第4話

「うーん、満足。可愛いの見付かって良かったね」

「お姫様がうれしそうでなによりです……」

 自分の声がやや疲れ気味になっていることを感じ、喉を潤す為に目の前に置かれた水を飲む。午前中から買い物に出ていた私達は、目当ての品をそれぞれ購入した後、詩織ちゃんが行きたいと言った店に少し遅めのランチを取る為に入店した。まだメニューを開いたばかりである為、目の前には水しかない。

「どれにする?」

「んー、私はこれ、オムレツ付いてるのにしようかな」

 どうして私がメインでなく『付いているもの』で示したかと言うと、この店がハンバーグの専門店だったからだ。メインはどれを選んでも同じ。違いは添えられているものだったり、中にチーズが入っていたり、掛けられているソースだったり。詩織ちゃんはメニューを見つめながら可愛らしく「んー」と唸った後、ホワイトソースの掛かったものを選んでいた。

「詩織ちゃん、ハンバーグ好きだったんだね」

「あー、普通かな」

「おぉ……? 何でこの店選んだの?」

 好物だから来たかったわけではないのか。戸惑って目を丸めたつもりだったけれど、傍から見れば私の目は細い線でしかないんだろうな。瞬時に我に返って、呆けた顔を整える。いや、綺麗にはならないけど、いつもの形に戻した。詩織ちゃんは答える前に少しだけ首を傾け、回答を渋ったような気がした。けれど本当に一瞬のことで、答える時には私を真っ直ぐに見てけろりとしていたので、気のせいだったかもしれない。

「だって、悠子ちゃんがハンバーグ好きだから」

「ほぁ」

 間抜けな音だけが私の口から出てきた。詩織ちゃんが思わずと言った様子で口元を押さえて俯く。肩の震えは結構大きくて、めっちゃ笑われている。

「いや、びっくりするでしょうよ」

「だからって流石に、びっくりしすぎでしょ」

 顔を上げた詩織ちゃんの笑顔が可愛かったのでやや冷静さを取り戻した。笑われているという状況には変わりないのだけど。居心地の悪さを誤魔化すみたいに、私は長めの前髪を掻き上げて後ろに流した。

「あー、私、ハンバーグ選ぶこと多いのかぁ……」

「うん」

 好きな食べ物の話をした覚えが無かったから、まず、どうして知っているのかという驚きが来た。バレンタインチョコを買いに行った時は、結構甘いものが好きであるという話はした。だけどごはん系の話はまだ一度もしていなかった。ただ私が、一緒に食事をする時に、ハンバーグを選ぶことが多かったらしい。全くの無意識だった。

「それにハンバーグの時だけ、決めるのがいつもより早くって。それが妙に可愛くて、ちょっと印象的だったの」

「何それ恥ずかし……」

 額を押さえて項垂れたところで、可愛らしい店員のお嬢さんがテーブルの横に立ち、私達が頼んだものを運んできた。早いなと驚いたが、メインが一つであるだけに、今のような昼時は延々と量産しているのだろう。

「悠子ちゃんいつも私が好きそうなところ、って選んでくれてる気がしたから、偶にはね」

 お姫様はそう言うと気が済んだのか、「頂きます」と手を合わせてハンバーグを切り始める。確かに詩織ちゃんを連れて行くのに牛丼屋やラーメン屋は無いなとか、量もそんなには入らないだろうとか、あまり騒がしいと怖いかもしれないとか、女性が多めの店が良いだろうとか、色々と考えてはいる。少しでも好みを聞き出した時には、評判のいい店があれば提案してみることもある。だけど、我慢をしているつもりはまるで無かった。出掛ける時、私は事前にあれこれ調べて考える時間も結構好きだ。だからそうして店を選ぶことに少しも苦痛は感じていなかった。それでも今は、私を喜ばせようとしてくれた詩織ちゃんの気持ちが素直に嬉しい。

「そんなに気を遣ってるつもりは無かったんだけど。でも、ありがとう」

 礼を述べた後、私も遅れて「頂きます」を呟いてからハンバーグを口に運ぶ。

 ちょっと待って、此処のハンバーグ本当に美味しいな。びっくりした。この店には定期的に来ようと心に誓う。後から聞けば、詩織ちゃんは人伝に評判を聞いて選んだとのことだ。立地が少し悪く、入り組んだ場所にあって見付けにくいようだけど、それでも今はもう満席だった。つまりそれだけ人気の店なのだろう。しかもオムレツも最高に美味しかった。この細い目でも一瞬は目として認識される程度に開いたと思う。「美味しい」と繰り返している私に、詩織ちゃんは嬉しそうに目尻を下げて笑った。

「それで、プールはいつ行こうか?」

 水着をこれだけ強引に決めて買わせてきたんだからプールも決まっていて「この日だよ」って涼しい顔で言われるのを少しだけ期待していたけれど、詩織ちゃんは首を傾けながら、ストローでグラスの氷を掻き混ぜた。私達は今、カラオケに移動している。

「私はいつでも良いけど、悠子ちゃんは?」

「私の方がいつでも良いよ、暇だから。今月はバルコニーに逃げる会も無いし」

「逃げる会じゃなくてお見合いパーティーでしょ。まだやってたの?」

「いつもやってるねぇ」

 呆れたような声ではあるけれど、詩織ちゃんは楽しそうに笑っていた。彼女と出会ってから今日までに、例のお見合いパーティーは二回あった。どちらも詩織ちゃんとは会場が違い、琴美も見た覚えが無い。他の見知った顔は、もしかしたら居たかもしれないけれど、相変わらず主催の挨拶後に逃亡した私には全く分からない。

 パーティーがあった後は、私からはまず詩織ちゃんへ連絡をしない。新しい五十の新規登録と対応で忙しいだろうと思うからだ。けれど余程パーティーが疲れるのか、二日後には何らかのお誘いが詩織ちゃんから届く。お疲れ様。そうしてようやく私は『今回は何人射止めてきたの?』等とふざけたメールを労いの言葉と共に送ることにしていた。ただ、私の方の話はほとんどしていなかったから、今更、「まだやってたの?」というご指摘を受けるわけである。

 詩織ちゃんは苦笑を浮かべたけれど、それ以上の追及をする様子は無い。無駄だと思ってくれているのだろう。そもそも誰かの言葉で考え直すような真面目な性格であったなら、もうとっくにちゃんと参加している。

「プール、行くところにもよるけど、区画内なら安全かなぁ。でもちょっと遠いよね」

 私はそのままプールの方へと話題を戻した。

 区画内というのは、団体が各自治体と連携して作らせた、同性愛者用の『特区』内のことだ。特区は、その地域に住むことを前提に同性婚を認め、その地域内では同性愛者があらゆる優遇を受ける。確かにそれは私達にとっては住み易くて、世間の厳しい目もその中に居る限りは少なくて、良いことなのだろう。だけど、結局は私達を異性愛者と『切り離して』生活をさせ、異性愛者が間違って『ハズレ』を引く確率を減らす為の隔離なのだ。これは私が想像で語っていることではなく、もう少し柔らかい表現ではあるものの公言されている。この団体が政府から支援されている理由がこれだ。「これは異性愛者の為の措置である」と言うだけで、「同性愛者にも平等の権利を」を謳うよりずっと効果的に、団体は世間からの支持を得た。正直な感想を言えば、私は『普通』に恋愛して『普通』に結婚したかったし、『違う』から『隔離』されたいわけじゃないんだけど。まあ、結婚が夢のまた夢だった頃と比べれば前進なのだろう。

 何にせよ、特区内にあるレジャー施設であれば、お姫様のように愛らしい子が男の目に晒されることは少ない。女の目には晒されるだろうけど。なお、割引などもあるのでそういう意味で、得であることは間違いなかった。

「そうだねー。でも偶には使わないとなぁ、私も」

「サービスあんまり使ってないの?」

「全然」

 色んな割引を提供して私達がパートナーを探す、そして関係を深めることを推奨してくれている団体だ。使っていないということはつまり『活動していない』と見做されることもある。お姫様はパーティーで毎度大漁であるにも関わらずデートの数が極端に少なく、まだ相手が居ないことから、そろそろ団体から『心配』のご連絡を頂きそうだと憂えているらしい。詩織ちゃんは私よりずっときちんと活動しているのに、シビアだなぁ。

「うーん、悠子ちゃんが良ければ泊まりで行こうよ。ホテルも割引あるし」

「え?」

 私は傾けようとしていたアイスコーヒーに口を付けないままに離した。プールの場所を調べている詩織ちゃんはしばらく私の動揺に気付かずにスマホを見つめていたけれど、数秒後、沈黙に気付いて顔を上げる。瞳が何処までも澄んでいて、含みが無いことは一目でわかった。この子、さぁ。

「えー、いやー、うーん」

 唸りながら、改めて冷たいコーヒーで喉を潤す。渋る私の横顔を見つめ、お姫様が小首をお傾げになっている。

「泊まりは難しそう?」

「や、そうじゃ、なくてぇ」

 私は困り果てていた。詩織ちゃんの方を見ることが出来なくて、一度首を垂れて、唸って、そして天井を見上げて、また唸る。

「あのさ、お姫様。ホテルの割引って、カップルだけじゃん」

「そうだけど、申請してなくていいやつでしょ? ばれないと思うよ」

「そー、なんだけど、そうじゃなくて……」

 コミュニティの登録者は、内部でカップルが成立した場合には報告して、カップルだと認定してもらう必要がある。それは団体にとって実績数の一つとなるのでとても歓迎されることであり、使用できるサービスも増える。むしろそうなった場合は早く申請をしないと、恋人が居るのにお見合いパーティーに参加し続けなければならないというおかしな状態になる。なお、コミュニティ外で誰かと恋人関係になった場合は、相手にも入ってもらうか、それが無理ならばコミュニティは登録解除が必要だ。団体は慈善事業では無いので、双方がコミュニティ登録者でなければ諸々のサービスが受けられない。

 さておき、詩織ちゃんの言う通り、ホテル割引はまだ恋人として申請していない登録者であっても、『進展中』という扱いで、両名が登録者であればサービスが受けられるものだった。だから書類上に問題があるわけではない。それは私も、分かっている。

 煮え切らない私の回答に、詩織ちゃんが更に首を傾ける角度を深めている。右肩からさらりと落ちた髪束が愛らしくて美しいけれど、それを豊かな気持ちで眺める気には今回ばかりはなれない。どちらかと言えば酷く居た堪れない。喉を潤す為にまたコーヒーを一口飲んで、諦めて、明確に懸念を申し上げることにした。

「流石に、同じベッドは手を出しますよ」

「へ」

 団体が割引で出してくれるのは、ダブルルームだけなのだ。一緒にホテルに泊まるならとっとと進展しやがれむしろそれ以外の用途で使うなってくらいの圧を感じる。

 詩織ちゃんは珍しく間の抜けた声を出したかと思うと、黙り込んでしまった。ちらりと視線だけで隣の様子を窺えば、耳まで赤くしていらっしゃる。この子、本当に凶悪だな。見ただけで死ぬかと思った。

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