それでも。
暮
本編
第1話
今日は天気が良くて、いや、良すぎて。太陽を浴びている黒のアスファルトから、じりじりと音が聞こえてきそうなくらいに暑かった。手に持っていたペットボトル飲料はすっかりと温くなっているだろう。滑り落ちていく水滴が、アスファルトに幾つかの染みを作る。これも十五分くらいで、跡形も無く消えてしまいそうだ。
「――えっ、
自分の名前を呼ぶ声に応じて振り返れば、驚いた顔をしている待ち合わせ相手。思っていたよりずっと早い。
「おはよ。お迎えに上がりましたよー、お姫様」
「ちょっと、もう。駅で待ってていいのに」
慌てて駆け寄ってくるその人は、私がキャップ一つ被っただけで日陰にも入らず立っていたことを心配してくれたらしい。何処か困った顔をして見上げてくる。流石、上目遣いが可愛いね。
「
「こんな明るい時間に?」
「そう、こんな明るい時間でも」
私の言い分を全く理解できないと言うように首を傾けて難しい顔をしているけれど、炎天下に彼女を長居させるのも心配だ。私は手に持っていた日傘を差して、彼女を太陽から守るようにその影に入れる。
「じゃあ行こっか」
彼女は待遇に困惑した顔をしつつも、強い日差しには短い時間であれ参っていたのか、僅かに表情を和らげる。そうして私が駅の方へ歩き出せば、彼女もそのまま隣に並んだ。
「待ってる間もこれ差してたら良かったのに」
「あはは、私が差すのはちょっと似合わないからなぁ」
当たり前と思って呟く言葉に、彼女は一瞬、私を視線だけで見上げた後、小さく溜息を零した。
「そんなことないでしょ」
そうかなぁ。既に前を向いている彼女を、私も視線だけで見下ろす。隣を歩く詩織ちゃんは、「お姫様」と私が呼ぶのを聞いても誰一人文句など言えないと思うほど、綺麗で可愛らしい人。一緒に歩いているだけで、関係が何であっても、私は不釣り合いにしか見えないだろうと思う。
私達は、同性愛者だけを寄せ集めたお見合いパーティーで出会った『お友達』だ。お付き合いはしていないし、お付き合いをする方向に進んでいるわけでもない。
もう一度言うが、私と彼女ではあまりに違い、あまりに不釣り合いで、出会ったその瞬間から、そんな気配は全く無かった。
私はとある団体が立ち上げている同性愛者のコミュニティに会員登録している。この団体は潤沢な助成金を政府から受けており、会員になっていればかなり手厚い支援が受けられるのだ。ただ、私はそんな支援に興味があって登録したわけではない。親しい友人が団体の運営に居て、ありていに言えば、登録者数を稼ぐ為のサクラとして登録した。
しかし、このコミュニティは『パートナーを探す』または『パートナーとの関係を良好に保つ』ことを目的に入るもので、独り身であればサクラとは言え、何の活動もしていないというのは許されない。特に、三か月に一度開催される大規模なお見合いパーティーに関しては、正当な理由がない限りは参加が必須となっていた。
私が詩織ちゃんと出会うことになったのは、そのお見合いパーティーでのこと。あの日、時間ぎりぎりに入り込んだ会場の中では、明らかにおかしな人だかりが出来ていた。
「……なんだありゃ」
会場の端からそれを遠目に眺め、眉を上げた私を何処かから見ていたらしい女性が一人、隣に立つ。
「興味あるの?」
声に応じて視線を向ければ、見知った顔だった。私は肩を竦める。
「野次馬って意味ではね。何、今日は
「残念ながら運営側よ。スタッフカード見なさい」
言われるままに視線を落とせば、彼女の胸にはSTAFFと記載されたカードがぶら下がっていた。まあ、いつも綺麗にしている彼女が地味なスーツに身を包んでいる時点で、分かっていたけれど。彼女は谷川琴美と言い、私がこのコミュニティに参加する理由となった友人だ。彼女自身はバイらしいが、運営側として動いていることもあれば、参加者として入っていることもある。仕組みはよく分からない。正直、あまり興味が無い。琴美は改めて、人だかりの方へと視線を向けた。
「彼女、結構な有名人よ。何処の会場でもあの状態。まだ相手は居ないみたいだけどね」
「へえ~」
中心に居る人物のことは、この距離ではよく見えない。淡い色のドレスと、結い上げられた明るい髪の色くらいは何となく見える。私が彼女と同じ会場になるのはおそらくこれが初めてのことだ。同じメンバーで毎回お見合いパーティーをしても意味が無い為、参加する会場はランダムに振り分けられる仕組みになっている。
「声、掛けに行かないの?」
「私が? まさか」
手に持っていたグラスを傾けたタイミングで言われたので、思わず噴き出してしまうところだった。あんなに引く手数多である女性に、私が声を掛けるなんてとんでもない。下らない冗談だ。そもそも私が本気でパートナーを探すつもりでこの会場に居るわけじゃないことを、誰よりも琴美が知っているくせに。
「じゃあ私、そろそろ出るわ」
主催者からの短い乾杯の挨拶を聞いたところで、私は琴美にそう告げる。
「あんたねぇ、偶には参加しなさいよ」
「ちゃんと出席はしました~」
軽く琴美に手を振ると、グラスを適当な場所に返して、入ってきたのとは別の扉の方へと抜ける。このパーティーが終わるまではこの『建物』には居るつもりだが、会場内に居るつもりは全く無かった。いつもそうだ。大抵の場合が大きな建物の中の一つのホールで開催されるから、私はこっそり抜け出して、建物内で人の居ない場所に向かい、そこで終わりまで時間を潰す。
そもそも、ああいった華やかな場所が嫌いなのだ。あまりに私には似合わない。一応ドレスは着ているものの、場違いという気持ちにしかなれなくて、本当に居た堪れない。
会場を出て、長い廊下を突き当たりまで進み、開け放たれていたバルコニーに入り込む。周りに人の声が無い様子を見る限り、この近くのホールは今日、使われていないのだろう。掃除の行き届いている様子のベンチに腰掛ける。普段は何に使用されているバルコニーなのだろうか。お洒落なデザインのベンチも、座るだけで少々気恥ずかしい。
例えば自分が愛らしい容姿に生まれていれば――なんて、下らない妄想をしたいわけじゃない。ただ、無いものは無い。足りないものは足りないで、仕方が無いから、それなりの生き方をするしかないだろうと思う。私の見た目は何処までも、愛らしさとは無縁だ。目は細く、やや吊り上がっている。キツネと呼ばれることがほとんどで、時々優しい人が「平安美人」と言うけれど、言いたいことは正直何となく分かるよ。オブラートに包んでくれてありがとう。胸も無いし、背がばかみたいに高くて一八〇センチを少し超える。ばかじゃないのかな。こんなに要らない。今日だって出来るだけ控えめなヒールを選んで履いてるっていうのに、歩いてるだけで沢山の人に二度見された。
それにしてもバルコニーは丁度いい隠れ場所ではあるものの、半分外なので少し寒い。幸い今日はまだ気温が高いので凍えるほどではないけれど、長居しては風邪を引くかもしれないな。そう思ったくせに、十五分くらいもしたら私はベンチでウトウトし始めた。
「……わっ」
「え」
それからどれくらい寝ていたんだろう。唐突に、入り込んできた人の声に目を覚ます。振り返れば、バルコニーの入り口に立つ、お姫様かってくらい可愛い顔した女性の姿。私は慌ててベンチから立ち上がった。
「おっと、ごめんなさい、此処、使います?」
こんな人がこんな場所に来るくらいだから、連れでも居るのかと思った。良い感じになった人と、二人きりで話すとか。だけど、彼女は一人きりだった。苦笑いで首を振った彼女の、後れ髪がふわりと揺れる。そんなちょっとの毛束が可愛いとかあり得るか? 私も今日はアップにしているけど、後れ髪なんて何処までもただの毛だぞ。一瞬、面食らった。
「いえ、ごめんなさい。休憩に来ただけで……私こそ邪魔をしてしまって」
「あーいやいや、私も休憩していただけなので大丈夫です。良かったらどうぞ」
つい先程まではベンチの中央でふんぞり返っていたが、座る位置を端に移動して、彼女が座れるよう、余裕を持ってスペースを空ける。初対面の人間と密着して座るとか、可愛い子なら普通に怖いだろうと思ったからだ。しかし互いの間に一人分くらい距離が空けられるようにしたのに、彼女は空いたスペースの真ん中に座ってきた。このお姫様、ナチュラルにお姫様だな。仕方なく私はベンチの肘掛けに寄り添うくらい端に座った。
「あ、同い年」
「え? ああ……はは、本当だ」
ふと私の胸元に視線を止めた彼女の言葉に、受付で貰った自分のネームタグを確認する。そういえば年齢もシールで貼ってあるんだった。晒したくない人は隠しても剥がしても良いらしいけど、私はどうでもいいからそのままにしていた。ポップな字体の明るい色で大きく書かれた二十四、改めて見るとかなり間抜けだ。幼稚園児の名札じゃん。せめて字体くらい落ち着けなかったのか? 後で琴美に文句を言っておこう。
ともあれ、お姫様のネームタグにも同様に二十四と記載があり、同い年と分かったので私達は早々に敬語を取り払った。
「あれ、もしかして囲まれてた人?」
今思えば鈍間が過ぎるけれど、会場で人だかりを作っていた『有名人』とやらと、此処に居るお姫様が同一人物だと気付いたのは、本当にこの時。同じ色合いで、シルエットの似ている程度の女性なんて会場に沢山居たのだから、興味薄く、さっさと立ち去った私では気付くわけもない。ただ、「これだけ綺麗な子なら、会場でも人気だったのだろうなー」と呑気に考えてからようやくはっとした。
「あー、多分、そうかな……」
苦笑して肯定する様子から察するに、周りから見て目立つほど自分がモテる自覚くらいはあるようだ。それにしても、会場一の人気者が、どうして会場から出て来てしまったのだろうか。
「良かったの? こんなところ来ちゃって」
「うーん、どうだろ……でもちょっと、沢山の人と話して疲れちゃったから」
さりげなく時計を確認すると、開始から一時間と少しが過ぎていた。此処で私は一時間も寝ていたらしい。さておき、その間もずっと囲まれていたのなら、さぞかし大変だったことだろう。曰く、一旦お手洗いに行くのを口実に会場から逃れたものの、戻る気になれずに彷徨った結果、此処に至ったということらしい。モテることが当たり前の人でも、こんな風に疲れることがあるんだなと、意外に感じる。私には分からない世界のことだ。
「あなたは?」
「ん、私? 私はいつもだよ。ざわざわしてるところが苦手でね、乾杯したら大体、どっかで時間潰すの」
「それ、怒られない?」
先にも説明した通り、名前を置いているだけというコミュニティ参加は許されていない。だからお見合いパーティーの出席は必須で、そしてお見合いパーティーでちゃんと交流することも、本当は必須なのだ。それでも私は呑気に笑う。
「いやー怒られたこともあるね」
「あるんだ……」
呆れた様子で笑われてしまった。実際、運営は『怒る』と言うよりは「何かお手伝いが必要でしょうか?」「頑張りましょうね」というような柔らかな注意に留まっているけれど、流石にそろそろ、もう一段階強いお言葉を頂く気もしなくはない。
だが私はそもそもサクラであるだけで、そこまでして相手が欲しいとは思っていない。大体、お見合いパーティーのような場所で、己を着飾って、第一や第二の印象で勝負するって結局はこの子のように愛らしい子の為のパーティーだろうと思う。私のような人間が混ざり込んでも仕方がないだろう。声が掛かることなどあるわけがなく、また此方から掛けたとしてもこの顔では相手をがっかりさせるだけだ。双方の為にも、私はこうして会場外で大人しくしているに限る。
その後、お姫様とは結局のんびり雑談しただけで、連絡先の交換とかそういうのは何も無い。ネームタグはお互い見ていたけれど、名前を呼び合うことも無かった。やかましい会場から疲れて逃げた二人が、羽を休める為だけの時間だったのだから、それも当然だ。
そんな理解はあったものの、自宅に帰ってベッドの上でぼんやりと天井を見上げていると、連絡先くらい交換しても良かったのでは? という気持ちになった。
「めちゃくちゃ可愛かったな。喋ってて普通に楽しかったし。モテる女ってああいう感じなのか。怖いな」
見た目が驚くほどよろしくて、立ち居振る舞いが可愛らしくて、話せば楽しいって。どっかに欠点作らないと逆に問題があるんじゃないのかと、よく分からない心配を抱く。容姿云々を取り除いたとして、縁をこのまま無かったことにしてしまうのは勿体ない気がした。そう思えるだけ、私は彼女と共に過ごした短い時間を、心地よく感じていた。
しかし、会場で色んな人から好意を寄せられた彼女は、話し掛けられることに疲れて逃げてきたのだ。逃げた先でまで同じように求められて連絡先を渡されるなんて、あんまりだとも思う。
身体を起こして鞄へ手を伸ばすと、コミュニティから支給されている連絡先カードを取り出す。本来はお見合いパーティーで意中の人に渡すものだが、私はまだ数えるほどしか使用していない。
「うーん……」
お見合いパーティーは三か月に一度の開催で、同メンバーで行われるのは二日間。だから明日も私は参加しなければならなくて、彼女も来るだろう。
そう予想した通り、翌日の会場でも、彼女は人だかりを作っていた。私はいつも通り、乾杯の際にだけグラスを持って、それが終われば会場を抜け出した。囲まれている彼女のところに行くつもりはやはり無く、彼女を窺うこともしない。出て行く私を何か言いたげに睨んでいる琴美にだけ、にっこりと笑みを向けておいた。
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