番外編_第13話 (完)

「――詩織、穏やかにね」

「あ……はい」

 私が一瞬、僅かに眉を寄せたのを目ざとく見付けた叔母にこっそり注意されてしまって、慌てて表情を作り直して背筋を伸ばした。

 今はお父さんの結婚披露宴、真っ最中。『連れ子』である私が表情を少しでも歪めることが、周りに変に取られてしまったら良くない。幸い会場はやや薄暗くなっていたので誰かに見付かった可能性は低かった。叔母の声も本当に小さくて、私にしか聞こえていなかったと思う。逆に見付けた叔母が怖いくらいだ。

 さて。どうしてこの祝いの場で私が不機嫌になってしまったかと言うと。

 お祝いのムービーがスクリーンに映し出されている最中。最前列のテーブルに座る悠子ちゃんが、隣に座る友人らしい女性と身を寄せ合って何かこそこそと話し、笑い合っていた。

 ただそれだけ。菜月に言ったらすごい呆れられそう。自分でも呆れている。別に本気で怒っているわけじゃない。仕方が無いのも分かってる。みんなが静かにムービーを観ている時に大きな声で話すわけにもいかないし、小さい声で話すなら身を寄せるのは自然だ。だからちょっと、条件反射で眉が寄っただけ。何にせよ情けない。狭量な自分に辟易する。

 本当はドレス姿で今日も格好いい悠子ちゃんのことを、穴が開くほど見つめていたいところだけど。何度も叔母に叱られては堪らない。とにかく表情を一定に保てるようにと、披露宴の間はもうあまり悠子ちゃんを視界に入れないようにした。

 ちなみに、二次会は立食パーティーで、出席者が自由に交流できる形にするらしい。叔母は不参加なので、披露宴後の挨拶を終えたらさっさと帰ってしまった。本当なら他に知り合いの無い私も、不参加の予定だった。でも愛すべきおバカなお父さんが「同年代の子が沢山居るから、詩織も楽しめると思うよ」と、不参加など想定していない言葉を掛けてきた為に、諦めた。悠子ちゃんに話したら、彼女は大笑いした後で、二次会では傍に居てくれると約束してくれた。

 本音を言うと、悠子ちゃんを華やかな場で一人にしたくない、見張っていたいという気持ちも少しはあった。だから、まあいいかと思っている。この話を数日前に菜月にすると、「うわ~」って言われた。黙っててほしい。

「あ、ちょっと装い変えたんだね。似合うよ」

「悠子ちゃん」

 披露宴から二時間後に、同じ会場で二次会は予定されている。私はドレスを少し変えて、化粧直しをしてから待合ロビーに戻った。するとすぐに悠子ちゃんが傍に来てくれた。二次会が始まるまではまだ一人で過ごすものと思っていたから、ちょっと驚く。

「みんなと喋ってたんじゃないの?」

 軽く視線を巡らせるも、悠子ちゃんと同じテーブルに居た女の子達は見付けられない。ロビーは広く、今の場所は化粧室とロビーの間の角なので、死角になっているのかも。

「充分喋ったよ。偶に会ってる面子だから、積もる話もそこまで無いし」

「そうなんだ」

 悠子ちゃんは私とは真逆と言うか、友達が多いみたい。時々、友達の話を聞くことがある。飲みに行ったとか、ご飯食べに行ったとか、同期の子が子供を産んだから赤ちゃんを見に行ったとか。

「あれー? 悠子、そんなとこで何して――」

 その時、不意に悠子ちゃんの後方から女性の声が聞こえた。咄嗟に私も声の行方を探して動いたから、女性からも私が見えたんだと思う。すぐに彼女の言葉は止まった。披露宴で悠子ちゃんの隣に座っていた人だった。私に無意味に嫉妬された被害者とも言う。

「……悠子、幾らなんでもそんな美人をナンパしてもダメでしょ」

「やかましいわ。ばか。するわけないでしょ」

 どっちの意味だろう。

 私みたいな子をナンパするわけないってことかな。悠子ちゃんなら言いそう。でも谷川さんの結婚を祝う場でナンパなんかするわけない、って、常識の話をしてくれただけかも。今どうでもいいことだって分かってるけど、ちょっと考えてしまった。

「知り合い?」

「そう。っていうか後で紹介しようと思ってた。彼女」

「……は!?」

 私が考えごとをして黙り込んでいる間にそんな会話が目の前で発生して、女性は私の顔をまじまじと見つめながら、驚愕の表情で口を開閉した。

「ちょっとみんな呼んでくる!!」

「いや、だから後で紹介する――聞いてねえな」

 ヒールを履いて美しくドレスアップしている女性とは思えない速さで、悠子ちゃんのご友人さんは駆け抜けて消えた。

「……良いの?」

「え、何が?」

 正直、私を友達に『恋人』として紹介するのは、嫌がるかもしれないと思っていた。今だってあの人は私の容姿を見て、「ダメでしょ」って言った。街中で一緒に歩いている時に知らない女にまで揶揄されて、帽子を深く被り直した悠子ちゃんを思い出してしまう。なのに悠子ちゃんの横顔は、あの時のような無理をした笑顔じゃない。

「嘘! 何この絶世の美女! 何処で捕まえたの!?」

「うるさいなー」

 本当にご友人一行がやってきて、何だか半端な位置で大きな集団が出来てしまった。私達がロビーの中央部に戻った方が良かったのではないかと少し思う。

「私の彼女で、且つ、新郎の娘さん。ちょっとだけムービーにも居たでしょ。抱っこされてた小さいの」

「あの美少女が成長した姿か!!」

「お前ら不躾だな、ちょっと下がれ。距離を取れ」

「ふふ」

 いつになくキツイ物言いをする悠子ちゃんが新鮮で、思わず笑う。

 私達の出会いと、偶然とは言え複雑な関係について簡単に悠子ちゃんが説明すると、ご友人さん達は表情をころころ変えながら、驚いたり笑ったりしていた。谷川さんみたいに明るくて話しやすい人達だった。

 紹介してもらうのは結局このタイミングで丁度良かったのかもしれない。お陰で私は二次会でやきもきする必要なんて全く無く、楽しく過ごさせてもらえた。そして悠子ちゃんは、片時も離れないで傍に居てくれた。

「うーん、思ったより飲んじゃった」

「珍しいね、酷く酔わなくて良かった」

「ほんとに」

 楽しかったから、いつもより気が緩んで、お酒を飲み過ぎた。少しふわふわしている私を気にするようにして、悠子ちゃんは歩調を緩めてくれる。

 今日は、悠子ちゃんの部屋に泊まることになっていた。だから二次会が終わった足でそのまま一緒に帰宅する。

「寂しくなったりはしてない?」

「うん?」

 お風呂も済ませて、リビングでのんびり寛いでいたら、徐に悠子ちゃんがそう言った。お父さんの結婚のことだって気付いて、少し笑う。

「それで今夜誘ってくれたの?」

「うん、まあ。一人だと色々考えるかなーって」

「……そうだったかも」

 私とお父さんは二人きりの家族だった。叔母が私にとって母のような存在だとは言っても、やっぱり親子ではなくて、適切な距離があった。

 お父さんが新しいパートナーを得たことは単純に嬉しいし、その人と家族になったことも心から祝福している。だけど二人きりの家族でなくなったことも事実だ。私とお父さんはこれからも家族だけど、今日、少しその形を変える。良くも悪くも何かが変わるのだろう。もし今夜たった一人で時間を過ごしていたら、それを少なからず悲しく思った瞬間はあったかもしれない。

「でも、うん、ホッとしてるよ。お父さんがすごく、嬉しそうだったから」

「そっか」

 優しく頭を撫でてくれたのが嬉しくて、悠子ちゃんの腕の中に潜り込む。抱き締めてくれたら、もっと心が解れていった。今この瞬間に悠子ちゃんが恋人として傍に居てくれることを、本当に、幸せだと思う。

「詩織ちゃんはどんな結婚式が理想ですか?」

 幸せに浸っていたら、そんな言葉が降ってきて、ちょっと呆れた。悠子ちゃんってすごく細やかな気遣いが出来るのに、こういう発言は一向に無くならない。

「前から思ってたけど、悠子ちゃん、私に結婚の話を振るのは迂闊だと思うよ。これ三回目だからね」

「あ、いや、えっと……」

 一回目は、一緒に料理した日。二回目が、谷川さんと会話した時。どちらも「詩織ちゃんと結婚したら」と軽く言っていた。あの時にちゃんと教えておくべきだったかなと、変な後悔をしながら項垂れる。

「うーん、今までに言ったのは、そうだね、迂闊だったと思う、けど」

 言葉尻に少しの違和感を覚えて顔を上げたら、悠子ちゃんがいつになく照れ臭そうに顔を背けていた。心臓がじわじわと熱くなって、鼓動が早まった。

「プロポーズのつもりなの?」

「いや、えーと、そこまでは。でも」

 そこまではって何。期待しそうな心が浮いたり沈んだりしていた。だけど腕の中で百面相している私を、そっぽを向いている悠子ちゃんは気付かない。

「長谷さんに会った時とか、お父さんに会った時とか、勿論、普段から詩織ちゃんと一緒に過ごしてても、そうなんだけど」

 急に菜月の名前が出てきて混乱する。悠子ちゃんが何を話そうとしているのか、よく分からなかった。

「なんかね。最近すごく、思うようになったっていうか」

 支離滅裂な話し方をする悠子ちゃんが、すごく珍しい。一生懸命に言葉を選んでいて、困った顔をしていた。

「詩織ちゃんなら、どんなに揶揄われても負けないだろうし、私のせいで傷付くような軟な子じゃないし、だから友達に紹介するのも、少しも怖くなくて」

 悠子ちゃんはずっと、「一緒に居る人まで言われてしまうのが辛い」って言っていた。つまり悠子ちゃんが本当に悲しかったのは、揶揄されることそのものじゃなくて、自分のせいで誰かが傷付くこと。そして自分の傍から、離れて行ってしまうことだったんだ。

 ようやく私を真っ直ぐに見下ろした悠子ちゃんの目尻は、照れた名残りで少し赤くなっている。口元に浮かべられた笑みも、普段と違ってぎこちない。本当は飄々となんてしてなくて繊細な彼女が、それを隠そうとして、珍しく失敗していた。

「もう私、詩織ちゃんじゃないとダメかもー、みたいな?」

 軽い口調だったけど。少しも冗談じゃないことが分かるから。胸の奥から湧き上がってきた喜びが言葉にならなくて涙になって、私の頬を、流れ落ちていく。

「な。なに!? どうし、え!?」

「私」

 泣かれることを予想していなかったらしい悠子ちゃんは、驚きすぎて座ったままで軽く跳ねていた。だけど私が何かを言おうとしているのを察して、そのまま留まり、おろおろしながらも、続きを待ってくれた。

「ずっと、悠子ちゃんに、そう言ってほしかったの」

 自分ばかりが、執着していた。

 この人しかいない、この人じゃないと嫌だって思って。でも悠子ちゃんはいつも自分との終わりを見ていて、絶対に執着はしてくれなくて。それでも良いと、最初は思った。この先も私さえ手放さなければずっと一緒に居られる、だから大丈夫だって言い聞かせていた。だけどやっぱり、本当は。

 ――同じだけの執着を、持ってほしかった。

 子供みたいに泣いてしまった私を抱き締めてくれる腕が、いつも通りに緩くっても。今のそれは執着の薄さじゃないって、もう分かる。

「決めた」

「おお、なに」

 一頻り悠子ちゃんの腕の中で泣いた私は、声が出せるようになると同時に、勢いよく顔を上げた。唐突な行動に、悠子ちゃんが目を瞬いている。

「明日、婚約指輪を選びに行こ」

「ちょっと待って?」

 待たない。もう絶対に待たないし、我慢もしない。

「今の内に悠子ちゃんを捕まえておきたい。気が変わらない内に結婚したい」

「プロポーズの言葉が不穏」

 何か言ってるけど知らない。私はテーブルの上にあるスマホを引き寄せ、早速、指輪について検索を始めた。「あ、本気だ」と小さく呟いた悠子ちゃんの声も、聞こえないふりをした。

「私は私でプロポーズしたかったんだけど!?」

「悠子ちゃんは遅いから待ちくたびれちゃうって交際前に知った」

「此処にきて回ってきたツケに後悔の念がすごい」

 勿論、私だって悠子ちゃんからプロポーズされる夢を見なかったわけじゃない。そんなことをしてくれるなら本当に幸せだし、今の言葉で、それなりに彼女の中にもそのつもりがあったのは分かった。でも、待つのはもう、こりごりだから。

「やっぱり銀座がいいかな。南青山もちょっと気になるけど」

「うん……両方、行きましょう……」

 それは彼女が私に、白旗を上げる言葉だった。


 ちぐはぐで、色んな順番がおかしくってグダグダで。少しも理想の形じゃなかったかもしれない。自分が誰かを守りたいと思う日が来るなんて少しも思わなかったし、自分がプロポーズする側になるとも、やっぱり思っていなかった。

 だけどそれでも私が彼女に出会えたこと、これから先の未来をずっとずっと一緒に居る約束が出来たことは、掛け替えのない喜びだから。

 誰になんて言われたって私は傷なんて付かないし、付けさせるわけもない。

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