番外編_第5話

「え、琴美? いや迎えに行かないよ、何で?」

「何でって……」

 谷川さんと会う予定の日。彼女が到着するはずの時間までまだ四十分ほどあるので、私もその時間に集合で構わないはずだった。だけど悠子ちゃんから「少し早めに来れる?」と聞かれて、予定時間の一時間前に最寄り駅で待ち合わせをした。相変わらず、悠子ちゃんは昼間でも私を一人で歩かせようとしない。駅まで迎えに来てくれて、ついさっき部屋に到着したばかりだ。

 でも、私を早めに到着させたのは、この後で谷川さんのことも駅まで迎えに行く為なんだと思っていた。なのに問い掛ければ今の反応。物凄く不思議そうな顔で悠子ちゃんが首を傾ける。その顔をしたいのは、私の方なんだけど。

「いやいや。可愛い女の子にしかそんなんしないよ~」

「可愛い人だったと思うけど……」

「まあ、その辺は主観だからね」

 悠子ちゃんってそんなに偏った人だっけ……。

 そう思ってから、そういえば私以外の女性と接しているところをあまり見たことが無いと気付いた。言葉の端々から察するに、悠子ちゃんの交友関係は広そう。だけど一緒に居る時、悠子ちゃんは私以外の人とほとんど会話をしない。店員さんとの会話も必要最低限で、私の前で誰かと雑談をするところは全く知らない。広くフラットに優しいイメージは、多分、初対面の私への対応から来ている。……もしかしてこれが、菜月に『脈あり』だって気付かせた、特別な甘ったるい対応?

 そっか。悠子ちゃんってサラッと気負いなく『特別扱い』をするから分かりにくいだけで、本当に特別に思った上でやってくれてたんだ。うん、ちょっと嬉しいかもしれない。

「緊張してる?」

 全く違うことを噛み締めていたら、悠子ちゃんがそう問い掛けてきた。違うこと考えてたって言ったらどんな顔をするだろう。一瞬言ってみようかと思ったけど、なんだか心配してくれているのを無下にする気がして、飲み込んだ。

「ん、うーん、どうだろう、少しだけ」

「へえ、詩織ちゃんもそんなことあるんだねぇ」

 ただの軽口だと思いながら顔を上げたら、本当に悠子ちゃんが目を丸めて意外そうに私を見ていた。ちょっと待って。酷くない?

「私、どういうイメージなの?」

「お姫様。だから下々の者になんて怯えないイメージ」

「下々って……」

 ついさっき私も全然違うことは考えていたとは言え、緊張しているのも本当だった。だけど何処までも通常運転の悠子ちゃんに、少しだけ気持ちが緩む。確かに今回、悠子ちゃんは立ち会うだけで無関係だもんね。

 それでも谷川さんが到着してインターホンが鳴ると、かつてないほどに心臓が跳ねて、自分にも人並みにこういう部分があるんだなって、何処か冷静に思う。

 谷川琴美さんの印象は、何て言うか、ちょっと菜月に似てる気がした。勿論、見た目のことではない。そして菜月ほど辛辣な人でも無い。ただ、結構ぽんぽん言う人だ。私は話しやすいと感じた。向こうはそれどころじゃない様子だけど。

 でも、表情がころころと変わるところは、今まで私の周囲には居なかったタイプかも。何だか、お父さんが好きになるのは分かる気がする。それから悠子ちゃんがすごく大切にしているのも。

「急に呼び出してごめんなさい。本当に、お会いしてみたかっただけで、言いたいことがあったわけじゃないんです。お父さんも独身だし、何も悪いことじゃないから」

 何て言ったらいいかな。どういう風に伝えたら、すこしでも安心してもらえるだろう。

 今日までに、幾通りも伝える言葉を考えていた。谷川さんの反応を見ながら、その中で一番良いものを選ぼうと思っていた。だけど、……反応を窺う余裕が私の方にも無かった。完全に緊張は消えて行かない。

 何とか表情に笑みを浮かべたものの、用意していた言葉をとりあえず紡ぐみたいな状態で、少し固い感じになってしまったかも。悠子ちゃんが纏うみたいな緩い空気が出せる人間に、今だけでもいいからなりたい。縋るような気持ちでそんな悠子ちゃんを視界の端で窺うと、のんびりコーヒーを傾けていてちょっと笑いそうになる。画面越しに私達を見てるくらいの呑気な態度は流石に面白すぎるから止めて。

 結局、私の言葉が、どれだけ彼女にとって救いになれたのか正直、分からない。

 だけど悠子ちゃんが思ったよりフォローしてくれた。さっきまであんなに清々しく傍観してたくせに。悠子ちゃんの言葉で、谷川さんが安心したみたいに泣き出したのを見て、悠子ちゃんって本当にずるい人だなって思う。

 ところで――。

 話の流れであっさりと悠子ちゃんが「私が詩織ちゃんと結婚したら」って言ったんだけど。谷川さんを「ママ」って呼んで遊ぶ為だけに言ったのは頭では分かるのに、私の心臓が僅かに高鳴って、すごく悔しかった。

 悠子ちゃんってさぁ、ほんとに、もう。谷川さんがしたみたいに悠子ちゃんの太腿を力一杯、叩いてやろうかって、ちょっとだけ迷う。止めておいたけど。その代わり、谷川さんから悠子ちゃんの何処が好きかを聞かれた時、今までの不満をぶち撒けてみた。悠子ちゃんが時々「え?」「うそ」「ごめん」とか入れてきたけど全部、無視をした。

「……普通、かぁ」

「うん?」

 谷川さんを駅まで見送った後、悠子ちゃんと一緒に部屋に戻る。そしてリビングのラグで寛ぎながら、私はぽつりと呟いた。悠子ちゃんは「普通が良かった」って言った。私は普通とはいつも無縁で、それで良かったから、少しもそれが分からない。

「友達にね、私は『普通を知らない』って言われたの」

 普通を知らない私と付き合うのは、かなり大変だろうって菜月は言っていた。そんなことを考えて少し沈んだ気持ちで言ったのに。私の顔をじっと見て目を瞬いた悠子ちゃんが、まるで空気を読まない発言を挟んだ。

「詩織ちゃんにも友達が居るんだね」

「ねえ」

 菜月に返すくらい低い声が出た。あ、しまった。と思ったけど、悠子ちゃんが楽しそうに笑い声をあげたので一先ずホッとした。でも黙り込んだ私が怒ったと思ったのか、悠子ちゃんは宥めるみたいに私の頭を撫でる。

「ごめん、初めて話題にあがったから、つい」

「……確かにその子くらいしか居ないけど」

 改めて考えると悠子ちゃんの指摘は何も間違いではないんだけど、そういう話じゃないの、今は。小さく咳払いをして、話を戻す。

「だから多分、私は悠子ちゃん達のその気持ち、分かってあげられないと思う。お父さんがそもそも普通の人じゃないし、だけどそれを嫌だって思ったことは無いし、私も、……目立つのは、生まれてからずっと当たり前のことだったから」

「ふふ」

 悠子ちゃんは可笑しそうに笑ってるけど。菜月が居たら多分「そういうとこだよ」って言って、呆れるみたいに目を細めるんだろうな。そんな『普通じゃない』私と居ることが他の人よりも大変かもしれなくっても、やっぱり私は悠子ちゃんと一緒に居たいし、振り回すばっかりじゃなくて私ももっと寄り添う努力がしたい。

「私が気付けなかったら、悠子ちゃん、ちゃんと教えてね」

 すごく真剣に言ったのに、受け止めている悠子ちゃんはいつもとあんまり変わらないニコニコ顔でじっと私を見ていた。この人、私の話ちゃんと聞いてたかな。不安になった。

「ありがと。詩織ちゃんはいつも、そう言ってくれるね」

 聞いてくれていたみたい。

 でも、「いつも」と言われるほど、こんなこと言っていたかな。すぐに思い出せなくて首を傾けたものの、ちょっとだけ眉を下げた悠子ちゃんは私から視線を逸らしてしまったので、疑問には答えてくれなさそう。

「詩織ちゃんは確かに普通じゃないんだけどさ」

 そう断言されてしまうと、やっぱりちょっと微妙な気持ちになる。返す言葉に困っていたら、多分あんまり私の反応も見えていない悠子ちゃんがそのまま続ける。

「きっとそれが詩織ちゃんにとって当たり前だから、私に『ちゃんと言って』って言えて、本当に聞こうとしてくれるんだよね」

 悠子ちゃんはそう言うと、長い腕で私を引き寄せた。すぐに顔が見たかったのに、悠子ちゃんの大きな手が頭をぎゅっと押さえてくるから動かない。もしかしたら、悠子ちゃんは顔を見られたくなかったのかもしれない。

「自分こそが普通だって思ってる人は、そんなこと絶対に聞かないからなぁ」

 呟いた声には彼女の押し隠そうとしていた悲しみが滲んだ。

 今までにそんな『普通』を何度も押し付けられて、悠子ちゃんは、傷付いて来たんだと思う。私は、どれだけ「あなたは普通じゃないね」って言われても「そうですね」と思うくらいで、そんなことも当たり前の一つで、傷付いたりはしなかった。だけど悠子ちゃんは、そういう言葉一つ一つに、深く傷付いてしまう人だから。

「私ね」

「うん?」

「普通じゃないけど、幸せだったの」

「ふふ。うん」

 笑い声が漏れて、悠子ちゃんの手の力が緩んだから、今度こそ顔を上げた。優しい笑みで見下ろしてくれているけど、あんまり明るい笑みじゃなかった。

「だから普通にはしてあげられないけど、幸せにするからね」

「あはは! 逞しいなぁ」

 大きな声で笑った悠子ちゃんは、そのままバタンと身体を後ろに倒す。背が高すぎて、寝転がると頭がラグから出てしまうらしい。ゴンって音がした。痛そう。「いて」と言った悠子ちゃんは、軽く頭を起こして後頭部を撫でながら、私に向かって微笑む。

「詩織ちゃんと居て幸せだから、そうだね、もう証明されてるかも」

 その笑顔には無理をしている色が無くなっていて、ホッとする。そのまま私も悠子ちゃんの脇にごろんと身体を横たえた。隣に寝そべる私を当たり前みたいに引き寄せて抱いてくれる長い腕。私はもうこんなに幸せなんだから、今くらいで満足されてしまうとちょっと困る。もっともっとこの人を、幸せにしなきゃいけないと思った。

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