第5話

「……悠子ちゃん、あんまりそういう興味、ないんだと思ってた」

「無いわけないでしょ」

 こうして一緒に出掛けることに、下心が全く無いとは流石に言わない。詩織ちゃんは可愛くて、話していて楽しい。自分では無理だろうという気持ちはあっても、今のお友達という関係を自分から切るつもりは全く無かった。お姫様の隣を歩いて、デート紛いのお出掛けに行く。彼女にとってはほんの少しの戯れで、一時の気まぐれであったとしてもそれでいいから、お零れに与っているというのが今の私の心情だ。

 私の言葉に、詩織ちゃんは黙ってしまった。さてどうしようかなと私も黙ると、隣からは何やら、かしゅかしゅと変な音が聞こえる。見れば詩織ちゃんが赤い顔のまま、無駄にストローで氷を突いていた。何でそんなに恥ずかしそうにするのかな。私もちょっと耳が熱い。そんな顔されるとは思ってなかったから恥ずかしくなってきた。

 詩織ちゃんが私をそういう対象として意識しておらず、無防備であることはずっと気付いていた。それを放置していたのは私で、悪いのは私だ。曖昧にして無防備なままにさせることは、もう止めた方がいいのだろう。

「多少は下心あるよ、今も」

 敢えてそう断言すれば、ずっとストローを弄っていた詩織ちゃんの動きがぴたりと止まった。

「えー……」

 その反応、流石にちょっと傷付きますが。そう思う気持ちもあったけれど、詩織ちゃんだって、『友達』として信頼した私に裏切られた感はあるのだと思った。大体、これだけ不釣り合いなのだから、弁えておくべきなのはずっと最初から私の方だ。頭を下げるように私は項垂れる。

「ごめん。いや、でも、下心が全部でもなくて、普通に、遊んでて楽しいって思ったのも本当で」

「あ、違うの、びっくりしたというか、意外だと思った『えー』だよ、嫌だって言ったわけじゃ」

 このお姫様、もしかして無防備で迂闊なのもナチュラルボーンだな?

 優しいのは良いところだけれど、見目麗しいお姫様がするのは間違いだ。私の声は、少しだけ低くなった。

「それは、嫌じゃないって言ってくれてるように聞こえますよ、姫」

「あ」

 再び私達の間に短い沈黙が落ちる。詩織ちゃんは言葉に困った様子で、また赤くなって俯いていた。私は今までで一番大きな溜息を零して憂いを伝えてみる。同い年なのに若い子を前にしたおばちゃんみたいな気持ちになっていた。

「詩織ちゃん、あのね、可愛い子があんまり軽率なこと言っちゃだめだよ。勘違い女に襲われるからね!」

 もしも私の自己評価がもう少し高かったら今のは絶対に危ない。しかも現在進行形で私達はカラオケルームっていう密室に二人きりで居るんだよね。このお姫様、本当に今まで痛い目見ていないのかな。心配になってきた。そんなことを考えた私は、タイミング悪く詩織ちゃんの方へと視線を向けてしまった。赤いままの顔で口を尖らせた彼女が、何処か不満そうに、次の言葉を呟く瞬間を。

「……それが悠子ちゃんなら、別に」

 私はあんぐりと口を開けて座ったままで思わず後退った。幸いアイスコーヒーはテーブルに置いていたので落とすことは無かったが、私自身がソファから落ちそうになる。ソファの背と壁に手を付いて何とか踏み止まったが、衝撃が落ち着くことは無い。

「は、はぁああ? お姫様が私みたいな冴えない女を誘惑するの?」

「冴えないとか、私は、そんな風に思ってないから!」

 いつになく大きい声だった。そりゃ、詩織ちゃんからそんな風に言われたことは一度も無かったし、詩織ちゃんはいつだって私の言葉に対して不満な顔を見せていたけれど、私が世間一般として『冴えない』のはどうしようもなく事実なわけで。いや、っていうか、否定そっちか。誘惑してるのは否定しないわけ? それってどういう意味? またただの迂闊? もしかしてそうじゃないの?

 詩織ちゃんはずっとグラスの氷を見つめている。いつの間にかグラスの中は空になっていた。部屋の冷房はよく効いているはずなのに、その頬は真っ赤だ。間抜けな格好でずっとそんな彼女の横顔を見つめている私の方を、詩織ちゃんは全く見ようとしない。

「だ」

 一文字だけ口から先走って出て行った。たった一文字だったのにしっかり詩織ちゃんには届いたらしく、彼女の華奢な肩が微かに震える。私は大きく開いていた口を一度閉じ、ぐっと一文字に引き締めて、それから、静かに息を吸い込んだ。

「……大事にするので、付き合ってもらえませんか」

 詩織ちゃんはその瞬間、きゅっと握った小さな拳を口元に押し当てた。その中で口を尖らせたのか、緩めたのかも分からない。だけど、彼女はその拳の中へとちいさく「はい」と呟く。私は間抜けだった体勢を静かに戻してソファに座り直し、いつもと比べてやや丸まっている詩織ちゃんの背中に手を当てて少しだけ此方へと引き寄せた。同時に彼女の手の中にあるグラスを取り上げてテーブルへと逃がす。抵抗なくそれに従った詩織ちゃんは、腕の中で私を見上げていた。本当、分かっていてやってるんだか、そうじゃないんだか。小さな苦笑いを押し込め、私は身を屈めて詩織ちゃんに触れるだけのキスを落とした。

「あー、うーん、いやごめん、浮かれましたね」

 直後に我に返ってしまった。彼女の肩に額を落とすようにして項垂れる。すると詩織ちゃんの手がきゅっと私の肩を掴む。縋るよりは、何か不満を訴えられている気配がした。

「だから私は、嫌だって言ってないってば」

「そんなこと言われたら押し倒しそう」

 思わず低くなりそうな声を何とか堪えていつもの陽気なトーンに保ったお陰か、詩織ちゃんが怯えて震えたり、身を強張らせたりする気配は無い。ただ少し、私の腕の中で身を捩った。

「流石に此処はちょっとな」

「またも~そうやって、他だと良いみたいに言う~」

 私は当然のようにそう指摘してから、もしかしてまずかったかなと考える。普通に考えたら私の指摘の方がずっと真っ当なのだけど、このお姫様に私が積み上げてきた常識が通じない気がした。

「だから、……何回も言わせないでよ」

 その声は明らかに不満そうであるにも関わらず妙に甘ったるくて、身体の奥がざわつく。腕を緩めて、少し身体を起こす。ついさっきまで真っ赤になって視線を逸らしていたはずの詩織ちゃんは、こんなに近い距離なのに私を見上げて、じっと見つめていた。私は情けなく眉を下げる。

「お姫様、こわぁ」

「何それ」

 別に、誰かと付き合うとか告白するとかされるとか、それが初めてなわけじゃないんだけど、今この瞬間だけはどうしても夢みたいだった。相手がお姫様なんだよなぁ。これ以上こんな距離で見つめ合ってしまうと本当に変な行動を起こしそうだ。お姫様の綺麗な化粧を崩すことが無いように、額の端に少しだけ唇で触れて、私は身体を離した。

「ごめん、あー、ドリンク何にする?」

「え、と。じゃあ私もアイスコーヒーにしようかな」

「了解」

 彼女の持つグラスが空になっていたことに気付くのが結構遅れた。私のアイスコーヒーももう底を突きかけていたので、備え付けの電話から注文する。それが来るまでは二人、何故か無言でカラオケのデモ画面を眺めていた。変に口を開くと甘くなりそうで、そこに店員に乱入されるのはお互いに気まずいと思ったからだ。少なくとも私はそう思った。詩織ちゃんが何を考えていたかまでは分からない。

「とりあえずプールは、えーと、……泊まりで、行きますか?」

 店員さんがにこやかにアイスコーヒーを運んできてくれたのを受け取り、それで喉を潤してから改めて問う。詩織ちゃんはまたストローでグラス内をつんつんした。それもしかして癖ですかね。可愛い癖を持っていらっしゃるな。流石お姫様だな。一拍置いてまた小さく「うん」と返ってきたのを聞いて、何とも言えない気持ちが胸の奥でぐるんとでんぐり返しをしたのを飲み込み、「そっか」と努めて冷静に言うと、私達は淡々とプールに行く日程を決めた。

 その日の触れ合いはそれくらい。当たり前と言えば当たり前なんだけど。

 そして帰宅後、私は改めて自分の部屋で悶絶した。可愛い。何あれ。っていうかお姫様にキスしてしまった。しかも泊まりのダブルルームまで確定してしまった。いや本当なのかこれは。何かの罠であって騙されているんじゃないか。でも団体にちゃんと申請してまで騙すメリットは無いと――あ、そうだ申請。はっとして、私は詩織ちゃんへとメッセージを送った。

『ちゃんと申請、します?』

 言葉足らずだろうかと思いつつ、コミュニティ登録者なら分かるだろう。伝わるかどうかの心配が先に立ち、このメッセージを読んだお姫様のご機嫌を損ねることを想定できていなかった。一分で返ったメッセージに、私は背筋を伸ばす。

『しないつもりだったの?』

 あ、これ怒ってるな。怖い。またやらかしたらしい。私はおそらく今までで最速と思われるスピードで文字を打ち込む。

『いや! 私はしたいです!』

 予測変換で『死体』が出てきたのを慌てて直して送信する。いや、間違ってないような気はするけれど、今彼女に伝えたい内容ではない。先にも説明した通り、コミュニティ内で恋人が成立し、それぞれが申請をすれば、二人はもうお見合いパーティーに参加する必要は無くなる。というか、参加資格を失う。当然だ。恋人が居るのだから。私にとってそれは願ったり叶ったりと言う状況ではあるが、詩織ちゃんにとってはどうなのだろうと思ってしまった。あれだけ人気のある彼女だ。これからも沢山出会うだろうし、その中で、もっといい出会いを見付けることだってあるだろう。それを嫌だと思う気持ちは当然あるけれど、自分のせいで閉ざしてしまっていいのだろうかという罪悪感も同じだけあった。

『私もちゃんと申請したい』

 だけど、その文字を見て尚、そんなことを言う気にはなれなかった。結局、私達はその日の内に、正式に恋人としての認定申請をした。

「こんなことする日が来るとは思わなかったな……」

 運営側である琴美から申請が見えるのかは分からないが、とにかく知られたらものすごい勢いで問い詰められそうだ。そう覚悟していたものの、一週間ほど経っても琴美から連絡が来ることは無かった。その内に、私はそんな覚悟を忘れてしまった。

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