初めてのお出掛けなのに、怒らせたら親衛隊とかに始末されそう。
「親衛隊も居ないから」
「まじで?」
「居るわけない。そもそも何なの親衛隊って」
「いや分かんない。イメージだねぇ」
適当な私の受け答えに呆れたような溜息が混じったので、それすらも可愛かったのだけど、いい加減遊ぶのは止めにした。そういえば私の用事に駆り出しているんだよね、お姫様ともあろう方を。改めて隣を歩く人を見下ろしてみたら、口から勝手に「かわいい」って声が出た。お姫様が怪訝に私を見上げる。
「あ、ごめんごめん。ドレスも可愛かったけど、私服も可愛いねーって思って」
「……ありがとう。佐田さんもお洒落だね。意外」
「それ褒めてなくない?」
思わず、お淑やかさの欠片も無い笑い声が漏れてしまった。しかしお姫様は悪びれることなく「もっとシンプルな装いのイメージだった」と付け足す。お見合いパーティーでのドレスがシンプルに徹していたこともそのイメージを付けた要因にもなったのかもしれない。とは言え、何も今日の私は可愛い格好をしているわけでは無く、革靴と時計とジーンズはメンズだ。
「服とか小物とか結構好きでね。まあ顔が特徴無いから、服くらいはって感じかな~」
友人代表の琴美もかなり容姿が華やかでお洒落な子だから、下手な格好は出来ないという理由もあるけれど。からからと笑った私を見上げて、お姫様は不思議そうに首を傾ける。
「そう? 細い目も上品できれいだと思うよ」
「お姫様は褒めるのも上手だなー。ありがとう」
偶に言われるフォローの言葉だったけれど、これだけ可愛い子に言われると嫌味にもならないな。しかも言葉に困った顔を一瞬もしなかったんだよね。素直に感心して、ありがとうも、いつもよりずっと素直に返したつもりだった。けれどお姫様は軽く口を尖らせる。何その顔。可愛いな。ちょっと待って写真撮るからもう一回して。慌ててスマホを取り出した頃には普通の顔に戻っていた。別にそれでも良いんだけど。
「写真撮っていい?」
「なんで?」
「ちょっとご尊顔が可愛くて」
「意味が分からないから止めて」
注意する口調でありながらも、彼女の口元は耐え切れない様子で笑っている。私のふざけた振る舞い、意外と楽しんで下さっている。笑ってくれたので満足して、スマホをポケットに仕舞う。すると私の腕をその状態で押さえ込もうとしたのか、隣を歩く彼女がその腕を軽く掴んできた。腕組んでるみたいになってるじゃん。腕組んでるみたいになってるじゃん。驚き過ぎて二回言うわ。二度見したわ。澄まし顔してらっしゃる。人通りも多いからこの方がはぐれなくて楽だし、まあいいか。見なかったことにしよう。
待ち合わせ時点から結構はしゃいでしまったが、本日の目的はバレンタインチョコだ。しかも彼女が一緒だから売り場に紛れ込むのもちょっと気が楽ということで、調子に乗って百貨店のバレンタインフェアの区画にまで付き合って頂いた。
お姫様は日常的には甘いものを取らないように気を付けているとのことだけれど、チョコレートは普通に好きらしい。売り場は結構楽しんでくれていた。私も大いに楽しく選ぶことが出来た。
「夕飯はお任せでいいの?」
「うん、苦手なものは特にないから」
「オッケー」
事前に夕飯も誘ってみたら此方も快諾してくれたので、この後に二人でお食事させて頂けるらしい。わーい。でもまだ十六時。ちょっと早いな、少しもお腹が減っていない。暇潰しとして幾つかプランを提案したら、お姫様がカラオケを選んだ。歌声まで聞かせてくれるのはサービス過多じゃない? 海外みたいにチップとか払うシステムだったかな大丈夫かな。
私がそういう軽口を言えば言うほど、お姫様が笑うようになってきたので私も楽しくなってきた。でも録音と撮影は最後までNGのままでした。だよね。
そんなこんなでまるでデートのように一日お姫様に付き合ってもらって、夕食の席ではお互いに少しお酒も飲んで、ふんわりいい気分で帰路に就く。
「あ、そうだ忘れるところだった、はいこれ」
「え?」
駅で別れる寸前、私は今日の戦利品を詰め込んだ紙袋の中から一つの袋を取り出して、お姫様へと差し出す。
「付き合ってくれたお礼。私からのチョコレート。ちょっとフライングだけど、当日には会わないしね~」
その時またお姫様は目を丸めて静止した。だけど連絡先カードを渡した時よりずっとそれは短い時間で、すぐにふわりと柔らかく笑い、「ありがとう」と言って受け取ってくれる。ありがとうってのは此方の台詞なんだけどね。
「佐田さん、あー、ううん、悠子ちゃんで良い?」
「おお。いいよ、じゃあ詩織ちゃんで良いかな」
「うん」
可愛いなー。距離の詰め方にいやらしさが無いと言うか、スルッと来るなー。感心して見つめていれば、やや首を傾け、私を見上げた詩織ちゃんが微笑む。
「今日すごく楽しかった。また遊んでね」
私は少しだけ面食らって、それから、微笑み返した。つもりだったけれど、多分、顔は『緩んだ』って言葉の方がずっと相応しい形に崩れていたことだろう。
「勿論、喜んで」
落ち着いた返答を心掛けたつもりだが、顔の緩み方から考えれば全く格好は付いていないに違いない。何だか嬉しそうに笑った詩織ちゃんの顔がそれを伝えてきている気がして、内心、居た堪れなかった。
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